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あの日あの時、あの場面で

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あの日あの時、あの場面で
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過去ではなく



 それは、見慣れた光景のひとつのようにも見えた。

 実際、作業そのものは大きな違いがあるわけではい。
 どんな状況下にあっても、常に何時もと変わりなく、迅速に、確実に、抜かりなく。
 だからこそ、その光景は普段と変わらないのだ。

「大丈夫そう?」
 帰還したラグナロクの艦長室で、各所の修理状況を確認していたルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、モニター向こうのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)に問いかけた。
「大丈夫だ、問題ない」
 応じたのはダリル、と言うより、ラグナロクの中央演算装置と一体化した、ラグナロクそのものとなったものからの返答だった。自身を艦の診断プログラムと化させて艦内を隅々まで巡り、報告との一致を確認し終え、各種のデータを総ざらいし終えると、ルカルカの前へと「戻って」ダリルは息をついた。
「内部の破損個所はあらかた済んでいるから、外装の修復を含めると、完了まであと数十分と言うところだな。駆動系、エネルギー系統異常なし。システムにも異常は認められなかった」
 機械的な報告に、ルカルカはほんの少しだけ笑う。
「ダリルがシステムなんだから、異常なんて起こりようがないでしょ」
「ふん」
 絶対の信頼と誇らしげな様子を滲ませるルカルカの言葉に、当然だと言うような態度をとりつつも、ダリルの表情は満更でもなさそうだ。
 そうして、残りの修復時間を報告書の作成などで忙しなく過ごし、ようやく全ての行程を終えると、ルカルカはふっと息を漏らしてダリルを仰いだ。
「お疲れさま」
「ああ、お前もな」
 気遣う声に、お互いの顔がふっと緩む。そのままぐぐっと腕を伸ばして、ルカルカは心地よい疲労感に息をついた。
 どんな時でもそうだが、特に難しい任務の後は、その達成感が迫ってくるのは、こうして修理までを完遂し終えた時だ。遠足は家に帰るまでが遠足、と言うが、日常の光景へとシフトするその時が、やっと終わったと実感させる。
 自身の率いる部隊【鋼鉄の獅子】への労いの言葉をかけ終え、その後も少しばかりの連絡や報告に勤しんだ後、振り返ったルカルカは、一息着こうと思ったところへの、抜群のタイミングで用意されたお茶会用一式に手を叩いた。
「さっすがダリル、判ってる〜」
 そう言っていそいそと席に着いたルカルカは、目を輝かせた。皿の上に盛りつけられたレアチーズケーキに、淹れたての紅茶。食器セットは簡素なものだし、軍用艦の中という無機質な空間の中ではあるが、ダリルの手にかかればあっという間にティールームに早変わりである。
「いただきますっ」
 言うが早いか、ルカルカはケーキにフォークを入れた。
 大胆にカットし、あーんと口いっぱいに頬張る。瞬間、なめらかな口溶けと共に舌の上に広がる、生クリームの絶妙な甘さと、濃厚なクリームチーズのほのかな酸味。最後にサクリと香ばしさを添える、下敷きのクラスト生地がたまらない。
 ダリル自作の絶品スイーツに舌鼓を打って、周囲にふわふわと花が飛びそうな程上機嫌のルカルカは、続いて紅茶を含んでまたその表情をとろけさせた。これまたケーキによく合う濃いめに淹れられた紅茶は、一級品の茶葉を使ったのだろう、ふくよかだが味覚を邪魔しない上品な香りだ。
「任務を終えた後のティータイムは格別よね」
 うっとりと息を吐いてご満悦な表情を浮かべると、執事然として傍に供するダリルにルカルカはふふ、と笑みを深めた。
「お嫁さんにしたいよ」
「新妻が何を言う」
 ダリルは呆れたように言ったが、その顔はしょうがないなとでも言うように苦笑している。無意識下には満更でもないのかもしれない。そんなダリルにくすくすと笑いながら「だってぇ」とルカルカは甘えた声を出した。
「あの人、甘いもの苦手だからさぁ」
 言いながら、最後のひとかけらをぱくりと口に入れて租借し終えるとじ、と物欲しげに視線を上げる。
「第一、旦那様とお嫁さんは違うじゃない? 別腹よ、別腹……っ」
 最後の一言が食欲の方だと悟って、ダリルはその皿の上に切り分けたケーキを載せると、再び一瞬で空にしそうな勢いでそれを食べるルカルカに「遠慮しておく」と肩を竦めた。
「専属ケーキ職人になるのは目に見えているからな」
「なによう」
 口を尖らせるルカルカに、ダリルは不意に踵を返すと、ルカルカが首を傾げる中、何かを手にして戻ってくると、それを机に置いた。
「嫁にはならんが、これをやろう」
 それは華やかな包装をされた包みだ。明らかに「ちょっとした」の域を越えているプレゼントにルカルカは目を瞬かせた。
「プロポーズかな」
「そんな訳あるかタンポポ」
 さらっと吐かれた言葉に、ダリルもまたさらっと返すと「残念」と笑いながら、ルカルカはプレゼントに手を伸ばした。
「あけて良い?」
 その言葉にダリルが頷くや否や、ルカルカが両手の平程の大きさのそれから落ち着いた色のリボンをしゅるりと解くと、中から現れたのは、革張りでそれ自体が美しい宝石箱のようなケースだ。シルバーの装飾をされた留め具を外すと、その中にひっそりと鎮座している時計は、箱の大きさに対しては随分小振りだが、それでもその存在感は言うまでもない。
 ドレスウォッチに多く見られるトノー型という選択は、実用性を重んじるダリルにしては珍しいが、ルカルカならば付けこなせるだろうとの無言の信頼だろうか。光沢は控えめな革のバンドに、ケース装飾はシンプルだが、内側は精密機械の動く様が見えるスケルトン仕様だ。おそらくこちらはダリルの好みだろう。
 実用面においてデジタル時計が主流となりつつある現在で、こういったクラシックな時計はそれだけで希少価値の高いものだが、明らかに職人が長い時間と技術を投資した一点物だと主張するその佇まいに、流石のルカルカも単純には喜べず、伺うようにダリルをそろりと見上げた。本当にプロポーズの時にでも贈られるのが相応しいような代物だ。
「なんか……超高そうなんですけどコレ」
「気にするな」
 ダリルはあっさりと言うが、女性としてこんな高価な贈り物をされて気にするなと言われても無理な話だ。理由もなくもらえない――とは流石に言わないが、察したのだろう、ダリルは少し表情を緩めた。
「お祝いだ。気兼ねなく受け取れ」
 その一言でこちらも察して、ルカルカは目を見張った。
「それは……ダリルが参謀してくれてるからだし、ダリルが参謀してくれるからだし、部隊の皆が頑張ってくれてるからだもん」
「率いているのはルカだ。評価されたのだ」
 私だけの力じゃないよ、と言いかけたその上に被されたダリルの言葉は、そういう台詞に慣れていないためか言葉が妙に堅かったが、成果主義のダリルに褒められる事は滅多にない。誰に褒められるより、一層の嬉しさがこみ上げてきて、溢れそうになるのをごまかすように「ありがとう」と返答は簡潔だった。
 さっそく手首にしてみると、軍服にはいささか馴染まなかったが、静かな輝きはその手にはよく馴染んでいる。これが似合う軍服を着るようになれるのは何時だろう、と ルカルカがしみじみと眺めていると、まるでその思考を呼んだように「何、直ぐだ」とダリルが言った。
「俺達はもっと上に行く」
 野心的な一面を覗かせるダリルに、ルカルカは少し笑って頷いた。願う場所は、輝かしい理想だけでは、綺麗なだけの想いでは、届かない場所だ。
「私は、団長の理想と共に、団長と同じ未来へ向かって歩く」
 それがどんな未来でも、とあえては言わない。彼の生まれた国柄を考えれば或いは世界と相容れなくなるかもしれなくとも、ついて行くとそう誓ったのだ。そのルカルカの決意に添うように、ダリルは「案ずるな」と口を開いた。
「俺が支えてやる」
 はっきりと告げられる言葉に、ルカルカが瞬いていると、忠誠を誓う騎士のようにダリルが自らの胸を、握った拳で叩いた。
「俺が、お前の剣としてお前を押し上げてやる」
 自分のかけがえのない理解者であるダリルからの誓いに、ルカルカは胸を撃たれる心地で感慨に目を潤ませる。そんなルカルカにダリルはその頭をくしゃくしゃと撫で、口を開こうし……



 ――……た、ところで。
 それを聞き終えることなく、ルカルカは意識を引き戻されて目を瞬かせた。
「……あれ……?」
 夢か、と思ったがそれにしては随分真に迫っていたように思う。口にしたケーキの甘さも、腕にはまった時計の重さも、耳を打った声も、あんなに現実的だったのに――
「何だ、任務中に居眠りとは余裕だな?」
 思わずきょろきょろと見回したルカルカに、ダリルは呆れたように肩を竦めた。その仕草は何時もと変わりがないが、先ほどの夢の内容のせいか、妙に照れくさいものを感じて、ルカルカは自身の両頬をぱちんと叩いた。
「いいえ、何でもないわ。さあ――行きましょう」
「ああ」
 一瞬首を傾げたダリルだったが、声音を変えたルカルカに従って頷いた時には、もういつものダリルだった。
「俺が、お前の剣としてお前を押し上げてやる」
 だからお前も俺も、もっと上へ行くんだ、と。
 その言葉は先ほど夢で聞いたそれと同じで、ルカルカは思わず目を瞬かせ、直ぐ口元だけを綻ばせながら頷いて、ラグナロクのモニターへと向き直った。
 かけがえのない存在であり、自身の最大の理解者である彼がいるなら、怖いものなど何もない。自分たちの戦場を見やり、ルカルカはその手を前方へと振り下ろした。

「ラグナロク、発進――……!」

 
 彼女が見た夢が、近い未来に実現するのかどうか。
 それは、彼女たちのみが知るのである―――…………