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ホワイト・ディAfter

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ホワイト・ディAfter

リアクション

「(えぇぇぇぇぇぇ、俺、砕かれる!? ちょっと、待っ、せめてミュリエルは――)」
 向かってくるモモの鬼気迫る表情とゆがんだ笑みと虚ろな瞳に恐怖しながら、凍ったままのエヴァルトが、動かない唇をふるわせようとした。
 咄嗟の出来事に多くの者が動けない。
 このままエヴァルトらを初めとした氷像は砕かれてしまうのだろうか。
 と、そんな状況が訪れた、丁度その時の事だった。

――パァン、パァン。

 イゾルデの周辺にいたセレンフィリティが、一歩身を引くと、削岩機を繰るモモの足下を狙うように、両手銃であるアサルトカービンから、麻酔弾を放ったのだった。遠くの小さな目標でも正確に撃てる射撃スキルであるシャープシューターを冷静に駆使した彼女の銃撃に、モモが動きを止める。
 倒れ込みそうになったモモへと、計画的にセレアナが静かに駆け寄った。
「そんな事をしちゃ駄目だわ」
「……え、だめ? あれ……私……」
 介抱してくれるセレアナを前に、我に返った様子でモモが顔を上げた。
「駄目に決まってるだろうが! 氷像を壊したら凍っている者はどうなるんだ!」
 恐怖に駆られるように走ってきたアインハルトが叫ぶ。
「氷像が砕かれればお亡くなりになるであろうな」
 武尊が、動揺している講師を落ち着けるように、あるいはさらに動揺を煽るように、冷静に呟いた。実に客観的な意見である。そんな武尊の声に、凍ったままのエヴァルトが内心喚いた。
「(全くだよ! 死ぬところだっただろ! 止めろ、本当に止めてくれ!)」
 しかし声にはならないのが、氷漬けとなってしまった事実の、悲しい点である。
 モモを連れ、セレンフィリティ達が、イゾルデ達の元へと踵を返す。
 すると思案するように、イゾルデがまつげに涙を溜めながら呟いていた。
「待つって、だって……私、私……」
「兎に角、現在イゾルデ殿がしている行為は、実に無意味なものだと我は思う」
 オールバックにした髪に触れながら、武尊が隣へ歩み寄り、そう諭した。
 セレアナに支えられながら、我に返った様子で歩み寄ってきたモモもまた頷く。
「そうよ……ドンマイ」
 嘆き悲しんでいる様子のイゾルデの側に立った彼女は、シャギーがかった黒い髪を揺らしながら、華奢な手を伸ばす。イゾルデの肩に手を置き、深く同情するようにモモは告げたのだった。どうやら、モモにもホワイトデーのお返しは無かったらしい。
「そうね、言いたいことがあるのであれば、言ってみればいいのよ。私で良ければ聴くわ」
 セレンフィリティが、懐の広さをかいま見せるように、そう声をかける。彼女とパートナーのセレアナは、外見こそ妖艶すぎる色っぽい装いだが、事態を収集させる能力には、秀でたものがあるようだった。
――それにしても。
 声をかけながら、セレンフィリティは首を捻った。アインハルトの話を聴く限り、もし彼がチョコを渡した相手であるのだとすれば、イゾルデを鎮めるのは難しそうだと彼女は考えていた。何せあの教師は性格に難がありそうである。だから、兎に角彼女の真情を吐露させて、感情を沈静化させようと思案してはいたのだったが、とうの教員を目にしても、何ら変化を見せない少女に対し、首を捻らずにはいられない。
「知らない人になんて話せないんだから。とっても複雑で繊細な問題なのよっ」
 イゾルデが泣きながら叫び返すと、武尊が首を振る。
「こちらに敵意はない。純粋に、貴殿を心配しているんだ」
――そして暴挙を止めてもらいたい。
 そこまでは口にせず、武尊は腕を組んだ。
「……あのね、いっつもいつも、忙しい忙しいってそう言うの」
「なるほどね、それで?」
 念のため、再度暴れ出した時のことを考慮して、アイスプロテクトを発動させながら、セレアナが続きを促す。それを察して、横でセレンフィリティが、女王の加護を発動させた。
「それで、それでね、あんまり会ってくれなかったんだ。本当は私と会うのが嫌なのかと思って、だけど……ヴァレンタイン・ディにね、チョコ、貰ってくれたの。その時にね、私お願いしたのよ。ホワイトデーには、返事を聴かせて欲しいって……この場所で。忘れちゃってたら困ると思って、昨日もちゃんと、また、ううっ……もう一回ね、ちゃんとね、連絡したんだよっ――……っ!! フラれたのよ、フラれたに違いないわっ!!」


「さっきからそうとは限らないって言ってるだろうが、で、待つ気はあるのか?」
 疲れたようにアキラが再度尋ねる。
「……あるもん。だけど来ないかも知れないじゃない」
 セレンフィリティやアキラの促しで、徐々に出はあったが俯きがちに、イゾルデは心情を吐露し始める。
「なら――ほらよ」
 苦笑してアキラが、この騒動の最中購買で購入してきた食料を皆の前に広げる。
「それで、結局渡した相手は誰なんだ? 名前は?」
 イゾルデの言葉を耳にしていた千歳が尋ねる。
「もう名前も思い出したくないんだもん」
 金色の髪の毛先を巻き取りながら、イゾルデが紅潮した頬を膨らませる。
「でも、待つんだろ」
 アキラがそう告げ苦笑した横では、イルマが再度ブリジットと連絡を取り合っていた。
「辛いわよね……」
 そんな彼女達を後目に、イゾルデに再び同調するかのように、ふらふらとした足取りでモモは蒼空学園の校舎の中へと入っていったのだった。
「おいおいチョコレートが待ちの食料に入ってるって……」
 アキラが購入してきた品を一瞥しながら正悟は、乾いた笑み混じりの声を発する。
「甘い物は精神が落ち着くって言うだろ」
 彼が応えたそんな最中、相変わらず遠くからヘイズを狙う銃声が、周囲には響いてくるのだった。


 その頃エヴァルトの欠けた靴を、その場にとどまったアインハルトは凝視していた。
 どうやら足そのものは無事らしい。アドルフィーネとアリスが追いかけるように、あるいは興味の対象が変わった様子で、こちらへと訪れる。生徒が無傷だという事実に心底安堵しているアインハルトの傍では、ミュリエルの氷像へとアリスがよじ登っていった。
「(わ、わ)」
 頬が動きさえしたならば動揺の声を上げたであろうミュリエルだったが、純粋にその場を楽しんでいるらしいアリスは、特に気づいた様子もなく陽気に微笑んでいる。
「可愛いネ、この氷」
 同種族の出はあったが、普段からアキラの肩によじ登っているアリスは、いつも通りに他者の肩によじ登ってみたのだった。凍り付いているミュリエルの黒い髪と、アリスの金色の髪は対照的だったが、どちらも実に愛らしい。
 その隣でアドルフィーネは、エヴァルトの一歩後ろに築かれた氷像の背後にある地面に、『最後尾』と書いた木札を立てていた。
「こうすれば作品みたいに見えるかしら――それなら、各氷像にも題名が必要ね」
「確かに彫刻としてみれば精緻極まりないだろうが……この騒動の解決が先だ」
 聴いていたアインハルトが応えるとアドルフィーネが首を傾げた。
「騒動の解決? 悪いけど、そちらでお願いできるかしら。あたしは演出で忙しいのよ」
「演出?」
「今、二つの案で迷っているんです。『身を呈して守るシスコン』と『自分の身より幼女の無事』――どちらが良いかしら」
 エヴァルトの正面にたてる木製の立て札に彫刻刀を向け、真剣さを滲ませながら緑の瞳で真摯に思案している様子の彼女に対し、アインハルトが腕を組んだ。
「俺なら『身を呈したロリコン』だな――……いや、この人物はロリコンなのか」
「(違うからァァァァァァァ! ――このまま凍っていたら、多くの人に誤解されてしまう……!)」
 エヴァルトの内心の叫びなど聞こえないため、アドルフィーネは柔和な表情で頷く。
「ええ」
「そうか。ならば『ロリコンの極み』『ロリコンの権化』――いや、俺は何を……そういう問題じゃないんだ」
「何を言うのです、大切な問題ではありませんか? このように素敵な氷像」
「……確かに一芸術作品としてみるのであれば、素晴らしいだろうな」
 何せ元が本物の人体である。
「俺は好きな建築家が一人いるんだ。俺の名も、彼から貰ったんだ。本名のファースト・ネームと一文字違いだったからだが――その建築の細部に施す意匠としても有無を言わせないほど素晴らしい彫刻だとは思う……無論、コレが本当の人間を凍らせたものだと知りさえしなければな」
「先生は建築に興味が?」
「無いことはない。ただ、俺は女性を魅了する詩を綴る方が得意だな」
「得意……ロリコンの極みだの、身を呈したロリコンだの、そんな題を考える貴方が詩を得意だと、そう仰るのですか」
「うるさい。これでも、ヴァレンタインにチョコを沢山貰う程度には、甘い言葉は得意なんだ」
「本当に貰ったのでしょうか」
「あのなぁ、これでも俺は、一応語学教師としてだな……もういい。とりあえず、補講の後始末に、一端校舎に戻る。この場のことは任せても良いか?」
「ええ。全ての氷像に、適したタイトルの立て札をつけて見せましょう」
 アドルフィーネの返答に、僅かに引き攣った笑みを浮かべながらも、アインハルトは踵を返したのだった。


 学校へと一端戻っていくアインハルトを眺めながら、残った一同はイゾルデの感情をなだめようとしていた。
「本当に、気が済むまで暴れさせてあげられれば良かったんだけどね……辛そうだし。それでも、このままにしておくわけにはいかないわ」
 セレンフィリティが、茶色い髪を揺らしながら、イゾルデと視線を合わせるように少しだけ屈んだ。一瞬だけ、氷像群を一瞥する。その隣ではアキラが、買ってきた品の内、先程まで暴れていたイゾルデがもっとも好みそうな菓子類を物色している。
「先程も告げたが、我が思うに現在の所行は愚行に他ならない。此方でお膳立て出来そうなら、其れを以て事態の収拾を図らせて欲しい。率直に謂うのであれば、氷漬けにした各所の熔化を要請する」
 武尊がそう告げると、イゾルデが俯いたまま、小さく頷いた。
 それを見守っていたイルマが、千歳の耳元で呟いた。
「念のため、学年とクラスを調べてきますわ。学内のコンピュータにアクセスして学生名簿を検索すればすぐにわかりますもの。それにお嬢様と連絡を取ったところ、歩さんがトリスタンという騎士の所へ向かったようでした。先程名を拝聴したイズールトさんが挨拶をしている相手みたいです。彼女たちのことも調べて、お嬢様にも情報を送っておきますわ」
 それを見守りながら、悠希が優しそうな表情で、金色の髪を揺らした。
「舞様は、空港でマルク様という方のお手伝いをしているようで、歩様はイルマ様が仰るとおり、トリスタン様の所へ向かったみたいですね」
「分かった。それではこちらは、イゾルデを落ち着けることに専念する」
 正義感の強そうな瞳で頷いた千歳を見て、イルマは微笑を浮かべた。
「千歳のこと、宜しくお願いしますね」
 イルマの声に、穏やかに悠希が緑の瞳で頷いた。それを見て取ってから、イルマは学内へと向かう。見送りながら、悠希は内心考えていた。
――本当の意味で他の方の力になれる、誰かのためになれる、そんな人になっていきたい。
 緑の瞳を瞬かせた悠希は、白い頬へと静かに手を添えながら、ゆっくりと吐息する。
 悠希はその優しそうな美少女と評すのがふさわしいような外見から、過去、いくつもの困難にあった。その為、以前の自分と同じ様な弱い立場の人や困っている人等を放っておく事ができないのだ。そんな過去を持ち、後に様々な出来事を経て、愛し慕った相手もできた悠希だったが、想いは届かなかった。そうした、理解し合う事ができなかった近況もまた悠希は持っている。その心の傷は未だ癒えず塞ぎ込みがちだ。だが、だからこそ悠希であれば、イゾルデの荒れた心を静めることも出来るのかも知れない。
――己の至らなさを振り返り、本当の意味で他の方の力になれる人になれるよう、努力し行動して変わっていきたい。
 そう考えているのだった。そのような思考に至る悠希ならば、きっといつか誰かに対してその思いも報われることだろう。
「だって、だって、待ち合わせに来ないってフラれたって事じゃないの? 待ってれば来るの? 来なかったらどうすれば良いの?」
「だから来るまで一緒にいてやるって言ってんだろーが、おめーさん。人の話を聴け」
 アキラが呟く。彼の瞳は、アリスが氷像の数々を踏破していく姿を一瞥しているようだった。
「ああ。この菓子パンとか、美味いぞ。もう朝から大分時間もたったし、何か食べたらどうだ」
 正悟がそう告げながら、カツサンドを頬張る。
 しかし涙を溜めたままのイゾルデは、繰り返すばかりだ。
「だって、だって」
 それを聞いていた悠希が、意を決するように口を開いた。
「あ、あのっ……お気持ちは分かりますっ。ボクも最近男の人に失恋しちゃったから……」
――ボクもイゾルテさまと似たような気持ちになっていたから……でも、そこで破滅的思考になっちゃダメですっ……!
 内心強くそう思いながら、悠希は大きく一人頷く。
「そしてボクも貴女みたいに一時は、世の中が嫌になっちゃったりしました……だけどそんなボクにも、一人じゃないよって言ってくれた女の人がいて……」
 いつかの歩の姿と声を思い出しながら、悠希は続けた。
「だから……ボクも貴女の力になりたいのですっ」
 共感する様子を見せた悠希の声に、イゾルデが、涙をこぼしながら顔を上げた。
「あの…もしかしたら――今、そのボクを元気づけてくれた女の人や友人の方達が、いろいろな人に会いに行っているんです。もしかしたら彼女達が会いに行ってる方が、その方こそが、貴女の探してる『彼』かもしれないと思うのです……違ったらって思うと怖いかもですが……」
 涙を拭いながら、イゾルデが再び俯く。
「ボクと一緒に会いに行ってみませんか?」
「成る程、待つばかりが全てではない、か。我もそう思う」
 武尊が風に揺らされた髪を、再度整えるように撫でながら、同意を示した。
「つまり、イゾルデがどうしたいのかって事だよな」
 千歳が呟くと、セレンフィリティが隣で腕を組んだ。
 煽情的な美しい肢体を惜しげもなく晒している彼女は、ツインテールを揺らしながら、コートの前をしめるように身震いする。
「連絡が取れないから、今どこにいるかも分からないんだもん――だけど有難う、みんな……っ……聴いて貰ってたら、ちょっと落ち着いてきた」
 その内心に溜まっていた不安や憤怒といった毒を存分に吐露できた様子のイゾルデを見て、セレンフィリティがパートナーへと視線を向ける。するとセレアナは、優しくイゾルデを抱きしめた。
「私、私、もうちょっと信じて待ってみることにする」
 イゾルデが出したその結論に、アキラが微苦笑を浮かべたのだった。
「だからさっきからそう言ってるだろうがよ、おめーさん」