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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第2回/全3回)

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第3章 白き心の影 2

 陽動作戦に砦の兵士の大半がおびき出されていたとき、シャムスたち奪還部隊は既に背後から砦の内部へと侵入していた。
「ふはははははっ! ヒラニプラの冒険野郎とはわしの事よっ!! さあ、皆のもの、かまわず恐れおののくが……」
「ちょ、しー、しー、ヒラニィちゃん! そんなおっきな声出したらダメだって!」
 無駄にテンションの高い南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)を押しとどめて、琳 鳳明(りん・ほうめい)はなんとか彼女の声を遮った。
「が……もごもごもごもごーッ!」
「はいはい、終了でーす。落ち着きましょうかねー、ヒラニィさん」
 もがもがと喚くヒラニィであったが、さすがにクド・ストレイフにまで押し込まれ、あまつさえ――
「もご……」
 人を殺すような目でギロリと睨むシスタ・バルドロウ(しすた・ばるどろう)を見たら、しゅんと口を閉ざすしかなかった。
「もう、そんなに気分が乗っちゃって……一体何があったの?」
「んむ、よくぞ聞いた」
 とりあえずは落ち着いたものの、鳳明に尋ねられてヒラニィは再びにぱっと顔をあげた。自信満々に不敵な微笑を浮かべながら、いかにも満を持してとばかりにとあるものを取り出し、鳳明たちにバッと掲げる。
「そ、それって……」
「ふっ、冒険屋もカナンでは非公式組織! つまり、カナンでは冒険者の証を持つわしこそがぷろふぇっしょなる!」
 彼女の小さな指が頼りなさげに握るそれは、カナンのアドベンチャーライセンスだった。
「鳳明、クドよ……プロとアマの違いというものを見せてやろうぞっ!」
「…………わ、わー」
「す、すごいなぁー」
 恐らくは驚かないと機嫌を損ねるであろうし、「ランセンス持ってるぐらいならちっと黙ってろ」というツッコミをしたところで彼女が口にチャックをするはずもない。ヒラニィは鳳明とクドのわざとらしい声に気づかず、うむうむと満足げに頷いていた。
 そして、気分が向上してきたせいか、再びでかい声をあげて突撃する。
「というわけでじゃ! みな、わしについてきて突撃――」
 次の瞬間、ヒラニィは脳天を思い切り叩かれて気絶した。背後で「うるさい」と書かれた画用紙を掲げているのは、鳳明のパートナーである藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)だ。眠たげな彼女のこめかみに浮かぶ怒りのマークは、おそらく眠りを妨げられたせいだろう。
 「うるさい」の紙をめくりあげて、すでに書かれていた「失礼しました」という紙を掲げた天樹は、ずるずると気絶したヒラニィをひきずっていった。
「あ、あはは……元気なのはいいこと……だよね?」
「そ、そうそう、いいこといいこと!」
 ひきずられていくヒラニィが退場したのを見送って、七瀬 歩と七瀬 巡(ななせ・めぐる)はその場をごまかすように乾いた声で笑った。冷静なシャムスの凛とした声が、それに重なる。
「そうだな。それに、多少は暴れたとしても気づかれないということは分かった」
 それほどまでに、敵兵たちの数は少ない。だからこそシャムスたちも侵入を開始したというわけだ――とはいえ、それでも兵がまったくいないというわけではなかろう。砦の進入時に別れた仲間が、気にかかるところであった。
 そんなシャムスの気持ちを察して、歩がもの柔らかく微笑みかける。
「大丈夫ですよ。菜織さんも、切さんも、胸を張って送り出せるような人たちですから」
「……ああ。確かに、そうだな」
 シャムスの脳裏に、綺雲 菜織(あやくも・なおり)が伝言だと伝えてきた言葉がよぎる。
 『信じぬけ』――おおよそあの男のお茶らけた雰囲気と菜織とでは違いすぎるが、どこか纏った空気のようなものが似ている気がするのは、気のせいだろうか。いや……もしかしたらだからこそ、彼女はあの男と友なのかもしれない。
(ならば、信じようじゃないか)
 ここにいる者たちを。
 「それにしても、あたしたちにとっては、美那ちゃ……じゃなくてエンヘドゥちゃんは美緒ちゃんのそっくりさんだけど、シャムスさんにとっても同じなんでしょうか?」
 なにやら思いついたように口にした歩の疑問に、シャムスがきょとんとした目を向けた。
「美緒?」
「あ、えっと……百合園女学院のお友達なんです。エンヘドゥちゃんは、その美緒ちゃんの妹、美那ちゃんって名乗ってて……」
 泉美那として名を語っていたのは知っていたが、美緒なる人物の妹に扮していたのか……。歩は懐からとある写真を取り出してシャムスに手渡した。
「これに写ってる……えーと、あ、こ、この人が美緒ちゃんです」
「…………」
 シャムスは目を見開き、わずかに声を漏らして驚いていた。歩が指をさした美緒なる人物の容姿は、彼の知るエンヘドゥとほとんど同一人物と言っていいぐらい似ていたからである。
「……幻でも見てるみたいだな」
「やっぱり……似てましたか?」
「似てるどころじゃないな。おそらく、事情を知らないでこの写真を見ていたら、エンヘドゥと間違ってもおかしくはない」
「そんなに……」
 世の中には似ている者が3人はいると言うが……果たして他人の空似かどうか。契約者の中には、魂のつながりが容姿となって現れる者もいる。可能性は、いくつもの分岐に分かれていそうだ。
「しかし、容姿も気になるけど……それよりも水晶化されたエンヘドゥと石像のエンヘドゥとの関係が気になるとこだよな」
 話に疑念を投げかけたのは、シスタであった。言葉遣いは荒く、常に睨むような目つきをしているが、その瞳の奥に隠れている思慮深さは二つの関係性を紐解こうとしている。
「もしかしたら石像は、こっちを誘き寄せる為の罠なのかもしんねぇ……とかな」
 彼女の見出す可能性に、緊張が広がった。
「オレとクドはあのモートとか言う下種を見たが、あいつはまるでこっちの全てを見透かしているような、そんな不気味さを目立たせてやがった。……奴なら、こっちの動向をなんらかの方法で察知して、意地の悪い罠を仕掛けてる……そんな可能性も十分に考えられるだろうさ」
 吐き捨てるように言うシスタ。よほど、モートという魔女が彼女に汚らしさを思わせる存在であったのだと知れた。
「ふむ……石像も水晶も両方ともエンヘドゥとやらなのか」
 いつの間にか復活していたヒラニィが、シスタに続けてぽんと拳を打つ。
「肉体から魂を抜き、抜け殻を石化。そして魂は仮初めの肉体=泉美那に入れて使役。つまり水晶には現在、エンヘドゥの魂が封じられておる。そして水晶と石像両方が揃えばエンヘドゥは蘇る。どうだ! 名推理だろうっ!」
 見事などや顔で告げるヒラニィの推理は、精密機械のように細かなところまで予測したものであった。しかし、なぜだろう――皆の目に疑いの色が見える。きっと、普段の行いの結果であった。
「なんじゃなんじゃぁっ、皆でわしを冷たい目で見おってぇっ! ふん、こうなったらわしはスネてしまうのじゃ!」
「ま、まあまあ、ヒラニィちゃん」
 憤慨するヒラニィを鳳明がなだめるのを見やりながら、シャムスたちは頭を悩ませる。シスタが、そんな彼らに区切りをつけるよう言った。
「まあ、いずれにしてもだ。どっちみち奴と会わなきゃ、水晶化されたエンヘドゥも助けられねぇし……他に対抗策がねぇんなら、こっちから罠の中に飛び込むってのも一つの手かもなぁ」
 そうだ。いずれにしても……助けねばならない。そのために、こうしてシャムスたちは敵の本陣へと侵入しているのだから。
 助けられるか、このオレに? シャムスの脳裏に過ぎるのは、かつてエンヘドゥがネルガルによって人質とされた日のことだった。あのとき、シャムスには何もできなかった。ネルガル軍に敗北し、もはや戦う力も、抗う気力ですらも残されていなかったシャムスには。
「シャムスさん……?」
「え…………あ、な、なんだ?」
 シャムスの思考は、心配そうなか細い声に呼び戻された。振り向いたそこにいたのは、どこか子犬のような表情を浮かべているレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)だ。彼女はおどおどとして踏ん切りがつかない喉から、なんとか声を絞りだす。
「あ、あの……こ、怖い目をされてた、ので。だ、だいじょうぶ……かなっ……て」
「…………」
 そんなにきつい目をしていたのだろうか。
 ……そうかも、しれない。いつの間にか拳は強く握りしめられており、手汗が中で熱く滲んでいた。ふがいなかった自分に怒りを向けて、ただ悔やまれる過去を睨みつけていた。
「そうか……」
「あの……な、なにか、あったんですか?」
 覗きこむような彼女の素直な瞳はシャムスの心を溶かすようだった。だからだろうか……シャムスは自然と過去の思いを口にしていた。
 かつてそこにあったもの。護りたかったもの。護れなかったもの。――レジーヌたちはただ黙ってそれを聞いている。
 レジーヌは自分の胸の中にあるロケットを握り締めていた。そこに入っている写真には故郷の両親と兄が写っており、彼女にとってそれは、家系や家族の期待に応えようとする自分の証だった。だが、今は――
「シャムスさん」
 シャムスの話が終わると、レジーヌは唇から彼女にとって精一杯の声をつむぎだした。
「シャムスさんは……その……ワタシに、ワタシらしくあることが大事なんだって、言ってくれましたよね?」
 それは、先日の偵察のときにシャムスが彼女に言った言葉だった。そのとき、レジーヌは故郷で鎧を着けて過ごしていると言った。……いま、彼女はそんな着慣れた鎧を身に纏っている。
「ワタシはいま……守りたいと思う人のために、戦いたいと……思ってます。シャムスさんが……ワタシに教えてくれたこと、です。……もしか、したら……両親はそんなワタシを望んでいるのかも、しれないです……本当のことは分からないけど……でも……この思いを大切にしたい……って……今は、思ってます」
「…………」
 あのレジーヌがこんなにも声を紡いでいる。それだけでも驚くことではあったが、何より、彼女のまっすぐな思いがシャムスの胸の中に飛び込んでくる。
「だから――シャムスさんにも、今の、その、シャ、シャムスさんの思いを、大切にして欲しいんです。妹さんだって……きっとそれは、分かってくれている、はずです」
 シャムスの思い。
 それは、妹を救おうという思い、救ってみせるという、決意だ。
「そうですよ、シャムスさん」
 歩が、レジーヌに続くように声をかけた。
「シャムスさんは逆の立場だったら美那ちゃんを恨みますか? 違うんなら、きっと大丈夫ですよ。……今は、美那ちゃん……ううん、エンヘドゥちゃんを助けることだけを、考えましょう」
「そうそう! それにもちろん、ここでシャムスにーちゃんにまで怪我させちゃったら、美那ねーちゃん、自分が助かっても悲しむと思うし……美那ねーちゃんを“守る”ためにも、ボクたちはシャムスにーちゃんだって守るからねっ!」
 巡だけではない。そこにいるシャムスの仲間たちは、皆同じように頷いた。
「……ありがとう、みんな」
 力強く踏み出した彼の一歩を、レジーヌは見守るような優しい瞳で見つめていた。