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黒薔薇の森の奥で

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第五章 薔薇の墓所

 黒薔薇が咲き乱れる。
 日もとうに暮れ、夕闇が空を覆う頃だ。……といっても、この森の中は、昼であろうが夜であろうが、霧と薄闇に閉ざされているのだが。
 いやに空気が冷たくも感じられる。
 ……おそらく、墓所が近いのだ。そう、言葉にせずとも一同は感じていた。
 黒翼の守護天使、レイス・アデレイド(れいす・あでれいど)は、内心では迷子になるのではないかとここまで心配をしていたが、どうやら目的地は近いらしい。しかし、彼の契約者である神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)の目的は、ウゲンではなくカミロとの接触だ。
(さっきの騒ぎといい……森にいるのは、確実だろうがな)
 しかしあの音と、感じた力。戦いは避けたいと、あらためてレイスは思っていた。
 この場にいるのは、他にあと四名だった。レイスと同じく翡翠の契約者である山南 桂(やまなみ・けい)、そして、翡翠と同じ薔薇学生のヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)。他二名は、百合園女学院所属の人間だ。森のなかでカミロを探すうちに出くわし、目的が同じと知ると、ここまで同行してきたのだった。
 名前は、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)リーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)という。
 シリウスは少年らしい格好に男装をしていたが、豊かな胸をあまり隠し切れてはいない。リーブラは、せめて目立たぬようにとフードを被り、美しい銀のロングウェーブの髪を覆い隠していた。
「なぁ、ヴィナもアッチ系なのか?」
 じっとカミロを待ち続けるのは退屈なのか、シリウスは出し抜けにヴィナに尋ねた。
「アッチとは?」
「その、男のとつきあってんのか? ってことだよ」
 飲み込みが悪いな、と言わんばかりにシリウスは若干眉根を寄せる。ヴィナに尋ねたのは、『そう見える』かどうかではなくて、単純に立ち位置が近かったのと、割合軽いノリのヴィナが一番聞きやすかったからだ。
「あー……俺は、妻も子供もいっから」
「え! 嘘だろぉ!?」
「シリウス……」
 驚きすぎるのも失礼ですわ、とリーブラが小声でたしなめる。もっとも、シリウスの口が悪さはいつものことなのだが。
「ホントだよ」
「薔薇学は全員アッチ系だと思ってたぜ……」と、偏見のような正しいようなことを呟くシリウスを横目で見やり、ヴィナは内心で『まぁ、惚れた男もいるけどね』と付け加える。嘘はついていない。全部を語らなかっただけのことだ。
「あの……薔薇学の方は、以前からロスト・イエニチェリのことはご存じだったんですの…?」
 おずおずとリーブラに尋ねられ、ヴィナは「いや」と首を振る。
「俺たちも初耳だ。なぁ、翡翠くん」
「ええ、そうですね。自分も初めて聞いたことです」
「かつてのイエニチェリ、か……」
 『イエニチェリ』という言葉の響きに、微かな含みを感じ、翡翠は小首を傾げて尋ねた。
「ヴィナさんは、イエニチェリを積極的に目指しているのですか?」
「まぁ、な。……ある男と、対等になりたいだけだけど」
 ヴィナはそう答えた。
「……来ます」
 この森は不気味な感じがする、と警戒を続けていた桂が、霧の向こうを見据え、一同に注意を促した。
 ――やがて、その言葉通りに、黒衣の青年……カミロが現れた。
 先ほどの戦いで、多少その表情には疲れも見える。後ろに控えた一行も、同様だ。
「…………」
 予想外の邪魔が多く、カミロの機嫌は悪いようだ。その視線は、凍り付きそうに冷たい。
(これは、ひと癖ありそうな、厄介な相手な感じがします)
 桂は内心で呟いた。レイスのほうは、カミロに寄り添うルイーゼの姿が己と似ていることに、驚きを感じていた。
(珍しいな?似てやがる)
 ついじろじろとルイーゼを注視していると、ついとその間に仮面の男……トライブが割って入ってきた。ナイト然とした態度が、少しばかりカチンとくる。
「あなたが、そうですか? イコンに乗るあなたが、何故此処に?」
 翡翠は穏やかにカミロへと尋ねた。質問の答えは、それほど期待してはいない。
 真の目的は、薔薇の学舎の仲間がウゲンを見付けるまでの時間稼ぎでもあったからだ。
「……邪魔だてをする気か?」
 カミロが微かに怒気をはらむ。あからさまな敵意に反応して、シリウスの表情も険しくなった。友好的な相手には友好的に、しかしそうでなければ、それなりの対応をするのみだ。
「てめぇなぁ! ロストだかラストだかしらねぇが、一度きっちり全て説明しやがれ!」
 カミロに噛みつくシリウスを、ヴィナは背後に庇う形で抑えた。彼女の性格なのだろうが、ここでカミロと戦うことは懸命ではない。そう思ったからだ。ヴィナは、物腰こそ軽くとも、実際には堅実な思考をするほうだった。
「ヴィナ!」
 どけ、とばかりに暴れるシリウスを無視し、ヴィナはシリウスに対峙した。
「失礼しました。……カミロさん、私も貴方に尋ねたい。何故、あなたは寺院側に? イエニチェリよりも、魅力を感じたのですか」
 ヴィナの問いかけに、カミロはため息をつき、口を開いた。
「……愚かだな。訊けばすべてがわかるとでも? 真実を暴けば、ちっぽけな自尊心が満足するとでも? 己自身が、自ら見つけた答え以外に、何の価値がある」
「…………」
「与えられることばかり待っている者は、醜い」
 そう言い残すと、カミロは彼らに背を向ける。
「……それでも! 知ろうと努力して、こっちは来たんだ! 少しは話していきやがれ!」
 その背中に、シリウスが再度怒鳴った。だが、その言葉は、多少はカミロの琴線に触れたらしい。肩越しに、カミロはひとつだけ、言い残していった。
「私は、シャンバラの秘儀を求めた。そのために……あの方の元から去った。その手段を私に教えたのは、ウゲン。それだけだ」
 その声は、今までにない苦しさと切なさを帯びていた。
「シャンバラの秘儀……?」
 ヴィナは呟く。だがしかし、それ以上をカミロの口から聞くことは叶わなかった。
「お疲れ様でした」
 カミロたちが去った後、桂が翡翠にそう声をかける。
「たいした時間稼ぎには、なりませんでしたけどね。ただ、無駄ではありませんでした」
 そう答え、翡翠は少しばかりの賞賛の目をシリウスに向けた。
「これで良かったと思います。あの人の相手は、きつい感じが、ただ物じゃないと隙がありませんでしたから」
 桂はそう言うと、目を閉じ、今もその場に微かに残るカミロの気配を感じる。
 迷いのない力と、その底にかいま見せた、哀しみ。
「いずれまた、どこかで会うこともあるでしょうし……後は、弟たちに任せましょう」
 天御柱にいる弟の姿を思い浮かべながら、翡翠はそう、静かに言った。