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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第2章 誰かのために 2

 迎撃準備は整えられていた。
 すでに遠くに見えるのは、無数の大軍の影である。圧倒的にこちらの数を凌駕したそれは、まるで黒い波が押し寄せてくるかのような錯覚を覚えた。
 そんな黒い波を、シャムスの近くで軍列の前にいるアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が見つめていた。彼の周りでは、スライムやゴーレム、スナジゴクにガーゴイルといったモンスターたちも迎撃の準備を整えて、せわしなげに鳴き声をあげていた。
 そしてもちろん……パートナーのルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)セレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)もまた彼とともにいる。
「こうやって見るとえらい多いな……ま、戦なんてものは数じゃねぇ。作戦がものを言うんだ。数の差なんて作戦でいくらでもひっくり返してやるぜ!」
「ふむ。ではどんな作戦でいくのかの?」
「『ガンガンいこうぜ!』」
「それは作戦とは言わぬわぃ」
 もはや二人の間ではお馴染みとなりつつある光条兵器のハリセンを取り出したルシェイメアが、アキラの頭をぶっ叩いた。スパーンと軽やかな音を立ててはじける頭。
 いつもの調子そのものであったが、ルシェイメアはふと、アキラの足がぶるぶると震えていることに気づいた。
「……怖いか、アキラ?」
「こ、怖かねぇ! これは武者震いってヤツで……」
 どう見てもそうは思えないのだが、彼はあくまでも言い張って気丈に振舞おうとし、空回りしていた。そんな彼をじっと見つめるルシェイメアの目はいかにも疑わしいといったものだが、あえて彼女は何も言わなかった。もちろん、このままアキラがあくまでも武者震いだと言い張るのならそれまでだったが――観念して、アキラは呟いた。
「……ああ、怖い。すげーこえぇ」
「うむ、それでよい。自分の弱さを認める事は弱さではない。むしろ強さじゃ。それにな、アキラ。はき違えるでないぞ。ワシらの目的は敵をせん滅することではない。民を守ることじゃ。民さえ守れれば、とっとと逃げてしまえばよいのじゃ。生きてさえいれば、いくらでも強くなってまた奪い返しに来れるからの」
 それが現実的に可能かどうかは問題ではなかった。少なくとも、ルシェイメアのその言葉は彼は励ますもので、アキラは少しだけ気持ちが前向きになった気がした。
「そっか。そうだよな……よし! ……いけるか、皆?」
 ルシェイメアは力強く、セレスティアは穏やかにほほ笑んで、そしてアリスは拳をつき上げて元気一杯に――それぞれがアキラに返事を返した。周りにいたモンスターたちも、いつの間にかそれに呼応して思い思いの猛々しい気合の鳴き声をあげている。
「よおっしゃあああいくぜええ! 開き直った小心者の力、とくと見せてくれるぁぁあ!!」
 何事かと仲間たちまで思うような叫びがあがった。
 怖さはまだある。きっと、それはずっと消えないものだ。しかしアキラは思った。そんな自分の恐怖を消し去ってくれるほどの頼もしい仲間たちが、自分にはいるのだと。そう思えば……震えた足などどうとでもなりそうな、そんな気がして、いつの間にか足の震えは止まっていた。
 そんな、味方の兵士たちにまで浸透するかのような気合を入れるアキラたちを間近で見ていたシャムスのもとに、緋山 政敏(ひやま・まさとし)が近づいてきた。何事かと怪訝そうな表情のシャムスに、彼が言った。
「なあシャムス……エンヘドゥとのこと……時間をくれないか?」
「時間?」
「あいつと話したいって奴もいるんだ。手を出さないでいてもらいたいと思ってさ」
「そんなことは……」
 政敏のその提案はどうにも受け入れがたいものに思えた。反意を示そうとしたシャムスだが、その前に政敏が言う。
「もちろん、別に戦うなって言ってるわけじゃない」
 遮られたその言葉に、シャムスは口を閉ざした。
「あいつが今、敵であることは事実だ。それに、南カナンを潰そうとしていることも。でも……モートのことを考えてみてくれ。アレはきっとエンヘドゥと対峙する俺たちの時間を楽しみにしているはずだ」
「…………」
「エンヘドゥと話す時間は、敵兵に対する対策を講じる上でも時間稼ぎになる。だから、しばらくは手を出さないで任せてくれないか。もちろん――あいつが誰かの命を奪おうとするなら、そのときは……俺も容赦なく戦う」
 正面の敵を見つめていた政敏だったが、最後の言葉だけはシャムスの目を真っ直ぐ見つめて言った。それは、彼なりの真摯な思いを伝えたものだったのだろう。
 彼の頼みに、シャムスは沈思した。釈然としない思いはあったものの、彼の頼みを聞き入れるリスクは決して大きくはない。それに、時間稼ぎという点では、考慮するに値する部分もある。
 シャムスとて、無理に強敵に無謀な攻撃を仕掛けるつもりはなかった。問題は防衛を成功させることにある。砦の時とは違って、侵攻ではないのだ。時間が稼げるなら、それに越したことはなかった。
「好きにしろ」
「助かる」
 元々、シャンバラの契約者はシャムスの完全なる指揮下にあるわけではない。あくまでも援軍である。もしも彼らが自分の指揮に従わず別行動を取ったとしても、シャムスにはそれを咎めるつもりは毛頭なかった。
「だが、こちらの判断で敵を討つこともある。それを、理解しておけ」
「ああ……分かってるさ」
 きっと今の自分は、エンヘドゥを救おうと奮起してくれた契約者たちには非情な者に映っているかもしれないな。そんなことをシャムスは思った。
 いや、事実……自分は非情で、身勝手な者なのかもしれなかった。だから、こうして今は兵士の信頼も失いかけているのかもしれない。
 だが、それでも――オレがシャムスである限り。領主シャムス・ニヌアである限り、南カナンを守るために、カナンの民を守るために戦うことが、オレの責務であり自分の選んだ道なのだ。
(来い、モート!)
 迫りくるモート軍に向かって、シャムスの剣が掲げられた。
「全軍……進軍せよ!」

 シャムス率いる南カナン軍がモート軍を視認した頃――巨大飛空艇エリシュ・エヌマの艦内ではローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)たちがシステムの解析に取り組んでいた。
 整備士以外の立ち入りを禁じている機関部へと潜り込んだ彼女は、その最奥部にある物々しい機械を前にしていくつかのモニタとにらみ合いをしていた。彼女の前にある機械の窪みに埋め込まれているのは、ヤンジュスの古城から見つかった宝珠のような機晶石だ。それは機晶石の色そのものである青みがかった光をぼんやりと発しており、機械からは無数のコードが絡み合って機関部の各部位へと繋がっていた。
 むー、と唸る声を漏らすローザマリア。そんな彼女を見ていたもう一人のアーティフィサーが戸惑いながら声をかけた。
「ロ、ローザマリアさん……顔が怖いって」
「そんなこと言ったって仕方ないわ。これ、難しすぎるんだもの」
 ローザマリアは久我 浩一(くが・こういち)に答えると、更に眉間にしわを寄せた。
「それよりも……あなたのほうはどう? 記録は残ってた?」
「んー、それが……問題はここだと思うんだけど、ちょっと回路がややこしくて。それに、プロテクトも厳重にかけられてるみたいだ」
「どれ? ちょっと見せて」
 ローザマリアは頭を悩ませる浩一のもとに近づいてくると、そのまま彼の肩越しに問題の回路を確認した。そのとき、彼女の顔が予想以上に近く、顔を真っ赤にした浩一がわたわたと慌てたのは男であれば仕方のないことだと思われる。
「なに、どうしたの?」
 男女の距離の近さを気にする性質ではないのか、あるいは集中しているためか。ローザマリアは突然慌てだした浩一に怪訝そうに尋ねた。
「い、いや、ちょっと……」
「もう、そんな離れると見えないから」
 もはやワザとかと疑われるほどに――現実は違うのであろうが――ローザマリアは浩一に密着して回路を調べ、やがて、
「よし、出来た。これでいいはずよ」
 回路の解析を終えて浩一の傍から離れた。ようやく緊張から解放されて浩一は安堵の息を漏らす。確認してみると、確かに解析は万全に終わっていた。機晶石を機械に組み込んだときの分析もそうであったが、実に優秀なテクノクラートだと、浩一は感心するばかりであった。
 と、そんなとき――突然艦全体のランプが赤く点滅し始め、警報の音を発した。
「な、なに……!?」
 これは、ローザマリアがパートナーたちに頼んで配置してもらっていた警報装置の音である。ローザマリアの疑問に答えるかのように、無機質な機械音声が敵兵の侵入を告げていた。どうやら、相手もやはりこのエリシュ・エヌマへと別働隊を動かしていたらしい。
 出来れば警報装置も使用されずに終わることを望んでいたのだが、そうもいかないようだ。機械音声が鳴ってからそう時間も経たないうちに、遠くから銃声や金属音、そして悲鳴と怒号のようなものがいくつも聞こえてきた。
 とっさに身体が動き出そうとするが、浩一は自らのその衝動をなんとか収めた。今は敵兵よりも情報の解析を急ぐべきだ。エリシュ・エヌマの起動だけではない、ある目的のためにも。
 ローザマリアを見ると、どうやら彼女は敵の迎撃のために艦橋のほうに向かうようだ。
「浩一さん……」
「俺のほうはいい。とにかく、今は残されてるシステムの解析を急ぎたいんだ。敵のほうは……任せた」
 彼を一人残していくことは気がひけたが、この機関部の入り口にも迎撃のための準備は整えられているはずだ。そうそう簡単にやられることはあるまい。
「気をつけて」
「ええ……あなたもね」 
 最後に浩一にそう言って、彼女は艦橋へ向けて走り出した。艦内を守るのは南カナン兵、そしてローザマリアたちだ。彼女たちならきっと艦を守ってくれる。
 浩一は、そう信じていた。