リアクション
●スプラッシュヘブン物語(Last Page)
さて時間を少し戻して、カーネリアンを見送った直後の小山内南に視点を移すとしよう。
南が制服も着替えず直行したのは、スプラッシュヘブン内の大冷凍室だった。
冷凍室というが実際は一つの建物に近い存在だ。入口からでは奥まで見通せないほど広い。
この容積は必要に迫られてのものである。これほど大規模のアミューズメントを、食料面で支えているのがこの場所なのだ。
外の暑さが嘘のよう。南極にでも来たかのような寒さだ。南は白い息を吐きながら小走りに奥へと向かう。
そうして、ついにたどり着いた。
「陣さん!」
「おー……」
イヌイットのような防寒服を着込み、ダルマみたいになった七枷 陣(ななかせ・じん)が出てきた。頭にはぶ厚いフード下ろしている。
スキーゴーグルを外して彼は笑った。
「またアイスの追加か? さすがに今日はよく売れとるなぁ」
「いえ、もう追加は十分です。それに……陣さんの勤務時間も終わりなので知らせに来ました」
「そうか、やっと終わりか……」
ふへー、と魂が抜けたような顔をして陣はその場に座りこんだ。
重労働であった。
ものすごい、重労働であった。
もともとは、南のパートナーカエルの カースケ(かえるの・かーすけ)に「南を手伝ったってや〜」と両手を合わせて頼まれたのがきっかけだった。
こういうやりとりがあったものと記憶している。
たまたま何かのきっかけで陣と一緒になったカースケは、南が現在スプラッシュヘブンでアルバイトをしていることを話した上で、こう言って手を合わせたのである。
「南なぁ、あの子……どうもバイトでおんなじシフトの子とうまくやっていけてへんみたいやねん。陣はんがさりげなーく、間に立ってくれたらホンマ助かるわぁ」
「萬田はん……じゃなくてカースケはんに頭下げられたら、オレも断ることができんわぁ」
釣られて自分も河内弁になりながら、任せとけ、と陣はこの話を請け合った。まあカエルのぬいぐるみカースケはんでは、アイス売りはできないだろう。
ところが、南が働いているスタンドのアルバイトに応募してみたところ陣は意外な事実に直面した。なんと男性には裏方仕事しかないというのだ。
それでも自分が南と、カーネリアン・パークスの間の緩衝材になれるかもしれないし……と受けた結果、陣は連日、冷凍庫でアイスクリームの箱を掘ったり運んだりするという重労働を担当することになってしまったというわけだ。
ちなみに『掘ったり』と書いたのは大袈裟ではない。冷凍庫内は吹雪舞うツンドラ地帯状態で、ややもするとアイスの箱は深い霜に埋もれてしまうのだ。得意の火炎魔法で溶かしてしまえば一発だが、それは他の食品に悪影響を及ぼしかねないしアイスも溶けてしまうだろう。
したがって彼はここのところ毎日、ガチガチの凍土にシャベルを突き入れ、凍える手でアイスのケースを掘り起こしまくっていたというわけだ。
正直、非常に厳しい作業でありその分賃金は良かったが、すぐに逃げ出してしまうバイトが後を絶たないというのもうなずける内容であった。
陣の契約は今日で終わりだ。南も明日まで。夏の想い出というには酷寒すぎる作業だったが、これはこれで良い経験だったかもしれない。
「さあ、戻りましょう」
と言った南がぶるっと震えたのを見て、陣は彼女の肩に、自分の防寒着を脱いでかけてやる。
「あ、あの……陣さん……!」
「気にすんな。オレは寒いの強いんやで、なにせ『焔の魔術士』やからな!」
「そうですねー……って、むしろ逆でしょ!」
「はは、南ちゃんもだんだんノリツッコミできるようになってきたなぁ」
冷凍庫を出て軽装になると、まだまだ賑わうプールサイドを歩きながら話した。
「……そっか、カーネリアンが挨拶を返してくれたか」
「明日で仕事は終わりですけど、やっと少しだけ、仲良くなれた気がします」
バイトの間中、こうやって彼らは毎日会話しながら帰路につく。仕事は厳しかったが、この時間帯だけは陣も楽しみにしていた。
それがもう今日で終わりかと思うと、少し、寂しい気がしないでもない。
「オレもこの仕事やってよかったと思うで。また南ちゃんと、こうして普通に話せるようになったから」
「え……そ、そうですか?」
「ちゃうの? このところずっと、南ちゃんってオレになんかよそよそしい態度をとってたし、話しかけようとしたら逃げるし……オレ、知らん間になんか南ちゃんに対してやらかしたんかと思ってた」
「別に……そんなことないです……」
南の口調が重くなった。しかし陣は気づかず、
「いや、正直心当たりないけど、もし嫌われるようなコトしとったんなら謝りたいって思ってた」
「嫌いになるはずなんてありません。だって……」
「うん?」
「だって私……陣さんのこと……好きですから」
「そらよかった。うん、オレの思い過ごしやったみたいやな。けっこう安心したで、いやマジで」
「違います」
「ええっ? 好き言うたり好きじゃない言うたり、どっち?」
陣はきょとんとして足を止めた。
いつの間にか、夕陽を背にして南が立ち止まっていたから。
「そういう意味じゃないんです。私は……陣さんのことが、男性として好きなんです……」
南は陣を見ていた。
今にも泣き出しそうなくらい、真剣な表情で見ていた。
――えっ?
まったく予想外の流れで、陣は一瞬、頭が真っ白になる。
――オレもしかして、告(コク)られた……?
この会話で彼は知らず、地雷を踏み抜いてしまったのかもしれない。
モテる男はつらい、なんて笑える状態ではないし、実際全然、笑えなかった。
なぜなら陣は妻帯者で、事実婚とはいえ妻がふたりいるのである。彼としては現状の生活になんら不満はなかった。
もちろん南のことは好きだが、仲の良い妹という感じで、これまでそういう対象として考えたことなど一度もなかった。
ゆえに、飛び道具を心臓に受けた気分だった。鋭く強烈なダーツを。
南は震えている。軽く押したらそのまま倒れそうなほど、力なく立って震えている。
「私……いままでのままで幸せでした。リーズさんと真奈さん、おふたりに囲まれて楽しそうにしている陣さんを、そっと見守るだけで満足でした。……できることなら、いつまでもそうしていたかった……。でも陣さん! 私……もう……こんなに優しくされて、あなたへの想いを隠しきれない……!」
ここで誤魔化すのは陣の流儀ではない。彼は真剣に、そのままの姿勢で告げた。
「気持ちは嬉しい、ホンマに。でもごめん、先謝っとくで。今から割と最低なこと言うから」
南の沈黙を了承と受け取って、陣は言った。
「もしオレの恋人になった場合、重婚できないから籍は入れられないし、知っての通り事実婚な嫁さんがふたりいるから、大切にはするけど南ちゃんだけを一番にはできない。周囲からは奇異の目で見られるかもしれないし、そればかりか日陰者のままかもしれない……それでも構わないって言うなら……オレは君を受け入れたく思う」
わざと酷いことばかり並べたのは、
――これでオレを最低な奴と思ってくれればいい。
そんな考えが陣にあったからだ。明確に言えば、「愛人扱いだけどいいか?」と言っているのに等しいのだから。
南との友情もこれまでとなるだろう。自分の酷い噂も流れるかもしれない。それでも、陣は自分の体面より南の幸せを選んだつもりだ。
「な? そういうわけやから、南ちゃんにはきっと、もっとえぇ男が……」
だが彼の発言は遮られた。
「あの、今の話」
「え? うん」
「ちょっと考えさせてもらって、いいですか?」
「いやこれ真面目に検討するような話じゃないやん! ……花も恥じらう十九歳の乙女が……って、ちょっと……!」
待って、と片腕を伸ばしたまま陣はその場に固まってしまった。
「よく考えて近いうちにお返事します!」
南はその一言を残し、また脱兎のように逃げ去ってしまったのだから。
――脱兎系女子?
などと意味不明なことを、混乱する頭で陣は考えた。
いまは南もボルテージが高まっているだけだ。冷静になれば、ちゃんと断ってくるだろう。平手打ちのひとつくらい、されるかもしれないけれど。
でも万が一、「それでお願いします」って言われたら――。
どうしよう――と陣は思った。
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「ローラーっ!」
おーいっ、と声を上げて、柚木桂輔はようやく、ローラ・ブラウアヒメルが一人きりになる瞬間を捕まえることができた。
何時間待つはめになっただろうか。なにせ撮影やステージが終わっても、ずっと彼女はマネージャーだの関係者だのと、打ち合わせをしていたのだから。プールで遊ばず仕事ばかりのローラなんて、桂輔からすればちょっとおかしいと思う。
「桂輔!」
ローラは彼の顔を見て、ほっとしたように表情を緩めた。
このときローラはあの魅力的な水着はもう着替えて、いつも通りの蒼学の制服姿になっている。「仕事、お疲れさま」
「ありがとね。桂輔、でもこのあと、関係者だけの打ち上げパーティがあるよ……」
と言うローラの表情が疲れて見えた。売れてくると多忙なのである。
「そうか……じゃああまり話せないな」
「そんなことない。桂輔のためなら時間、作るね。パーティくらい、遅れてもかまわないし」
陽は落ちてもう空はすっかり群青色だ。
それでもズプラッシュヘブンは賑わっており、人の往来は絶えない。
遠くのモニターには、アイドルグループらしき三人の少女が歌って踊っている映像が映し出されていた。どうやら、敷地内でスペシャルライブが行われいてるようだ。
二人きりになれるベンチを桂輔は見つけてきて、並んで腰を下ろす。彼は冷たいドリンクも買ってローラに手渡した。
「モデルの仕事、華やかだなあ。あんなに注目を浴びて……。そういえば最近、あっちこっちでローラの名前や写真を見るようになったよ」
「そう? 嬉しいね」
「……それ、求められてやっているだけの笑顔?」
「えっ?」
「パティが言ってた。ローラは頼まれたら嫌って言えない性格だから、本当は好きじゃない仕事でも、求められたら断らないって。本当はモデルの仕事、好きじゃないんじゃないかな、ローラは」
「そんなこと……」
「前も言ったけど、俺、ローラのことが好きだ」
「うん、知ってるね……」
「好きな人には、好きなことだけしていてほしいと思う」
桂輔は立ち上がっていた。
「嫌なことはしなくていい。ローラが言えないなら、俺が代わりに言うよ。モデルの仕事、やめちゃったらいい。楽しそうにしてないローラを見るのはつらい。生活のことなら心配しないで! 俺、こう見えて生活力あるから、ローラ一人くらい十分養える!」
その点は自身があった。もともと戦災孤児だった桂輔だが、彼は身一つではじめた運び屋やジャンク屋などで、あっという間に天御柱学院
「桂輔……!」
「もう一回言う。
ローラ、君が好きだ! 俺と付き合ってほしい!」
「あの……桂輔? 教えて」
「あ……うん、なんでも」
「『はい』って言ったらそれで、いいのか?」
言うなりギュッと、ローラは桂輔を抱きしめていた。
「桂輔! 桂輔! ワタシ、桂輔が好きよ! モデルの仕事はもう引退ね! 将来は桂輔とお弁当屋さんやるよ!」
「任せとけ!」
嬉しさと誇らしさで頭がぼうとなりながら、それでも桂輔は訊かざるを得なかった。
「……って、なんで弁当屋?」
「桂輔そんなイメージあるから♪ あと、ワタシ、食いしん坊」
「いや俺技術屋なんだけどなぁ〜」
苦笑しながら桂輔は腰に力を入れて、ローラを横抱きにした。お姫様抱っこという格好。
「じゃあローラ、改めて、これからよろしく」
「よろしく、桂輔♪ 好きよ」
「俺も!」
ふたりはそのまま、情熱的なキスを交わしたのである。
唇を離すと、ローラは立ち上がって今度は桂輔を抱き上げた。
「じゃあ桂輔、行こう!」
「行こう、ってどこに……?」
「プール! 打ち上げはキャンセル! ワタシ、カレシとデートがしたいよ」
新しく生まれたカップル、桂輔とローラに幸あれ!