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来たる日の英雄

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第一章 集う者たち 2


 リーズたちよりも先行した森の奥では、暴れ回る一人の男の姿があった。名を久途 侘助(くず・わびすけ)。とかく、ものぐさで能天気な彼の脳内では、単純な思考――リーズたちが神殿に行きやすいように、森の魔物を駆除してしまおう――という回路が回っていた。
 和服姿を崩して気だるげに歩く彼だが、その両手には洗練された刀が握られていた。その二刀流の出で立ちは、まさにかつて地球にその名を馳せた、武蔵のそれを思わせる。
 目の前で、警戒するように彼を囲むミイラたちは、醜悪なくぐもった息を吐きながら、侘助へと今にも襲い掛かろうとしていた。
「へっ、怪しいミイラは俺が相手になるぜ?」
 その声を皮切りに、盗賊ミイラたちは一斉に侘助へと駆け出す。小柄な身体が俊敏な動きを見せて侘助の懐へ入り込み、ダガーを振るう。だが、彼はそれを不敵な笑みを崩さぬまま受け止めた。
「さて、いっちょやりますか」
 その声を合図として、彼は奮迅の太刀を起こした。
 二刀流のリーチの長さと手の多さが、ミイラのダガーを受け止めるとともに敵の身体を斬り裂く。続いて、背後に回る敵には振り返りざまにアルティマ・トゥーレを放った。氷づけにされた敵を返す刀で薙ぎ屠り、そして、勢いづいた彼は乱撃のまま敵を潰していった。
「おらよ、喰らいやがれ!」
 まさにそれは獅子奮迅である。敵が逃げる間もないほどに、侘助の猛攻は止まらなかった。
 ――そんな彼らからほどなく近い場所では、爆発音が鳴り響く。
「そらよ」
「く、臭いです! 静麻!」
 閃崎 静麻(せんざき・しずま)は事前に用意していた工作用の爆薬を投げ、次いで、彼いわく最臭兵器であるシュールストレミングを手投げ仕様にした爆弾を投げ込んでいた。
 そのあまりの臭さに、熊はもちろんのこと、レイナ・ライトフィード(れいな・らいとふぃーど)も圧倒される。……特に鼻が。
「な、なんて戦い方ですかぁっ!」
「いや、でもなんか有効みたいだぞ」
 確かに狂気の熊には効いていた。なにぶん、熊である彼らは鼻がよく効くのである。
 だが、それに巻き込まれるレイナはたまったものではなく、静麻を殴らんばかりの勢いで怒っているのだった。
 
 
「私はこのあたりで楽しんでいくので、先に行っていてくださいな」
 訝しげに首を捻るリーズたちに微笑んで、藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は別れを告げるために手をひらひらと振った。
「いやだー! おうち帰るー!」
 その逆の手には、わがままな子供を押さえつけるかのように、逃げ出そうとする宙波 蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)が捕まえられている。
「ほ、本当にいいのですか?」
 博季を始めとして、みな彼女を心配する様子を見せたが、優梨子はにこっとした聖母の笑みを浮かべた。
「ここで私が派手に動けば、森の魔物の方々が集落を襲う勢いを多少削げるかも知れませんし、ね」
 彼女はまさしく心優しき自己犠牲の精神を体現したかのような言葉を残して、リーズたちから別れを告げた。
「うふ。では、楽しみましょうか」
 柔和な笑みは崩さず、優梨子は背後に振り向く。その先にいた狂気の熊に向かって、いち、に、さん――駆け出していった。
 地を蹴って飛び出した優梨子は、次の瞬間、懐から取り出した代物で熊のみぞうちへと突っ込んだ。――ギロチンを腹に受けた熊は、悲鳴とも呻きともとれぬ声を上げる。黒く薄汚れた血飛沫を浴びて、彼女は楽しそうに囁く。
「ふんふん♪」
 ――果たして、本当に自己犠牲であったのかどうかは、定かではない。
 ある意味で熊よりも狂気に満ちていた。そんな彼女を最も身近に知る蕪之進は、ぶるぶると震えて逃げ出したい一心まっしぐらだ。
 そんな彼の姿は飛び出しそうな巨大な赤い目のチュパカブラ。外見だけならば、森の魔物に負けていなかった。
 そんな彼が逃げ出したいぐらいの変態殺戮大好きお嬢様。それこそが優梨子なのである。
 ディテクトエビルを身にまとい、負傷した体はリジェネーションで補う。これでしばらくは楽しめそうだ。
 優梨子は心底から楽しそうに笑顔を浮かべて、狂気の熊たちへと奮迅の攻防を繰り広げた。


「なにか、変な音が聞こえますね……。それに、異臭も少し……」
 風天は、軽く地を揺らすような音を気にし、そして漂ってくる僅かな匂いに顔をしかめた。
「あら、本当……。でも、これがもし風天ちゃんの匂いなら、ワタシは大歓迎よ」
「な、何を馬鹿なことを……!?」
 アルメリアはくすくすと笑いながら、風天の体を撫でてからかってくる。風天は冗談を受け止めるのに慣れていないのか、すぐに顔を赤くしてアルメリアの手を振り払っていた・
 とはいえ、確かにリーズたち一行はどこか変な匂いを感じてはいた。もしかしたら、爆発のような音にも関係しているのかもしれない。
「僕たち以外にも、誰かが森にいるのかもしれませんね」
「それは……考えられる話だな」
 博季の予想に、政敏は開いていた携帯電話をパタンと閉じて答えた。
「仲間のリーンから連絡があったが、色々と別行動で動いている連中もいるんだ。となると、森に誰かがいても不思議じゃあない」
 若長は彼ら以外にも別行動となる作戦を実行中である。
 リーズはその事実に、苛立ちにも似たやるせない思いを抱く。父に、立ち向かうことを恐れ、逃げることを選んだ父に、自分は助けられた。所詮、自分ひとりでは立ち向かえないだろうとでも言うのか。
 リーズは思わず歯軋りし、拳を握った。じとりとした汗が、勇気とは裏腹な自分の小さな恐怖を表しているようで、情けなくもあった。
 ふと、彼女はそんな自分を見ながら、おどおどとなにやら喋りかけようかどうか迷っている少女に気づいた。
「……? なに?」
 リーズに話しかけられて、茅薙 絢乃(かやなぎ・あやの)ははっとなって驚き、あたふたと口を開いた。
「あ、あのね……リーズって、言ったよね? キミのお父さん、仲間に1人も怪我人が出ないよう、色々頑張ってたよ?だから、あのね……お父さんのこと、嫌わないであげてね? ゴ、ゴメン……私、余計なこと言ってるかもだけど」
 緊張しているのか、時々噛みながら喋る絢乃に対して、リーズは反論しようなどとは思わなかった。
「……別に、いいわ」
 彼女が、本当に自分と父のことを心配して話してくれているのはよく分かる。しかし、これは理屈で理解するようなものではないのだ。父親のことも、そして、いま自分に協力しようとしてくれている彼女たちのことも。
 リーズは、心のどこかで『誇り』に縛られていた。そして、彼女たちを受け入れることは、その誇りを捨ててしまう――わたしは、英雄ゼノの孫だっ! わたしには出来るんだ! そんな、決意を捨ててしまうような気がしたのだ。
 そんな、俯きながら考え込んでしまっていたリーズの思いに気づいていたのかどうか、同行していた飛鳥 桜(あすか・さくら)が彼女に恐る恐る喋りかけた。
「なぁ、一つ聞いてもいいかな?」
「……なに?」
「リーズのじいちゃんって、どんな人だったんだい?」
 外見とは裏腹に男のような口調で話す桜は、最初の頃とは違った真剣な面持ちだった。同行の際には「邪魔はしないから、一緒に付いていくぞ!」と、マイペースで明るい調子だったというのに。彼女にも、何か思うところがあるのだろうか。
「お祖父ちゃんは、誰にも負けない誇りを持っていた人だったわ。自分の持つ、人を守る力を集落の幸せのために振るう。そんな、優しい人」
「森を守るために、果敢に魔獣と戦ったんですね」
 影野 陽太(かげの・ようた)は、かつて集落の戦士であったゼノ・クオルヴェルのことに思いを馳せた。
 だが、そんな彼らに、心中、疑問を投げかける者もいる。
 英雄ゼノを称える者は多いが、橘 恭司(たちばな・きょうじ)の目に映るイメージは、「ただの大量殺人者」といったぶしつけにも似たものだった。
「リーズ、君は、英雄とはどんなものだと思うんだ?」
 穏やかに呟く。声は静かであるものの、それは、重苦しくリーズの心中に圧し掛かった。
「英雄……」
「こう言っちゃ悪いが、俺には、ゼノという存在がただの大量殺人者にしか見えない。戦場での英雄。確かに、それは名誉であり敬意を表されるものなのかもしれないが……俺には、それが正しいことなのか、分からない」
 恭司の言葉に、リーズは胸が詰まる思いだった。しかし、彼女は恭司に対し、きっと瞳を向けて真っ向から対峙し合う。
「……わたしにも、分からない。確かに、誰かを傷つけるようなことはいけないと思う。あなたの言うことだって……分かるつもりよ。でも、少なくとも、お祖父ちゃんは誰かの?幸せ?のために戦ったわ。それだけは、お祖父ちゃんが英雄と呼ばれた理由を表している気がする」
 恭司は、どうにもばつの悪そうな顔をしていた。もちろん、リーズとて同じだった。
 そんな彼らの横から、興味深げに小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が口を開く。
「リーズのお祖父ちゃんは、どんな人だったの?」
 美羽の言葉を反芻しながら、リーズは思い返そうとしていた。そう、かつて、ゼノ・クオルヴェルと過ごした幼少期の頃を。
「よく、覚えてない。ずっと小さい頃に亡くなっちゃったから。だけど、いつも笑ってこう言ってたのだけは覚えてる。?人の笑顔を守れる人になりなさい?って」
 リーズの声に、誰もが耳を傾けていた。それほど、彼女の声は心の底まで響いてくるような、澄んだ重みを持っていたのである。
「だから、私は戦うの。笑顔を守るために、集落を守るために……」
 リーズは、祖父のことを思い出して、少し、涙が出そうになった。それを、必死に繋ぎとめて、気丈な顔を作る。涙はまだ、流しちゃいけない。全てが終わって、そして、流すものなのだ。
「人の笑顔を守れる人……」
 陽太は一人呟いて、考え込んでいた。自分の探す英雄とは何なのか。誰かの笑顔を守る――想い人は、いつも笑顔でいてくれるだろうか。自分はその笑顔を守れるのだろうか。だが、少なくとも、と陽太は思った。もし彼女の笑顔が消えてしまうときがあるならば、そのとき、戦い抜ける勇気のある自分でありたい。
「リーズのお祖父ちゃんは、すごい、信念のある人なんだね」
 美羽はリーズに笑ってみせた。祖父のこととはいえ、リーズはくすぐったい気持ちになる。気づけば、リーズは色んな人とと会話を交わすようになっていた。
「戦ったその先に皆の笑顔があるなら……僕も一緒に戦うよ!」
 桜とリーズは決意をお互いに秘めたよう、視線を交した。ヒーローに、正義に味方になりたいと、桜はリーズに語った。ゼノがヒーローであり、正義の味方であったのか、定かではない。だが、リーズにとってゼノは確かにヒーローだ。
「今の君だってそうなんじゃないのかい? だったら、僕らはそれを助けたいよ! 一緒に、ガオルヴを倒して、みんなの笑顔を守ろうよ!」
 桜は天真爛漫で純真だった。それを見ていると、リーズもどこか勇気が湧いてくる。
「そうそう、私もツァンダを守るために頑張るよー!」
「頼まれごとだが……君の英雄ってやつを見てみるのも悪くないな」
 美羽や恭司、そして、彼女を助けようとする皆が、それぞれにリーズに声をかける。こんなにも、誰かを守ろうとして、助けてくれる人がいる。
 リーズは微笑んだ。まつげにとどまった涙を拭ったその笑顔は、少し晴れやかだ。
「みんな、ありがとう」
 初めて、彼女はみんなに笑顔を向けたのだった。