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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第3章 白騎士、そして黒騎士 8

 それまで、南カナン兵たちの間に広がっていたのは震えだった。それは、諦めであり、失望であり、大量の敵兵を前に次々と殺されていく仲間を見て思い出される、恐怖であった。必死で戦い続けてはいるものの、兵士たちの目に希望の色は見出せなかった。
 事実、過酷な状況だったことは間違いない。数があるゆえに多様な動きを可能とする敵部隊に、味方の兵士が翻弄されている。確実に、一歩ずつとは言えないようなスピードで、南カナン軍は押し込まれていた。
 だからこそ、兵たちは希望を見ることができないのだ。現実の壁が、目の前の視界を覆ってしまい、力を奪いつくすのだ。
 しかし、それでも――シャムスは諦めなかった。民を守るため、仲間の兵を守るために、彼女は前に立つ。その姿は、かつてのシグラッド・ニヌアの姿を彷彿とさせた。
 だからだろうか。兵士たちの間に広がっていたのは、ある種のざわめきだった。それは、心の奥から湧き上がってくる、かの者とともに戦いたいという兵士特有の高揚感だった。
 そんな兵士たちに向けて、いまだシャムスへの疑念を叫ぶ者たちもいる。しかし彼らに――麻羅とヒラニィがぬっと近づいていた。
「う、うわぁっ、なんだ、お前らっ!?」
「ふぅむ……実はな……なんでも兵士の中に偽装兵が紛れ込んでいるのはないかという疑問があってな」
「おぬしら……先ほど隠れてこそこそと敵兵に合流しておった連中ではないのか?」
 麻羅とヒラニィは互いに不敵に笑うと、兵士へと詰め寄った。兵士の表情がひきつる。
「な、なにをそんな馬鹿なことを……」
「……今さらしらばっくれて済むと思うでないぞ! ヒラニィ!」
「分かっておるわ! いちいち命令するでない!」
 麻羅の合図とともに、ヒラニィがあらかじめ仕掛けていたトラップを発動させた。地中に埋もれていたカゴのようなものが、一気に偽装兵たちを閉じ込める。
「鳳明、今こそぞ」
「うん! ありがとう、ヒラニィちゃん!」
 兵士たちがシャムスの戦いに己の中の疑念と葛藤していたとき、琳 鳳明が叫ぶ。
「シャムスさんの覚悟……みんなはもう知っているはずよ! その覚悟に応えるためにもまずはこの戦いに勝とう! そして皆で生き残ろう! 今は……南カナンの為に戦う仲間。それ以上でも以下でもない。私も、皆も、勿論シャムスさんも!」
 偽装兵はもういない。悠希も同様に、鳳明に続いて叫んだ。
「皆! 確かにシャムスさまは皆を騙した! だが……それは皆を想うが為……。妹をこれ程大切に愛せる方が、皆の事も大切に想っていない筈がない! 今一度問う! シャムスさまが皆の領主として、相応しいか否か!」
 相応しいか否か。そんなもの、もう答えは決まっていた。
 兵士たちが咆哮したことが、その答えだった。
 そのとき……まるで運命の歯車が廻り始めたかのように、空にエリシュ・エヌマの姿が見えた。巨大なその神の翼は、皆を守るための翼となって飛んでいる。操るはローザマリア。彼女の指揮のもと、今一度エリシュ・エヌマは息を吹き返したのだった。
 それだけではない。
「あれは……」
 それを見つけたレン・オズワルドが、茫然としたように声を漏らした。
 旗だ。巨大な旗がはためかされて、その大軍はやってきた。またモートへの援軍か……? そんな不吉なことも思ったものの――旗に描かれる紋章を見て、レンは目を見開いた。
「東……カナン!?」
 大量の軍勢を率いて、先頭に立つ騎士の姿。セテカ・タイフォン、それにバァル・ハダドだ。バァルが掲げた剣が振り下ろされると、東カナンの兵士たちは戦場に突入した。
「行け! 我ら東カナンの力を見せつけるのだ! これ以上、ネルガルの好きにさせてはならぬ!」
 憔悴した南カナンとは比べ物にならない兵の数がなだれ込み、モート軍とぶつかり合った。それまで明らかに不利とされていた兵数さえも、それが補ってくれる。呆気にとられたレンの前に、馬に乗ったままセテカとバァルがやって来た。
「久しぶりだな、レン・オズワルド」
「一体、いつ南カナンに?」
「先ほど着いたばかりだ。ギリギリになってしまったが、間に合って良かった」
 セテカはそう言って、レン同様に呆気にとられた顔をしているシャムスへと視線を送った。シャムスへと襲いかかってきた敵兵に、彼が迷わず矢を放つ。突き立った矢に苦悶して倒れた敵兵を確認すると、シャムスはすぐにセテカのほうへと向かってきた。
「セテカ・タイフォン……それにバァル様」
「久しぶりだ、シャムス……黒騎士の仮面はもうはずしてしまったのか」
「皆には、バレてしまったのでな。いや、そんなことはどうでもいいの。それよりもなぜここにお前たちが……?」
「南カナンの危機だと聞いたものでな。それを聞いて黙っていられるほど、俺も薄情ではない。それに、ネルガルに対する戦力の要でもある。なんとしても、南カナンには生き残ってもらわねば、な」
 現実的な物言いであったが、シャムスはそれがセテカの優しさだとも知っていた。だから、彼女はそれ以上なにも言わずに笑って見せただけだった。
「シャムス……こちらの戦力は南カナンの戦力と思っていただいて構わない。わたしからも、兵士たちには君の指示に従うように命令してある。もちろん、このわたしも」
「バァル様、しかしそれは……」
 お互いにまだ若き領主であるが、短いなりにシャムスよりもバァルのほうが経歴は長い。まだ若輩者の自分がバァルがいるにも関わらず指揮をとるなど、と彼女は思っていたが、バァルはそれを一笑した。
「軍事に関しては、悪いがわたしよりも君の方が上だろう? 遠慮はするな。それに、ここは南カナンだ。君の守るべき土地――いや、守りたい土地を、君の力で守ってみせんだ」
「バァル様……」
 頷いたシャムスは、東カナンの兵士たちへ指示を飛ばした。彼女の指示に従って、展開されていない中央陣地を中心に動き始める東カナン兵たち。
 と――そのとき、戦場に異質な反響する声色が聞こえてきた。
『聞こえる? みんな』
 聞こえてきたそれは、羽瀬川 まゆり(はせがわ・まゆり)の声だった。大音量で流されるその声質は、すぐにマイク越しのものだと知れた。迎撃を続けながらも、兵士たちは突然聞こえてきたその声に意識を傾ける。敵兵たちも、戦場においては異質かつ突発的なそれに、思わず足を止めていた。
 しばしの間が空くが、やがて声は告げた。
『……確かに、今は大ピンチよ』
 それは容赦のない一言だった。しかし、次に続けられた声は、決して失望の色を湛えてはいなかった。
『でも、だからと言って諦めちゃダメ。それに、こうして東カナンの人たちもやってきてくれて、エリシュ・エヌマだって動き出したんだから』
 そのとき、誰かが声を漏らした。そして、みんなの視線が集まる。
 戦場の中央をマイクを持ちながら歩くまゆりの姿は、きっと恐らくは場違いで、今すぐにでも彼女をその場からひっぺがすのが正しかったのだろうが――その決然とした表情に、誰もが目を奪われてしまっていた。
『大切な人、守りたい人が、みんなにはいるはず。それを守るためにも、私たちは、諦めることはしない……そうでしょ? 背負ってるものが、私たちにはあるんだから!』
 あれは、魔力の言霊だ。そして、それに気づいたときには、すでにまゆりの歌は始まっていた。もう、なんていうか、そう――ロックな感じに。
「ワタシの歌をきけえええええぇ!」
 南カナンに響き渡ったその声は、兵士たちに無限の力を与えてくれるようだった。彼女だけではない。まゆりに続いて、鳳明やノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)も魔力を乗せた歌を戦場に響き渡らせる。歌を背にした戦況は、いつしか南カナン軍の優勢へと移り変わろうとしていた。
 そんな状況を見て、レンは静かにほほ笑んでいた。
(シャムス……お前の作り上げてきたものが無駄でないことは、もう誰もがわかっていることだろうな。こうして、全てがお前に集おうとしている。お前の為……お前の作り上げた南カナンのために)
 レンはパートナーであるメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)とともに、何かが変わり始めたことを実感していた。いや……変わったのではない。あるいは、作り上げられたのかもしれない。きっかけ……そして理想。
 理想は、作り上げることができる。そう信じて――彼は銃声を虚空に撃った。
「さあ、ここからが俺たちの反撃だ」