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アグリと、アクリト。

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アグリと、アクリト。

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chapter.13 実験結果(10)・観察と隠しごと 


 数々の事件が起きたみなとくうきょうから、場面は空京大学へと戻る。
 そこの医務室で、活性化により腰痛を起こしていたアグリ・ハーヴェスター(あぐり・はーう゛ぇすたー)は、朝野 未沙(あさの・みさ)姫宮 和希(ひめみや・かずき)によるマッサージを受けていた。
「アグリ、お疲れさん。今日一日、農業を教えてくれてありがとな!」
 和希が座席シートを揉みながら言う。きっとこの辺りが腰だろうと予想してのことである。
「姫宮さん、そこ腰じゃないと思う。たぶんこのあたりよ」
 ぐいっ、と未沙が、キャラピラの部分を指で押す。
 端から見たら、コンバインをぺたぺた触っている奇怪な男女である。
 アグリは、「ありがとう、ありがとう」というような表情で和希と未沙を見ている。そんなアグリに、和希が話を聞かせた。
「そうだアグリ、聞いてくれよ。イリヤ分校にな、すごい機械が届いたんだぜ。何がすごいって、パラミタトウモロコシからバイオエタノールをつくれるんだ! これからもっと、農業が活発になるぜ!」
「それはすごい文明の進歩じゃないか」というような表情で和希を見るアグリ。
「だから、また農業指南をよろしく頼むぜ、アグリ」
 今日アグリと交わした会話を思い返し、和希は笑って言う。彼女は今日アグリと出会ってから、ずっと農業の話を聞いていたのだ。特に、輸入品との競合における苦労話は、和希にとって大変勉強になる内容であった。
 と、言っても、実際にアグリは一言も話しておらず、あくまで和希がアグリの視線から受け取ったメッセージを独自に解釈しただけであったが。それでも和希は、確かなアドバイスを貰っていた。農業という共通点さえあれば、言語というコミュニケーションツールがなくとも意思は通じ合えるのだ。

「アグリ、もしかしてこのあたりも凝ってない? えいっ」
 和希との会話が一段落ついたところで、未沙がアグリの全身を揉みほぐしてあげようと、まだどちらも触れていない部分……レバーに手をかけた。
「そっか、まだそこは揉んでなかったな。グラップラーの力、ここで使わせてもらうぜ!」
 ぐぐう、っと力を込めて、和希がレバーを揉む。負けじと、未沙もレバーを上下に激しく擦った。
「……あっ」
 その時、今まで声を発しなかったアグリがついに声を漏らした。どうやら、かなり敏感な部分だったらしい。
「……わ、悪かったなアグリ」
「ご、ごめんね」
 申し訳なさそうに、和希と未沙が謝る。「大丈夫、気にしなくて良い」という表情で彼らを許すアグリはしかし、小刻みにボディを震わせていたのだった。
「ていうかこれ、男性型っていうよりも、コンバイン型で男性人格の機晶姫。って方がしっくりくるのは気のせい?」
 そんな彼を見て、未沙はなにげない疑問を口にした。そもそも、マッサージの最中も、「腰ってどこよ」と謎に思ってはいたのだが。
「まあ、男性型だろうとコンバイン型だろうと、アグリはアグリだ。なっ!」
 明るい声でアグリの機体をぽんと叩く和希。「良いことを言う」といった表情で見つめるアグリは、まだ若干顔が赤かったように見えた。
「……だから、顔はどこよこれ?」
 未沙は、機晶姫の奥深さを改めて知らされるのであった。

「コンバイン……いや、機晶姫が腰痛を起こす、か。面白い結果だな」
 和希や未沙がアグリを揉んでいる様子を陰から見ていたのは、レン・オズワルド(れん・おずわるど)だった。レンは、装置の研究を続けているアクリトに代わり、彼のため実験結果を取りまとめようとしていた。
「聞いた話によると、みなとくうきょうの方でも被験者が色々と暴れ回っていたと聞いた。今後これが何かの役に立つこともあるだろうが、中には眠らせたままの方が良い性質もあるようだな」
 苦笑しつつ、レンが呟く。
「さて、あまり深夜にならないうちに、アクリトにデータを渡しに行くか」
 レンは出来上がった報告書を持って、研究室へと向かった。彼が手にしていた何枚かの紙、その中には、彼自身が実験を受けた結果現れた性質についても書かれていた。



 研究室。
 技術職員となったアクリトは、装置のメンテナンスを続けていて疲れたのか、椅子に座ったままうたた寝をしていた。
「むぅ……キリっとした普段の学長も慕わしかったが、無防備な寝顔も眩しいものだな」
 研究室に仕掛けた監視カメラを別室のモニターで見ながら、姫神 司(ひめがみ・つかさ)が溜め息と共に言う。どうやら彼女は、アクリトが関わった一連の事件の後も、彼を慕う気持ちは変わらないままでいたようだ。理念に基づいた行動なので、人間性を見損なってはいない、というのが彼女の主張であった。
「……俺は司ちゃんの人間性を疑ってしまいそうだよ」
 モニターに釘付けの司に、横からつっこみを入れたのはパートナーのヒューバート・マーセラス(ひゅーばーと・まーせらす)だった。
「一歩間違うと、ストーカーで捕まりかねない行動だと思うんだけど」
 アクリトがいる部屋の監視カメラは、元から設置されていたものか、司が個人的に設置したものかヒューバートには分からない。ただ、モニタールームで一日中彼のことを見ている司のことは、色々な意味で心配だった。
「馬鹿を言うな。これはストーカーではない。アクリト技術職員を見守っているのだ」
「それをストーカーって言うんだよ?」
 小花模様をあしらった薄い青地のフレアワンピースの上から白いカーディガンをはおり、同系色のパンプスでまとめた彼女の外見は、どう見ても上品なお嬢様であった。それゆえに、彼女の行動とのギャップにヒューバートは頭を抱えざるを得なかった。
「……まぁ、いっか。それより、その手に持ってるものは、渡さなくて良いの?」
 ヒューバートが、司が大事そうに抱えた弁当箱を指差す。
「こ、これは今ああして寝ておられるから……」
 もちろん、一日中寝ていたわけではないアクリトに渡すタイミングはいくらでもあった。が、彼女の純粋な心が、過剰な羞恥心を生んでしまったため渡せずにいたのだ。照れを隠すようにブンブンと腕を回す司を、優しくなだめたのは、隣にいたもうひとりのパートナー、グレッグ・マーセラス(ぐれっぐ・まーせらす)だった。
「ああ、司。そんなに振ってはせっかくのお弁当が寄ってしまいますよ」
 グレッグは心配そうに、弁当箱をこと、と机の上に置いた。ちなみに中はもちろん司のお手製だが、グレッグが気を利かせ、そっとインドの家庭料理であるタワチキンを加えていた。
「そ、そんなことより観察に戻らねば」
 もはやアクリト観察機構と化した司がモニターに目を戻すと、彼女は「え?」と思わず声を上げた。さっきまで映っていたアクリトの姿が見えないのだ。いや、正確に言うと、アクリトとカメラの間に何者かが映り込んでいるせいで、アクリトよりもその男しか見えなくなってしまったのだ。
「だ、誰だあの男は?」
 拳を握り、取り出したハンカチを噛み締める司。そんな彼女を、グレッグが諭す。
「もうそろそろ、止めて帰りましょうということなのでは……?」
 グレッグとヒューバートに促され、司は名残惜しそうに部屋を後にした。

「失礼するぞ、アクリト」
 短く挨拶をして研究室に入ってきたのは、レンだった。言うまでもなく、司のモニタリングを無意識のうちに防いだのは彼である。レンは部屋に入るとすぐに、アクリトの寝顔を見つけた。
「……ここのところ色々あったからな。疲れてるんだろうな」
 そっと自分のコートをかけ、彼の脇にレポートだけを置いてレンは足音を立てぬよう、静かに出口へと向かった。
「皆、装置の効果を楽しんでいたようだ。やっぱりこのシャンバラには、必要なんだろう。なあ、アクリト」
 そっと扉を開け、レンが部屋を出る。と、思い出したように彼は首だけを廊下から出すと、アクリトに自身の実験結果を告げた。
「装置のお陰で、俺も忘れかけていたことを思い出したよ。そう、俺が、本当は日本人だったということを」
 さらっとした口調で、大きな秘密を打ち明けるレン。そうして彼は、今度こそ廊下へ姿を消した。それにしてもなぜ、レンは自身の名前を偽っていたのだろうか。そして、彼の本名は何なのだろうか。答えは、彼がアクリトのところへ残したレポートにあった。その紙の、レン自身についてまとめられた部分を見ると小さくこう書かれていた。
「レン・オズワルド。本名、憂内干斗(うれない・ほすと)」