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そんな、一日。~三月、某日。~

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そんな、一日。~三月、某日。~

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6


 三月に入り、目から入るものは随分と様相を変えた。
 草木が芽吹き景色に色が付き、生命の息吹を感じさせてくれる春という季節が、遠野 歌菜(とおの・かな)は大好きだった。
「さてここで問題です。春といえば?」
 歌菜が月崎 羽純(つきざき・はすみ)に問いかけると、羽純は一瞬考える素振りを見せた後、「花見?」と答えた。
「ぶっぶー、ハズレ」
 答えながら、でも花見もいいなあ、と歌菜は思った。満開の桜の木の下を、羽純と一緒に歩くのだ。恋人繋ぎして、桜のアーチを下から見上げる。空は一面、文字通りの桜色だ。きっと幻想的だろう。それもいい。
「じゃ、なんだ?」
 妄想は、羽純の声に遮られた。そうだ。歌菜は羽純に問題を出していたのだった。
「春といえば、スイーツです!」
「……なんで?」
「なんでって……春スイーツが美味しいじゃない」
「歌菜それ、夏になっても秋になっても言うだろ。冬でも。春夏秋冬一年通してくまなく」
「あは。ははは」
 言う。言うとも。だって夏は夏でゼリーやムースやアイスケーキが誘ってくるし、秋はもっと大変だ。モンブランやスイートポテト、カボチャのタルト、好きなものが多すぎる。冬はチョコ菓子が猛威を揮い、多くの女の子が犠牲になるだろう。
「でもね、春は格別だよ?」
 けれど、つまり、そういうことなのだ。
 夏になっても秋になってもスイーツの季節! と言ってしまうかもしれないけれど、一番輝くのは春だと思う。
 桜のシフォン、イチゴのタルト。さくらんぼやももを使った春色ゼリー。食べて美味しい、見て楽しいを如実に体現しているではないか。
 そのことを切々と羽純に語ると、「つまり」と前置きして彼はこう言った。
「『Sweet Illusion』に行きたいんだな?」
「えへ。正解。やっぱり羽純くんは私のこと良くわかってるなあ……」
「今のはわからない方がおかしい」
「だって、フィルさんとこのケーキ食べたいもん。きっと可愛いし美味しいよ?」
「それは同感。……行くか」
「うん!」
 満面の笑顔で頷いて、支度をして家を出る。
 『Sweet Illusion』までの道は、近いとはいえなかったが歩いて行った。春らしくなってきた街並みを見ながら歩くのも乙なものだと思ったからだ。
 日当たりがいいところに立っている桜の木は早くも花を開かせていて、一層春の訪れを意識させる。
「もう春だね」
「だな」
 そんな他愛のない話を繰り返して、店についた。
「フィルさん、こんにちは! 今日は春スイーツ三昧に来ました!」
 元気よく宣言すると、カウンターに立っていたフィルスィック・ヴィンスレット(ふぃるすぃっく・う゛ぃんすれっと)がくすくすとおかしそうに笑った。女装の時とは違った、色気のある笑い方だった。そんな風に笑ったからか、あるいは男装姿を久しぶりに見たからか、なんだかドキッとした。
「フィルさんの」
「?」
「男装姿って、なんだかドキッとするのはなんででしょうか?」
「恋かな?」
 それはないです、と即答する前に、羽純が口を開いた。
「女だと思ってたのが急に男だから……じゃないか?」
 どことなく、口調に棘がある。フィルもそのことに気付いたのか、やっぱりくすくすと笑って、「俺ね、はーちゃんのそういうとこ好きだよー」と言った。羽純は、ばつの悪そうな顔をして視線をフィルからショーケースへと移す。歌菜もそれに倣った。羽純の隣で食べたいケーキを選ぶ。
「やっぱり春スイーツといえば、イチゴでしょうか?」
「そうだねー、イチゴタルト、人気No1だしね。やっぱ春はイチゴが強いね」
「みんな考えること一緒なんだなあ……」
「でもねー、桜も負けず劣らずだよ。桜シフォン、美味しいって評判なの」
「桜……! そっちも捨てがたい……!」
「個人的に、ピスタチオとフランボワーズのケーキもお勧め。春色ケーキだよー」
「うわあぁあ……やめて下さい、迷う〜!」
「それからねーこっちは――」
 やめてと言ったも嬉々として説明を続ける辺り、フィルは結構ないじめっ子だと思う。それか、純粋にケーキが好きなのか。たぶん前者だろうけど。
 これでもかというほど説明を受け、食べたいものが増えていく。
 スポンジに桜の葉を練り込んだもの。
 桜の花から取れるハチミツを使ったもの。
 白イチゴのタルト。
 エトセトラ。
「うぅう……迷うぅ……」
「候補は? 絞れてるのか」
「うん……ふたつまで絞ったよ。今、イチゴか桜かの最終決断を下せないでいるところなんだ……」
「そんなに悩むなら両方頼めばいいじゃないか」
「えっ」
「俺は両方頼む」
 羽純はあっさりと決め、フィルに注文を済ませた。
「春のコーヒーセットっていうのがあるよー」
「じゃ、それで」
 と、羽純とフィルが会話している最中も、歌菜は悩んでいた。
 どちらも頼む、だって?
 その禁断の考えは、悩み始めた当初、頭の片隅に追いやったものだった。だって、ふたつも食べてしまったら。
「うう……」
「? まだ悩んでるのか? ふたつまで絞れてたんだろ?」
「そうなんだけど……。二個食べたら太っちゃうかな……と」
「なんだ、食べすぎを気にしてたのか」
 些細なことだと言うように、羽純がふっと笑う。痩せてる羽純くんにはわからないんだ、と小さく呟くと頭を撫でられた。
「……決めた」
「お」
「どっちも食べる! 食べた後、動けばいい話だもんねっ!」
 そうだ、食べても動けばいい。ちゃんと消費すればいいのだ。
「なので、フィルさん! これとこれ、下さい!」
「はーい。歌菜ちゃんも、コーヒーセットにする?」
「します! 下さい!」
 元気よく注文し、羽純と一緒に席につく。目の前に並べられたケーキたちは、どれもこれもきらきらと輝いて見えた。
「わーっ、美味しそう!」
「だな」
「いっただっきまーすっ」
 弾む声で手を合わせ、幸せそうに一口目を食む。
「んー……美味しい……」
 たった一口で、夢見心地の気分になった。ふんわりと桜の香りが広がる。
「幸せそうだな」
「幸せです……」
 うっとりと呟いてからコーヒーを一口含む。
「羽純くんの方も美味しそう」
「美味しいよ。食べるか?」
「いいの!?」
「俺も、歌菜の食べてるやつが美味そうだと思ってたんだよ。一口ずつ交換しよう」
「うん! これ美味しいから、食べて食べてっ」
 皿を交換して、一口頂く。こちらもたまらなく美味しい。
「あー……春だーってカンジがするね」
「だな。特にこっち、桜だし」
「でしょでしょ。
 そうだ、この後、春のお洋服を買いに行こうよ」
「春だから?」
春らしいワンピースと靴、欲しいなぁ。フィルさんに今のトレンド聞いてみようかな。きっと詳しいだろうし」
「いいんじゃないか」
「じゃ、聞いてくるね!」
 席を立って、フィルに問う。
 フィルは、歌菜の望んだ答えをくれた。席に戻った歌菜は、羽純の手を引く。
「私たちに似合いそうな春服売ってるお店、教えてもらったよ!」
「ああ。じゃあ行くか。……あれ今歌菜、私たちって言ったか?」
「言ったよ?」
「俺も?」
「そうだよ?」
「……俺も?」
「素敵な春服の羽純くん、見たいなぁ」
 ねだるように言ってみると、羽純は何か言いたげにした後、息を吐いた。
「わかった」
「本当!?」
「その代わり歌菜にも着させるからな」
「いいよ。春服デート、できちゃうね!」
 想像してみた。今よりもっと春色に彩られた街を、新しく買った春服を着て歩く。どんなシーンを思い浮かべても、想像の中の歌菜は楽しそうに笑っていた。
 きっと幸せだろうなぁ、と考えるだけで心が暖かくなった。
「羽純くん」
「ん?」
「幸せ」
 店を出た後繋いだ羽純の手も、幸せな気持ちと同じように暖かくて、笑みが零れた。