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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第3章 白騎士、そして黒騎士 1

 戦場。
 悲鳴、剣戟、怒号に叱責と逆上の声。砂漠に広がるモート軍と南カナン軍の全面衝突は、まさに戦場と呼ぶに相応しいものだった。そして、そこを駆け抜けるのは一人の歩兵。砂地を飛ぶようにして駆ける自らの足音の中に、情報が混ざる。重要なのは気配と音。そしてそれら全てを感じ取る研ぎ澄まされた五感だった。
 歩兵――橘 恭司(たちばな・きょうじ)は走りながら身構えた。仕込まれた湾曲の小刀――ヤタガンが手の中に納まる。そして、敵陣の中に飛び込むと、容赦なく一閃した。
「がっ……!」
 切り裂かれてくずおれる敵兵。しかし血が砂を濡らすことはない。峰打ちだ。気づけば、歩兵は幾多の敵に囲まれていた。いや、自らで飛び込んだのだ。当然のことか。
「く、くそ、こいつ……!」
「うおおおおぉぉ!」
 敵兵たちが一斉に襲いかかってきた。恭司に対し、振り下ろされる刀剣は当然の如く峰ではなく刃だった。
(……当たり前か)
 それでも、恭司は峰を構えることを止めなかった。
 どこかの誰かが言った。本当に強い奴ってのは相手に慈悲や情けを掛けたりできる奴だと。それが峰打ちと繋がるかどうかは分からぬが、少なくとも恭司は、刃を向けようという気にはなれなかった。
 それでも、手加減をするつもりは毛頭ない。普段はそれなりに穏やかな色を灯す瞳が、今このときこそは刃の色と同等になった。かつては傭兵として戦場を駆け巡ったときの、血の匂い、絞り込まれる躍動感……それら全てが思い起こされる。
 すでに身体は動いていた。相手の獲物はヤタガンのみ。そう思っていた兵士たちの慢心こそが命取りとなる。砂が突然目の中に飛び込み、兵士たちの視界は奪われた。
 恭司は砂を蹴り上げた足を引き戻すと同時に、飛びかかっていた。一人、二人、三人。ヤタガンが鈍い音を立てて相手を気絶させる。視界の戻ってきた兵士が、逆上した声をあげた。
「きさまあああぁ!」
 まるでその声は、汚いマネをするなという叱責も込められているように思えた。だが、むしろ恭司は不敵に笑った。戦場で汚いもなにもない。いや、むしろスカウトであれば――地の利は生かすことこそが美徳であり、鉄則である。
「Auf Wiederseh’n」
 呟かれたそれが言語であるのかどうかすら分からぬまま、兵士は恭司の前に倒れた。彼の首に一撃を与えたヤタガンが、鈍く光っていた。
(さて、次は……)
 続けざまに敵兵は恭司を囲むが、それまでの彼の立ち振る舞いを見ていたのだろう。わずかに恐れを見せた表情で、攻撃の機をうかがっていた。
 そんな恭司の向こう側では、戦場であるにも関わらずヘッドホンを首からぶら下げたままの夜月 鴉(やづき・からす)がいた。
「……っ」
 飛び上がった彼がそれまで居た場所に、グールの一撃が放たれた。鋭利な刃となっている爪が、砂ごと大地を抉り出す。着地した鴉は、それを見て嫌な汗を覚えた。
(あんなの喰らったら……いってぇだろうな)
 まるでそんな鴉の気持ちを悟るかのよう、グールはガチガチと爪を鳴らした。しかも、一匹ではない。数体の群れをなしたグールたちが、鴉を獲物だと認識しているのだ。
 そして――
「わっ……!」
 ――襲いかかってきた。
 慌てた声を発しながらも、鴉は両手に握る二振りのカットラスを構えた。とぼけた表情が、一瞬だけ鋭いものになったとき……それまで抑えていた力が解放される。突如、グールの一体が切り屠られた。何事かと仲間たちは睨みつけたそこでは、グールの生臭い血を払う鴉がいた。
「悪いが……こっちも本気なんだ」
 我知らず独り言を呟いた鴉は、一気にグールたちと距離を詰めた。
 そして、冷気を込めたアルティマ・トゥーレの一撃を加える。一瞬のうちに切りつけられたグールが氷漬けになり、仲間たちは更なる逆上を見せた。
 だが、何事か。
 いきなり鴉は彼らに背を向けると、傍らに捨て置いてあったサンドスキーで、脱兎の如く逃げ出したのである。当然、それまで散々攻撃を避けられて怒りを露にしているグールたちは、鴉を逃がそうとはしない。必ず彼を八つ裂きにしてみせる。そんな意思をこめた鮮血の目で、追いかけてきた。
 しかし――それは鴉の思惑通りだった。
「!」
 鴉を追い詰めようと接近したそのとき、どこかから火球が飛んできたのである。それは、グールたちを突如として燃やし尽くした。グールたちが振り返ったそこにいたのは、鴉のパートナー、アルティナ・ヴァンス(あるてぃな・う゛ぁんす)だった。
「主、やりましたね」
 アルティナは挟み撃ちの格好となって、向かい側にいる鴉に言った。その表情は固く無表情であるものの、視線はグールたちを捉えて離さなかった。
 グールはとっさに標的を変えて彼女へと飛びかかろうとするが、それを阻んだのは地中から生まれた奈落の鎖ともう一つの火炎だった。
「クックック……少年、やるではないか」
「マスター、まちくたびれたんだよー」
 そこにいたのは、アルティナ以外の鴉のパートナーたちだった。まるで道化師のような仮面をはめている悪魔のジョン・ドゥ・レル(じょん・どぅれる)に、この場においてものほほんとした声を発するのはサクラ・フォーレンガルド(さくら・ふぉーれんがるど)だ。
 奈落の鎖で捕らえられたグールたちに逃げ場はない。
「主」
 アルティナの声が冷厳として響いたそのとき、鴉とサクラ、そして彼女が放つ火炎の渦は、グールたちを殲滅した。燃え盛る炎が、醜悪なる魔物を焼き尽くす。
 そうして、鴉たちは一般の兵士には手に負えない魔物たちを対峙していった。彼らのような契約者の力もあって、戦況はモート軍にとってそう一筋縄にいくものではなかった。無論――それは些細なことに過ぎない。恐らくは、このままいけば勝てる見込みは十分だった。
 だが……面白くはない。
 そう、モートは思っていた。だから彼は、兵たちを見守るだけに徹していた白き騎士に目線をやった。彼女の目は、ただ一点――南カナン軍を率いる領主へと向かれている。
「ひゃひゃはぁ……お好きにして、かまいませんよ?」
 その声が、合図となった。
 剣が構えられたと思ったそのときには、白き騎士は……虚ろで冷たい目をもって、戦場を駆け出した。