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リアクション
chapter.8 ホクオウの間
話はCan閣寺に戻る。
式部と他何名かの入山者が大広間に乱入した者たちによって脱走し、同時に謙二の弟子たちとそれに味方する者らが侵入し、謙二を連れ出すといういざこざが起きたものの、
尼寺側としては幸いなことに怪我人などは出なかった。
謙二が寺から脱出して一時間。
ざわざわと騒々しかった本堂内も、だいぶ落ち着きを取り戻してきていた。
となると始まるのは当然ガールズトークであり、その話題はもっぱら先ほど起きた騒動のことだった。
ここ「ホクオウの間」でも、女性たちがわいわいと盛り上がっている。
ちなみにホクオウの間は、いわゆるナチュラル系であったり森ガール的なファッションをした女性が多く集まる部屋らしい。
「さっきの侵入事件、怖かったよねー」
そこそこ長くこの寺にいるらしい尼僧、アオイが話を切り出すと、その話題にアイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)、布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)、そして佳奈子のパートナーエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)が混ざって熱心に話を聞く姿勢を見せた。
「お陰で、廊下もだいぶ汚れてしまいましたね……後で、私が掃除しておきますね」
「あー、ほんと? 助かるなー。アイシスちゃんだっけ? 随分働き者だよねー」
アオイに褒められたアイシスは、謙遜してみせる。
「私は入山したばかりでお寺の教えにも戸惑ってばかりですから、せめて皆さんのお役に立てればと……」
その言葉通り、アイシスはご飯の支度なども積極的に手伝い、早くも女子力の高い子と何人かの尼僧に憶えられていた。
「それだけ女子力高かったら、モテるでしょ?」
アオイの言葉に、アイシスは激しく首を横に振る。
「恋愛経験なんてほとんどなくて……ですので、こうして寝食を共にしていくうちに、学べたらなと」
そうは言うアイシスだったが、彼女の最優先目的はそこではない。
以前感じたこの寺への不信感に近い気持ちと怪しい情報。その真相に迫るべく、彼女は入山することで尼僧たちの噂話をより間近で仕入れようと考えたのだ。
積極的に家事を手伝う姿勢を見せたのも、より早く信頼を得るためだろう。
「それで、先ほどの事件ですけれど、アレは一体なぜあんなことに……?」
アイシスが、話を戻す。
「それがなんかねー、一ヶ月前くらいにここに押し掛けてきた侍の人を取り戻しにきたとかなんとか」
「えっ? 一ヶ月間にも、こういうことがあったの?」
アオイの言葉に反応したのは、佳奈子だった。彼女はアイシスとは異なり、純粋にご利益を求めて体験入山に来たのだった。
「あーそっか、君はその時まだいなかったんだっけ」
言うと、アオイは佳奈子に一ヶ月前に起こった出来事を話した。急に侍が弟子たちを引き連れて押し掛けてきたこと、佳奈子くらいの歳の男女がこの寺の味方をしてくれて、どうにか防衛できたこと、その後侍の身柄をここで確保したことなど。
「へー、そんなことがあったんだ!」
佳奈子はそれでそれで、とより細かく話を聞こうと目を輝かせている。その傍らで、エレノアは佳奈子ほど気持ちが盛り上がっていはいなかった。
元々「お寺にこもって修行する機会がある」ということで珍しいもの見たさに参加しただけということもあるが、何よりエレノアは、若干のうさん臭さをこの寺から感じ取っていた。
そもそも、この女子校状態の場所で恋愛力アップというところからしておかしい。
普通、女子校育ちとくれば男性との恋愛にリアリティを感じる機会はあまりないはずだから、恋愛には疎くなりがちなのでは?
「そっちの子はあんまり元気なさそうだけど、大丈夫ー? どこか体調悪い?」
そんなことを考えていたエレノアだったが、アオイに話しかけられ、はっと我に返った。
「だ、大丈夫よ。話が面白かったから、つい聞き入ってただけ」
「ねえねえ、他には? 何か面白い噂話ってあるの?」
佳奈子の言葉に、アオイはエレノアから視線を移し、「そうねー」と頭の中で検索を始めた。
「あ」
短く声を上げると、アオイは「面白いかどうかはちょっと微妙だけど」と前置きしてからこんな噂話を始めた。
「住職様と副住職様が前に一回揉めたことがあるらしいよ」
「それは……なぜですか?」
アイシスも、身を乗り出し話に食いついた。
「詳しくは分かんないんだけどねー。でも元々住職様は愛だけあれば他には何もいらないみたいに考えてる方だから、副住職様とは根っこのところで価値観が違うのかも。ほら、苦愛様が副住職になったあたりからお寺の内装とか豪華になったしー」
確かに、あちらこちらにあるピンク色の装飾品や家具はどれも高そうなものばかりだった。さらにアオイは続ける。
「ぶっちゃけ、うちらの中でも今分かれてたりするしねー」
「分かれているって?」
佳奈子が聞くと、アオイはすっと指を二本立てて答えた。
「住職様派と、副住職様派」
「ちなみに……どっちなの?」
エレノアが、目の前のアオイに尋ねた。アオイは少し考えた後、「まあ、君たちまだ新しい子だから口にしても問題ないか」と質問に答える。
「うちは苦愛様派だよ。間座安様……あ、住職様だけど、あの方あまり見ないし話さないからよく分からないし」
「そう……」
エレノアは、やはり、と思った。
どうもこのお寺の内部事情は簡単ではないようで、裏がありそうだ。
エレノアは佳奈子の袖をくいと引っぱり、「あまり入り込みすぎない方がいいかも」と小さく囁く。佳奈子はそれを不思議そうな顔で聞くのだった。
◇
彼女たちがホクオウの間でガールズトークに勤しんでいる頃、話題にも上がっていた人物、苦愛は電話の応対をしていた。
電話の相手は、ホクオウの間にいたアイシスの契約者、シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)である。
「今、そちらに俺のパートナーが世話になっていると思うんだけど、どうかな? 彼女、女王への信仰一筋で恋らしい恋もしたことがないから」
「あー、あの子? そうだねー、化粧とかはちょっと慣れてない感があるかなって思ったけど、でもすっごい家事とか頑張ってくれてるよ。たぶん今ね、女子力がぐんぐん上がってると思う」
「はは、それは良かった。迷惑がかかっていないかって少し心配だったんだ」
「ううん、迷惑なんて全然」
シルヴィオの言葉に、苦愛はひとつひとつ言葉を返していく。以前式部とデートをした際に一度ふたりは電話をしていることもあり、その距離感は遠いものではなかった。
電話口でのふたりの話題も、ちょうどその時のことへと移っていた。
「そういえば、この間は素敵な店を教えてくれてありがとう。とても役に立ったよ」
「ほんとー? 良かったあ。でもあの子、どこかに行っちゃったけどね」
「……え?」
シルヴィオは一瞬耳を疑った。苦愛が言うあの子とは式部のことだ。式部とのデートコースのことで前に電話をもらった苦愛は、残念そうに言う。
「ついさっきのことなんだけどね、なんかいきなり入ってきた人があの子を連れ去ろうとして、でも結局自分でどこかに走ってっちゃったの」
式部が連れ去られかけた? 今式部はどこにいるか分からない?
シルヴィオの中で疑問がいくつも生まれた。同時に、彼女の顔も浮かんでくる。シルヴィオはそのことを問いつめたい衝動に駆られたが、今は他にやらなければいけないことがあった。
少なくとも自分の足で寺を出ていったのなら、最悪の事態にはなっていないはずだ。
シルヴィオは自分にそう言い聞かせると、式部の無事を心から願いつつ、苦愛との会話を続けた。
「そうなんだ……苦愛さんの声がこないだより沈んでる気がしてたんだけど、もしかしてそのことが関係してたりするのかな? 気のせいだったら悪いんだけど」
「あー……全然関係ない、ってわけでもないかも」
「もし寺の人に話しづらい愚痴とかがあるなら、聞かせてもらうよ? この間のお礼も兼ねて」
苦愛を労るような口調で、シルヴィオが言った。そしてそれはまさに、今彼の中で「やるべきこと」なのであった。
これまで気になった一連の件の事情を、苦愛から聞き出す。それがシルヴォオにとって、すべてを解決するため今走れる最短距離だったのだ。
苦愛が式部に渡したデートコースのメモ。
そこに書かれたお店が、すべて同系列のお店だったこと。
お店とCan閣寺の繋がりの有無。
シルヴィオは頭の中にあるそれらの点が、どうすれば線になるか模索していた。さらについ先ほど、彼はアイシスからメールを受信していた。
その内容は、彼女がホクオウの間でアオイから聞いた住職と苦愛との関係についてだった。
――住職と苦愛の間でも、思惑の違いが発生している?
考えが上手くまとまってくれない。シルヴィオの頼みの綱は、今話している苦愛だった。
その苦愛が、おそらく普段なら話さないであろうことを、ぽろりと漏らした。
今日起こった様々な事件が苦愛に心労をもたらしたためか、あるいはシルヴィオのタイミングよい言葉につい甘えてしまったのか、その両方か。
「ていうかさ、住職様が出てくるといっつもややこしくなるんだよね」
苦愛は、そう言ってシルヴィオへ愚痴をこぼし始めた。
「あ、いや別に仲が悪いとかそういうんじゃないけどね? 元々あの侍の人たちだって、間座安様が監禁とかしなきゃ押し掛けてこなかっただろうし」
「侍? それって少し前の……」
「そう、取り戻しにきたーとか言ってさ。結局侍の人、連れ帰っちゃったし。あたしは別に侍の人なんてどうでもいいんだけどね。ただ、間座安様が何考えてるのかいまいち分かんないんだよねー」
言って、苦愛が話したのは新たな監禁者のことだった。
「たぶん侍の人を助けにきた人だと思うんだけど、おっきな男の人が寺に来て。今度はその人のこと閉じ込めちゃったんだよねー」
シルヴィオは、苦愛の話を聞いていて薄々わかりかけてきたことがあった。
それは、今苦愛が言った内容が全部本当だとすれば、どうも住職が何か良からぬことをやっているのではないか、ということだ。
となると、その住職とそりが合わないでいる苦愛は、この一連の事件にあまり関わっていない可能性も出てくる。
しかしその考えは、また彼に疑問を抱かせるのであった。
シルヴィオは電話を切った後、考えを整理し始める。
「アイシスからのメールだと、住職は金とかには執着せず、愛だけがあればという性格のようだが……」
仮に住職が良からぬことを裏でやっていたとして、苦愛はそれに関わっていないのだとすれば。
金に執着しない住職なのだから、金儲けの手段として店との繋がりを持つといった線は消える。しかし現状、一連の金の流れは、Can閣寺に利益をもたらしていることは容易に想像できる。
とその時、もう一通、アイシスからメールが届いた。
「苦愛さんが副住職になったあたりから、お寺の内装とかが豪華になった……?」
そのメールでますます、シルヴィオの頭はこんがらがった。
「ということはやはり、苦愛も一枚噛んでいる……?」
少なくともCan閣寺が紹介するお店で信者やその恋人が購入することで、Can閣寺が潤っていると見て間違いはないだろう。
「……待てよ」
シルヴィオの頭にその時、ひとつの仮定が浮かんだ。
仮に、苦愛が寺の金儲けを目論んでいて、それとは別に住職も住職で別な企みがあったとしたら。
これなら、今のところ辻褄としては合う。問題は、その企みが何なのかだ。
最初は侍の謙二が監禁され、次は大男。どちらも、女性が簡単に監禁できる人間ではなさそうだ。
さらに苦愛との価値観の相違。
これらの要素から、シルヴィオはある疑問を浮かべた。
「住職は、本当に女性なのか……?」
◇
辺りは暗くなり始めていた。
シルヴィオが寺の秘密に近づこうとしていた時、ここCan閣寺前の階段近くでも、別な手段で寺へアプローチしていた者がいた。
階段から近いところにあるものといえば、そう。
一月ほど前からオープンしていた、ホストクラブ「DAN閣寺」だ。オープン時より大分寂れた感じにはなってしまったものの、アキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)とパートナーのウーマ・ンボー(うーま・んぼー)はこの地で営業を続けていた。
ターゲットはもちろん、Can閣寺の尼僧である。以前のように、どうにかして秘密を聞き出せないものかと彼らは試行錯誤していたのだ。
そしてこの日は、特別なイベントを開催するという触れ込みで、より多くの尼僧を集めようとしていた。
「ダンダンダダダン ダンダダンダダン」
もはやお馴染みとなったメロディーに乗せて、アキュートがマイクに口を当てた。
「今夜も貴女を守る騎士(ナイト) でもマンネリは避けないと いつもと違う俺らを見て(サイト)、綺麗に咲いた夜の華」
なんとも絶妙なダサさ加減である。ちなみに最後の夜の華、の読み方はフラワーオブナイトだ。
そしてウーマが、なぜかゴスロリドレスを着た姿で現れる。どうやら本日のスペシャルナイトのテーマは「女装」のようだ。
見れば、アキュートもいつの間にかパッツンパッツンのコンパニオンコスチュームに着替えている。もしかしたら下にあらかじめ着ていたのかもしれない。だとしたらかなり危険な人物だ。
ちなみに今夜のシフトはアキュートとウーマ、そしてもうひとり、この店のナンバーワンホスト、埼玉県民だ。こちらは金のナイトドレスで景色を彩っている。
「埼玉ーっ! 埼玉ーっ!」
これでも一応常連客の尼僧もいるらしく、早くも来店した尼僧から声援を浴びると、埼玉県民は髪をかきあげながらウインクして言った。
「俺の器は、関東には収まりきれないんだわ」
女装中なのに俺とか言っちゃうあたりが、ナンバーワンといえど埼玉県民の限界である。
「さあ、今夜も飲みなよ」
テンションが上がった尼僧に――これでテンション上がるのもすごいが――アキュートはお酒を注ぎながら隣に座って言った。
何とかしてそろそろ新たな情報を得たいアキュートは、いつもより度数の高いお酒をバレないよう飲ませる。
聞き出したいことは、いくらでもあるんだがな。
アキュートはごくごくと尼僧がアルコールを体内に入れるのを見ながら、心の中でそう呟いた。
現時点で彼が立てられる精一杯の予想は、寺内の不和と、ステルスマーケティングのふたつであり、それはシルヴィオも辿り着いていた推測だった。
「腐っても尼寺だ、それだけじゃ弱い……踏み込むには、もっと決定的な何かが……」
つい声に出してしまったアキュートだったが、既に酔い始めていた尼僧はぼんやりとしか聞いてなかったようだ。
「え? これ弱くてしかも腐ってるの? そんなの客に出していいと思ってるの! もっと強くて新しいお酒持って来て!」
「強いお酒、ね。喜んで」
アキュートはこれ幸いと、さらに強いお酒を出す。
「なあ、そういえば日中なんかやけに人の出入りが多かったみたいじゃねえか」
「えー? だってそりゃほら、こないだの侍のこと助けるー! みたいな人がたくさん来たもん」
「へえ、で、結局助かったのか? そいつは」
「さあ? でも地下にはもういなかったから、出てったんじゃない? 代わりにまた別な人が閉じ込められてたけど」
さすがにべろんべろんに酔わせただけあって、今日は調子が良い。アキュートはそのまま、質問を続けた。
「興味本位で聞きたいんだが、寺に男閉じ込めて、それを指示したヤツは何がしたいんだ? 男子禁制なんだろ?」
「えー? それはほら、住職の間座安様のことだから、愛を教えようとしてるんだよ!」
「愛を……?」
「そうそう、あの人の中では性別とかないから。男にも女にも、平等に愛を教えるすごい人なんだよ!」
「どういうことだ、一体……?」
より深く聞こうとするアキュートだったが、尼僧がそこで潰れてしまったため、これ以上は聞けなかった。
「愛を教えるってのは、まさか……な」
頭に浮かんだピンク色の光景を打ち消すと、アキュートはしばらく黙って考え込んだ。正面を、ウーマが光りながら横切っていく。
あんな風に閃きが訪れてくれたら楽なんだがな、と苦笑した彼は、苦愛との不仲説が浮上している住職について、また考えを巡らせるのだった。
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