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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第2章 誰かのために 7

 敵軍の足が民たちのもとにまで届かぬように、兵士たちは進軍を食い止めようとしていた。
 素早く展開された兵士たちは、味方陣地を固く守っている。その中心となって、敵陣へと砲撃を飛ばすのは、一隻の砂上帆船だった。
「隊長! 敵部隊右舷へと展開しました。このままですと回り込まれます!」
「慌てるな! 今は魔物たちをひきつけることに集中するんだ!」
 敵軍の動きを伝えてきた部下へと、船橋の黒乃 音子(くろの・ねこ)が指示を飛ばした。
 そう。重要なのは特に戦闘力の高いモンスターを民のほうへと向かわせないことにある。展開された別部隊は気になるが、仲間を信じて自分のやるべき事をやることが戦場においては必要なことだった。
 それはひいて――民を守ることである。冷静と整然の判断を行い、民を守るのだ。
 音子は砦侵攻戦のことを思い出していた。今でも、あれを思い起こすと心が歯がゆくなる。我知らず、唇から「くそっ……」という小さな声が漏れていた。
(あの時の失敗でみんなが危機に……彼らを護れないんじゃ何のための反乱か分からなくなる。今は市民の血が必要な時じゃない! 私たちが宣誓した兵の本分が問われている時――だよね、団長)
 団長というのが、誰を指しているのかは彼女の心だけにしか分からない。だが、彼女の決意が部下として預けられた南カナンの兵たちを突き動かしているのは確かだった。
「う、右舷展開部隊、フ、フランソワさんが迎撃しています!」
「……さっすがー」
 音子は思わず感心して呟いてしまった。
 よく見れば、大型騎狼に乗ったパートナーのフランソワ・ド・グラス(ふらんそわ・どぐらす)が戦場を疾駆していた。風を切って駆ける騎狼は、自らの鉤爪で敵兵を切り裂き、フランソワ自身も振りかぶったモーニングスターを叩き込んでいた。
 更に彼女は、そこから離脱すると別の敵部隊へと突入する。一見すれば分別無きその戦いっぷりは、敵軍を翻弄するのに一役買っていた。
「一撃離脱が基本……チャンスは必ず来る」
 フランソワの攻撃に続くように、士気の高まった兵士たちもいっそう戦いに磨きがかかっていた。騎狼の咆哮が、戦場を渡る。
「砲撃準備! 撃てー!」
 音子も、負けてはいない。設置されたファルコネット砲から巨大な弾丸を飛ばし、敵軍の中心へとぶち込んでいく。銃機関銃と対空機銃も部下たちの引き金とともに火を噴いた。その船尾にはためくイナンナを模した旗が、まるで彼女の加護を物語っているかのようであった。
 なぜか――その加護を受けているであろう音子の服装が猫を模したスク水風デザインなのが、若干異様な光景ではあるが。とはいえ……
「なんか後ろから凄く視線を感じ……にゃーあ、ボクのお尻みないでー」
 その艶かしいラインに敵兵の目が奪われるのは、ある意味で戦術的意味合いがあるのかもしれなかった(故意かどうかは定かでない)。
 そんな音子たちの帆船からそう離れていない場所で、戦旗ではない当の本人のイナンナもまた敵と戦っていた。彼女の扱う聖なる魔法は、ともに戦う朔や斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)たちを加護してくれる。そうでなくとも、兵士たちにとってはイナンナがともにいるというだけで十分な活力だった。
 それでも、イナンナは決して戦闘に向いた女神というわけではない。戦場を掻い潜って彼女に襲いかかる敵兵もいた。だが、その動きは突然震えて止まってしまう。
 戸惑う敵兵に、邦彦が不敵な笑みで小さな粉袋を見せた。気づけば、敵兵の周りの空気に粉が浮いていた。
「悪いな。しびれ粉ってやつだ」
 しびれて動けなくなった兵士はそのまま正面から倒れる。他にも敵兵はイナンナへと向かってくるが、邦彦は転進して左手でその攻撃を受け止めた。
 苛烈な金属音が鳴り響く。左手の義手と刃がかち合った音だ。そのまま相手の剣を弾き上げると、彼はその義手の鋼を利用して敵を一撃のもとに仕留めた。
「さすが……頼りになるわね、邦彦」
「お嬢ちゃんを守ること。それが俺の仕事だからな」
 邦彦はイナンナに軽く答えた。彼の傍で、別の敵兵を仕留めたパートナーのネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)は、その返答に頭を痛くする。兵士たちが尊敬と信望を寄せる国家神をお嬢ちゃん呼ばわりするというのは、いかがなものか?
(邦彦、了承得たって本当なのかい? やめた方がいいんじゃない?)
 ぼそぼそっと耳打ちするネルに、邦彦が気づいた。彼はふむ……と頭を捻るが、やがてあっけらかんと答えた。
「まあ、いいんじゃないか? イナンナぐらいの歳はお嬢ちゃんだろ」
「いや、しかし……」
「……それにこう言ったら何だが、国家神とはいえ、唯一の希望として全国民から一心に受けるそのプレッシャーはすごくでかいんじゃないのか?」
 ネルは口をつぐんだ。確かに、そうかもしれないと思ってしまったからだ。
「一人ぐらい、気安く話しかける奴がいてもいいだろう? 余計なお世話かもしれんがね」
 邦彦はなんともなしにそう告げると、次なる敵の攻撃を弾き返した。
 ネルも、再び振り返って邦彦と背後を接するようにして戦う。その最中にありながらも、彼女は考えてしまっていた。もしかしたら邦彦は、自分が思っている以上に色んな事を考えているのかもしれない、と。
(なんとなくお気楽に言っているだけかと思っていたが、そうではないのかもしれないな)
 くすりと微笑して、ネルはイナンナと邦彦に目をやった。
 お嬢ちゃんとボディガード――そんな二人の関係を守るためにも、ネルは仕込んでいる暗器の刃を振るった。
 そのまま民を守るために戦い続けるイナンナたちであったが、しかし。もともとの兵数の差、それにモンスターの力は驚異的だった。最初こそ相手の動きを読んで出鼻をくじくことが出来たものの、徐々に南カナン軍の力はそがれつつある。朔や邦彦たちだけでは対応できない敵兵の手が、イナンナに伸びてくることもあった。
 そんな彼らの前に、いきなり影が舞い落ちた。空から、何かが降ってくる……?
「なに……!?」
 ドカン、と音を立てて着地したそれは、二体のガーゴイルであった。奇声のような鳴き声をあげたそいつらの背中に乗っていたのは、ランツェレット・ハンマーシュミット(らんつぇれっと・はんまーしゅみっと)とそのパートナーたちだった。
 突如現れたガーゴイルに敵軍が慄いているうちに、シャロット・マリス(しゃろっと・まりす)ガーゴイルから飛び降りた。更に、ランツェレットと、同じパートナーであるスクルト・クレイドル(すくると・くれいどる)数学書 『アカデメイア』(すうがくしょ・あかでめいあ)も続けざまに飛び降りる。
「姉さん、援護して!」
「分かったわ」
 事前の作戦通り、ランツェレットは魔力の衝撃波を放った。空圧が一気に敵部隊を吹き飛ばし、時間を稼ぐ。その間に、シャロットがイナンナたちへと次なる指示を告げた。
「皆さん、防御呪文を使うから僕の周りに集まって、密集隊形を取ってください!」
 突然のことに多少の戸惑いはあったものの、今はシャロットの判断が適切だと理解できた。すぐに周りへと密集した兵士たちに、シャロットが聖なる加護の力を拡大させる。シャロットだけではない。ランツェレットともまた、義弟に続いて防御呪文を解き放っていた。
「こいつは……すごいな」
 お互いの防御呪文が生み出す相互効果は強力なもので、思わず邦彦はそんな声を漏らす。だが、感心しているばかりではいられなかった。敵兵は、一気に押し寄せる。
「後方から来る、盾を構えて!」
「背後は任せといて!」
 後方からも突撃してきた兵士に向けて、スクルドが飛び出した。彼女は、南カナンの兵士たちが軒を連ねて構えた盾の上に、まるで曲芸のよう飛び乗ると、そのまま三尖両刃刀で敵を切り裂いた。身軽な動きが、敵を翻弄する。
 だが、敵兵の数は群れのようになって押し寄せた。シャロットの剣も敵を切り払うが、それだけでは止められない敵の槍が彼の肩を突き刺した。激痛が走るが、なんとかそれに耐えて相手をなぎ払う。防御力がどれだけ上がったとしても、全ての攻撃に耐え切れるほど甘くはなかった。
 左右で敵をなぎ倒していたガーゴイルが、敵の一斉攻撃を前に破壊されてしまう。やはり、大きいがゆえに的になってしまったか。
「気を張って! 戦いは長引かせない!」
 シャロットの声に呼応するかのように、宙から無数の虫、そして地中からはサンドワームが飛び出してきた。それはランツェレットが呼び起こしたものだ。
 多少の時間はかかっているが、ここまでは想定内だった。虫たちとサンドワームは決して戦うことはしなかったが、無数に飛び交うその様は嵐のようでもあり、サンドワームの移動は大地を揺るがしてくる。敵兵の戦場を引き裂き、混乱を起こすには十分だった。
 サンドワームは敵兵を混乱に陥らせるだけではない。彼の通った跡は大きな堀を作り、戦場に高低差を生み出した。戦場は、分断される。
「引いて下さい、イナンナ様」
 振り返ったシャロットが言った。
 イナンナははっとなって彼を見つめた。凛とした少年は、まるで騎士が使命を全うするかのごとく毅然とした態度を崩さなかった。それは、装飾の施された盾と鎧で、いっそう引き立たせて見えたものでもあった。それでも、荒れた呼吸と疲労の色は隠しきれない。彼が憔悴しているのは明らかだった。
 イナンナは瞳に迷いの色を伺わせた。だがやがて、意を決したように言う。
「…………分かりました」
 イナンナはそれ以上のことは何も言うことはなかった。身体を蝕もうとする疲労は、シャロット自身が一番よく分かっていることだった。
 後退するイナンナたちの背中を見送ったシャロットに、ランツェレットが声をかける。
「よく耐えたわ。……必死なのバレバレだけど……わたくし、あなたを誇りに思いますよ」
「姉さん」
 少しだけ気恥ずかしそうにして笑っているランツェレットを見て、シャロットも笑いかけた。だがすぐに、二人は敵軍に向き直る。分断されたとはいえ、混乱から戻りつつある敵兵たちはすぐにこちらへと攻撃を仕掛ける構えであった。
「お待ちください、シャロット様」
「え……」
 剣を構えたシャロットに、アカデメイアが近寄った。彼はシャロットに手をかざすと、魔法への耐性をあげる呪文を唱える。魔力が身体に満ちてくる不思議な高揚感にも似たものが溢れてきた。
「戦いは、終わっていないのでしょう?」
 アカデメイアは不敵に笑った。そう、彼の言うとおり……戦いはまだ終わっていない。だから――
「うん」
 シャロットは、この先にある何かを掴もうとするように、剣を握った。