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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――

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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――
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『娘達への、最後の教え』

 講義室の一つには、アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)と彼のパートナーたちの姿があった。彼らの前にはミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)ルピナス・アーノイドヴィオラネラの姿もあった。

「実際の手続きはさておき……ルピナス。君はカリスとの関係をどうしたいと考えている?」
 アルツールに問われたルピナスは、ひとつ息を吸って決心したと言わんばかりの表情で答えた。
「確かに彼はカリスではありますが、同時に私が産んだ子でもあります。カリスは私の生みの親であり初恋の相手……でも、あの時のカリスとは違います」
 言葉にすればさぞ異様な事態だが、この中にそれを訝しむ者は居ない。
「私は、この子の母親として、この子を育てていきたいと思っていますわ」
 ルピナスの答えを聞いて、そうか、と頷いたアルツールはであるならば、と前置きをしてルピナスに告げる。
「母としての心構えは、これからひとつずつ身に付けていけばいい。
 ルピナス、私が気になっているのは、カリスを研究者として育てるつもりなのか、という点だ。ルピナスの思いを踏みにじるような真似をするかもしれないが……私は、必ずしもそうする必要はないと思っている」
 言葉をかけられたルピナスの表情には、より深い説明を望む色があった。その声なき声に応えるべく、アルツールが口を開く。横で話を聞いていたミーミルやヴィオラ、ネラも決して他人事ではないという雰囲気を感じ取り、意識を集中させる。
「……お父さんはね、自分の夢は叶える事ができなかった。これは自分の力ではどうしようもない事だった。
 だから皆には、本当にどうしようもないことでない限りは、パートナー契約でも何でも自由に道を選んで欲しいと思っている」
 この言葉は彼の過去が多分に影響している。彼は『普通の学校の教師になりたい』という夢を家の都合で諦め、イルミンスールの講師として今ここに居る。今では彼も娘達――ミーミルやルピナス、ヴィオラ、ネラ――と出会えた事に感謝しているし、悪い事ばかりでも無いとは思っているが、娘達――娘達が関係する者、カリスもまた含まれる――には願わくば後悔の無い様に、自分で自分の道を自由に選べる様にしてやりたいし、他人の選択肢を狭めさせるような真似をさせたくも無いと思っていた。
「ルピナス、カリスに研究者の道を示すのは良い。でも、もし彼が大きくなって『研究者以外の道を選びたい』と願ったなら、それを尊重してやっておくれ。
 時代も環境も違う今をゼロからやり直す彼は、カリスであってカリスでない存在に育つであろうから」
「はい、今の言葉、しっかりと胸に刻みますわ、お父様」
 ルピナスが深々と頭を下げた。ミーミルも、ヴィオラもネラも、『自分の意思で未来を選択する』ことの大切さを学んだ顔をしていた。
「貴公等はイルミンスールの生徒でありながら、聖少女でもある。今は校長やアーデルハイト殿の庇護があるから、多少の干渉は無視できる。
 だが、いずれは聖少女の力を目当てにした有象無象が手練手管を用いて利用しようと政治的圧力をかけてくるかも分からない。前にも言ったと思うが、ワシもこの流れには逆らえなかった。後の書物にはワシが大成したから、徴用されたのは幸運だったなどと書かれたりもしたが、ワシはそんなの望んじゃいなかった。ましてや国の転覆など思うはずもない。ワシは国と、自分と、自分に関係する者の安寧を望んでいただけじゃよ。
 ……コホン、ちと話が逸れたな。ともかく、時間はあるがそれほど長くも無いだろうし、一寸した事で日常が崩れかねないと言う事を頭に留めた上で、よう考えて答えを出すがよかろうて」
「未来は無限だ。例えそうでないとしても、君らみたいな未来ある若者が多くの可能性って奴があると思える世の中であってほしい。
 見せてくれないか、出涸らしの年寄りの僕に、運命なんて存在しないって」
 司馬懿 仲達(しばい・ちゅうたつ)、そしてシグルズ・ヴォルスング(しぐるず・う゛ぉるすんぐ)の言葉に、聖少女たちは揃ってはい、と頷いた。
(……僕も運命に逆らうことは出来なかった。ブリュンヒルドとの誓いも果たさぬまま生を終えた。その事を悪かったとは思わない、だけど……)
 シグルズは思い出す、かつての自分を、自分が手を取り損なった女性の、まるで『運命なぞ何するものぞ』と情熱に任せて自分の意思で自分の未来を掴み取ろうという意思を。
 そんな力任せの、けれど目を覆う程に輝かしい意思を、聖少女達に持たせてやりたい。それが若者の特権であると思うし、同時に先人である自分達の役目であるとシグルズは思った。
(……はは。先程は自分のことを出涸らしだなどと言っておきながら、まだまだ隠居するつもりはないようだ)
 自分に向けてそうシグルズが心に呟いた所で、それまで静かにしていたソロモン著 『レメゲトン』(そろもんちょ・れめげとん)が突然腕を大きく広げ、高らかに言い放った。
「そう! 自由に生きるって、素晴らしい!
 堅苦しい、細けぇ事はいいんだよ! 重要なのは今何がしたいか!
 さあ、心を解き放てぇぇぇ!」

 ……しばらくの間、室内には沈黙が漂った。アルツールや仲達、シグルズの時にはしっかりとした反応を見せていた聖少女たちも、どう反応したらいいのか困ったような顔をしている。
「な、何故賛同の声が上がらない!?」
「…………。
 ルピナス、ミーミル、ヴィオラ、ネラ……あれは悪い例だから絶対に参考にしないように」
 頭を抱えながらため息を吐き、絶対に、の所を強調してアルツールが聖少女たちに言い聞かせれば、レメゲドンがアルツールに取りすがって抗議する。
「文化財級の本体に、鉄板を仕込んで振り回す魔導書があってもいいじゃない! 自由ってそういうものでしょう!?」
「お前の言う自由は自由ではなく無秩序に過ぎん!」
 アルツールがピシャリと言い放つと、レメゲドンはよろよろと部屋の隅に行ってそこでうずくまり、床になんだかよく分からない模様を描いていた。
「……コホン。話が逸れたが、今日の講義はここまでとする。
 さあ、今日はこれからイナテミスへ行くのだろう? お友達に会うこともあるだろう、楽しんでおいで」
「はい! 行ってきます、お父さん!」
「またお話を、聞かせてください、お父様」
 ミーミルが、ルピナスが揃って頭を下げ、ヴィオラとネラと一緒に部屋を後にした――。


『敬愛するお兄様方』

 ミーミルとヴィオラ、ネラと一旦別れ、一人校舎の外へ出たルピナスは、そこで見知った顔を見つけて歩み寄る。
「エヴァルトお兄様、唯斗お兄様、いらしてたのですね」
「あ、ああ。どうにもその呼ばれ方は慣れねぇけど……ま、いっか。
 ちょっと、挨拶にな。俺はイルミンスール生徒じゃねぇが、天秤世界じゃああれこれと関わってたしな」
「いよーうルピナスぅ! 唯斗お兄様ですよー! 元気してたかー!? 草葉の陰から見守ってるから元気だって知ってるけどなー!
 うんうん、今日も可愛いなハグだハグ。お、少し背伸びたか?」
 ルピナスにお兄様、と呼ばれて困惑気味のエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)とは対照的に、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)はすっかり受け入れた様子でルピナスを愛でていた。唯斗の言葉を聞いたエヴァルトは(……それってストーカーなんじゃ)と思ったが言葉には出さずにおいた。ルピナスの方もまんざらでもなさそうなので、水を差すのは野暮というものだ。
「……お前、一時は本気でルピナスさんを殴るつもりだったと記憶しているが?」
「んー? そんな事、あったっけか? まあいいじゃねーか、細けぇこたぁいいんだよ」
 代わりに口にした言葉に、唯斗はすっとぼけた様子で応えた。こうも唯斗の態度が変貌したのには色々と理由があり、身内や守護対象には甘いだとか、可愛い女の子には弱いだとか、お兄様と呼ばれてテンションアゲアゲだとか……並べると唯斗がダメダメ忍者に見えてくるが、気のせいである。彼の名誉のために一言付け加えておくと、決して彼はロリコンではない。
「……まぁ、いいか。とりあえず平和になった、って事で」
 苦笑混じりに呟いて、しかしエヴァルトは自分の言葉がごく限定的であることを意識した。確かにイルミンスールに関してはひとつの山を超えた。けれどパラミタ全体で見れば今この大陸は滅びへと向かっているのだ。それを回避するための戦いは、そう遠くない時期にやってくるはず。
(せっかくルピナスさんが来たところで、滅んじゃいました、はシャレにならないからな。こちらとしても滅びを選んでやる道理はない)
 決意を秘めた眼差しで、ルピナスを見る。そのルピナスへは唯斗が、ここに来た用件を口にしていた。
「なー、ルピナス。俺、アインストに加えてもらおうと思ってんだ。お前みたいに泣いてる奴がいたりしたら救ってやりてぇしさ」
「素敵ですわ、唯斗お兄様。その志、尊敬いたします」
「あ、あはは。まぁ、ほら、俺の趣味みたいなもんだし? 他の世界とか何があるのか、面白そーじゃんよ?」
「物凄く動揺してるぞ、照れ隠しか?」
「うるせぇ、的確にツッコむんじゃねー!
 ……コホン、ま、こうは言うけど駄目かも知れんけどなー、他校生だし」
「それは今更というものだろう。イルミンスールは他校生だから、というのを気にするような校風ではないと思うが?
 一時、蒼空学園とは険悪な雰囲気にあったらしいが、今ではそれも払拭されているようだし」
「そうですわ。リンネさんは確か、どんな人でもウェルカム! だよ、と仰っていたはずです」
 エヴァルトとルピナスの援護射撃を受けて、唯斗はそっか! と決心した顔で言うと、校舎へ駆けだ……そうとして止まり、ルピナスへ振り返って告げた。
「なんかあったら呼べよ? どんだけ遠い世界にいてもソッコーで駆け付けるからよ!」
 そう言うと今度は振り返らず、『アインスト』が詰める校舎へと駆けていった。彼の背中を見送るルピナスへ、エヴァルトは言うかどうか悩んだ内容を結局は言うことにして言葉を紡いだ。
「過酷な戦いから解放されたばかりで悪いとは思うが、こっちでも問題が山積みでな。
 ルピナスさんもこの世界の一員として、共に立ち向かってほしい。……まぁ、天秤世界の時とは違って、仲間はいくらでもいるからな」
 エヴァルトの言う『問題』が何なのかはルピナスは理解していなかったが、生徒の噂話からなんとなくの雰囲気は感じ取っていた。
「分かりましたわ。私に出来ることであれば協力いたします、エヴァルトお兄様」
 だからルピナスは、エヴァルトの言葉に素直に頷いた。思いの外引き締まった空気に、エヴァルトは居心地の悪さを覚える。
「あー、なんだ。そう言ってくれると心強い」
 しかし結局は、ルピナスの思いを受け取ることにした。唯斗ほどバカに振る舞える気はしなかったし、彼女の力がこれから起こり得る事に対して必要になる可能性もゼロでは無かったから。
(いいよな? これで……)
 誰に言うでもなく、エヴァルトは心に呟いた――。

●ザナドゥ・ロンウェル

「もしかすると、僕達魔族も、下手したらあの天秤世界行きだったかもネ。契約者のおかげで戦力が拮抗してたから送られなかった、のカモ」
 向かい合って座るゲルヴィーン・シュラック(げるう゛ぃーん・しゅらっく)の発した言葉に、ロンウェルを治める魔神、魔神 ロノウェ(まじん・ろのうぇ)は意外感を隠し切れない表情を浮かべた。ゲルヴィーンの思いはまさに、ザナドゥを治める魔族の王、魔神 パイモン(まじん・ぱいもん)の、そしてロノウェ自身の思いと一致していたからである。
「文化交流のためと称してアニメ流すだけじゃ、きっと限界は早いに違いないネ。先の大戦のこととかのドキュメンタリーものも必要になってくるんじゃないカナ。
 良いも悪いも抜きにして、事実を“可能な限り”ありのままに伝えるものがネ」
 ロノウェの異変に、ゲルヴィーンは気付かなかった。彼としては緊張でそれどころではなく、事前に用意したカンペ通りに答える事に全神経を集中させていた。
「ザナドゥもまたパラミタの一部、共に困難に立ち向かうための相互理解をするための一助になれればいいカナ。
 もちろん、そこからアニメ好きが増えたらいいなとも思ってますケド!」
 言い終えたゲルヴィーンは、次いで漂う沈黙が途方もなく長いものに感じていた。耐え切れずにどうだったか尋ねようとした矢先、人物評に目を落としていたロノウェがそれをパタリ、と閉じてゲルヴィーンに向き直る。その様子からダメだったか、と肩を落としかけた所へ、優しい声が――普段と変わりないように聞こえるが――響いた。
「ゲルヴィーン・シュラック、あなたをロンウェルの公務役員に採用します」
「…………ほ、本当デスカ!? やったーーー!!」
 緊張から解放された勢いもあって、飛び上がらんばかりに腕を高く掲げたゲルヴィーンは、自分に向けられた冷ややかな視線に慌てて腕を下ろして気をつけの視線を取った。
「今後はそういった軽薄な振る舞いは控えるように。分かった?」
「は、はい! 気をつけマス!」
 機械が発したような言葉を耳にして、ロノウェの表情が幾分和らいだように見えた。
(そう、彼のような志を持つ者を育てるのも、私たちの役目よね)

 ゲルヴィーンがロンウェルの公務役員に採用されたのと時を同じくして、唯斗もリンネから「ありがとう!」とお礼を言われる形で『アインスト』へのメンバー入りが決定した。
 彼らの道がひとつ、また一つと、拓けていく――。