波羅蜜多実業高等学校

リアクション

●スプラッシュヘブン物語(12)

　唐突だがここで、青年の主張。
　シリウス・バイナリスタ（しりうす・ばいなりすた）の以下主張をお聞きいただきたい。
「オレが教員になった理由の一つってさぁ……『休み多そう』だったんだよね。ほら、夏なんかがっつり二ヶ月休めるじゃん………ってそんな甘い話なかったよチクショウ！　宿題の準備やら、溜まってるレポート採点やら、もうクタクタだぜ……やっとことれた短い休みだしのんびり……って思ってたんだよカーネリアン！」
　シリウス版青年の主張は、ここ、スプラッシュへブンの一角、アイスクリームスタンドの前で繰り広げられていた。
「……いらっしゃいませ」
　ものすごく心のこもっていない接客言葉を投げ捨てるように言って、ストライプの店員制服のままカーネリアンはシリウスを見ていた。マゾっ気のある人であればゾクゾクするくらいの冷やかな目で。
「なんで憂さ晴らしに遊びに来て、お前の憂鬱になりそうな仏頂面があるんだ！？」
　言葉に力こぶを感じさせるほど気合を込めるシリウスに対して、カーネはまったく動じず、そればかりか眉ひとつ動かさずに、
「ご注文をどうぞ」
　アイス用のディッシャー（※先端がお玉のような形状のアレ）を手に、これをかぱっ、かぱっと規則的に鳴らしながら平板な声で告げた。
　ランチ時の混み合う時間帯こそリナリエッタたちのヘルプもあってなんとかしのいだが、リナリエッタがプールに戻り、またそろそろ込みだす午後三時が近づいてきたというのにこのマイペース……カーネリアン・パークス、彼女は大物なのか。それとも柔軟性がまるでないのか（たぶん後者）。いずれにせよ、これほど接客業に向いていない人物もなかろう。
　――というかカーネリアンを雇った店主の気がしれないぜ。
　という言葉が喉元まで出かかったのをこらえて、シリウスは少し、口調を緩めて言うのである。
「せっかくの美人なのに、そんなんじゃ客だって怖がっちゃうだろ」
　相手がローラであったら、これを聞いて照れてれになるだろうし、パティだったら内心の嬉しさを秘そうとして「バカ言ってんじゃないの！」と顔を赤らめ言うだろう。憎まれっ子イオリであれば、「撃つぞ」なんてとんでもない照れ隠しを口にするかもしれないが、いずれにせよ、なんらかの反応はする。
　ところがカーネは、
「自分の容姿は、この場合関係ないと思うが」
　と、特に感慨なく言い捨てたのだった。
「それで、ご注文は？　お勧めは……どれか忘れた」
　カーネの背後では小山内南が、どうしたらいいのか困り果て、ひたすらあたふたあたふたとしている。
　しかしシリウスはめげない。
「容姿は、という言い方からすると、無表情はいかんってのはわかってるようだな」
　と言って、カーネに一歩近づいた。
「元変装の達人だろうが。そんな無表情じゃ、オレなんかに化けたら一発でばれちゃうだろ」
　そもそもオレの真似をできるヤツがいるのか――という疑問が頭に浮かびかけたがそれは引っこ抜いてプールに投げ捨ることにする。
「ほら、もっとこうスマイルだぜ？」
　こうなれば実力行使だとシリウスは決めて、ぐいぐいと店まで入り込み、カーネの顔をつかもうとするが……。
「ほーぅ……唐突に人を『デートしようぜ』とか誘っておいて、泳ぎもそこそこにナンパねぇ……？」
「いやこれがナンパに見えるのか！？　って……いや、そうじゃ……なく……て…………」
　ようやく、シリウスは思い出した。
　今日、スプラッシュへブンに一人できたわけではないということを。
　ギギギ、と油の切れたロボットみたいに首を後方に向けるとそこには、
「正直に言うといいよ、シリウス。アイス買いにここまで来た瞬間から今まで、ボクのこと完全に忘れていただろう？」
　と、仁王立ちの格好でサビク・オルタナティヴ（さびく・おるたなてぃぶ）が両腰に手を当てていた。なお服装はメタリックブルー調のビキニ水着である。
　サビクは、笑顔だ。
　口調も穏やかだったりする。
　一見、怒っていないようだがシリウスは知っている。あの表情あの笑顔……本気で怒っているのは明白だと。ありていに言ってしまうとマジギレ状態である。
　シリウスのこめかみから頬にかけて、やけに冷たい汗がしたたりおちた。
　ここで話題を転換すべくシリウスは、
「あ、ほら、サビクとか見ろよ、演技でも明るく振舞って……」
　などと言ってみるのだが、サビクのいい感じ（＝うすら恐ろしい感じ）の笑顔は、一ミリだって変化しないのであった。
「あんまり思いつめた顔してると、心まで暗くなっちまうぞ★」
　ビシ、とカーネに向けウインクして親指を立て、かなり強引に話を終わらせると、シリウスは舌を噛みそうな早口になった。
「え、えーと、そうだったな！　ご注文ご注文……え、えーとトリプル二つな！　オレのおごりで！」
「あ、はい！　ただいま！」
　動かざるごと山のごとしのカーネよりもずっとテキパキと、南が注文のアイスを作り始める。
　――まったく。
　小言してもいいところだが、サビクはここで『いい感じ笑顔』を解いた。シリウスが悪気があってやったことではないと、理解はしていたからだ。
　かわって、サビクはカーネに言った。
「カーネリアン。別に真剣に考えなくていいぞ。見ての通り適当なヤツなんだ、コイツは。付き合うだけ振り回されるだけだ」
　カーネは黙って聞いている。
「キミはキミの思うままに生きればいい、その方がよっぽど有意義で気楽に生きられる」
　するとカーネは、
「……ありがとうございました」
　と言った。例のスマイルゼロマニュアル対応なのか、本心で言ったのかは、わからない。
　サビクはうなずいて、
「……だからそこ、アイスなんかで買収できると思うなよ！」
　とシリウスを一喝してその場を離れる。シリウスと一緒に。
　でももちろんアイスは、しっかりとシリウスから受け取っている。

　さあいよいよ午後の陽射しは暑さを増してきた。
　ここからがアイスクリームショップの第二の来客ピークにして真の正念場、おやつタイムである。
　泳ぎ着かれた客、小腹が空いてきた客が、大挙して押し寄せてくるはずだ。
　……このときカーネリアン・パークスの元を最初に訪れた客は、随分低いところに目線があった。
　じりじり、じりじり。
　段ボール箱がカーネリアンの前を、微妙な速度で進んでいる
　じりじり、じりじり。
　しかもこの怪しさ満点の段ボールの持ち手からは、対物ライフルがはみ出ているではないか。
　カーネはやはり寸毫も表情を変えず、
「……いらっしゃいませ」
　と、段ボールを両手で持ちあげた。
　下から出てきたのは匍匐前進の少女、葛城吹雪であった。
　びくうっ！　と昼寝から急に起こされた猫のようにすくみあがりながら吹雪は声を上げる。
「やるでありますね、我が偽装に気づくとは只者ではないであります……む、そのムスッとした顔はいつぞやの同志！！」
　しかし吹雪を見つけたからといって、だしぬけにフレンドリーになったりするカーネではない。
　ごくごく、冷静に、
「ご注文をどうぞ」
　と、アイスクリームディッシャーをカッポカッポ鳴らしながら吹雪を見おろしている。
「同志！　これから自分はこのリア充の天国を、一瞬にして地獄に返る一大テロをおっぱじめるつもりであります！　スプラッシュヘブンならぬスプラッシュヘルでありますよフハハハハ……であります！」
　吹雪は立ち上がって、使命感に魂を焦がしながら叫んだ。
「ゆえに同志！　もう偽装はいいのでありますよ！　非リア充エターナル解放同盟公認テロリストとしてともに革命を起こすのであります！　すなわち、これからプールの排水溝を爆破してプールを使用不能にするのであります！　いよいよ作戦のとき、来たれりでありますよ！！」
　だがカーネリアンは同調しなかった。そればかりか、
「警備員さんこっちです」
　と、警備員を（例の抑揚のない声で）呼んで、吹雪のほうを指さしたのだった。
「ど……同志ー！　どうし……どうしよう！」
　吹雪は踵を返して一目散だ。
　ここから吹雪とスプラッシュヘブン警備員たちの涙あり笑いありの追走劇がはじまるのだが……そこらへんはこの物語では割愛させていただこう。