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空賊を倒せ!

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空賊を倒せ!

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第2章 出航直後に起きたこと

 飛行船が出航してから、それほど時間が経っていない頃合い。船の調理場では、ガサゴソと、なにかを物色するような音が発せられていた。
「おおっと、ありました。これどす。これが必要なんどす……」
 目的物を発見したのであろう。京都弁を話す黒髪の女生徒――一乗谷 燕(いちじょうだに・つばめ)が顔をあげる。
 彼女の腕には『小麦粉』と印字された、大きな布袋が抱えられている。
「ねぇねぇ、そんなところでなにしてるのかな?」
 ちょうどそのとき、である。燕の背後から、不意に声をかける者があった。
「ひゃっ! び、びっくりさせないでおくんなましっ!」
 燕がすっとんきょうな声をあげて振り返ると、そこには金髪碧眼、インスミールの制服を身にまとった少女、クラーク 波音(くらーく・はのん)が立っていた。
「ねぇ、それ、小麦粉だよね。なにしてるの?」
 波音は今一度、燕に問う。
「これでなにをするかって? ……それは空賊との戦いが始まってからのお楽しみどすえ」
 燕は唇の前に小さく人差し指を立てる。
 別に、悪いことをしようとしているわけではない。しかし、聞かれてしまえば隠しておきたくなってしまうのが人情……というものなのだ。
「ふーん。秘密なら、仕方ないかな」
 波音は大人しく引き下がった。好奇心旺盛な彼女としては、小麦粉の行方が気にならないことはない。ただ、今の自分にはやることがあるゆえ、それを優先することにしたのだ。
「あたし、ここの調味料とか食材に用事があるの」
「そうどすか。それでしたら私は必要なものを手に入れましたので、これで失礼させていただきます――」
 語尾に独特のイントネーションを含ませながら、燕は調理場を出て行こうとする。
「あ、待って!」
 その背中を波音が呼び止める。
「あたし、インスミールのクラーク波音。あんたは?」
「蒼空学園の一乗谷燕……どす。以後、お見知りおきを――」
「うん、よろしくね!」
「それじゃあ、今度こそ失礼します」
 調理室を出て行く燕。それを見送ってから、波音は「よし、探すか!」と気合いを入れた。
 さっそく木製の戸棚をガラリ、と開放する。するとそこには案の定、大量の調味料類が置かれていた。
「び〜んご♪ このへんとか、必要よね――」
 戸棚のなかへ手を伸ばし、いくつかの容器を取り上げていく波音。彼女はなにをしようとしているのだろうか。


「さて、と。どこかに適当な蒼空生はいないでしょうか――」
 黒薔薇の勇士ガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)は甲板にて、蒼空学園の生徒を探していた。
 束ねられた髪を波羅蜜多ツナギに垂らす彼女は、今回のミッションに参加することに、いくつかの意義を見出していた。そのうちのひとつが、他校についての情報収集なのである。
 今回は空戦が予想されるということもあるため、蒼空学園の生徒をつかまえ、飛空艇の操縦方法でも聞き出してしまおうというのが、彼女の当面の目的なのだ。
「のう、ガートルード。あそこに立っているのは、そうじゃないかのぉ?」
 ガートルードに荒い広島弁で声をかけるのは、金髪を高く結い上げた端正な顔立ちの少女である。ガートルードのパートナー、機晶姫のシルヴェスター・ウィッカー(しるう゛ぇすたー・うぃっかー)だ。
 そして彼が指し示す先には、髪をパンクにツン立てている蒼空制服の男子生徒、そしてそのパートナーであろう機晶姫の姿があった。
「確かにあの制服、蒼空学園の生徒ですね。さっそく声をかけてみましょう」
 ガートルードはターゲットの側まで、歩み寄っていく。
「こんにちは、貴方は蒼空の生徒ですね?」
「……え? ああ、そうだけど――。アンタは?」
 急に目の前に現れた妖艶な女性に、永夷 零(ながい・ぜろ)は少しいぶかしむような視線を向けた。
「ああ、すみません。まずは自身の紹介から……というのが礼儀ですよね」
 ガートルードは姿勢を正すと、簡単な自己紹介を始めた。
「私は波羅蜜多実業の生徒で、ガートルード・ハーレックです。そして彼が私の先生、シルヴェスター・ウィッカーです」
「よろしくのぉ」
 ウィッカーの男らしい挨拶に、零は面食らう。
「彼……って、男なのか?」
「若いの、機晶姫を見た目で判断したらいけんのぉ。わしはれっきとした男じゃけん」
 確かにそうである。機晶姫の素体などというものは、所詮容れ物に過ぎない。なかにどんな人格が入っているのかわからないのだ。
「うう、そうだよな。悪かった悪かった――」
 零はそう言いながら、自分の隣に立つパートナーへ視線を向ける。
 ベビーブルーに煌く銀髪にミントグリーンの瞳、そして付け耳を持つ少女型の――機晶姫だ。
「ゼロ、次はボクたちの自己紹介でございますよね?」
「あ、ああ。そうだな」
 零は、ふっと我に返る。思わず、少女型のパートナーをぼーっと見つめてしまっていた。
 自分のことを『ボク』と呼称する様は少々違和感もあるが、それ以外の言動はれっきとした礼儀正しい女の子である。
 今目の前に立っている、広島弁の男らしい少女(?)ほどのギャップはない。しかしかといって、彼女のすべてを知っているわけではない。
 零は、彼女の中身――人格? 精神? 感情? こころ? そういったものをもっと知りたいと思った。自分が出会う前から連綿と構築されていったのであろう、それらを。
 広島弁の違和感バリバリ機晶姫と会ってそんな風に思いが至ることに、零は少し、おかしさを感じるのであった。
「もう、ゼロ。なにをニヤニヤしているのですか? 気持ち悪い」
 なかなか自己紹介を始めてくれない零にしびれを切らしたパートナーが口をひらく。
「――それじゃ、まずはボクの自己紹介から。ボクの名前はルナ・テュリン(るな・てゅりん)。ごらんの通りの機晶姫でございます。そしてこちらが、永夷 零。ボクはゼロと、呼んでいますわ」
「ああ、零だ。よろしくな」
 ふたりの人間とふたりの機晶姫は「よろしく」と言いながら、お互いに握手を交わす。「さて、自己紹介も済んだところで、実は蒼空学園生の貴方に折り入ってのお願いがあるのですが――」
 なんとなくうち解けたところで、ガートルードはさっそく本題を切り出した。飛空挺の操縦方法を聞き出すのである。


「ここもとりあえず、異常なし……だな」
 インスミールの高月 芳樹(たかつき・よしき)は、ある可能性を懸念し、船内の主要箇所を歩き回っていた。
 その可能性というのは『乗船している乗組員などに空賊と通じている者が紛れ込んでいる可能性』である。
「今回は使う飛行船の変更があったからな。そのせいで、乗船時は色々とゴタゴタしちまっていた」
 芳樹は、出航間際に垣間見た光景を思い出す。慌てて飛び乗ってくる浮浪者のような学生。そしてそれをノーチェックで受け入れ、離陸してしまう飛行船。
 そのときに限らず、飛行船乗船時に厳密なチェックが行われていた形跡はまったくなく、乗員の信頼性に一抹の不安を抱かせるような状況であった。
「こんなんじゃ、ネズミの1匹や2匹、潜り込んでても仕方ないぞ……っと」
 芳樹は飛行船機関室へと通じる扉を開ける。
「ここにも、誰もいなさそうだな。……とはいえ、ちゃんと調べる必要はある。空賊の仲間に破壊活動でもされたらたまらないぜ――」
 彼が機関室の更に奥へ足を踏み入れようとしたとき、であった。
「あ、芳樹! いたいた」
 入り口の方から、パタパタと人が駆けてくる音が聞こえる。
「その声は……アメリアか」
 芳樹が振り返ると、そこにはヴァルキリードレスを身にまとったアメリア・ストークス(あめりあ・すとーくす)の姿があった。彼女は、芳樹のパートナーである。
「ほら、芳樹に言われた通り、この飛空船に乗り込む予定だった人たちの名簿、貰ってきたわよ」
 そう言ってアメリアは、芳樹にホチキス留めされた小冊子を手渡す。
「悪いな、助かるぜ。これに載ってない人物がいたら、とっつかまえてやればいいんだ」 芳樹はさっそく名簿をパラパラとめくってみるが、場所が場所である。照明に乏しく、ここで中身を改めるのは非常に難儀に思われた。
「……ここじゃちょっと無理があるな」
「そうね。一旦、甲板にあがらない? せっかくの空の旅なんだし、ずっと船内ウロウロしていたって、身体が腐っちゃうわ」
「それもそうだな」
 芳樹は冊子を閉じると、甲板へ向かって歩き出す。アメリアはその後ろに付いていくのであった。


「行っちゃったね。ギリギリセーフってところかな? ま、たとえ見つかったとしても、ボクが彼らの味方をしなければ、キミも強そうだし、そう問題にもならなかっただろうけどね」
「……ふん。そうかい」
 少し愉快そうに話す女の声に、低く愛想のない男の声。
 芳樹たちが立ち去った機関室の最奥から、ふたりの男女が姿を現す。
 女の方は桐生 円(きりゅう・まどか)。ゴスな服装に身をまとった、背の低い少女である。
「それにしても、エンジンにこんな細工をするなんてね。キミ、空賊の仲間なのだろう?」
 円はニヤニヤと笑みを浮かべながら男に問いかけるが、男の方も動じない。
「そうだったら、どうする? オレをひっとらえて手柄にでもするつもりか? 悪いが、女ひとりに捕まるほど、オレも間抜けではないぞ」
「まあ、ボクひとりでキミには勝てないだろうね、それは確かだ。……けれど、そもそもボクには、キミとやりあおうって気はないのだよ」
 態度を変えることなく続ける円。
「ボクは最初から、面白そうな方に味方するつもりで、この飛行船に乗ったんでね。……そして今、ボクは空賊に味方してもいいかな、って思っている」
 男は無言で円に一瞥をくれるが、円は気にも留めない。
「本当は空賊が例の美術品を襲う理由を知りたかったんだけども、それはまあ、後でもいい。なぜなら、このエンジンに施された細工が発動したとき、船内がどんな風に混乱するのか、それの方にすごく興味がでてきたんだ」
 円の視線の先には、この飛行船の心臓ともいえるエンジンと、それに取り付けられた黄色い光を発する装置がある。
「……だから、ボクは少なくとも、この細工が発動するまでは、キミたちの味方さ。別にチクったりはしない」
 そう言うと、円は機関室の出口へ向かって歩き始める。
「ボクは上で、高みの見物を決め込むことにするが……キミもほかの誰かに見つからないうちに、早くどこかへ行った方がいいんじゃないか?」
 手をひらひらと振る円。男はその後ろ姿を凝視していた。


 出航前に木箱が運び込まれていた船倉は、この時間帯になると、だいぶ賑やかになっていた。
 安芸宮和輝がメインとなって、ダミー用の木箱の制作をすすめている。
「はい、この箱は完成です。私のつくった配置表通りの場所に配置してください。あ、ワイアー・ボルトを使って固定するのも忘れずに――」
「ああ、待ってくれ。その箱の中にはオレたちが入るぞ」
 指示を出す和輝の前に、美しい銀髪の男と、ボブカットの少女が現れた。ふたりはそれぞれ、カルナス・レインフォード(かるなす・れいんふぉーど)アデーレ・バルフェット(あでーれ・ばるふぇっと)である。
「え? カルナス。オレたち……って、カルナスとボクのこと?」
 アデーレは事前に聞いてはいなかったのだろう。カルナスの発言に困惑の症状を浮かべ、聞き返す。
「そりゃあ、そうに決まっている」
 さも当然のように頷くカルナスに、アデーレは更に困惑するのであった。
「あ、えーっと、箱のなかに入るって、一体どういうことなの……?」
「……まったく、そんなことまで説明しないといけないのか? キミはオレのパートナーなんだから、相応の知を身につけておいてもらわないと困るぜ?」
「ご、ごめんなさい……」
 アデーレは思わず恐縮してしまう。
「まあいい、つまりはこういうことだ。オレたちが、このダミーの木箱のなかに入って、空賊を待ち伏せする。中にお宝があると思ってヤツらが箱を開けたら最後! オレたちが飛び出していって返り討ちという作戦だ!」
「な、なるほど! カルナスもたまにはちゃんとしたこと考えてるんだ。ボク、ちょっと見直した、かも――。よし、美術品は絶対に守りきるぞ〜!」
 素直に感心するアデーレ。そして、カルナスもまんざらではない様子だ。
「あの……先ほども言いましたように、木箱はワイアー・ボルトで固定してしまいますので、一度入ったらなかなか出られなくなってしまいます。それでも……大丈夫ですか?」「なに? なかなか出られない、だと。それは更に好都合ってもんだぜ。なんせ美少女と密室でふたりき……いやいや、なんでもないなんでもない」
 心配そうに尋ねる和輝に対し、カルナスはとりつく島もなかった。結局、カルナスとアデーレは箱の中へ入ることとなる。

「あ、ん……っ。ちょっともう、これキツいんだけど?」
「我慢しようぜ、アデーレ。これも作戦のためだ」
 和輝たちダミー木箱のスタッフが見守るなか、カルナスたちは木箱に入ろうとするが、それはどう見ても、ただ単にイチャイチャしているようにしか見えない。
「作戦なのはわかってるけど……でも、胸が――」
「小さいんだから、引っかかるわけないだろ」
「え……ちょっとなんでそんなこと――あ、本当だ!」
 少々苦労するかと思われた作業であったが、どうやら上手い具合にふたりは箱へ収まったようである。
「それじゃあ、閉めますよ……」
 和輝は顔を真っ赤にしながら、そのふたを閉じる。
「ふぅ……」
 ふたりの姿が見えなくなってから、彼は小さくため息をつくのであった。

「お疲れ様……ですわ」
 そこへ、水筒を持った純白ドレスに長い金髪を携えた少女がやってくる。和輝のパートナーのクレア・シルフィアミッド(くれあ・しるふぃあみっど)である。
「はい、冷たい紅茶をどうぞ、ですわ」
「クレア、ありがとう」
 和輝はクレアから水筒を受け取ると、それに口をつけた。
「ダージリン、かな……?」
 冷たい喉ごしを感じ取り、和輝はそう呟く。
「ええ、正解ですわ」
 それに対し、クレアはやさしく微笑んだ。
「それはそうと、和輝。……木箱の中に入りたい人たちはさっきの方々だけでなくて、まだ他にもいるようなのですが――」
「え? そうなのっ?」
 和輝が驚いた声をあげると、その目の前にひとりの少年が現れた。
「もちろんですとも! この私が、本物に勝るとも劣らない美術品になってさしあげましょうっ!」
 そう言いながら腰をクイクイと動かす彼の容姿は、赤のブーメランパンツに黒マント、そして口には一輪の薔薇をくわえているというものだった。もはや変態のエキスパートにしか見えない。
 和輝とクレアは、その衝撃を表現するための言葉が出て来ず、口をパクパクとさせている。
「おっと、申し遅れましたが、私は明智 珠輝(あけち・たまき)という者です。薔薇の学舎の生徒ですっ!」
 更にグイングインと腰を振る珠輝。そのひと振りごとに、和輝たちの精神力はガリガリと削られていく。
 しかしそこへ、助け船が現れるのであった。
「……珠輝。変態的な行動はそれくらいにしておけ。おふたりが困っているぞ」
 声の主はピンク髪の学生だ。王子様と形容しても過言ではないほどに美しい容姿を持ち合わせている。
「ま、まあ、リアさんがそう言うのなら仕方ないですね」
 珠輝がリアと呼んだ少年は、彼のパートナーリア・ヴェリー(りあ・べりー)である。
「すまないな、すぐにこのバカを梱包して箱に詰めてしまおうと思う。そこのダミー木箱、使っても構わないか?」
「は、はい。構わないです……」
 珠輝たちのやりとりに気圧された和輝は、言われるがままに、作り置きしておいた木箱を差し出す。
「あの……あなたがたも、さきほどの人たちのように、おふたりでお入りに……?」
「いや、入るのは珠輝だけだ」
 クレアの質問に、リアは答える。
「このような変態と同じ箱の中に入るなど、死んでも嫌だからな」
「リアさん、そんな寂しいこと言わないでください――」
 珠輝は抗議の声をあげるが、リアはそれを無視して、どこからともなく取り出した梱包用資材を珠輝に巻き付け始める。
「後の作業は僕がやるから、おふたりは、他の木箱の対応をしていてくれて構わないぞ」「は、はい……。ありがとうございます――」
 とりあえず邪魔するのもよくないと思い、和輝たちは気持ちを切り替えて、次の作業にあたることとした。


「和輝さんたちの方は、まあまあ順調のようですね。さて、こちらもそろそろ準備を始めないと……」
 船倉にて相変わらず、的確な指示を出し続ける翔子。そんな彼女の元へ、大きな袋を抱えるひとりの少女が飛び込んできた。
「木箱班長、ただいま戻りましたっ!」
 さきほど、厨房を物色していた、波音である。
「あら、お帰りなさい波音さん。……って、その木箱班長って呼び方はなんなんですか?」
「え? ダミー木箱作戦班の班長をしているから、木箱班長……なんだけど?」
 波音はあっけらかんと答える。
「かっこうわるいのでやめてください」
「えー、いいと思ったのに……。じゃあ、いつも通り、翔子お姉ちゃんって呼ぶね」
 少し不満そうではあるものの、波音は素直に応じた。
「……ところで、厨房へ探しに行ったものは見つかったのですか?」
「あ、うん。それはバッチリだよ」
 波音はそう言うと、袋からなんやらかんやらを取り出し始める。
「粉コショウに、粉わさび、それから、すりおろしたタマネギでしょ……。ほかには生クリームや納豆――」
 目の前に並べられるアイテムを見下ろしながら、翔子は尋ねる。
「……で、波音さん。それらをどう使うのですか?」
「木箱に詰めて、飛び出すようにするに決まってるじゃん。これで空賊さんたちをこらしめるんだよ」
「そうですか」
 翔子は、なにも言わなかった。代わりに、和輝たちの用意した木箱のひとつを、波音に割り当てるための手配を始めた。
「ねぇねぇ、ところで翔子お姉ちゃん」
「……なんですか?」
「翔子お姉ちゃんは彼氏とかいないの〜?」
「ぶ――ッ」
 突拍子もない質問に、翔子は思わず吹き出してしまう。
「な、なにを突然――」
「いや、だってほら、もし和輝お兄ちゃんが、翔子お姉ちゃんの彼氏になったらどうなるかなぁ? なんて思ったりして」
 ニヤニヤと笑みを浮かべる波音に対し、翔子は顔を真っ赤にしながら、しっしっと手を振る。
「ほ、ほら、あそこに小さめの木箱があるでしょう? アレを貴女用に割り当てましたから、後は罠でもなんでも仕掛けてしまってください」
「はーい。……っちぇ、つまらないなぁ。回答なしかぁ――」
 少し物足りなそうな表情を浮かべながら、波音は厨房アイテムたちを抱え、指定された木箱へ向かうのであった。


「まったく、波音さんはなんてことを――」
 翔子は、一瞬にして吹き出した脂汗が乾いていくのを感じながら、ダミー木箱のための作業を進めている。
 すると今度はそこへ、また別の学生が声をかけてくるのであった。
「こんにちは、木箱班長さん」
「えーっと、貴女は――」
「蒼空学園の藤原 すいか(ふじわら・すいか)です、よろしく」
 そう自己紹介するのは、金髪ショートボブの背の低い女の子である。
「すいかさんですね、よろしく。ちなみに私は香取翔子です。木箱班長などという変な名前ではありません」
 翔子は自己紹介を返しつつ木箱班長を否定するが、すいかがそれをまともに聞いている様子はない。
「まあ、それは置いておいて、ですね。木箱班長さん、本物の彫刻が入った箱って一体どれなんですか?」
 倉庫内をキョロキョロと見回すすいか。彼女の目には、どの箱も似たような感じに映っているようだ。
「できれば空賊が来る前に、彫刻と腕を組んで記念撮影なんかをしたいのですが――」
「記念撮影、ですか……。申し訳ありませんが、本物の箱は既にワイヤーで固定してしまっているので、開けることはできません。あきらめてください」
 翔子は「ミーハーか、厄介だな」と思いながら、事実を述べ、すいかをにべもなく突き放す。
「そうでしたか……。もっと早く来るべきでしたね。残念です、記念撮影は目的地に到着してからにします」
 すいかは少しだけ残念そうな表情で、ため息をついた。
「でも、後で本物の箱がどれなのか教えてくださいね。航行中はべったり寄り添って過ごしたいので」
 その言葉を聞いて、翔子は先ほどの考えを改めた。この少女――すいかは、ミーハーなのではなく、ただのお宝マニアに違いないのだ。
「わかりました。後でご連絡差し上げます」
 事務的に答える翔子に、すいかは「わかりました」とだけ返すと、一旦、船倉を出ることにした。


「これでよし、っと!」
 さて、時刻を多少前後して、船倉へと続く廊下では、対空賊に備え黙々と作業している者の姿があった。
 緑のツインテールに、超ミニなスカートが特徴的な少女――小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)である。
 彼女が額の汗をぬぐいながら満足そうに頷く目の前には、古い船にしては不自然にピカピカと輝く板張りの廊下であった。
「これなら空賊だって一網打尽よね!」
 そうなのである。彼女は、船倉へと続く廊下へ透明ワックスを塗り、侵入してくる空賊たちを転ばせる作戦を思い立ち、実行に移したのだ。
 これは、それほど悪くない作戦である。……ただし、実行タイミングを間違えていなければ、だが――。
「うわあああああああぁぁぁぁぁっ!」
 美羽の目の前をツ――っと滑っていく蒼空学園男子制服がひとり。
 その彼の姿を追う美羽の視線は、数刻後、生徒が壁に激突することによって、止まるのであった。

「痛たたたたた――。なんなんですか、この床は――」
 彼の名前は菅野 葉月(すがの・はづき)。青色の目をした、美形の男子生徒だ。
「しまったぁ! ごめんね、って、きゃっ――」
 慌てて葉月に駆け寄ろうとした美羽は、うかつにも自分が塗ったワックス床に足を取られてしまい、葉月めがけて一直線に滑ってゆく。
 そして、壁にもたれかかっている葉月に飛び込むようにして、自身も倒れてしまうのであった。
「ああ、うう……。ご、ごめんね。本当はワックス塗った場所をみんなに知らせておこうと思ったんだけど、その前に貴方が来ちゃって――」
 そうなのである。船倉前の人通りが多い時間帯にワックスを塗ってしまったため、それを周知する時間が足りなかったのである。
「僕は大丈夫だから……。それよりもとりあえず、ここからどいてくれるかな――」
 美羽の超ミニの下から声をあげる葉月。なかなか苦しそうな姿勢である。
「あ、そうだね。わかった……。うん、しょっと――」
 ふたりは、どうにか起きあがろうと試みるが、ワックスで滑った勢いで変な風に身体がもつれてしまったため、なかなか思うようにいかない。
「ほ、本当にごめんね。もうすぐどくから――」
 ……と、そのときであった。廊下の向こう側から、鋭い声が飛んでくる。
「ちょっと、葉月! なにをやってるのっ!」
「うわ、ミーナ――? これは、その――」
 ミーナと呼ばれた仁王立ちの少女、ミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)は、ワックスなどものともせず、がに股でズンズンと廊下を歩いてくる。
「葉月はワタシのもの! 近づく虫は駆除に限る――よねッ!」
 組んず解れつなふたりを見下ろす位置まで来たミーナは、エンシャントワンドをすっと振り上げる。
「きゃぁっ!」
 思わず目をつぶり、悲鳴をあげる美羽。葉月は慌てて両手を振る。
「ち、違うよミーナ! これは事故なんだって――」
「……事故?」
 目の据わった状態のミーナであったが、葉月の言葉を聞き、ピク、と手の動きを止める。
「そうなんだ、このワックスが塗りたくられた床にふたりとも滑って、こんな風に壁に激突しちゃったんだ」
「……本当に? 女の子とイチャイチャしてたわけではないの?」
「ない! 断じて、ない!」
 葉月は、どうにかこの場を収めようと、一生懸命にかぶりを振る。
 その一生懸命さは逆に嘘くささを醸し出してしまっているのだが、ミーナにとっては、一目惚れした相手の言葉である。多少引っかかる部分はあったものの、彼女はとりあえず、その弁明を信じることにしたのだ。
「わかった……信じる。でも、そこの貴女、そこを早くどいて」
「は、はいっ――」
 突然現れた少女の剣幕に圧されていたこともあり、素直な返事と共に、言われた通りに葉月から離れ、細心の注意を払いながら、ワックスの床に両の足で立つ。
「もう……。それにしても葉月、なんでこんなところにいるのよ?」
「それは、迷子になったミーナを探してあちこち歩き回ってたから――」
 そうなのだ。葉月とミーナは当初、一緒に行動していたのだが、いつのまにかミーナがいなくなってしまっていたのである。
「はぁ、なに言ってるのよ。迷子になったのはワタシじゃなくて、葉月でしょ? ほら、さっさと行くわよ」
 言うや否や、ミーナは葉月の手を掴み、そそくさとその場から立ち去るのであった。
「な、なんというか……」
 ひとり取り残された美羽は、同じ悲劇が起こらないよう、空賊が現れるまでは『ワックス注意』の看板を、ここに掲げておこうと思うのであった。