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来たる日の英雄

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第一章 集う者たち 1


 鮮血が散った。
 狼の耳を生やした獣人――リーズ・クオルヴェルは飛び退いた。その頬から伝うは、一筋の線と涙のような血の雫。彼女の目の前で、ダガーを構えるミイラは不気味に笑っていた。
「くそ……! 囲まれた」
 リーズは舌打ちし、己の失敗を悔やんだ。
 背後から横まで、全身を包帯に包まれたミイラたちが囲んでいる。そして、次いで彼らは容赦なく彼女を襲った。
 差し迫るダガーの動きをどうにか捉えて、リーズは一歩身を引く。そのまま、右手に握る剣を上方へと振り上げたいところだったが、更に二人、三人と追撃する敵の猛攻に、かろうじて避けるのが精一杯であった。
 まさに多勢に無勢とはこのことか。素早い動き休む間も与えず、ミイラたちはリーズを追い詰めていく。こんな、瘴気が生み出した魔物如きに……! リーズは歯を食いしばって、自分を奮い立たせた。距離をとって、敵の振り下ろしたダガーが空振ったのを見計らい、地を蹴る。――一閃。リーズの剣の刀身が輝きを見せた。途端、ミイラの身体が上下に両断される。そして、リーズは返す刀で横にいたミイラの首へと白刃を起こす。
 鈍く、呆気ない音が響いた。命を絶たれたミイラは瘴気を霧散して包帯だけを残した。リーズは再び地を踏みしめて次の標的へと移ろうとした。が、そのときには、既に敵の剣尖が迫っていた。
 しまった。
 リーズは、頭に血が上ったせいで、冷静に戦況を見ることを忘れていた。力を込めすぎた腕は、迫る刃に追いつくことができない。
 彼女は、自分の死を予感し、思わず恐怖で目を閉じた。それが、唯一の抵抗であった。
 しかし――聞こえたのは自分の痛みでもなければ呻きでもない。敵を斬り屠る、一太刀の音であった。
 目を開いたリーズの視界に映ったのは、緋山 政敏(ひやま・まさとし)の背中。
「よかったぁ、間に合って」
 そして、政敏の上で空飛ぶ箒に乗るカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)は、安心した笑顔を浮かべていた。
 疑問と驚愕が混じり合った顔になるリーズに、政敏は振り返り、無言で視線を背後に送った。つまり、後ろだ、と。
 リーズははっとなって振り返った。仲間を殺されて怒り心頭なのか、残されたミイラはリーズに飛び掛かってきた。すると、今度は政敏とは違った、優雅な生物が駆けてくるではないか。
「はああぁぁ!」
 ユニコーンに乗った音井 博季(おとい・ひろき)は、気合一閃、大剣を下方より振り抜く。その後ろでは、西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)がサポート役として同乗している。ミイラを一刀両断し、博季はリーズの目の前にやってきた。まるで、王子様さながらの登場だ。となると、幽綺子は姫といったところか。
「あなたたちは……」
「微力ながら、お手伝いさせて頂きます」
 今は説明よりも敵を倒すこと。博季は必要最小限の説明に留まり、次の標的へとユニコーンを走らせた。
 既に、仲間の死を刺激として、ミイラたちは狂気に立ち振る舞う。
「やらせるかっ!」
 そこにやってきたのは、馬を駆る神野 永太(じんの・えいた)だった。彼の背後では、大型騎狼に乗るミニス・ウインドリィ(みにす・ういんどりぃ)が付き従う。博季が王子であるならば、まるで彼は騎士のようであった。熱く、それでいて情熱に満ちた剣戟が、リーズに迫る脅威を屠っていく。
 彼らの横では、九条 風天(くじょう・ふうてん)白絹 セレナ(しらきぬ・せれな)が戦っている。風天はその洗練された曇りなき刀を、風のように抜刀していた。奔る剣線が筋を描いたとき、目の前の存在は一瞬にして断たれる。返す刀は袈裟斬りで敵を屠り、突きに転じた剣尖が瘴気に満ちたミイラの内部を貫いた。
 それに続くように、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)エクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)もリーズを守る盾となる。敵の切っ先がリーズに迫らんとするならば、唯斗はそれを鉄甲で叩き防ぐ。そうして、敵が怯んだ隙に、仲間がそれを斬り捨てた。
 集団となって、リーズは多くの者たちに守られていた。やがて、ミイラたちはどんどんその数を減らしていく。その勢いたるは津波のようであり、残されていた敵は一部が逃げ去っていった。
 どういうことだ……? 唯斗は、その敵の動向を訝しがる。だが、考えている暇はなかった。盗賊のように素早いミイラたちは、ダガーを俊敏に振るってくるからだ。鮮烈なそのせめぎ合いに、熟考する暇などなかった。
 もちろん、唯斗以外も同様である。とはいえ、敵の数が減っている。あと少しで終わりだと、誰もが思った。だが、そこに現れたのは、狂気に満ちた熊の獣を引き連れた、ミイラの大群であった。
「増えてきましたね……」
 永太は重苦しく呟いた。彼らの目の前で、それまでとは打って変わった、数による反撃を繰り返してくる敵。
 リーズは果敢にもそれに立ち向かっていくが、数度の剣戟を与えるのがやっとだった。このままだと、徐々にこちらが押し迫られてしまう。そんな逼迫を感じていた矢先――彼女たちの目の前に、再び太刀の影が飛び出してきた。
「ふぅ、なんとか間に合ったね」
 細みの刀身が旋風のように敵を裂く。主、神和 綺人(かんなぎ・あやと)の名の下に、刀はまるで意思ある者の如き多彩な動きで敵をなぎ払った。
 そこに追撃を加えるは、森の木々を蹴ってイタチのように飛ぶクリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)だった。繊細な顔立ちであるにも関わらず、その手に握られるは鈍重斧な斧。それを振り下ろす姿はまさに豪傑そのものだったが――はためくスカートから純白の下着が見えているのだけは頂けない。……綺人はまるで気にしていない様子ではあるが。
「……クリス、頼むから、もう少ししとやかに戦ってくれ」
 ユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)は保護者のように二人を見守りながら、呆れた顔で嘆いていた。
 そんなユーリの心配はどこ吹く風か。クリスは続けざまに斧を身体ごと回転させて、敵を両断する。
 彼女と綺人に敵の位置を指示しているのは、ディテクトエビルで敵の位置を察知していく神和 瀬織(かんなぎ・せお)だった。
「敵、後方に来ます」
 無愛想で無表情な雰囲気を持っているが、どうやらその目は魔物の姿にも興味を示しているようで、ぶつぶつと何で出来ているのか、などと呟いていた。
 そんな綺人たちの後方から、一筋の影が突風のように駆けて敵を貫いた。
「ふふん、あれがリーズちゃんかぁ。結構可愛いのね」
 弓矢を構えて矢を引き、狙いを定める。アルメリア・アーミテージ(あるめりあ・あーみてーじ)は、魔女のように不敵な顔で敵を捉えた。手を離したその瞬間――弾のように飛んだ矢は、気づいたときには熊の肉体を突き破っている。
「く……!」
 リーズに襲い掛かってくる敵も、先刻とは違って数が多かった。唯斗だけでは防ぎきれない敵の攻撃が、掻い潜って自分を襲う。リーズは己が力でもそれを防ごうとするが、防壁を抜けた敵の攻撃が迫る。
「……!?」
 しかし、それを防いだのは痩身ながらも気迫を放つ敢然なる若者であった。愛馬アルデバランに乗った若者――鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、敵を捉えながらもリーズに呟いた。
「自分の誇りのために闘いたいと言う気持ちはよくわかる……。ただ、無茶はししちゃいけない……。協力し合って敵を倒さないと。一人でなんとかしようとは考えちゃいけないんだ。オレはパラミタで、いやと言う程それを学んだから……」
 彼の目は、重くも深い力強さを持っていた。そして、リーズはそれを感じられるほどに、彼に魅せられていた。
「後ろだ」
 そんな彼女と尋人に呼びかけたのは、低く、静かな声だった。振り返った尋人は敵の攻撃を弾き返し、声の主に視線で感謝を表す。彼の良きパートナーである呀 雷號(が・らいごう)は、それに頷くだけで答えた。
 やがて、助力者たちの猛攻によって敵の集団は跡形もなく消え去った。命を絶たれた敵は、その存在を構成している瘴気が、まるで霧のように消滅していく。
 そうして、残ったのは、状況を把握できずに呆然としているリーズと、それを助けた者たちのみであった。リーズは己が剣を鞘に収めて息を吐き、ようやく落ち着きを取り戻した。
「な、なんなの……? あなたたち」
 リーズは混乱していた。得体の知れない者たちに警戒しており、敵意をむき出しにして、声に怒気を孕んでいる。
「僕たちは、集落の若長の依頼で、あなたを助けに来たんです」
 博季が前に進み出て、説明した。しかし、リーズは、若長という名を聞いただけでも、眉をしかめて嫌悪感を露わにした。
「父さんの……。……そう」
 リーズは、助力者たちに背を向けて、歩き始めた。言わずとも、それが拒絶だと、誰もが気づいていた。
「ただ一人で行ってどうしようというのですか?」
 リーズの背に、風天が逼迫する疑問を投げかける。リーズは立ち止まったが、決して彼らを振り返らずに答えた。
「父さんに頼る気はないわ。あの人は、戦うことから逃げたんだもの。わたしは、一人でも戦ってみせる。集落を守るためにも、誇りを守るためにも」
「気持ちは解らないでもないです。しかし、貴方のお父さんも、貴女の事を心配されているのですよ?」
「心配なんていらない。わたしは、父さんに心配される必要なんてないわ」
 リーズは、ぐっと拳を握って、自分を奮い立たせていた。そう、これはあくまで自分の戦いなのだ。戦うことをやめた父親に、助けられる義理など、あるはずはない。
「……リーズと言ったか? 今からそんなに気を張っていたら、いざという時まで持たんぞ」
 再び歩きだそうとしていたリーズに、不敵なセレナの声がかかった。
「なんですって?」
 リーズは、振り返ってセレナを睨みつけた。気迫に満ちた顔の眉間は、しわが寄っている。
「どれだけ強がろうと、一人でやることには限界がある。それも分からないほどの愚か者か? 祖父の宿敵との対決だ。熱くなるのも分かるが……周りに居る者に頼れる時は、頼れよ?」
 セレナは言い放って、彼女のもとへと歩み出す。
「まあ、それに、どれだけ拒もうとも、私はおぬしを助けるがな」
 セレナはリーズの横で不敵な笑みをこぼして、彼女を置いて先へと向かった。
「……そうですね。微力ながら、僕もお手伝いさせて頂きたいなと思いまして。森も、人々の幸せも、命も、かけがえのないものですから」
 セレナに続くように、博季はリーズに向かって笑顔を浮かべた。その横からは、まるで保護者のように穏やかな笑みで博季を見守っていた幽綺子が、凛々しい顔でリーズに告げる。
「矢面に立って戦うことだけが戦いではないわ。方法は違っても、貴方のお父様だって、お爺様と同じようにみんなの幸せを守ろうとしているのよ。それだけはわかってあげなさい」
 幽綺子と博季が先へと歩むと、その後続に唯斗がついていく。リーズの横で、彼は言葉を考えながら、ようやく答えに至る。
「俺たちが勝手に助けたいと思ったんです。気にしなくて良いですよ」
 唯斗は飄々とした声で笑顔を見せた。隣にいるエクスはそんな唯斗に不満をぶつぶつ呟いている。
「まったく、わらわのときもそうであったが、見境なく人助けしすぎであろう。まぁ、そこが唯斗の良いところでもあるのだが……」
「……嫉妬ですか?」
「……嫉妬じゃないぞ? 違うからな? あ、馬鹿やめろっ! 撫でるな!」
 エクスの頭を撫でながら、唯斗は幸せそうに微笑んでいた。
 彼らの後でリーズの隣にやってきた永太は、彼女にはにかむような笑顔を見せた。
「俺は難しいことは言えないけど、森も、そして、君、リーズも守りたいんだ。だから、一緒についていく」
「あたしも同じ! 永太があなたを助けたいなら、あたしも同じ気持ちだわ。あなたがどれだけ拒んだって、無理やりにでもついていくんだからっ」
 直球で思いをぶつけてくる男と、のんびりとしているようで感情的に言葉を伝えてくる女。永太とミニスの二人は、さすがのリーズでもぐっと言葉を詰まらせるほどに純粋な思いを伝えてくるのだ。
 リーズは、自分がまるで叱られてた子供にでもなったかのような、どこか釈然としない思いになっていた。そこに、どこか気だるげな政敏が近づいてくる。
「まぁ、みんな、それぞれに心配してたりするってことだね。……もちろん、俺も」
 そうして、リーズと見つめ合った政敏は、それまでの気分屋な顔ではない、精悍な表情を見せた。
「君の『志』。それを守る手伝いをさせてはくれないか」
 政敏は、リーズに握手を求めて手を差し出した。
 が――。空しくも、リーズはそれを無視して歩き出す。政敏は、失敗したかなぁと、所在なさげに頭を掻いた。だが、リーズはふと立ち止まって、溜め息をこぼし、振り返らずに言った。
「……勝手にすればいいわ」
 リーズにとってそれは、まだ完全に納得できているわけではない、一つの思いの譲歩であった。とはいえ、まだ先は長い。
 永太と政敏はくすりと微笑み合い、リーズたちの後を追った。