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久遠からの呼び声

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第4章 命の選択 1

 地下四階まで来れば、試練という概念自体にも緊張……いや、不安を抱くようになってくるのだろう。ましてや、第三の試練で残してきた仲間のことを思えば、余計にそれは強くなるばかりだった。
 アシャンテやアリア、そして美羽。彼女たちがいるなら、第三の試練は大丈夫であろうという安心感もある一方で、コビアはどうしても心残りになってしまう。
 そんな彼の心を読むように、次なる扉を開いた先は――暗黒の世界が広がっていた。
「なんだこれ……?」
 神和 綺人(かんなぎ・あやと)が困惑したような声を発した。
 彼の周りだけでない。まるで、光のない夜の時に迷いこんだように、コビアたちの周りはそれこそ地面さえも見えないほどに闇が広がっているのだ。
 それまで光のあった場所に思わず戻ろうとしたコビアの手は、宙をかいた。
「扉が……!」
「閉じ込められたということですか……?」
 それまで面倒臭そうに眠たげな顔をしていた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)の顔も、この事態には険しいものとなる。
 闇に閉じ込められたコビアたち。成す術もなく立ち尽くす彼らであったが、展開は起きた。もちろん、それは圧倒的に望んでいない形で。
「おい、なんだ……!」
 仲間の中の誰かが叫んだ声に、誰もがはっとした。
 途端――対応できる間もなく、コビアたちの間に檻が生まれた。
 地面から突き出た強固な柱は、何重にも重なって彼らを囲む。それは意図してのことなのか……檻はコビアたちを二つに分断した。
「エクス! 睡蓮!」
 エクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)、そして紫月 睡蓮(しづき・すいれん)を初めとして、ニアリーたちは檻に囲まれた。檻は誰かに動かされているかのよう動き、コビアたちから離れていく。それを助けようとするコビアだったが……
「コビア様……!」
「ニアリー!」
 ガタン! というけたたましい音が鳴ってついに光が戻ったとき、彼の目の前は第三の試練で見たような奈落の底が広がっていた。
「これは……!」
 常に自信に満ちた姿でコビアたちを引っ張ってきたヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)さえも、その全貌には驚愕した。
 コビアたちを残したのは、平地と次なる扉まで続く通路である。だが、檻に閉じ込められたニアリーたちは、奈落の上空で宙吊りにされているのだった。
「――ようこそ参った。試練を受ける者たちよ」
 宙吊りにされた者、そして平地に残された者。二つに分断されたコビアたちに、何重にも重なった声色の、不思議な声が聞こえた。
「これが第四の試練となる」
「第四の試練だって……!」
「これより、汝らは選ばなければならない」
 上空より降り注ぐような声は、コビアたちに告げた。その言葉の意味に、彼らは眉をひそめる。
「最前の通り、汝らの仲間は奈落へと続く宙に繋がれている。もしも、檻の中にいる者を助けたいならば、方法はたった一つだ」
 ……たった一つ。もしかするならば、コビアの当初の不安は、これを予期していたのかもしれなかった。
「――死を選ぶといい。汝らの誰かがこの場で奈落へと落ち、死を選ぶならば、檻の中にいる仲間は救い出されよう」
「なんだと……」
 試練の主の不条理な言い分に、さすがの唯斗も苛立ちを抑え切れなかった。彼の目が、見えない主を睨みつけるように鋭くなる。
「ここは勇気の試練だ。人は誰かを助けるために時として死を厭わない必要が問われるだろう。さあ、死を選ぶ勇気があるか? 誰か一人……死を選ぶことが出来たならば、他の全員は救われる。これは究極の勇気だ」
「究極の勇気……? ふざけないでくれ! こんなもの、試練でもなんでもない。弄んでるだけじゃないかっ!」
「それが試練というもの。生半可なもので突破できるならば、それは試練ではない。命を捨てることが出来るほどに、究極の高みを目指す試練、『試練の回廊』なのだ。それとも……汝は人の命より、己の命が惜しいのか?」
「…………!」
 コビアはまるで、心をなぞられたような気分だった。
 主の言葉は、自己犠牲を問わないコビアを責め立てるようなものだったからだ。
「死は恐れませんよ。自分が死んで、それで誰かが救えるなら、それに越したことはないじゃないですか」
 コビアの背後にいた神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が言った。
 彼はぼんやりとしたような穏やかな顔で、静かに一歩ずつ奈落へと近づいていく。まるで、死霊か何かのように……。死を恐れていない。彼の言葉は本物であった。大切な人を守るためなら、きっと彼は死ぬことなど、造作もないのだ。
 コビアは思わず彼を止めようとしたが、その前に彼の背中を掴んだのは、別の女性の手であった。
「自分なら良いですけど……マスターが、亡くなるのは、嫌ですね」
 柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)が、翡翠にたおやかな顔で言った。それは、まるで遠くにある何かを思い出しているような、悄然とした表情だった。
「翡翠殿……もちろん私も、誰かが自分の為に傷付くのは、反対ですよ。私は、護ってもらう価値なんか、無いですから」
 美鈴に続くように、山南 桂(やまなみ・けい)も翡翠に告げた。翡翠が死ぬことを思ってのことか、彼は哀しげな顔を浮かべている。翡翠たちは、誰しもがきっと優しすぎるのだろう。だからこそ、自分が傷つくことを厭わない。しかしそれは同時に、自分のために誰かが傷つくことでもある。
 それは……とても悲しいことだ。
「私は……アヤが……大切な人がそれで助かるのならば、躊躇いなく命を投げ出せます!」
 コビアたちと一緒にいたクリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)は、決然とした顔で告げる。女性ながらに気丈なる彼女の目は、檻の中にいる愛しき少年を見つめていた。だが――
「クリス! そんなの……そんなの僕は望まないよ! そんなの、間違ってるよ!」
 いつもは悠然として落ち着いている綺人の、切迫したような声がクリスたちに届いた。彼の、まるで大切な何かをなくした子供のようにくしゃくしゃになった顔は、いつもの彼では想像がつかなかった。
「君が死んで助かったって、僕は……そんなの、悲しいだけだよ」
「クリス……俺も同じ気持ちだ。綺人でなかったとしても、誰もそんなこと望んじゃいない。それで生きていたとしても……俺はお前を一生恨む」
 普段はあまり口を開かないユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)も、クリスに毅然として言った。
 そんな彼らの気持ちを汲んでのことか……。クリスの服を、神和 瀬織(かんなぎ・せお)が引っ張った。そして、一言だけ口を開く。
「綺人が悲しむことは、しちゃ駄目です」
「瀬織……」
 首を振った瀬織に倒れこむようにして、クリスが膝を折った。きっと、どうしようもできない自分のふがいなさが、彼女の気丈に振舞っていた心を揺らしたのだろう。
 かつて自分が誰かを救えなかったときのような悲しさ。コビアには、クリスの気持ちが
よく分かっていた。
 悩み続ける彼の横に、一人の男が凝然と立った。それは、自らを帝王と名乗る雄雄しき男――ヴァル・ゴライオンであった。
「俺も同じく……死は恐れない。死ぬべき時を見誤り、誰も助けられず徒に命を失うことを一番に畏れる」
 想像していた言葉と違っていたのだろう。コビアもそうであるが、彼のヴァルのパートナーである、檻に閉じ込められたキリカ・キリルク(きりか・きりるく)神拳 ゼミナー(しんけん・ぜみなー)も驚きに目を見開いた。
「ヴァル、キミ何を……!」
「血迷ったか……?」
「……世の摂理は面白いものでな。一人を救えるのならば、その一人はまた誰かを救ってくれる。もし一人救い、自分も死なずに済めば、再び自分が次の一人を救えるのだ。かくして助けられた者は次の者を助け、助け合った連綿先の未来こそ、素晴らしいものが待っている。その礎である誇りを胸に抱いているからこそ、その時を告げる天命に従い身命を任せ、俺は死は恐れない!」
 ヴァルは自らの信じる信念を語り、そしてにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「――しかし! ……最大限の抵抗はするがね。帝王たるもの、もしもここで死んだならば、ただの一般人と同じということよ。一人救い、二人救い、迷える幼き少年を救い、自らも死なずに連鎖を続けさせることが……帝王たる俺の使命、いや、宿命だ!」
 きっぱりと断言したヴァルは、そうして見えざる主に向けて憶測の方向に指を差した。
「……では、汝はどうする?」
 声の主が述べているのは、唯斗のことであった。
 彼はいつものような眠たげな顔をして、あくびをかみしめるように前に出る。そして、ヴァルに同調するようなにやりとした笑みを浮かべた。
「俺も馬鹿じゃないんでね。誰かを守る為ならいくらでも命を懸けるよ。でも……もちろん、俺も帰ってくるさ」
「ふ……さすがは唯斗。わらわが認めただけのことはある」
「そんな唯斗兄さんだから、私たちも一緒にいるんですよね」
 ぐっとエクスたちに親指を立てる唯斗を見て、二人はしみじみとしたように笑った。
「死の恐怖に負け……死を恐れるというのか」
 嘆くような声を出す主の向かって、佐野 亮司(さの・りょうじ)が前に出た。彼は自分を護衛していた九条 風天(くじょう・ふうてん)が檻の中にいるのを見た。彼を護衛するために、常に彼の側から離れることをしなかった風天は、彼を庇っていま、宙の檻に囲まれている。
「死ぬのが怖くない奴なんているわけないだろ。誰かを救うために命を投げ出す? そんなのただ迷惑なだけだ。もし誰かが自分を助けるために命投げ出したら「俺を助けるために死んでくれたのか、ありがとう」なんて思えるか?」
 亮司の言葉は、まるで風天に投げかけるかのようだった。もちろん、それは、風天自身のことをよく知っているからこその言葉。
「その後の人生ずっと自分の分の命背負わせて生かすなんて、ただの罰じゃないか。自分の命を投げ出して助けるなんて、ただの自己満足か逃避にしかならない。……だから俺は、命を投げ出して誰かを救うなんてことはしないよ」
 亮司はそうして、誰しもが思う命の価値を主に突きつけた。そして、苦笑気味に頭をかく。
「まぁ、命がけでって心構えで、何かすることはあるけどな」
 だが――そんな彼らの意思を試練の主が割った。