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■4


 そのころ蒼空学園では。
「あの、ヘイズさん……私……ヴァレンタインディにチョコをお渡ししましたよね」
 レンジアが長い青髪に彩られた純情そうな白い頬を、朱く染めている。
「そうだね」
 だからこそ自分は彼女の姿を探してやってきたのだと頷きながら、ヘイズは茶色い瞳で見返した。そうしながら、両手をポケットへと入れる。その片方では、お返ししようと携えてきたペンダントの箱のベルベットが指先を撫でた。
 美少年というにふさわしい顔立ちをしたヘイズは、その茶色い瞳を静かに揺らす。その色よりも少しだけ柔らか味のある薄茶の髪が、風で静かに揺れていた。
「もし、もし良かったら、お返事をお聞きしたいのですが……」
 レンジアがはかなさの滲む声で尋ねる。するとヘイズが、視線を逸らした。端からモテそうな外見をしている上、女好きの性格をしている彼ではある。だが、いざお返しをするとなれば、緊張の一つもするものだ。
「その、私の気持ち、受け取って貰えたでしょうか?」
 何せ、眼前には頬を染めたレンジアがいる。
 しかし。
「何だろう、この周囲から立ち込める殺意というか、この、おどろおどろしいオーラは」
 ヘイズは淀んだ気配を感じた。だが彼は気にしない事にして、レンジアの豊満な胸と華奢な体躯を一瞥しながら、静かに唾を嚥下する。それからペンダントが入る箱を取り出そうと決意しながら、一歩踏み出そうとした。

 まさにその時の事だった。

――パァン、パァン。

 軽快なそんな音が響き、レンジアと彼の間にあった雪、なお詳細に言うとすればヘイズの靴の間際にあった雪が吹き飛んだ。
「なんか、面白い事件が……ってハイド君どこ行くの。ちょ、待ってよ――」
 銃を撃ったハイドの後を、息を切らしながら追ってきたのは氷雨である。
 正悟から、ヘイズと共にイゾルデに関する連絡を受けていた彼女は、てっきり蒼空学園内で現在進行中の惨事を収めに行くのだろうとばかり思っていた。ところが、さっさと歩き始めたパートナーを懸命に追いかけてきて、辿り着いた先はレンジアとヘイズの正面だった。
「良かった、やっと追いついた。ハイド君足早い……って銃声!?」
 肩で息をしている氷雨が横に立った時、ハイドはといえば、唇の片端を引きつるように持ち上げていた。かろうじて笑みを形作るようにしながら、ヘイズを凝視している。
「レンジアに近づくな。――レンジア、大丈夫か?」
 青と黄色のオッドアイを妹へと向けたハイドは、唯一心を開き対等な存在だと見なしているレンジアを引き寄せてから、再度ヘイズを睨め付けた。
「あれ、お義兄さん、それに氷雨君」
 ハイドのことをオニイサンとよんだヘイズは、うろたえつつも腕を組んだ。
 するとそこへ、同様に正悟から連絡を受けたオルフェリアが顔を出す。
 麗しい銀髪の下、青い瞳の彼女は、パートナーの幸せだけを祈っていた。
 端緒はそれこそ、パートナーであるレンジアの幸せを考え、
――ふふっレンジアさんが恋のお悩みをしているようなのでオルフェがそっとお手伝いしてあげるのですよ♪
と思っていた彼女であるが、正悟からの連絡とハイドが放った実弾を目にして一人目を瞠る。
――……って、ええ――!? お義兄さんですか?? 実弾……え? これは恋を盛り上げるための試練ですか?
オルフェリアは暫し思案し思い出す。
いわく、ペテロの手紙1の4章には、こうある。
『愛する者たち。あなたがたを試みるために、あなた方の間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ――』
つまり、これは試練なのかも知れないと、少なくとも彼女は判断した。
――なら、オルフェも心を鬼にしてお手伝いをするのですよ!
 そんな心境のオルフェリアの隣に立ち、氷雨はまだ状況判断が出来ないままだったが、笑顔で手を振った。
「あ、オルフェさんにレンジアちゃんハロー。ヘイズお兄さんも」
 脳天気そうな美少女は、挨拶してから改めてパートナーへと視線を向ける。
「で、ちょ、ハイド君何してるの!? ヘイズお兄さんの事、撃っちゃ駄目だよぉ」
 だがそんな氷雨の制止を聞いているのかいないのか。
 ハイドはといえばその、青い髪を揺らしながら静かに呟く。
「あぁ、そうだな。実弾だな。実弾じゃなきゃ意味ないだろ。大丈夫だ、急所は外してあるから。死にはしないだろ」
 レンジアの豊満な胸が己の体躯に当たる程までに腕で庇い引き寄せたハイドは、失笑するように、静かにヘイズを見据えている。
「ちょっと、待って、死ぬ……! って、実弾だったら急所外れてても死ぬから!」
 ヘイズがそう告げた時、新たなる銃声が響き渡った。
「死ねばいいのに……」
 幸いハイドのこの呟きが周囲全員の耳に入る事は無かったのだが、それらの光景を見てオルフェリアは決意した。ここで、障害を設けることによって更に恋とは盛り上がるのだろう。やはり聖書にあるとおり。
 彼女は一人そう決意し、槌を、心を鬼にしてヘイズの後頭部の急所を狙った。
 しかし、後一歩の所でかわされる。
――人体の急所は真ん中に集中しているので、なるべくヘイズさんの中心を抉るよう、痛いように、全力で殴ります。
 パートナーであるレンジアのことを考えて、彼女は無邪気に笑んだのだった。そこに悪意はない。
「って、オルフェさんまで!? ちょ、ヘイズお兄さん死んじゃう!! それにさぁ、……今さりげなくハイド君…死ねばいいって言った気が……え、何なの?」
 それらの光景を見守っていた氷雨が叫んだ。内心でも呟く。
――……一体なにが、どうなってるの……。
 苦笑しつつも首を傾げた彼女の、赤い髪が静かに揺れる。混乱しているようでもあり、呆れているようでもある氷雨に対し、オルフェリアが振り返った。
「これも全てはヘイズさんとレンジアさんの恋の為に! みたいです」
「え? 恋?」
「レンジアがヘイズさんにチョコを渡したんです。今はその返答を――」
 オルフェリアから詳細を聞いた氷雨は、あからさまな作り笑いを浮かべて瞬いた。
「え? ヘイズお兄さんリア充なの……ふーん、へぇ……」
 氷雨は、青色の瞳を無邪気に揺らしながら、一歩前へと歩み出る。
 その左には、レンジアを抱き寄せているハイドの姿が、右側には、一人息を飲んでいるヘイズの姿がある。
「ねぇ、ヘイズお兄さん」
 そのニコニコと歩み寄ってくる彼女の表情に、ヘイズは、助けが現れたのだろうかと、安堵混じりに吐息をする。
 だが。
 十二歳前後に見える少女が手にしているのは、魔銃カルネイジだった。これは少女――氷雨が、さる蒼空学園に属するヘクススリンガーから譲り受けた代物で、闇黒属性を持つ、悪鬼のエングレーブが施された銃である。
 少女は、実に良い笑顔を浮かべながら、ヘイズを見据えた。
「大丈夫! コレも愛の試練! ボクは心を悪魔に売り渡した気持ちで狙撃してるだけなんだよ」
――リア充。爆発だよね☆
 そんな言葉と内心で氷雨は、的確にヘイズの急所を狙う事に集中する。
 それに呼応するかのように、ハイドが銃を握り直した。
「大丈夫だレンジア。お前に害をなすものは俺が全部排除してやるから」
 その時優しい笑顔でハイドが、レンジアにそう声をかける。柔らかい妹の青い髪を彼は頭を撫でた。それから、現在の敵対者へと向き直る。
「お前はレンジアにとっての害だ。だから、排除する。――それとなぁ、誰か貴様の義兄だ」
 ハイドは冷徹さを滲ませる表情で、ヘイズに向かい嘲笑を浮かべた。それから彼に向かい、もう一発、銃撃したのだった。
 片方の羽がもげている守護天使の彼は、妹と別れ存在意義を求めている時に氷雨と出会い契約をして今に至っている。実際の所、妹にのみ心を開いており、唯一対等に話をするのがレンジアだ。彼は、妹にはとても優しい反面、依存している部分もあるのかも知れない。彼は元々、移り気な性格で興味を示すものが次々に変わる。けれど決して感情に左右される事は無い冷徹な性格をしているのだ。その為か、常に冷たい瞳で人と進んで関わろうとしないのがハイドである。そんな彼が、妹であるレンジアへ悪影響を与えると判断してこそなのか、宿敵であり仇敵だと判断しているからなのか、ヘイズはハイドにとって敵に他ならなかった。
 その本気で恐怖を喚起させるハイドの瞳に、ヘイズは一歩退いた。
「ヤバい……レンジア、逃げるぞ!」
 ヘイズはそう告げ、銃弾をかわしながらハイドのもとへと歩み寄った。そしてハイドの手からレンジアを奪い返すと、庇うように抱きしめる。
「っていうかこれは一体誰の差し金なんだ……!」
「正悟さんから連絡があったんです」
 オルフェリアのその声に、ヘイズは目眩を覚えそうになる。
「って、正悟! お前の差し金かッ!」
 思わず口走りながら、彼はレンジアを両腕で、かかえあげる。
「お前もリア充シネとか言ってないで周囲を見渡してみろよ!」
 そう言葉を残して、彼女の温もりを感じながら、ヘイズは走り出したのだった。


 その頃名指しされている正悟はといえば、イゾルデと彼女を止めに来た面々のすぐ傍にいた。冷静さが滲む彼の青い瞳が向かう先はといえば、イゾルデである。
「(ひぃぃぃぃ、ちょ、まっ……!)」
 ハイド達の流れ弾に、靴の端を抉られたエヴァルトが声にならない悲鳴を上げる。
 そんな中、腕を組んでアキラが尋ねた。
「とりあえず落ち着け――相手に連絡は取れねーのか?」
 黒い瞳を揺らしたその声に、千歳もまた頷く。
「相手の名前を教えてもらって、もし知っている生徒だったりしたら、どうして来なかったのか確認してもいいぞ?」
 パートナーのその声にイルマが嘆息する。
「確認してもいいぞ、って千歳。男子学生の知人なんていないじゃないですか……」
 イルマの声に、千歳が慌てるように息を飲む。
「みんな死ねばいいのよ、死ね、死んじゃえ!」
 ハリセンにより一時的に我に返っていたらしいイゾルデが、再び喚き始めた。
 それをみて千歳が、肩で息をしながら、威圧を発揮する。険しくも凛とした彼女の瞳が、場に強い印象を与えた。すると怯むように、イゾルデが何度も瞬く。
「第一、相手が蒼学生とも限らないです」
 だが構わずに、イルマが続けた。
「わ、分からないじゃないか」
 威圧を止め、千歳はふてくされるように視線を背ける。
「分かります――それよりも、イゾルデさん。本当にここで待ち合わせをしたのですか?」
 イルマがそう声をかけると、イゾルデが大粒の涙をこぼし始めた。
「間違ってない。今日、ここで約束したんだもん」
 それを聴いた、アキラが呆れたように腕を組みなおす。
「じゃ、なんかどっかでトラブってるのかもしんねーな。たまたま通りかかったら変な女に氷漬けにされちまったとか」
 彼は黒い髪を揺らしながら、氷像の群れを一瞥する。
「別に嫌われたかどーだか分からんし、相手を嫌いになったわけでも無ぇんだろ?」
 アキラの地味ながらもどこか情に厚そうな印象を残す声が、周囲へと響き渡った。
「だったら、もうちょっと信じて待ってみたら良いじゃねぇか。待って待って待ち続けて。気が済むまで待ってみて。それでも来ないようなら、諦められないようなら今度は自分が探しに行けば良いじゃねーのさ」
 彼からかけられたその声に、イゾルデが驚くように瞠目する。
 それまでフラれたという意識しかなかった彼女は、アキラのその声により、少しばかり自分を取り戻したようだった。
「そうだな。私なんて、自慢じゃないが、そもそも誘う相手もいないんだぞ。本当に自慢じゃないな……それにアキラが言うとおり、確かに相手側に何らかの事情があったという可能性だってある」
 千歳が追従するように頷く。艶やかな髪が頷くのに呼応して揺れた。
 すると遠くから響いてくる銃声をBGMにしながら、そこへ歩み寄ってきた正悟が深々と頷いたのだった。
「少し、言いたい事がある」
 彼は端整な顔立ちの中、黒い髪を揺らしながらイゾルデへと歩み寄った。
「気持ちはなんとなくだが想像は出来る」
 冷静さがその黒い瞳にも、声にも滲んでいるようだった。
 だからアインハルトを始め、その場に居合わせた皆は視線をしかと向ける。
「だがな! 聖ヴァレンタイン・ディにチョコすらもらえない男はもっと辛いんだぞ! アプローチしてフラれるとかそういった問題以前に負けてるんだよ!」
 しかして続いた彼の声に、皆は視線を逸らした。特に女性陣は困惑するしかない。
「もう一度言う……どういう結果であれヴァレンタイン・ディにチョコすらもらえない野郎達はもっと惨めなんだ! そういった人間の前で取り乱して、ある意味な、みんなの心の傷をえぐってんじゃねぇよ!」
 聴く者によれば、それはある種完全に八つ当たり気味の言葉だっただろう。だがその時そこへ彼のそんな怒声が響き渡ったのは間違いがない。
――謝れ、モテない漢に謝れ――!
 彼は言いながらも内心、そんな事を考えていた。
「確かにそれも一理あるな。で、イゾルデ。おめーさんは少なくともアプローチは出来たわけだろ? それで、ここで待っていたわけだ。だったらもう少し待ってみたらどうだ、本当にここで間違いが無ぇんなら」
 正悟の声を頷きながら受け取り、アキラが何度か頷く。
「暴れたり嫌いになったりするのはそれからでも遅くは無ぇだろ。おめーさんに待つ気があるって言うんなら、俺も一緒に――」
「兎に角……氷を砕けばいいのね」
「そうそ――……?」
 勢いで頷きかけたアキラや居合わせた一同だったが、その場に響いたモモの声に、皆が硬直した。セレンフィリティ達が驚いて視線を向ける。
 するとモモは、何かに取り憑かれたような虚ろな瞳で、路上を彩る氷像群を眺めていた。黄色いヘルメットを被り直した彼女は、周囲に削岩機の音を谺させ始める。精神的に不安定なせいか、イゾルデの言葉に悪い方面で感化された様子のモモは、右の口角を持ち上げて、引き攣るように喉で笑っていた。
 そうしてモモは、氷像と化した恋人達に突進を始めたのだった。