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12月の準備をしよう

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 ■ 美味しいケーキの作り方 ■



「料理が出来ないと、老後に困りますよ。だから灯世子さんたちと一緒に練習してみましょう」
 そんな風にノエル・ニムラヴス(のえる・にむらゔす)に言われ、それもそうかと一度は思った風馬 弾(ふうま・だん)だったけれど……。
 実際に学食にやって来てみると、むくむくと不安が湧いてくる。
「老後のために作るのが、どうしてケーキなのかな?」
「あら、ケーキだって立派な料理ですよ」
 ノエルはさらりと答えた。それは間違いないのだろうけれど、もっと気になることがある。
「で、どうして僕の服装はメイド服になってるんだろう?」
 それは単に私の趣味です。
 ……とは答えず、そんなことより早くケーキ作りを開始しようと、ノエルは弾を促して明夏 灯世子(めいか・ひよこ)のところに連れて行った。
「灯世子さん、初心者同士、弾さんをよろしくお願いします」
「うん、がんばろうねっ!」
 実はノエルが弾を連れてきたのは、自分より初心者がいれば灯世子も自信を持てるのではないかと思ってのことだったりする。
「初心者向きケーキとしては、チョコレートケーキがオススメなんですけどね。若干の失敗もチョコの味でごまかせますし、生地がしっとりするので、焼き加減も無難に仕上がりますし」
「じゃあ僕はチョコレートケーキを作ってみようかな」
 ノエルの勧めに従って、弾はチョコレートケーキを作ることにした。……老後にチョコレートケーキを焼くことが役立つのかどうかは謎だけれど、何事もやらないよりはやった方がためになるだろう。
「チョコレートケーキかぁ……うーん」
 どうしようかと灯世子は迷う。
「クリスマス用にデコレーションしたカップケーキにするという手もありますよ。これならば初心者でもそれほど難しくなく、作れると思います」
 エメはここに来るまでの間に買い求めてきたレシピ本のページを開き、簡単で可愛いクリスマスデコのカップケーキを示した。
 アラザンや柊、チェリー、クリーム、チョコチップ。
 エメ自身もこのカップケーキを作り、孤児院の子供たちのところに行く友人に渡す心づもりでいる。
「わぁ、可愛いなー。あたしが食べたいくらい」
「クリスマスだから、ブッシュ・ド・ノエルとか凝ったものも作ってみたい気がするけど……灯世子ちゃんの作りたいのはどんなケーキなのかな?」
 布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)に聞かれ、灯世子はうーんと考えた。
「うちは毎年、クリスマスケーキっていうと生クリームの上にサンタさんとか苺とか飾ってあるのだったから、そんなに種類があるなんて考えてなかったんだよね。だから材料も、生クリームケーキ用のしか用意してこなかったの。でもチョコレートケーキも食べたいし、カップケーキも可愛いし、ブッシュ・ド・ノエルなんて作れたらケーキ職人になれそうな気もするしー」
 買い出しに行ってきてもいいかなぁと灯世子は迷う。
「職人になれるかどうかは別として。作ってみたいのを作るのが一番だと思うよ。それでうまくいかなかったら、他のケーキを練習すればいいんだし」
「それなら……うん、やっぱり生クリームのケーキを作ってみたいな。あたしにとってのクリスマスケーキって、やっぱあれだから」
 佳奈子の助言を入れて、灯世子はそう決めた。

「あわー、学食のおっきなキッチンを自由に使っていいのー? 給仕としての冥利に尽きますよー、これは」
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)は大喜びでエプロンをしめた。ここでなら存分に腕を振るえるというものだ。
 せっかくだからいろいろ作ってみたいと、詩穂はたくさんの料理や巨大なケーキに取り組むことにした。
「灯世子さんはケーキを焼くんですか?」
 初心者向きのレシピ本を開いている灯世子に話しかけると、そうだよ、と元気な返事がかえってくる。
「いつもお世話になってる下宿のおばさんに、クリスマスケーキをプレゼントしたいなーって。えへ、ちゃんとしたものが焼けるかどうかは分かんないんだけどね」
 クリスマスまでに練習して上手になりたいという灯世子に、詩穂はそれはいいですねと手を打ち合わせた。
「いつもお世話になっている方へのお礼の気持ちですね」
「うん、上にはチョコのプレート載せて、いつもありがとう、って書くの。ちょっとクリスマスっぽくないかも知れないけど、これだけは絶対にしたいなって」
 買ったケーキのほうがきっと美味しいけれど、自分で焼いたもののほうが『ありがとう』の気持ちが伝わりそうだから、と灯世子は気合いを入れてエプロンと三角巾をつける。
「それなら詩穂も生地作りからご一緒させて頂きます。詩穂も皆さんが喜んでくれるように、クリスマスケーキを作って、学食で配ろうと思うんですよ」
「そうなんだー。クリスマスにケーキのプレゼントなんて、同じ学校の人、きっと喜ぶね。あたしもがんばって、おばさんに喜んでもらえるくらいのケーキが作れるように、練習しないと!」
 よーし、と灯世子はレシピ本の上にかがみ込んだ。
「まずは、っと……卵を割りほぐして、砂糖80グラムを加えてすりまぜる」
 レシピを見ながら灯世子がケーキを作り始めようとするのを、エメが止める。
「お菓子作りのコツは、最初の必要な器財を全部揃えることですよ」
「そうなの?」
「ええ。そして材料は目分量厳禁! 粉は全部きちんとふるいにかけて、十分に空気を含ませておくこと。実際に作り出すのはその後にしたほうが良いんです」
「うん分かった!」
 灯世子は卵を割ろうとしていた手を止めて、材料を量りだした。
「え、計量が先?」
 弾も慌てて作るのをやめて材料を量りだしたが、ノエルが冷静に指摘する。
「弾さん、それは砂糖ではなく塩です」
「塩っ? ほんとだ、塩辛い。わわわわ……」
 ぺろっと舐めて、弾は顔をしかめた。

 佳奈子は灯世子のレシピ本を覗いて、自分の持ってきたのと見比べる。
「灯世子ちゃんのレシピは共立てなんだね。私のは別立てだけど、こっちのほうが泡立てやすくて初心者向きじゃないかな?」
「ともだて?」
「卵をほぐして砂糖を混ぜて、湯煎にかけて泡立てるのが共立て。卵白に砂糖を入れて泡立てたのに、卵黄を泡立てたのを混ぜて作るのが別立て。共立てはきめが細かくてしっとりと焼けて、別立ては少しきめは粗いけどふわっと軽くて口溶けが良いんだよ」
「どっちが美味しいのかな?」
「どうなのかな、私も和菓子は何度か作ったけど、洋菓子ってあまり作ったことないから詳しくないんだよね。エレノアは分かる?」
 佳奈子はエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)に尋ねた。
「私もよく知らないわ。いつも食べているケーキはどちらで作ったものなのかしら?」
 顔をつきあわせて考えていると、詩穂が説明してくれる。
「それぞれ特徴があるから、どちらが美味しいとは言えないんだよね。デコレーションケーキは共立てで作ることが多いけど、でもたとえば、シロップをたっぷり染みこませるようなケーキを共立てで作ったらべたべたになっちゃうし。作る人によっても、こっちが得意、っていうのがあったりするし。食べる側も、共立てのが好きとか別立てのが好きとか、好みは分かれると思うな」
「好み……って言われてもどんな味なのか分かんな……あ、そうだ、いいこと思いついちゃった!」
 考え込んでいた灯世子は、ぱっと笑って佳奈子に言う。
「焼き上がったらそっちのケーキ、少し食べさせて。で、もしそっちのほうがよかったら、レシピ教えてー」
「分かった。じゃあ灯世子ちゃんのも味見させてね」
「もちろんいいよっ。みんなに味見してもらって、どうしたらもっと美味しくなるか聞きたいし」
 決まりっ、と灯世子は材料の準備が出来たのを確認すると、全卵の泡立てに入った。
 佳奈子は卵白と卵黄を分けて、それぞれ泡立てる。
「あとは小麦粉を入れて、粘り気が出てきたらヘラでこねて……」
「佳奈子、ケーキ作ったことないのに、よくもまあ手際よく動けるものね」
 デコレーション用のホイップクリームの作り方を読んでいたエレノアが、さっさとケーキ作りを進めてゆく佳奈子に感心する。
「和菓子とはちょっと違うけど、こういうこと好きなんだよね」
 牛乳を混ぜて生地を作り終えると、佳奈子はそれをプレートに敷いてオーブンに入れた。
「灯世子の方は大丈夫?」
 エレノアに聞かれ、灯世子はなんとか、と答える。こちらは佳奈子のようにてきぱきとはいかず、もたもたとまだ生地を作っている。
「えっと、小麦粉を入れたらざっくり混ぜて……ざっくり? うーん、ざっく、ざく……こんな感じかなぁ」
「ざっくりはこう混ぜるんですよ」
 灯世子とスピードをあわせるように調整しながらカップケーキを作っているエメが、実際に手本を見せる。
「ざっくりって言ってもちゃんと混ぜるんだね。わかった。ありがとう……ん? なんかカレーのいい匂いがしてくるけど……」
 エメに礼を言った灯世子は、くんくんとその匂いをたどり、弾の取りだしたケーキに目を留める。
「それ……何のケーキ?」
「チョコレートケーキ。……のつもりだったんだけど」
 どうやらチョコレートとカレールーを間違えてしまったらしい、と弾は黄色く焼けているカレーケーキを情けない表情で眺めた。
「でもどうして、カレールーなんて持ってきちゃったの?」
 材料は持ち込みのはずなのに、と灯世子が不思議がると、ノエルはあっと声をあげて買い物袋を覗き込んだ。
「弾さん、今晩のおかず用のルー、使ってしまったんですね……あ、こっちのホイップ、生クリームじゃなくてマヨネーズじゃないですか。どうしてこちらの袋の材料を使用したんです?」
「だって、それらしいものが入ってたから……」
「夕食の材料を使ってしまった罰に、そのケーキはちゃんと食べて下さいね」
「えーっ?」
 老後のために料理を勉強するどころか、無事に老後まで生きていられるかも怪しくなってきて、弾は砂糖入りカレーケーキを怖々と見やった。

 焼き上がったケーキは……カレーケーキも含めて……冷まされ、クリスマスらしくデコレーションされる。
「えっと、ホイップクリームはボウルの中に生クリームと砂糖を入れて泡立てるのね。ボウルの底には氷水を敷いて、と」
 本の作り方を見ながら、エレノアはカシャカシャと泡立て器で生クリームを混ぜた。
 最初はまったく変化がなくて、これで本当に泡立つのかと心配にもなってきたが、泡立ちはじめると見る間にふわふわのホイップクリームになっていった。
「微量の柑橘系の汁を加えるとあっという間に泡立ちますよ。ほんのりチーズクリーム風味にはなりますけれど、それはそれでさっぱりして美味しいんです」
 さすがにカレーケーキには合わないでしょうけれど、とノエルは小声で付け加える。弾の2度目の挑戦ケーキは、ノエルがしっかりと材料チェックをしてからやらせているけれど、時折聞こえてくる弾の叫びや呻きは聞かないふり。何事も経験、まずいものを作ってしまったらどうなるかを、身体で覚え込んでもらうことだ。
「なんかすごく斜めになっちゃった……」
 ケーキを上下2つに切って、灯世子はかなり斜めなその断面に生クリームと苺をはさんでから、表面に生クリームを塗りまくる。
「灯世子、ちょっと力入れすぎじゃない? 生クリームの中にスポンジが混ざって来てるわよ」
「わー、ほんとだ。エレノア、どうしようー」
「私の生クリームを少しわけてあげるから、これで表面を隠してみたらどうかしら?」
「ありがと。きれいに作るのってやっぱり難しいね。あー、やっぱり下からスポンジのくずが出てきちゃうー」
「もうそれ以上触らないほうがいいと思いますよ。本番で失敗したら、側面に乾煎りしたナッツをまぶしてごまかすという手もあります」
 エメの提案に、
「絶対ナッツも買っておくよー」
 最後の仕上げだったのに、と灯世子はがっくりしながら答えた。

 それでもなんとかケーキが出来上がると、エメは皆の分のお茶を用意してきた。
「せっかくですから、一緒にお茶にしましょう」
 頼まれていた分のカップケーキを黒崎天音のところに届けると、残りの分は試食用にと提供する。
「お店で売ってるものみたい。可愛いし美味しいね」
 エメのカップケーキの美味しさに驚いた後、灯世子は佳奈子とエレノアの作ったケーキを味見する。
「凄い。ちゃんとふんわりしたケーキになってる。ほんとにケーキ作るの初めてなの? あたしのも……自信ないけど食べてみて」
 それから……と灯世子は弾の作ったケーキをちらっとだけ見る。
「……ごめん」
「うんいいよ。これは僕が責任もって食べるから……」
「あ、でも風馬くんのそのメイド服、似合ってるから!」
「……そんなところを褒められても微妙なんだけど、ね」
 弾は決死の覚悟で失敗作のケーキを口に入れ……目を白黒させた。
「あたしのは一応ケーキになってるけど、まだまだって感じの味だなぁ。それでもちゃんとケーキが焼けたのはね、すっごく嬉しい。これならもっと練習すればおばさんに喜んでもらえるケーキになるかな、なんてね」
 自分の焼いたケーキも食べて、灯世子はそう感想を述べる。
「これからも練習を重ねるのでしたら、良ければこれを参考にして下さい」
 エメから折りたたんだ白いメモ用紙を渡され、何だろうと灯世子はそれを広げる。
 そこには今回のケーキ作りで観察した、灯世子の癖や注意したほうが良いポイントが記されていた。
「ありがとう! これを見て、もっと美味しいケーキが作れるようにいっぱい練習するね」
 クリスマスには下宿のおばさんの美味しい笑顔が見られるように、と灯世子は大切そうにそのメモをポケットにしまいこんだ。