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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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 同日、参ノ島へ来ているのは彼らだけではなかった。
 互いに知らなかったが、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)もパートナーの禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)と連れ立って伍ノ島からのルートで参ノ島入りを果たしていた。
 2人は先日伍ノ島で及川 翠(おいかわ・みどり)たちと一緒のツアーに参加し、動物保護区域イフヤにある元国家神の居住していた風の神殿跡に行き、ヨモツヒラサカの怪しさに気づいていたが、そちらを探索するという話には参加を見合わせることにした。
 いや、怪しさに十分気づいていたからこその判断と言える。河馬吸虎があまりにおびえていたため、躊躇したのだ。
 もともと人間の女性体の姿に変化してからの河馬吸虎は、石本のころの河馬吸虎と同一人物とはとても思えないほど怖がりになってしまって、柳を揺らす風にもびくつくような始末だったが、そんな彼女でも今回の怖がりようは尋常でないように見えた。
 そんな河馬吸虎をだれかに預けて自分だけ、というのも気が引けるし、第一どこへ行くにもリカインの服の裾を握って放さずついて来る河馬吸虎のことだから、リカインが下りると言えば今回もついて来るだろう。それはさすがに可哀想だ。
(こんなカバを預けられる人ねえ……)
 預けても罪悪感を感じないでいられる人物。
 一瞬、パートナーで悪魔のウェイン・エヴァーアージェ(うぇいん・えう゛ぁーあーじぇ)が浮かんだが、文字どおり一瞬だった。即座に却下する。
 召喚して、ホテルの部屋に缶詰っていろと言えばいいのかもしれなかったが……それ以外に問題がいろいろとありすぎる気がした。
 ヨモツヒラサカに下りたくないわけではないのだが……。
 致し方なし。
 ばっさり思い切ると、リカインは参ノ島へ渡ることにしたのだった。
 単純に考えれば、伍ノ島から近い肆ノ島へ行くのが普通かもしれない。しかし参ノ島で生産される浮遊島の武具という物に興味があった。特に、歴史に名を残すような物があるかどうか。それを知りたくてリカインが向かったのは、参ノ島の島立博物館だった。
 チケットを求める際、ここへ来た目的をざっと話して、展示場所を訊く。彼女たちが地上から来た人たちだと知った館内の職員が、これらはどうかと小さなイヤホンのような物を出してきた。
「展示物の説明が入っていまして、その展示物の前に立つと自動で説明が流れるようになっています」
「ありがとうございます」
「耳につけてお使いください」
 と、つけ方を手振りで説明してくれる。受け取ったそれを河馬吸虎と2人、右耳にセットして、教わった3階へ向かった。
 博物館内はリカインの知る地上のそれと同じで、ロビーや渡り廊下など人どおりの多い所は活気があるが、いざ展示室となれば静寂が満ちている。
 うす暗い室内でライトアップされた展示品のなか、特にリカインの目を引いたのは中央に吊るされた形で固定されたガンシップだった。
 乳白の光をはじく鋼鉄のボディ。へこんだり欠けていたり。さびが浮いているところもあったが、よく手入れをされた機体だった。両翼にレーザーの発射口があるほか正面に縦2列の砲門があり、前後に操縦席のある二式複座型だ。
 カチリと小さくスイッチの入る音がして、リカインたちのつけたイヤホンが説明を始めた。
 長いので内容は割愛するが、これは『建御雷』と呼ばれるガンシップで、7000年前オオワタツミ戦の際に使用された物ということだった。時の秋津洲領主スサ・ノ・オ率いる人間たちは、これを駆って国家神やドラゴンたちとともにオオワタツミやその眷属の雲海の魔物たちと死闘を繰り広げたらしい。
 現存するのは約35機体ほど。特殊な機体ゆえに修復も復元も不可能で、伍、肆、壱ノ島に5機ずつ配備されており、残り20機体が参ノ島にあるということだった。
「……ああ、そういえば。出迎えに現れていた太守の船の両翼を飛んでいたわね」
 金色に塗装された護衛機の側面に『タケミカヅチ』の文字があったのをリカインは思い出した。遠目だったし、注意して見ていなかったから気づくのに遅れたが、あれはこれだったのか。
「あの、すみません」
「はい? 何でしょう」
 博物館を出るころに、リカインは「思うところがあって」と先に親切にしてくれた博物館の職員に参ノ島の女傭兵たちが集まる場所を教えてもらった。酒場とか傭兵ギルドとか、そういう場所を予想していたが、職員が教えてくれたのはもっと公務寄りの――博物館職員だから当たり前かもしれないが――浮遊島軍本部だった。蛇足ながら、キンシたちもここに所属している。
 島民を魔物たちから守る女傭兵という言葉から彼らの実力に興味が湧いて、よければ手合わせをと思って行ったわけだが、残念ながらあてははずれてしまった。
 最高責任者の太守が不在であるなか、留置所からの脱走騒ぎが勃発、施設を破壊された上人質としてウ・ヅキという少女まで連れ去られたということで、副官で留守預かりのメ・イとリ・クスが逃亡犯たちの捕縛へ向かう準備をしている最中だった。
 もちろん部外者であるリカインにはそこまで詳細は知らされなかったが、建物を包むピリピリとした空気から、それどころではないという雰囲気は伝わってきた。
 申し訳ありません、と謝罪する担当官に「いえ、こちらこそお手間をとらせてすみません。また後日、出直してきます」と応えて建物をあとにする。
 その後ろでは、周囲にいる者たち全員が傭兵であるということにことさらおびえ、ディテクトエビルと映晶の杖で360度完全防備体勢をとっていた河馬吸虎が、何事もなかったことにほっと胸を撫で下ろしていた。




 さて。リカインたちがいた博物館だが、実は彼女たちが下で見学をしていたころ、上の階では三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)たちが閲覧室の一角を借りて頭を悩ませていた。
「……うーむむむむ……」
「大丈夫か? のぞみ」
 机に両肘をつき、頭を抱えている様子ののぞみに、奥の部屋から資料の山を運んできたミカ・ヴォルテール(みか・う゛ぉるてーる)が心配そうに脇から声をかける。
「――はっ!
 う、うん? 大丈夫だよ?」
 パッと手から頭をはずしてミカを肩越しに振り返り、笑顔を見せるのぞみは、自分がさっき唸っていたことにも気づいていなさそうだった。
 そんなのぞみの姿にふっと嘆息して、ミカは運んできた両手の資料を机のあいた場所にどさりと積む。
「まだこんなにあるの……?」
 恐ろしい魔物でも見るような目で古書の山を見るのぞみに、ミカはひらひらと手を振って見せた。
「そこをどけ。俺が読む」
「え?」
「交代だ」
「でも……」
「やる気は買うが、こういうのはおまえに向いてない。時間がかかり過ぎる。あんま、ここも長居はできないだろうし。おまえは――」資料庫の方に視線を巡らせ、そこにいるロビン・ジジュ(ろびん・じじゅ)に目を止めて指さす。「ロビンを手伝って、必要そうなものとそうでないのと選り分けてくれ」
「……うん。分かった」
 ちょっぴり悔しいけれど、ミカの言うとおりだ。素直に彼の気遣いを受け入れてミカにその場を譲り、資料庫の方へ向かった。
 途中振り返ってみると、ミカはビブリオマニアの眼鏡を取り出して掛けているところだった。片手ではすでにぱらりと古書を開いている。
 その姿はとても様になっていて、のぞみが読むより数倍早く読破し、かつ内容を理解して要点を抽出、重要資料としてまとめていそうだった。
「……負けないからねっ」
 むん! と奮起して、歴史の棚へと向かう。そしてそこでざっと目を走らせ、これはと思われる内容、表題のものをピックアップしていった。
 彼らがしているのは、オオワタツミの拠点探しである。
 浮遊島群を取り巻く雲海のどこにあるか知れないとされているオオワタツミの牙城を、過去の文献から割り出せないかと考えたのだ。
 襲撃を受けた船の記録を集めてその位置を海図に書き出し、分布図や統計データを作ってみれば何か分かるかもしれない、というのぞみのひらめきから、それなら各島の警護を担っている参ノ島が一番資料がそろっていそうだと見当をつけ、やって来たのだった。
 島の観光窓口から博物館を紹介され、博物館の職員に交渉して理解をしてもらい、厚意から閲覧室を1室借りて資料庫にも入る許可を得られたが、しかしここに来て、のぞみはその膨大な量の資料に打ちのめされかかっていた。
 魔物の襲撃を受けるのはここでは日常茶飯事だ。その襲撃を行ったのがただの魔物か、それともオオワタツミか、それを判断する根拠となるものもない。
 だれも見たことがないというのなら、魔物の襲撃を受けて消息を絶ったとされる船に絞って集めよう、と早々に決めたが、それでも数百年分でテーブルは早くも埋もれそうになっていた。
(思いつきに付き合わせて、悪いことしちゃったかな……)
 ちらちらとミカの方を盗み見ていたのぞみは、ふと横に人の立つ気配を感じてそちらを向いた。
 ロビンが、自分がピックアップしてきた資料の本を手に立っている。
「こちらですか?」
 後ろのテーブルに積まれた本を視線で指した。
「あ、うん」
 のぞみの返答に、それらの本を自分の持つ本の上に置き始める。
「あっ、運ぶよ! それ重いし!」
「大丈夫です。これくらい、何ともありません」
 いつものように穏やかにほほ笑むロビンにのぞみも笑みを返そうとして、うまくできずにあごを引いた。
「のぞみ?」
「あたし、2人に悪いことしちゃってるのかな……」
 そんなのぞみの姿に、ロビンは「おや?」というふうに軽く首をかしげる。
 めずらしくしおらしくなっているようだ。
 のぞみの視線を追うように、ロビンもミカの背中を見た。
 ロビンはミカが考えていることがなんとなくだが理解できる気がした。彼らがつい今朝までいた壱ノ島では、伍ノ島太守に続き壱ノ島太守まで殺害されたことに、騒然となっていた。
 何か不穏当な事件がこの浮遊島の水面下で進行しているのはあきらかで、それが何かまでは分からないけれど、そこにのぞみを巻き込ませたくないと考えているのは間違いない。
 口にしたところでのぞみは絶対考えを変えないだろうから、言葉にはしないだけで……。
「どうかした? ロビン」
 思考に集中し、動かなくなってしまったロビンを不思議がって横から覗き込む。間近に迫ったのぞみの顔にロビンははたと現実に立ち返ると、少々あわて気味に「なんでもありません」とごまかした。
「のぞみは気にしなくていいんですよ。ミカははっきり言葉で伝える人でしょう? 絶対に嫌なことならそう言うし、言わないのなら、それはそういうことです」
「……ロビンも?」
「こうして本に触れているのは、何の苦でもありませんから」
「ああ、そっか。そうだね!」
 少し元気が戻ってきたのか。ロビンの抱えている本に手を伸ばし、さっと上の3冊を奪い取った。
「やっぱりあたしも運ぶねっ」
 ロビンが軽く驚いている間に、本を抱えてミカの元へ行く。
 2人を見て、ロビンはふいにポケットに入ったままになっているプレゼントボックスを思い出した。
 この旅の思い出として2人に渡したいと思い、こっそり壱ノ島で購入した品で、島の特産品であるガラスでできている。透明なピンキーリングで繊細なデザインは3人とも同じ。ただ、飾りとして小さな色ガラスが嵌め込まれていて、のぞみが青、ミカが赤、ロビンが黒と、そこだけが違っている。
 なんとなく渡しそびれてきたが、今渡すべきだろうか?
 そんなことを考えつつ、のぞみの立つ側とは反対側のミカのとなりへ近づいた。
 ロビンに気づいたミカがのぞみと軽口をたたき合うのをやめて振り返り、直後、ロビンの抱えた本の山に「うわあ」という表情をする。
「まだこんなにあるのかよ」
「まだまだ。最低でも500年分は調べなくちゃ。
 あたし、ざっと見て、それらしいのが載ったページに付箋つけようか?」
「ああ、それいいな。頼むわ」
「うん」
 ミカの作業を手伝えると、のぞみは張り切って椅子を引き出してとなりに座る。
「この資料はこちらのテーブルへ置いておきますね」
 ミカが読破した本を別に避けることで空いたスペースに運んできた本を下ろしながら、やはり渡すのはあとにしよう、と思い直した。もう少しあと。そう、ホテルに戻って落ち着いたぐらいのときにでも……。