校長室
【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第3章 白騎士、そして黒騎士 6 シャムスとエンヘドゥ――黒騎士と白騎士が、剣を交える。すでにどれだけの時間が二人の闘いを見守っただろうか。傷つき、ボロボロになっても倒れぬ二人は、荒い呼吸を飲み込んで、必死になって闘い続けた。 それを遮る者は誰一人としていなかった。遮ることは許されない。これは、二人の、たった二人の双子の闘いだ。 交錯する金属音の間に聞こえてくるのは、視えてくるのは様々な過去だった。二人で初めて東カナンへと出かけたときのこと、シャムスが黒騎士の鎧を授けられたときのこと、そして――エンヘドゥが彼女を兄と呼ぶようになったときのこと。 思えばあの時から、彼女の笑顔は偽りだったのだろうか。彼女の表情は仮面の下に隠れてしまったのだろうか。 「ぐ……!」 エンヘドゥの剣は重かった。まるで彼女の悲しみや怒りが重みとなって圧し掛かっているかのように、受け止めるシャムスの腕をしびれさせた。しかし、シャムスがその剣を弾き返す。二人は距離をとった。 荒い呼吸を吐き出す。それはエンヘドゥも同様で、彼女は憔悴しきった顔をしていた。だが、やがてその目が、シャムスを睨み据えた。 「う、ああああぁぁ!」 雄たけびを放ち、突撃してきたエンヘドゥの剣がシャムスへと打ちかかった。ぶつかり合った剣を挟み合って、互いの目の中に、互いの姿が映りこんだ。 ――そのとき、初めてシャムスは気づいた。エンヘドゥの瞳から、静かに涙がこぼれていることを。 「どうして……どうして……」 ぼそりと漏れたその声は、シャムスにしか届かぬ声だった。 「どうして……いつもあなたばかりが……!」 そして、きっと偽りの奥で叫んでいた悲痛な声だった。昏い闇の底で泣き叫ぶ少女のそれは、シャムスの中で何かを思わせたのか。 「……そうか」 彼女はそう呟くと、決死の表情で彼女の剣を再び打ち払った。鈍い音を立てて退かされたエンヘドゥを、シャムスが見つめる。 「お前は、いつもそう思っていたのか」 「ぐっ……!」 二人の会話は、二人の世界だけのものだった。 エンヘドゥはシャムスを睨みつける。シャムスはその視線を受け止めて、それでも彼女から目を離さなかった。彼女の瞳は、静かに優しい色を湛えていた。 「オレも、お前が羨ましかった」 「……え」 エンヘドゥにとっては、それは予想もしなかった言葉だったのだろうか。茫然となった彼女に、シャムスは言った。 「お前は笑顔がすごく綺麗だ。オレは、お前のそんな笑顔が羨ましかったよ」 シャムスは苦く笑った。 「オレの顔を知ってるのは、お前とロベルダぐらいしかいなかったからな……。笑顔なんて、飾り程度でしかなかった。だから……自然とみんなと笑顔で話せるお前が、羨ましくて仕方なかった」 もしかしたら、自分もそんな嫉妬から、エンヘドゥを助けようという道を拒んでいたのかもしれない。シャムスはだからこうして、エンヘドゥの闇と向かい合うことを決めたのかもしれない。自分の思いと彼女の思いを、知りたくて。 「そんなの……そんなの、いまさら……ッ!」 瞬間。 エンヘドゥの剣が振りぬかれた。だが、それをかわしたシャムスは、自らの剣も振るって――彼女を打ち抜いた。 「…………」 とっさに剣の腹を使った一撃は、エンヘドゥを気絶させるに十分だった。倒れた彼女を見下ろして、シャムスはふと思い出した。仲間たちの告げた、言葉を。 “だって、あなたたち家族はこんなにも暖かくて幸せな時を共に過ごしているんだから” それを、オレは取り戻せるのだろうか? “シャムス、お前は信じれるか? お前の領民を。この戦いの勝利を。お前が束ねるべき兵たちを……そして、お前の妹を” オレは、信じられるのだろうか? 「シャムス!」 背後から聞こえた声がシャムスの意識を引き戻した。同時に、空から降ってきた影と風を切る音に気づく。とっさにエンヘドゥを引き寄せて飛びのこうとした。しかし、間に合わない。 「!」 だが――エンヘドゥを狙って振りおろされたその剣を、なぜか、モート軍兵士の一人が受け止めていた。続けざまに、もう一人の敵兵が飛び出してシャムスを守るように構える。 「チッ……!」 「シャムスさん、いまのうちに!」 「あ、ああ……!」 敵兵に助けられて戸惑うシャムスだったが、助けてくれたということは間違いない。この隙に、シャムスはエンヘドゥを抱き上げて逃げ出した。 すると――そう離れてしまわないうちに、彼女の行く手を制したのは、いつの間にやってきたのであろう、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だった。 「亜璃珠さん……」 シャムスを一瞥して、亜璃珠は彼女の腕の中に抱かれるエンヘドゥを見つめた。その間に敵兵がシャムスたちへと向かってくるが、亜璃珠のパートナー、マリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)、そしてザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)がそれを迎撃する。神官兵が放った火炎魔法を、ルビーのペンダントの魔法障壁が弾き返した。 「ご主人様、急ぎませぬと……ここも敵兵に囲まれてしまいます」 「ええ、分かってますわ」 亜璃珠はシャムスに向けて両手を差し出した。それが、エンヘドゥを自分のもとに渡してくれということを示しているのは明らかだった。 「あなたは、自分のやるべきことがあるのでしょう? 美那は……いえ、エンヘドゥは私にお任せなさい」 シャムスは妹を見下ろして考え込んでいたが、やがて彼女にエンヘドゥを手渡した。エンヘドゥを自らの身体に受け止めた亜璃珠は、上空からガーゴイルを呼ぶ。地に降り立ったガーゴイルにエンヘドゥを乗せて、彼女は自らも騎乗した 「シャムス」 呼びかけられて、シャムスは顔をあげた。亜璃珠はまるで何かを見定めるように彼女を見つめていた。きつく結ばれていたその表情が、少しだけ優しげに微笑した。 「私は私の出来る限りを尽くすし、あなたの覚悟に付き合う気はないわ。きっと、あなたがエンヘドゥを殺してしまおうとするなら、私はあなたを倒してでもそれを止めたかもしれないわね」 それは、シャムスもどこかで気づいていたことだった。シャムスとともにいたときの彼女の瞳は、シャムスを介してエンヘドゥを見ているかのようでもあったからだ。シャムスにとって彼女が大切な妹であるように、亜璃珠にとってもエンヘドゥ――泉美那は、特別な存在だったのかもしれない。 「でも、そうはならなかった」 だからこうして、彼女はエンヘドゥを安全な場所まで逃がすために、シャムスを助けた。そんな結果を少しだけ皮肉るような笑みを浮かべたまま、彼女はマリカをガーゴイルに引き上げた。マリカの最後の放ったチェインスマイトの瞬撃が、シャムスの周りの敵を蹴散らした。 ザミエルも敵兵を蹴散らすと、亜璃珠たちのもとに戻ってきた。 「残りの敵兵は私に任せな。お前たちには指一本触れさせないよ。もちろん……エンヘドゥにもね」 ライフルの引き金が引かれると、近づこうとしていた兵士が撃ちぬかれた。 身を翻そうとしたシャムスに、亜璃珠が言う。 「生きて戻ってきなさい。エンヘドゥの光も、そしてあなた自身もね。そうじゃないと、歯切れが悪いわ」 ガーゴイルは飛び立った。 それを見送ったシャムスは、改めて身を翻した。生きて戻ってくる。その決意を、胸に秘めて。