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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――

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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――
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『お世話になった方々へ、感謝の気持ちを』

「涼介さん、ミリアさん。本日はこのような素敵な場にご招待いただき、ありがとうございます」
 出迎えに来てくれた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)ミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)夫妻へ、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)御神楽 環菜(みかぐら・かんな)夫妻がお礼の言葉を述べる。今日は『天秤世界』を巡る事件に区切りがついた事による、今までお世話になった方々を招いて感謝の気持ちを伝えるという名目で『宿り樹に果実』を舞台に謝恩会が開かれる運びとなっていた。陽太、環菜夫妻も今回の場に招待を受けていた。
「だー、だー」
 環菜の横のベビーカーから、陽太と環菜の子、御神楽 陽菜が手を伸ばしていた。そのふっくらとした手の先は、ミリアが抱く涼介とミリアの子、ミリィ・フォレストへ向けられていた。
「陽菜は早速、ミリィさんに興味があるようですね」
「ミリィも陽菜さんを気にしていますよ。話をしたそうにしています」
 ミリアの腕の中で、ミリィがきゃっきゃっ、とはしゃいでいた。ミリィにとっては初めての同年代の相手なので、やはり気になるようだ。
「では、行きましょうか。既に席の準備はしてありますので、開始まではそちらでくつろいでください」
 涼介の先導の下、陽太、環菜とミリア、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)御神楽 舞花(みかぐら・まいか)が後に続く。

「今日は僕たちの他に、誰が来られるんです?」
 陽太の質問に、涼介が指で人数を数えながら紹介していく。まずは陽太と環菜、陽菜、エリシア、ノーン、舞花。ノーンは「お友達も連れてきていいかな?」と『氷雪の洞穴』の精霊、ラミュレルナロッサ――三人合わせて『3R』らしい――を名に挙げていて、この時点で9名。一方でクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)ルーレン・ザンスカール(るーれん・ざんすかーる)を、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)飛鳥 豊美(あすかの・とよみ)を招待していて、ミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)はエリザベートやアーデルハイト、リンネやフィリップに来てもらえないかと話をしに向かわせている。涼介とミリア、ミリィと合わせると最大で12名。総勢20名を超える、相当の規模と呼んでいいだろう。
「凄いですね……それだけ、人と人の繋がりが多岐に渡っている、ということですね。涼介さんの人望の賜物です」
「いやいや、私だけではとても。クレアとエイボン、ミリィがしっかりと学園生活を送ってきたからこその結果だ」
「そうだとしても、涼介さんの背中を見て皆さん成長されたのですから、涼介さんの功績だと思いますよ」
 陽太の褒め攻勢に、涼介は苦笑を浮かべる他無かった。彼にとって幸運だったのは、すぐ向こうに『宿り樹に果実』が見えてきた事だった。
「支度は我々が行いますので、ゆっくりしていてください。ミリィをお願いできますか?」
「はい、任されました。陽菜も待ち切れない、といった様子ですしね」
 ベビーカーから出たそうにしている陽菜を、陽太も環菜も微笑ましく見守っていた。

「あー、あー♪」
 柔らかい素材の敷物の上で、陽菜とミリィがきゃいきゃい、と戯れていた。何を話しているのかは分からないが、とても楽しそうにしているのは見ていて明らかだった。
「陽菜様、すっかりミリィ様と打ち解けていらっしゃいますね」
「うんうん、陽菜ちゃんたのしそー! ……あっ、来た来た、おーいこっちこっち!」
 視界の端に友達の姿を認めたノーンが、そちらへパタパタと駆けていく。入れ替わるようにしてエリシアが一行の下へやって来た。
「そろそろ参加者が揃いますので、あちらへ移動いたしましょう」
 エリシアの言葉を受けて、環菜が陽菜を抱き上げ、陽太が後片付けをする。
「ミリィ様、失礼いたします」
 エリシアがミリアに引き渡すまでの間、ミリィの相手を務める。舞花がエリシアのサポートに付く形で、後方からノーンがラミュレとルナ、ロッサを引っ張りながら追い付いてきた。

「皆様、本日はお集まりいただき、まことにありがとうございます」
 参加者を前に、涼介が壇上に立って開会の挨拶を述べる。現校長や元校長を前にしての涼介の立ち振舞は、堂々としていた。
「お父様、とても素敵ですわ」
「兄さまもミリアさんという伴侶を、ミリィさんという子を得て、成長されているのですわ」
「これからは気軽に、おにいちゃん、って呼べない感じだよねー。
 ……でも、今更涼介さん、ってのもちょっとおかしいなぁ」
「いつも通りでいいと思いますよ、姉さま」
「そうですわね。変に意識する方がおかしいかもしれませんわ」
 クレアとエイボン、ミリィがそんな事を話していると、涼介の挨拶も終わりを迎えていた。
「……では、今日という日を迎えられたことに感謝を――乾杯!」
 その声を合図として、室内には賑やかな話し声が満ちていった。

「今日は来てくれてありがとね、ルーレン。それとゴメンね、天秤世界に行っている間ルーレンの事を手伝えなくて」
「いいえ、気にしないで、クレア。あなたが天秤世界の事件をしっかりと担当してくれたからこそ、私はイルミンスールの安定に意識を向けられたのだから」
 クレアとルーレンが、互いを労い合う。この場は互いの地位は抜きということで、クレアもルーレンも砕けた口調になっていた。
「これからは色々と手伝えると思うから、必要な時には言ってね」
「ええ、そうさせてもらうわ。……クレアは生徒会に興味とか、ないの?」
「私が? うーん、興味がないってわけじゃないけど、役員って柄でもないような気がするなー。
 そうそう、ルーレンから見てさ、この人なら役員を任せられそう、って人は居る? 別に誰が、って言わなくてもいいからさ」
 クレアの質問に、ルーレンは少し考えてからええ、と頷いた。その人は自分から立候補をしているとのことなので、自分が推薦する必要は無いとルーレンは話す。
「……実は、メニエスさんを役員にどうか、という話はあったんです。ただ、大物であったとはいえ今は一生徒である彼女にそこまで肩入れするのはどうか、と」
 小声で告げられた話に、クレアはまぁそうだろうな、と思う。それに校長とアーデルハイトが復学を許可したとはいっても、生徒の間には拒否感が強い彼女を、ようやく設立されようとしている新組織の一員に任命するのはちょっとリスクが大き過ぎるだろう。
「まあ、これからじゃないかな」
 当たり障りのない言葉を返して、クレアはこの話を終わりにしようとする。ルーレンもクレアの意図を汲んで話を打ち切り、以後はどうやったら学校を盛り上げていけるか、良くしていけるか、といった話に終始した。

「豊美様、本日は来てくださってありがとうございます」
「こちらこそー、エイボンさんに招待してもらえて嬉しかったですよー」
 エイボンと豊美ちゃんが改まって挨拶をした後、話は自然と互いの近況へと移る。
「お体の方は大丈夫ですか? 最近、何やらおかしな事件に巻き込まれているようで大変だとお伺いしましたが」
「そうですねー、まさかここまで話が大きくなるなんて思いもしませんでしたけど、でも、信頼できる皆さんと力を合わせれば、きっと大丈夫だと思いますー」
 イルミンスール生徒の一人が別世界の住人だったとか、世界を操ろうと企む者の存在だとかが話に出て、耳を傾けながらもエイボンは気が気でなかったが、豊美ちゃんのこの言葉を聞いてようやくエイボンは笑みを取り戻すことが出来た。自分たちもつい先日まで同じような状況にあって、そして今こうして楽しくお話が出来ているのだから。
「豊美様がそれほど慕われている方がいらっしゃるのでしたら、仰られる通り、大丈夫ですわね。
 もし、何かありましたらすぐに呼んでくださいましね。戦いことは不得手ですが、治癒やおいしい料理での癒しは得意ですから」
「ありがとうございますー。エイボンさんの作ったお菓子でお茶会なんて素敵ですねー」
 それからしばらくの間は食べ物の話や、おしゃれの話などが続いて、ふと話が途切れた所でエイボンが表情を正して豊美ちゃんに向き直った。
「豊美様、わたくしを魔法少女として導いていただいて、本当に感謝しています。
 もし豊美様と出会うこと無く、魔法少女になっていなければ今頃は、自身の魔法に自信が持てずに魔道書として、ここまで成長はできなかったと思いますわ」
「大げさですよエイボンさん、私はちょっとだけエイボンさんの力になったに過ぎませんから」
 豊美ちゃんが謙遜するも、エイボンは首を横に振って言葉を続けた。
「魔法少女として得た経験は、わたくし一人だけでは決して得ることができなかった新たな知識になっていますわ。
 豊美様がよろしければこれからも、魔法少女としての経験を積ませていただきたいですわ」
「あはは、は、恥ずかしいですねー、エイボンさんにそこまで言われちゃうと、何も言い返せないですー。
 こちらこそ、どうぞよろしくお願いしますー」
 二人の魔法少女が揃って、ぺこり、と頭を下げた。

 涼介の料理をテーブルへ運んでいったミリィが、空いた皿を持って戻ってきた。
「ありがとう、ミリィ。落ち着いてきた、かしら」
 ミリィに微笑んで、ミリアが辺りをぐるりと見渡す。開会当初はそれこそ目を回しそうな忙しさだったが、参加者のお腹が膨れてくると話し声の方が目立つようになっていた。
「ミリア、ミリィ、お疲れさま。休憩しよう」
 涼介が椅子を持ってきて、ミリアとミリィはそれに座る。ドリンクを口にした三人から一様に、ほっとした雰囲気が漏れ出た。
「今日の会は賑やかで、これだけのお客様にお料理を振る舞うのは、とても楽しいですわ」
「ふふ、そうね。たくさんの笑顔が見られて、嬉しいわ」
 ミリィとミリアが揃って笑みを浮かべた。自身の料理が幸せを広げていくのを強く実感できた一日であった。
「すー……すー……」
 そして、ミリィは実に幸せそうな顔で、スヤスヤと寝息を立てていた。陽菜とも今日一日ですっかり仲良くなった様子を思い出して、一行の間に自然な笑みがこぼれる。
「お父様、お母様。わたくしはお二人に感謝しています。わたくしは未来から来ました、あなたたちの娘ですと突然言ったわたくしを温かく迎え入れてくれたことに。
 そして、この時間軸のわたくしを産んでいただいたことに」
 改めてミリアと涼介に向き直り、ミリィが感謝の気持ちを伝える。
「実を言うと、本当は怖かったんです。お父様とお母様に信用されず、わたくしの存在が否定されわたくしが生まれなくなるという未来も可能性としてありましたから。
 ……けれど、お二人はわたくしを信じてくださった」
 感謝の気持ちを向けられた涼介とミリアが互いに顔を見合わせ、ミリィへ微笑んだ。涼介はともかくとして、パラミタの一住人でしかないミリアにとって、ミリィの話は少なからぬ抵抗があったはずである。それが今こうして三人揃っていられるのは、涼介とミリア、ミリィそれぞれが互いを信じ合った結果である。
「お二人には本当に感謝していますわ。これからも、よろしくお願いいたしますわ」
「こちらこそ、ね。みんなでミリィを見守って、育てていきましょう」
 ミリアの言葉に、満面の笑みでミリィがはい、と答えた。

「ほう、この子がお前たちの子か。……ふむ、良い顔をしておる。
 昔を思い出すのぅ。エリザベートはこの時から生意気な顔をしておった」
「生意気な顔って、生まれたばっかりで分かるわけないですよぅ! 勝手なこと言うなですぅ!」
 陽菜を紹介されたアーデルハイトが懐かしむような口調でエリザベートが赤ちゃんだった頃の思い出を語り、エリザベートが猛烈に反論を唱える。
「まあまあ、お二人とも……陽菜が怖がってますよ」
 陽太がエリザベートとアーデルハイトを宥めにかかり、二人は陽菜を泣かせてはなるまい、と互いへ向けていた矛先を収めた。
「天秤世界の件、お疲れ様でした。とりあえずは一件落着、なのですか?」
 この問い掛けに答えたのは、何だか疲れた様子のエリザベートだった。
「ぜんぜん落ち着かないですよぅ! イルミンスールへは昨日も今日も多分明日も、やれこの世界をどうにかしろ、だの言ってくるんですぅ。
 ホイホイ行けるわけじゃないって言っても聞いてくれなくてもうイヤになりますぅ」
 エリザベートの愚痴を、陽太は苦笑混じりに受け止めていた。そこに彼一人だけに任せるわけにはいかないと思ったか、環菜が会話に入ってきた。
「他の世界に行くためには、何か制約があったりするわけ?」
「……特に無いんですけどねぇ。なぁんかこっちも落ち着かないみたいですし、まずはこっちの問題を片付けてから、って思ってるだけですよぅ」
 一見興味のないような素振りを見せているが、これはこれで彼女なりにパラミタが抱えている問題を気にしているのだと分かって、環菜はそれ以上口を挟まなかった。
「そういえば二人は昔、事あるごとに勝負をしていましたよね」
 話を切り替えようと思った陽太の言葉に、エリザベートと環菜が互いを見遣って「そんな事もあったわね(ありましたねぇ)」と言いたげな顔をした。
「そんな事があったのですか? 興味深いですね、宜しければ是非、お聞かせください」
 二人が犬猿の仲だった頃を知らない――勝負事をよくしていた、というのは果実狩りの時に聞いていたが――舞花も会話に加わり、そして二人は仕方ない、とばかりに思い出話を始めた――。

「はー……なんかすごい顔ぶれで、わたしたちがここにいていいのかな、って思っちゃうよねー」
「うんうん。あそこに居るのって、イルミンスールの校長先生と前の蒼空学園の校長先生だよね?」
「向こうにはえっとなんだっけ……思い出した、ザンスカール家の当主サマも居るよ!」
 この場に集った“有名人”たちを視界に入れて、ラミュレ、ルナ、ロッサの仲良し三精霊はなんかすごい経験してるかもー、と思っていた。
「三人とも、そんな所に居ないでもっとみんなとお話しようよー」
 そこにノーンがやって来て、三人をもっと話の輪へ入れようとする。
「えぇ? で、でもわたしたちなんかが混ざってもその、お邪魔じゃないかなって」
「何を言う、精霊は今やイルミンスールにとって必要不可欠な存在、我々が邪険にすることなどない。
 そういえば、カヤノの姿が見えぬようだが?」
 アーデルハイトが、会場にカヤノ・アシュリング(かやの・あしゅりんぐ)の姿が見えないのを気にして三精霊に尋ねる。
「あ、わたしたちカヤノさまを誘ったんですけど、気分が乗らないって断ったんです」
「最近のカヤノさま、ちょっと元気ないかなーって。ずっとお仕事してたから、疲れたのかな?」
「帰ってきてからも、働き詰めだったよねー。なんかこう、じっとしてられない、って感じ?」
 三精霊の話を聞いて、アーデルハイトはふむ、と腕を組んで考えたかと思うと、おもむろに杖を上空へ向け魔力を込める。杖が一瞬光ったかと思うと、次の瞬間には何やら筒状のものが現れアーデルハイトの手に落ちた。
「すまぬが、これをカヤノへ届けてやってくれ」
「は、はい。えっと、なんて言って渡せばいいでしょう」
 ものを受け取ったラミュレが聞けば、アーデルハイトは不敵に微笑んで言った。
「言いたいことがあったら言ってしまうのがよい、とな」

「思い出話繋がりで、ですが、本日はこのようなものを用意いたしました」
 それまで皆の思い出話に静かに耳を傾けていたエリシアがふとそんな事を口にしたかと思うと、持って来た端末に保存されていた映像を再生、映像を水晶に投影させて巨大スクリーンのようにして映し出した。

 いつでも、いつまでも貴女の側(そば)にいます
 貴女と過ごす“時間”が俺の人生です
 どこでも、どこまでも貴女と共に在ります
 貴女と生きる“場所”が俺の世界です


「こ、これは……!」
 その映像が何であるか判明した途端、陽太と環菜の顔がボッ、と紅くなった。それはかつてシャンバラ東西が一つになり、建国されたことを祝う記念の場で歌われた、陽太の環菜を想う歌。
「わーなつかしー。わたしもこの時は結構緊張したんだよー」
「すごーい、こんなたくさんの人が居る中、演奏したの?」
 ノーンがラミュレとルナ、ロッサにその時の事を話す。
「それでね、歌がぜんぶ終わった後、おにーちゃんと環菜おねーちゃんがとっても仲良く話してたの!
 でもね、花火がどーん、って上がった後わたし、目隠しされちゃったの。だからその時何があったか見てないの。
 ねーねーおにーちゃん、環菜おにーちゃんとなにしてたの?」
 この無邪気な質問に、二人はただ黙って俯くことしか出来なかった。あれから三年余り、成長したとはいえこのような場での対応はまだまだ不慣れである。なお、仲良し三精霊は二人の反応を見て、何があったのかおおよそ分かったらしく顔を合わせてきゃー、きゃー、と小さく声を上げていた。
「あの頃は、まさか陽太と環菜がこんな風に立派に子育てするようになるなんて、予想も出来なかったですわ。
 ……ですが、今となってはとても自然な感じがします。この受け継がれていく命、大切にしないといけませんわね」
 そして当の張本人であるエリシアは、しみじみと映像を見つめながら呟く。陽太の事を最もよく知る人物の、非常に重みのある言葉だった。

 その後も楽しい時間は過ぎていき――やがて夜も更けようかという頃合いになって、謝恩会は閉会の言葉をもってお開きとなった。

「では環菜様、お先に失礼いたします。明日の午前中に迎えに参りますので」
 舞花が丁寧に一礼し、エリシアとノーンに見守られる陽菜の待つ飛空艇へと足を向ける。
「陽太も、今日は先に帰って頂戴。ここから先は男子禁制よ?」
「……分かりました。エリザベート校長とアーデルハイトさんが居ますからね」
 傍に居たい、という気持ちを隠し切れてない様子に相変わらずね、と環菜は呆れとちょっとした愛おしさを覚えながら、非情にも聞こえる言葉で陽太を先に帰す。ふわり、と飛空艇が浮き上がり、家の方角へ飛んでいったのを見届け、環菜はさて、と呟くと、アーデルハイトから渡されたメモと魔法具に目を落とした。
(友人として力になってあげる、って決めたんだから、ね)

「わぁ! どうしてあなたがここに来たですかぁ」
 風通しの良いバルコニーに突然現れた環菜に、一人座っていたエリザベートが抗議の声を上げた。
「招待を受けたのよ」
「……分かりました、犯人は大ババ様ですねぇ。明日のオヤツは強奪ですぅ」
 腕を組んで腹を立てては居るものの、環菜を追い出す素振りは見せなかった。
「いい場所ね。ここはお気に入りなの?」
「…………場所が、気に入っているわけじゃないですぅ。ここはよくアスカと居た場所だから」
 小さく落とされた言葉、そこに含まれていたアスカ、という人物。彼女はエリザベート御付のメイドであり……エリザベートと将来を誓った仲でもあった。
 それほどまでに親しかったはずの彼女が、もう一年半ほど行方知れずなのだとエリザベートは語る。エリザベートの魔法力なら、彼女がどこに居るか見つけられそうな気もしたが、それを尋ねてもエリザベートは首を横に振るばかりだった。
「天秤世界の事で忙しかったうちは、よかったんですけどねぇ。一段落すると、どうしても思い出しちゃうんですよぅ」
 椅子から立ち上がり、手摺に半ば身体を預けるようにして、夜空を見つめるエリザベートの背中は、泣いているように見えて。
 環菜は何度か息を吐いて、最後に決心したように向き直って、エリザベートの背中を包むようにそっと覆い被さった。
「……何のつもりですかぁ」
「私にもよく分からないけど……そうね、陽菜が生まれて、人の温もりがこんなに暖かいものだって知ったから、かしらね」
「…………私は赤ちゃんじゃないですよぅ」
「ええ、知ってるわ。あなたはもう立派なイルミンスールの校長よ。
 だからこれは、私のお節介ね」
「………………そう、ですか」
 段々と、エリザベートの発する言葉が少なくなっていき、やがて風の音だけが辺りを支配する。
「……ひっく、ぐすっ」
 だから、エリザベートが発した悲しみの音は、環菜以外には聞こえない。背中を向けたままなのは、精一杯の強がりなのだろう。
(こんな所は、変わらないわね。
 ……今日はこのまま、付き合ってあげる。貸し借りも無しよ)

(上手くやってくれとるようじゃの。……やれやれ、私もとんだお節介じゃな)
 水晶玉を通じて二人の様子を確認したアーデルハイトが心に呟いた所で、扉を叩く音が響いた。
「入れ」
 水晶玉の映像を消し、扉に対して正面を向いて、アーデルハイトは来訪者、涼介が近づいて来るのを待つ。謝恩会の主催者であった彼は、緊張しているようだった。
「論文に目を通させてもらった。医療と治癒魔法に関する内容がよくまとめられている。資料的価値も高いだろう。
 これだけの論文を作成出来るならば、お前が志している教育の道へ入ることも十分に可能と判断する」
「ありがとうございます」
 アーデルハイトから少なくとも『可』の評価をもらった涼介が、深々と頭を下げる。彼はこれからを考えた時、教育者として後進を育成する道を進みたい、と思った。今回アーデルハイトに提出した論文はその第一歩でもあり、試金石でもあった。
「まずは一年、講師として経験を積んでもらおうと考えておる。講義の内容等については追って連絡する」
 その言葉を、涼介は素直に受け入れた。今の自分がすぐに教壇に立って生徒を前に教えるのは難しいと思っていたし、講師でも生徒の前に立つ機会は十分ある。
「自ら進むべき道を定め、実力を示そうという心意気は、何物にも代えがたいものだ。
 これからも、その心意気を忘れることなく日々、勉学に励んでほしい」
「はい。お言葉、しかと受け止めました。
 若輩者ではありますが、教育者としての務めを精一杯果たしていきたいと思います」
 決意の言葉を残し、涼介が部屋を後にした。

●氷雪の洞穴

「カヤノさまー! アーデルハイトさまからこちらをカヤノさまにって、預かってきました」
 氷雪の洞穴に帰ってきたラミュレ、ルナ、ロッサはそのまま、カヤノの部屋へと向かい、アーデルハイトが託した品をカヤノへ見せた。
「そう、ありがと。……で、これ、何かしら?」
「さあ、アーデルハイトさまは何も……ただ一言、『言いたいことがあったら言ってしまうのがよい』とだけ」
 ルナの言葉を聞いて、カヤノはあぁ、と何か分かったような顔をした。
「あんたたち、アーデルハイトに何を吹き込んだの?」
「わ、わたしたち何も変なこと言ってませんってば! ただ最近ちょっとカヤノさまの調子がアレかなーって」
「……はぁ。あんたたちにもバレちゃうって、よっぽど分かりやすかったのね」
「カヤノさまひどいです、それじゃわたしたちすっごい鈍感って言ってるみたいじゃないですか」
「そうですよ、これでもわたしたち、カヤノさまのこと心配してたんですからね!」
 三精霊に詰め寄られて、カヤノがたじろぐ。力の差は圧倒的とも言えるレベルだが、今は数の差と勢いで三精霊が優位に立っていた。
「分かった、あたいが悪かったわ。……で、これで一体何をしろってことなのかしらね」
 三精霊をなだめて、カヤノは受け取った筒状のものを覗き込む。
「アーデルハイトさまがああ言っていた事ですし、こう、これに向かって叫ぶんじゃないでしょうか」
「見た目、メガホンにそっくりだしね」
「声がどこまでも届く魔法とかがかけられてたりするのかな?」
 ロッサが発した声に、カヤノがぴくり、と身体を震わせた。心の中で(やっぱり年寄りはおせっかいね)と本人が聞いたら消し炭にされそうな言葉を吐く。
「……そういうことなら、付き合ってあげるわ。届けてくれて、ありがとね」
「はい、カヤノさま! あっ、今日の謝恩会、とっても楽しかったんですよ! 明日にでもお話、聞いてくださいね!」
 ラミュレがでは、と頭を下げて、揃って部屋を後にする。気配が消えた所でカヤノはよし、と呟いて、羽を広げると洞穴の外へ向かって飛び出していった。

「ここでいいかしら」
 カヤノが向かったのは、洞穴から東に少し飛んだ、前方にパラミタ内海が広がる地点。この向こうにはパラミタ最大国家エリュシオンを始めとする大小様々の国家がある。
 ――今はどうしているか分からないけど、たぶん、きっと、この大陸のどこかに居るはずだから――。
 そんな思いを込めて、カヤノは思い切り息を吸って、筒状のもの目掛けて声を発した。

「ミオーーー!! あんたどこ行ったのよ、このバカーーーっ!!」

 声が海を渡り、はるか向こうへ飛んでいった気がした。大声を出したせいか、妙にスッキリとした気分になった。
 このまま帰っても良かったけれど、ついでだからもう少し叫んでおこう、そう思ってカヤノはもう一度息を吸う。

「早く帰ってきなさーーーい、あんたはあたいの傍に居なくちゃいけないんだからねーーー!!」

「……あは。今のはちょっと、恥ずかしいわね」
 そう言いつつ、まぁでもいいか、とカヤノは結論付けた。ちょっとはアーデルハイトに感謝してもいいかな、そんな事を思いながら再び羽を広げ、洞穴への帰路につく――。