リアクション
御前試合、当日〜昼〜 「……いいのでしょうか」 二回戦が終わったところで、遅めの昼食時間となった。明倫館の裏庭でカタルはヤハルと合流した。 カタルは、唇を噛んだ。二回も不戦勝で終わったことが、どうにも納得がいかない。ハイナの贔屓だ、と言われても仕方がない。 実際、カタルを後の方の試合に回したのは、ハイナだった。カタルの具合が悪いと知っていたからだ。だが、 「まさか総奉行だって、二度も不戦勝になるとは考えていなかったろうし。そう、気に病むことはないよ。オウェンだって、時間稼ぎをしてくれればいいと言ってたろう?」 そのオウェンは、どこで何をしているのか、姿を見せない。おそらくは、「風靡」を奪う機会を狙っているのだろうが、無論、今この時もあの剣には見張りがついている。 「気を落ち着かせて、次の試合に備えるんだ。いいね?」 ヤハルは言葉を切った。そこに人の気配を感じた。 「ああ、ここにいたのか」 やってきたのは、クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)、黒崎 天音(くろさき・あまね)、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の三人だ。 「カタルは狙われている。二人きりで出歩くのは、あまり感心しないな」 とブルーズ。樹月 刀真から宇都宮 祥子のことを聞き、三人はカタルを探していた。 「失敬。ちょっと話したいことがあったので」 「それは、ミシャグジのこと?」 クリストファーの問いに、ヤハルはやや俯き、眼鏡をくいと持ち上げると答えた。 「――そう」 どうやら違うな、とクリストファーと天音は目配せした。 「よかったら、どうだ? 出汁巻き卵だ」 ブルーズが、風呂敷に包んだ重箱を差し出した。蓋を開けると、美しい、黄金色の出汁巻き卵が現れる。 しかし、カタルはかぶりを振った。 「我の自信作だ。味は保証する」 「食欲はないかもしれないけど、食べた方がいいな。体力勝負なんだから」 昨年、御前試合に参加した先輩として、クリストファーが忠告する。カタルは微笑を浮かべた。 「お腹が空かないんです。というより、私は普通の人より、食べる必要がないんです」 「――それは、『眼』のせいかい?」 半ば勘に近かったが、天音は尋ねた。そうです、とカタルは肯定し、布の上から右目に触れた。 「この布で抑えていても、私の『眼』は周囲の生命エネルギーを取り込み続けるのです」 分かっていても、動揺は隠しきれない。天音が僅かに目を瞠ったのに、カタルは微笑んで続けた。 「大丈夫です。ほんの少しですから。それに人だけでなく、植物や他の動物からも分けてもらっています。だから、あまりお腹が空かないんです」 本当は、嫌なのだけど。 きゅっと結んだ口元に、そう言いたげな表情を見て取って、ブルーズは重箱をカタルに押し付けた。 「ならば、やはり食え。食って、そんなエネルギーを取り込む必要など、なくしてしまえ」 「無茶を言うね、ブルーズ」 天音が苦笑いするのに、ブルーズはむすっとして鼻を鳴らした。 「食べないなら、俺と軽く手合せしないか? これでも、練習相手ぐらいにはなる」 クリストファーが、カタルを引っ張っていく。 「ところで、漁火の情報はあったかい?」 茶屋での出来事は、最初から最後まで見ていた天音によって、全ての契約者へと知らされていた。天音は、漁火の仲間たちについても、その容姿を目撃していた。しかし、【サイコメトリ】で分かったことは少なかった。“玉”に関して言えば、それを最初に手にした男は死に、次の男に手渡されたということだけだ。 茶屋に残された男は職人で、操られている間のことは何も覚えていなかった。彼の記憶は、丸一日飛んでいたという。 それでも、茶屋での出来事は、敵の行動と目的を知るのに、貴重な情報だった。 「役に立ったなら、少し、そちらからも情報をくれないかな。そう、彼のあの『眼』だ。僕の【トレジャーセンス】に、引っ掛かるものがあるよ」 ちらりとカタルに目をやり、それからヤハルに視線を戻した。じ、と見つめられ、ヤハルは苦笑する。 「契約者というのは、便利な能力を持っているものだ……」 天音のセリフは嘘だ。『眼』は金銀財宝ではないから、何の反応もない。しかし、ヤハルはそこまでは知らない。 「確かにあの『眼』は貴重だろうね。必ず生まれるものではないから」 「どういうことだい?」 「五千年もあれば、『眼』の存在しない時代もあったということだよ。それで、もう必要ないだろうと判断して、一部の者が集落を出た。ところが、生まれた子に『眼』が宿り、慌てて戻ったわけだ」 「遺伝ではない?」 「遺伝は遺伝だろう。でも、生まれる条件が分からない。それが分かれば、楽なんだけどねえ」 ヤハルは目を細めて、カタルを見つめている。何を想っているのだろうか。横顔からは、何も窺えない。 そのカタルは、クリストファーと何度か軽い手合せをし、心地よい汗を掻くとごろりと芝生に横になった。 「風邪を引くよ」 「久しぶりなんです、こういうの。集落では、よく空を見ていました」 目を閉じ、すうっと鼻から思い切り空気を吸い込む。カタルの表情が、格段に柔らかくなったのが分かった。 「集落は、どこにあるんだい?」 「ある、山の中」 どこに漁火の仲間がいるか分からない以上、カタルも口が固かった。 「漁火という女について、何か知っている?」 いいえ、とカタルは答えた。 「敵だというのは知っています。ミシャグジを蘇らせようとしていることも。でも、詳しいことは分かりません。――そういえば昔、集落がなくなりかけたとき、外から来た女が引っ掻き回したと聞きました。それで、集落も場所を移したんです」 ふむ、とクリストファーは考え込んだ。その女が、漁火と同じ一味という可能性はある。 「集落がなくなりかけた、というのは?」 「随分、昔のことです。近親婚を繰り返していますから、どんどん人数が減って、いっそ外へ出ようとなったそうです。きっかけは、斥候がある女と知り合い、逃げ出したことでした」 「その男は?」 「死んだでしょう。集落を移す話が出て、それで三組の夫婦が『外』へ出たと聞きました。ところが、生まれた子供たち全員に『眼』があったそうです。私たちは、『外』に出られない、そういう宿命なんでしょう」 カタルがあっさりとその単語を口にした。だが、彼の口調ほどに易くはない言葉だった。 しかしその重さを、クリストファーはまだ知らないでいた。 |
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