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アグリと、アクリト。

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アグリと、アクリト。

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chapter.10 実験結果(8)・女好きとテラスの神様 


 夕方を迎えたみなとテラス。
 昼間に起きた飲み比べ事件や、みなと公園で起きた様々なアクシデントと同じくらい騒々しい事件が、今この時、ここで発生しようとしていた。
「はあ、はあ……まったく、逃げ足だけは一人前だな」
 息を切らしながら遠くを見つめているのは、南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)だった。その近くに、契約者である琳 鳳明(りん・ほうめい)の姿は見えない。ヒラニィの発言から察するに、鳳明はどこかへ逃げさってしまったようだ。何から逃げたのか? それは、他でもないヒラニィからだった。時間を少し巻き戻してみよう。

「いくら特殊装置でも、ボンキュッボンの美女にはさすがにならなかったね」
 細胞活性化実験を受けた少し後のことだ。鳳明は、被験者であるヒラニィの外見が変わっていないことを見てそう告げた。ヒラニィ曰く、「地祇は、既にちぎのたくらみを使ってこの格好になっているのだ。つまり、わしに眠っている性質が目覚めれば、幼女化する前の姿に戻るに違いない」だそうだ。が、残念ながら実験後、ヒラニィの望むような結果にはならなかった。
「まあ、ダメ元であったからな……!?」
「ん? どうしたのヒラニィちゃん?」
 鳳明と普通に話していたヒラニィは、彼女の横顔を見た途端胸がきゅんと痛んだ。
「ちょ、ちょっとヒラニィちゃん、鼻血出てるよっ!?」
 ズキズキする胸の痛み。たらりと滴る鼻血。これは病気だろうか。否、恋だ。
「……え?」
 うっとりした目で見られ、鳳明は戸惑う。ヒラニィは、姿こそ変わらぬままであったが、代わりに新たな性癖を目覚めさせていた。それが、「女子萌え」という性癖である。
「くふ、ふふふ……」
 流れ出る鼻血すら気にせず、ヒラニィはじりじりと鳳明との距離を詰める。その口からは、じゅるりと舌なめずりの音が聞こえていた。
「そういえば、長いこと土地の精霊として生け贄を頂いておらなんだな」
 びくっ、と本能的に危機感を覚えた鳳明は、完全にひきつった表情でくるりと体を反転させ、全力でダッシュした。
「あ、待て、待つのだ!」
 そこから、彼女たちの追いかけっこは始まった。

「仕方ない、こうなったからには、他の女子を狙うとしよう」
 目に不気味な光を宿したままのヒラニィは、保護者がいなくなったのをいいことに、女子狩りへと出発した。
 そんなヒラニィが最初に見つけた獲物は、テラスの脇を通りがかった時に見かけたホーク・キティ(ほーく・きてぃ)だった。キティは、契約者である赤城 長門(あかぎ・ながと)と向かい合い、つまらなさそうな表情をしていた。
「キラキラ輝く金色の綺麗な髪……よし、最初の獲物はあやつだ!」
 逃げられないよう、こっそり接近するヒラニィ。しかし途中まで近づくと、何やら様子がおかしいことに気付く。どうも、長門とキティの間に殺伐とした空気が流れているようなのだ。
「……とりあえず、一旦様子を伺うとするかの」
 茂みに隠れ、ヒラニィはふたりのやり取りを観察することにした。風に乗って、ふたりの会話が聞こえてくる。
「さあどうした、遠慮なくかかってくるけん!」
「……」
「鷹斗神拳の力を極限まで高めたんじゃろう? なら、オレの拳とどっちが強いんか、力比べじゃ!」
「……」
「さあ! さあ!」
「……」
 会話、というよりは、どうやら一方的に長門がキティに話しかけているだけのようである。キティはただただ冷めた目で、じっと長門を見つめている。上半身裸で汗を浮かべ、革のパンツだけを履き、不敵な笑みを浮かべている長門のことを。よく見ると、彼のパンツのチャックは開いていた。
「……変質者なのであろうか」
 ヒラニィが、小声で呟く。長門としては、細胞が活性化したキティと決闘がしたくて堪らなかっただけのようである。今まで散々踏み台にされたり盾にされたりとキティに酷い目に遭わされてきた彼は、このあたりでどちらが上か、ガツンと分からせようとしていたのだ。あえて活性化した彼女と闘おうとしたのは、相手が本気でなければ面白みがないためであった。
 が、長門の思いとは裏腹に、キティはまったく取り合おうとしていなかった。なぜなら、彼女の技、鷹斗神拳が長門には意味のない拳だったからである。
「……鷹斗神拳とはナイスバデーを残念バデーにするために開発した拳なのだから、こんなとこで使っても意味がないのよネ」
 やっと口を開いたキティは、やたら説明口調だった。ちなみにその効果のほどは甚だ疑問である。
「怖じ気づいたんか!? さあ来るけん! さあ!」
 長門が挑発する。すると、彼はポン、と後ろから何者かに肩を叩かれた。
「ん?」
 振り返ったその先にいたのは、みなとくうきょうの警備員である。「ちょっと来てくれるかな」と腕を掴まれ、長門はずるずると警備室へ連れて行かれた。過激なルックスでさあさあ言ってた彼を見て、ヒラニィが警備員を呼んでいたのだった。
「待つけん! まだ勝負が始まってもいないけん!」
 そう主張する長門の声は、次第に小さくなっていった。
「さて、これでターゲットがひとりになったな。ゆっくりごちそうになるとしようか」
 茂みからヒラニィが出ようとする。が、またもや異変を感じ取り、飛び出すのを控えた。キティが、何やら自分の体をまじまじと見つめているのだ。
「……? 何をしておるのだ?」
 次の瞬間、ヒラニィは驚くべき光景を目の当たりにする。なんと、キティは自らの体を自らの拳で殴りつけたのだ。
「!?」
 おそらく、元々胸の小さな自分に神拳を使ったらどうなるのか気になり、試したくなったのだろう。だが、それは端から見たら狂気の沙汰としか思えない行動だった。
「あ、あの子はやめておくとするかの……」
 これにはさすがのヒラニィもひき、すごすごとその場を後にした。なおキティの方は、自分でお腹を殴ってしまったため腹筋を痛め、ぷるぷるとうずくまり続けていた。



 ビアガーデンのあるスペースまで移動したヒラニィは、どこかにまともな獲物がいないか、物色していた。
「お……あの子らなんか良さそうではないか。上品そうな感じが堪らんな……よし、今度こそ」
 そう言ったヒラニィが見つけたのは、テラスのテーブル席に座っている刹姫・ナイトリバー(さき・ないとりばー)とパートナーの黒井 暦(くろい・こよみ)だった。
「いや、だが待てよ?」
 もしかしたら、さっきのようなケースも考えられるのではないか。そう思ったヒラニィは、念のため近くのテーブルに一旦座り、様子見することにした。聞こえてくる会話に、耳を傾ける。
「のう、サキ……何か、悪いものでも食べてしまったのか?」
「あら、暦さん。どうしてそのようなことを?」
「……いや、先程からその喋り方がらしくないものでな。演技にしては凝りすぎておるな」
 眉間にシワを寄せながら、暦が言う。暦の知っている刹姫は、少なくともこんな上品な話し方をする少女ではなかった。もっと何と言うかこう、節々に痛々しさと気恥ずかしさを漂わせる言葉の選び方をする子なのだ。たとえば、「もうひとつの世界から、この腐敗した世界に堕とされてしまったのよ」などと言うような。
 それが今は、至極まともな、むしろお上品な女の子と化している。どうやら、細胞が活性化したことで、元々の「良家の出だった」という性質が露になったようである。
 刹姫は、ふぁさっ、と髪をかきあげて彼女の言葉を否定した。
「演技? 失礼なことを言わないでほしいですわ。私はこの通り、真人間ですわよ」
「そうか、わらわはてっきり何かまた面白い計画でもあるのかと思ったんじゃがのう。たとえばそう……『闇』をおびき寄せるための、な」
 普段なら刹姫が喜んで食いつきそうな単語を織り交ぜる暦。しかし、彼女の返答はまたしてもきちんとしたものだった。
「何を言っているんですの? 夜川家の人間がそんな頭の悪そうな真似をするわけがありませんわ」
「な……」
 その豹変ぶりに慣れることが出来ないのか、暦は言葉に詰まってしまった。これでは、自分だけが痛い子みたいではないか。
「貴女も、この夜川紗希の記した由緒正しき書ならば、立場をわきまえなさい」
 暦のそんな思いを見透かしたように、刹姫が言う。ちなみに夜川紗希の方が本名ということらしい。ただ、彼女のこの発言はやや失策であった。
「由緒正しきも何も、わらわはただの同人……げふ、げふん」
 つい本心を口にしてしまい、若干気まずい空気が流れる。ずず、とジュースを飲む音だけが、しばらく流れた。
「ううむ……なんだか妙ではあるが、先程よりはマシかのう」
 一連の会話を聞いていたヒラニィが、覚悟を決めた。なんだかもう、この近辺にはおかしな子しかいないような気がして、このへんで手を打っておかないと後悔しそうだったからだ。ガタ、とヒラニィはおもむろに立ち上がると、気配を消し、刹姫の背後へと忍び寄った。そして。
「きゃ、きゃあああっ!?」
 かがんだ体勢からの、スカートめくり。ヒラニィは慌ててスカートを抑える刹姫のリアクションを見て、恍惚の表情を浮かべた。
「おぉ……おぉ、萌えるぞっ! わしは今、萌えておるぞ!」
 やりたいことを済ませたヒラニィは、そそくさと退散した。残された刹姫は、顔を真っ赤にして俯いている。どうやら彼女は、人一倍純情であったようだ。
 そして、そんな純情な彼女は、さらなる災難に見舞われてしまう。

「まったく、ハンニバルさんはどこに行ったのやら……」
 きょろきょろと辺りを見回しながら、ビアガーデンを歩いていたのは、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)だった。パートナーのハンニバル・バルカ(はんにばる・ばるか)に叩き起こされ、ここまで遊びに来たはいいものの、途中でクドはハンニバルとはぐれてしまったようだった。
「おーい、ハンニバルさーん!」
 仕方なく、クドはありとあらゆるところを探しまわるはめになっていた。仕方なく、という割には、その顔はどこか生き生きとしているが。
「とりあえず、怪しいところを片っ端から調べませんとな」
 周囲に言い聞かせるように大声でそう言ったクドは、その視界にある人物を捉えた。その人物は、彼がこっそりかわいいと思っていた刹姫だった。これ幸いとばかりにクドは駆け寄ると、何の前触れもなしにいきなり背後から、彼女のスカートをめくった。
「おーい、ハンニバルさーん!」
「きゃ、きゃあああっ!?」
 刹姫は、再びめくれ上がったスカートをばっと抑えた。僅か十数分の間に二度もスカートをめくられたのは、彼女の人生において初めての経験だった。
「おや、いませんね。失礼しました」
 そして、普通に考えれば迷子がスカートの中にいるはずがないのだが、彼の態度は堂々としたものだった。なぜなら、事前に「怪しいところを片っ端から調べないと」と宣言をしていたからだ。これぞ、クド流のスカートめくり、「偽装捜索の術」である。要するに小細工を交えたセクハラである。ちなみに、今日ここに来てから彼がこれをやるのは、通算31回目である。彼はこの手法で女性のスカートの中や胸の谷間をのぞきまくっては、バーストダッシュで逃げ仰せていたのだ。
「ではお兄さんはこれで! 捜査にご協力、感謝します!」
 ぎゅん、と高速でその場を去るクド。刹姫は、「普段やらないことをしようとしたから罰が当たったのかもしれない」と涙ながらに後悔していた。
「……まあ、何と言うかアレじゃな。おびき寄せられたな。闇が」
 不憫に思った暦は、刹姫を慰め続けた。

「クド公……噂は、本当だったのだな」
 証拠を残さず華麗に去ったはずのクドだったが、彼がセクハラをしでかした現場を目撃していた者が、この場にいた。やるせない表情で呟いたその目撃者は、彼が探していたハンニバルであった。
 彼とはぐれてからというもの、ハンニバルは行く先々で妙な噂を聞いていた。「風のように現れ、セクハラをしていく眠そうな顔と白い髪の男がいる」という噂だ。それを聞いた彼女は嫌な予感を覚え、慌ててクドが行きそうなところを見て回っていたのだ。そしてついに彼女は、その瞬間を見てしまった。
「これは、懲らしめる必要があるのだ」
 ぎゅっと拳を握り、今まで犠牲となった女性たちの分まで彼を殴り倒そうと彼女が誓いを立てていると、そこにひとりの男が話しかけてきた。
「あの、英霊の方ですよね? よろしければサインをお願いしたいんですが……」
「え? サ、サイン……?」
 色紙とサインペンを手に、ハンニバルにそう願い出た男は匿名 某(とくな・なにがし)だった。装置により「英霊のサイン集めをする」という性質が表に出た某は、西へ東へとサイン集めに奔走していた。
「ボクのサインなんか欲しい人がいるのが意外なのだ。とりあえず今ある人物を追っていて忙しいから、こんな感じで勘弁してほしいのだ」
 彼女は適当に自分の名前を書くと、それを某に渡し、クドの走り去った方向へと向かっていった。
「よし、他の英霊のサインも、このペースでいくか」
 す、と色紙をしまい、某もまたその場を後にした。



 次の捜索場所を求めていたクドは、みなとテラスの外れの方で何やら女性の声がするのを耳にしていた。
「おっ、ハンニバルさんはあそこですかな?」
 通りから逸れている場所のため、少し暗がりになっているその場所に向かうクド。そこにいたのは、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)とパートナーの天津 麻羅(あまつ・まら)だった。
「い、いつの間に、どこからそんな服出したのっ!?」
「いつもわしに可愛い服など着せおって……神に対してそのような罰当たりをした報いじゃ!」
「ちょっ、しかもこれ何っ、際どい部分しか隠すところが……きゃああっ!?」
 暗がりから聞こえてくる、なんとも想像力を掻き立てられる声にクドは確信した。俺の探し物は、あそこですね、と。
 クドがふたりの姿を認めた時、既に緋雨は強引にビキニのように露出度の高い服を着させられ、麻羅は腕を組んでそれを見下ろしていた。
「お、おおおおっ、これはこれは……!」
 こっそり可愛いと思っていた緋雨が、こんな過激な格好を。それだけで、彼が興奮する理由は充分だった。
「ハンニバルさん、ここですかなー……?」
 いつもの戦法で、緋雨に触れようと近づくクド。しかし、間に立っていた麻羅の前を通ろうとした時、急に飛び上がった麻羅に頭から踏んづけられ、クドは顔面から地面に激突した。
「ぶべっ」
「神であるわしの前を、黙って通り過ぎるとは何事じゃ!」
「か……神?」
 鼻血をだらだら流しながら、クドが見上げる。同時に、麻羅のつま先が彼の頬をぐりぐりとえぐる。
「誰が面を上げて良いと言った? 神に対して、無礼じゃぞ」
 やたら神、神と連呼する麻羅。その原因はもちろん、細胞の活性化によるものだった。「鍛冶の神」という性質がフルに発揮されるのでは、と緋雨が麻羅を装置に押し込めた結果、「鍛冶」の部分がどこかへすっ飛び、「神」の部分だけが無駄に強調されてしまったらしい。麻羅は、自らを全知全能の神であるとすっかり陶酔してしまっていた。
「し、失礼しました……」
 ぺちぺちとお尻を叩かれながら、クドは麻羅に謝る。ここでさらに、クドを追いかけてきたハンニバルまでもが現れた。
「……ボクは何も見ていないのだ」
 見つけ次第ぶん殴ろうと思っていたハンニバルだったが、頭を踏んづけられながらお尻を叩かれているクドを目の当たりにして、一気に熱が引いた。熱というか、単純にどん引きした。
「うわっ、なんだこれ」
 そこに、もうひとつ声が増える。ただでさえ混乱の様相を呈してきたこの場所に、ハンニバルから芋づる式に英霊を見つけ出そうと考え彼女を追ってきた某までもが姿を現したのだ。目の前の状況をよく飲み込めない某だったが、自分にとって最優先課題は英霊のサインを貰うことだった。彼はその嗅覚で麻羅が英霊だと感じると、ハンニバルの時と同じようにサインをねだった。
「あの、もしよろしければサインを……」
「サイン?」
 ピク、と麻羅の目が光った。神様モードですっかり有頂天になっていた麻羅は、某のおねだりのせいでより一層調子に乗った。
「神であるわしのサインが欲しいと申すか。なかなか見所のあるヤツじゃのう。じゃが、ただで神から欲しいものが授けられると思ったら大間違いじゃ! 良いか、まずはお供え物をだな……」
「は、はぁ……」
 某は正座させられ、それから長々とありがたくないご高説を賜った。某は鞄に入っていた、まだ数十枚は準備していた色紙をちらりとのぞくと、小さく溜め息を吐いた。
「早く、次の英霊に行きたいんだけどな……」
「そこ! 何をぼやいておるのじゃ! 良いか、そもそもわしが若い頃はじゃな……」
 それから麻羅による、暇を持て余した神々の話は空が暗くなるまで続いたという。