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chapter.8 増多教授の憂鬱(2)・赤面と巨乳の誘い 


 さて、一方留置場へ収容された増多教授はどうなったかというと。
「ええと、大学に戻るには8駅先で乗り換えかな」
 なんと彼は、留置場ではなく電車の中にいた。いわゆる大人の力で、釈放されていたのだ。ガタゴトと揺れる車内で増多教授は、吊り革を掴み窓から景色を眺めていた。否、外を歩いていた可愛い女性たちを眺めていた。女性を発見する時の彼の視力は、通常の50倍上昇するのだ。「女捉眼(にょそくがん)」と名付けられたその技は、彼が学生時代にしていたビラ配りのアルバイトで身につけたものだという。
 とまあ、限りなくどうでも良い話をしているうちに、電車のスピードが緩まる。そろそろ次の駅へと着くようだ。

「電車が来ましたよ。お嬢様」
 駅のホームで、その姿を認めパートナーのノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)に声をかけたのは、風森 望(かぜもり・のぞみ)だった。二列に伸びた行列の後方に彼女たちは並んでおり、ふたりのすぐ後ろにはノート以外のパートナー、伯益著 『山海経』(はくえきちょ・せんがいきょう)葦原島 華町(あしはらとう・はなまち)も立っている。
「本来ならわたくしのような身分の者は電車など乗らないのですけど、たまにはこういうのも悪くないですわ!」
「お嬢様、そういうセリフはタクシー代が払えるようになってから言ってください」
「あ、あれはぼったくり価格だっただけですわ! そもそも、きちんと装置の効果が現れていれば、大学まで再移動することもなかったんですわよ!?」
 どうやら、彼女たちは既に一度大学へ行き、装置を使用したらしい。その実験結果を試そうと遊び回ったは良いものの、ノートに際立った変化は見られず、仕方なしにもう一度大学まで足を運ばせることにしたようである。その際タクシーで帰ろうとしたノートだったが、望からおおよその運賃を聞かされ、「そ、そんなに高いんですの!?」と驚き移動手段を電車へと変えたのだった。
「装置の効果……お嬢様に、隠された資質が本当にあったんですかねぇ?」
 半信半疑、といった目つきで、望がノートを見る。
「無論ですわ! 五千年前から優れた血族として活躍を続けてきた我がシュヴェルトライテ家に、資質がないわけがありませんわ!」
「まあ得てして、人とは自分が特別だと思いたがるものじゃからのぅ」
 ふたりの会話を聞いていた山海経が、話に割って入る。
「そ、そういう山海経はどうなんですの!? 山海経も、実験を受けてましたわよね?」
 鋭いところを突かれたノートが、後ろを振り向き彼女に問いただす。山海経は、待ってました、とばかりに余裕たっぷりの表情で答える。
「ふむ……わらわの場合であれば、こういった具合かの?」
 周りがパニックにならぬよう、山海経は火術で小さく炎を生み出すと、その形を整えていった。徐々に細くなった炎はやがて、一匹の龍を形作る。
「なっ……!?」
「わらわは元々、地理や動植物、魑魅魍魎が記載された寄書じゃからのぅ。性質が顕著になるというのであれば、このくらいのことは雑作もないことよ」
 予想外のスキルに驚くノートに、山海経は魔道書であることをこれでもかとアピールする。
「ちなみに、こんなことも可能である」
 それっぽく見せるため、山海経は宙に指で文字をなぞる。すると、炎は刃状になったりムチになったりと、豊富なバリエーションを見せた。
「きーっ! 炎を操る忍者にでもなったつもりですのっ!? 山海経なんか、どこかの武闘会にでも参加してお姫様でも助けていればいいんですわ!」
 悔しさのあまり、ちょっとわけの分からない文句を並べてしまったノート。
「ほらお嬢様、電車が来たから乗りますよ」
 プシュウ、と彼女たちの前でドアが開き、望が喚き散らすノートを電車に押し込めようとする。ノートは不満そうに頬を膨らまし、電車へと乗りながら呟いた。
「おかしいですわ、シュヴェルトライテ家は、マーフラーのオペラにも登場するほどの家名のはずですのに……」
「お嬢様、たぶんそれワーグナーです。なんですかマーフラーって。どれだけ寒がりが集まる舞台ですか」
「び、微々たる間違いですわっ。そんなことより、一刻も早く大学へ戻って活性化に再挑戦するのですわ」
 実験の結果が見えないことにやきもきするノート。一行が座席に座ると、そんな彼女に華町が話しかけた。
「そもそも、ノート殿のそのシュヴェルトライテ家というのが、今まであまり表面化していなかったのではござらんか?」
「なんですって……?」
「事あるごとに、シュヴェルトライテ家が……と言っておるでござるよ、先程から」
 確かに、ノートはさっきから家名を度々口にしている。華町は、それが活性化の影響なのでは、と予測したのだ。しかしノートは、慌てて否定した。
「それは能力でも何でもありませんわっ! こんなものが活性化されたら、堪ったものではないですわ」
 幸いなことに、華町のその予想は外れていた。確かに、そんな性質が顕著になってしまっては堪ったものではない。シュヴェルトライテという文字の羅列が、どれほどタイピングしづらいことか。これが活性化でもされようものなら、誤植増大の危機である。
「まったく、早く隠された能力が目覚めてほしいものですわ……」
 ふう、と一息吐いて、ノートが言う。電車の混み具合が激しくなってきて酸素が薄かったせいか、その呼吸は心なしか荒かったように思えた。ノートはその僅かな変化に気付くことなく、電車に揺られ続けていた。

 望たちが座っていた車両は、先頭から3両目の車両である。
 そして、偶然にも増多教授は同じ電車に乗っており、4両目に彼は立っていた。相変わらず窓辺に佇み観察に余念がない彼のところに、ひとりの男が話しかけてきた。
「やっと会えたぜ……あなたが端義さんで間違いないな?」
 人の間をくぐり抜け、彼の前までやってきてそう告げたのは弥涼 総司(いすず・そうじ)だった。総司は、たまたま彼と同じ車両に乗り合わせ、彼を見つけたのだった。女性の観察を趣味でしている総司の中で彼は「最近気になる有名人トップ10」にランクインする人物であり、つい話しかけずにはいられなかったのだ。
「そうだけど、君は誰かな?」
 突然話しかけられたにも関わらず、慌てた素振りを見せずに増多教授は答える。
「オレは、通りすがりののぞき魔だ。どうしてもあなたと話してみたくて、つい声をかけてしまった」
「なるほど、君もこちら側の人間ということだね」
「ああ、早速だがずばり聞きたい。あなたは、どんな女性の仕草に興奮する? そう、たとえばこの電車の中というシチュエーションなら」
 周りに聞かれて怪訝な眼で見られぬよう、声のボリュームを落として彼が尋ねた。増多教授もまた、小声で返す。
「電車内でかい? そうだね……僕は、いかにもお洒落な子が車内の路線図と携帯を見比べて、どう乗り換えれば良いんだろうみたいなことを悩んでる感じにグッとくるね。君はどうだい?」
「オレは……足の幅を広げずにブレーキとか急カーブに耐えようとしているのが可愛かったりするな」
「なるほど、なかなか鋭いところを見ているね。そういう子が隣に立っていたりすると、たまらないだろうね」
「ああ、結局耐えきれずに、ぽふっとオレの胸元に倒れ込んできたりしたら、抱きしめたくなるぜ」
 明らかに電車内でする会話ではないが、ふたりは妙な盛り上がりを見せていた。
「それはそうと、最近マイブームが一周してメガネっ子がじわじわきてんのよ」
「メガネか……その話を、詳しく聞こう」
「いや、そんな大層なもんじゃないけど、メガネっ子がいいなあと思い始めると、伊達メガネっ子も良く思えてくるのよ。メガネ外しつつ『伊達よ』とか言われるとズキューンとくるんだわ」
「メガネと裸眼のギャップではなく、伊達メガネの意義に対する意識ということだね。ふむ、メガネは得意分野ではなかったんだけれど、勉強になったよ」
 す、と握手を求める増多教授。総司はそれに、喜んで応えた。
「まーでも、なんだかんだ言っても胸が大きい子が最強ですよ」
「そうだね。それは真理だ。フェティシズムは数あれど、男が最終的に帰り着く場所は女性の胸の中だからね」
 握られた手と手が、より強く結ばれた。

「お、男の人ってそうなんだ……」
 ふたりの気持ち悪い会話、その話に彼らの近くで聞き耳を立てていたのは、偶然彼らの近くに立っていた久世 沙幸(くぜ・さゆき)だった。
「沙幸さん、これはチャンスでは? わざわざ大学に行ってアポまで取らなくても、ご本人が目の前にいますわよ」
 彼女にそう告げるのは、パートナーの藍玉 美海(あいだま・みうみ)だ。
「そ、そうだよね。グラビアアイドルになるためには、美容とかファッションの研究だけじゃなくて、こういうことも知らないとダメだもんね」
 自分に言い聞かせるように、沙幸が胸に手を当てて言う。彼女たちは、今まさに大学へ向かい、増多教授に話を聞きに行く途中だったのだ。その目的は、彼女の言う通り、グラビアアイドルとしてどうすれば見る側のフェティシズムを引き出せるようになるのかを教わるためである。しかし、不慮の事態により増多教授が大学を離れたため、あわや会えなくなるところであった。こうして沙幸が彼に会えたのは、彼女のグラビアアイドルになりたいという強い願望がもたらした奇跡である。
「よしっ、思い切って話しかけちゃおうっと!」
 この奇跡に感情を揺さぶられた彼女は、意を決して彼に声をかけた。
「ま、増多先生?」
「ん? 今日はよく話しかけられる日だね。君は?」
「私、グラビアアイドルを目指してる久世沙幸って言いますっ。先生、もし良かったら、なにかヒントになるようなお話を聞かせてください! 仕草とかポーズ、服装、体型、何でもいいんです」
「グラビアアイドル? グラビアには、僕はちょっとうるさいよ」
 ギラリ、と増多教授の目が光った。彼はその眼力で、目の前の沙幸を頭からつま先まで一通り眺める。もうこの時点で彼の審査は、始まっていた。
「そうだね……ではまず、君の体型についてだけれど、なかなか素晴らしいものを持っているよ。素質は抜群だ」
「ほ、ほんとっ!?」
 専門家に褒められたことで、沙幸は目を輝かせ気持ちが高ぶった。
「次に服装だね……ちょっと待ってほしい」
 増多教授は、一旦目を閉じると、瞳に桃色の光を宿らせ沙幸をじっと見た。穴が開くほど見た。彼が持つ技のひとつ、「服飾連想眼(ふくしょくれんそうがん)」である。これを使用すると、対象者が普段どのような服装をしているか、鮮明にイメージすることが出来る。
「ふむ……なるほど。君は、様々な格好をしているね。私服はニット系にミニスカートを合わせ、ニーソックスをはいた格好が多いと見た。コスプレにも挑戦しているね。くのいちやバニーガール、チャイナにスーツ、魔女……ゴスロリにパンクを併せた格好も好むようだね」
 その気持ち悪いくらいに細かい分析は、気持ち悪いくらいに的中していた。あまりにも完璧に言い当てられたため、沙幸はすっかり感動している。
「す、すごい……!」
「まあこれだけ様々な衣装に挑戦する気概があれば、グラビアの仕事でも対応は出来るだろうね。服装も体型も、問題はないよ」
 なんと、先生のお墨付きである。沙幸は夢に近づいたことを実感し、テンションが上がった。とどめとばかりに、美海が沙幸を売り込む。
「増多先生、沙幸さんにはこんな魅力もありますわ」
 言って、彼女は沙幸をその場で一回転させた。その拍子に、沙幸の短いスカートがふわりと浮き上がり、太ももからお尻にかけての艶かしい曲線が垣間見える。
「こんなチラリズムはいかがでしょうか?」
「ねーさま、何言って……」
「いいね。君は、契約者のことをよく分かっている。チラリズムは極上の芸術鑑賞だからね」
 もう1回、もう1回と人差し指を立てながら、増多教授が言う。美海は確かな手応えを得て、さらにアピールをエスカレートさせた。
「それだけでなく、こんなのも素敵だと思いませんか?」
「え、ちょっ、ねーさま!?」
 不意に、美海が沙幸の首筋に手を回す。そこから肩へと手を滑らせ、彼女の衣服を徐々にずらしていった。露になった鎖骨は、ほんのり赤みを帯びていた。
「増多先生の前でこんなのダメ……ひゃうっ」
 先生の前とか言う以前に、電車内でこのような行為はダメである。普通に声を漏らしてしまった沙幸に、周りの乗客の目も集まる。次第にその豊満な胸の一部が外気に晒されると、増多教授はもちろんのこと、一緒にいた総司の視線も釘付けとなった。
「こいつは……でかいな」
 ごくり、と総司が唾を飲む。彼らのその態度に、美海は達成感のようなものを覚えていた。が、これまで良い評価ばかりしてきた増多教授が、ここで初めて苦言を呈した。
「今、君が夢を叶えるにあたって決定的に足りないものを見つけたよ」
「……え?」
 美海のセクハラに悶えながら、沙幸が声を発した。彼は沙幸を諭すように言う。
「それは仕草やポーズとも関わってくることだけれど、君には奥底からの羞恥心というものをあまり感じない。今みたいに何かセクハラを受けても、それをどこかで受け入れている気持ちがあるうちは、男の嗜虐心は満たされないよ」
「そ、そんな……」
 眉を下げ、残念そうな顔をする沙幸。それを見た増多教授は、宝物を見つけたように言った。
「それだ! その顔だよ! その悩ましい表情こそが、君に欠けていたものだよ!」
 あまりの大声に、車内中が振り返る。沙幸は着衣の乱れをまじまじと見られ、顔を真っ赤にした。
「そう、その調子だよ! さあ、見られているよ。君は今、男たちからいやらしい目で見られているんだよ!」
 彼が興奮して声を張る度、何事だ、とざわざわ人が集まってくる。
「何やらあちらの車両が騒がしいですが、モンスターか変質者でも出ましたかね?」
 その騒ぎは、隣の車両にいた望たちにまで伝染した。
「これは、今こそ隠された力が目覚める時ですわっ!」
 トラブルが起きているのなら、それを目の当たりにすれば火事場の南とやらで力が発芽するかもしれない。そう思ったノートは、一目散に4両目へと駆け出した。
「あ、お嬢様……」
「止める間もなく走ってったのぅ……」
 仕方なく、残った彼女たちもそれを追いかける。そして車両を移動した彼女たちが目にしたのは、増多教授と総司、乗客の前であられもない姿を晒している沙幸の姿だった。
「おお、これは眼福……いや、非常事態でござるな」
 華町が僅かに顔を緩ませて言う。肝心のノートはと言うと、妙に体を震わせて顔を赤くしていた。
「お嬢様?」
「な、なんだか体がおかしいのですわ。火照ったような感じがして、肌が敏感になってますわ!」
 慌てて沙幸から目を逸らす。が、目に焼き付いた破廉恥な光景は彼女の頭にこびりつき、彼女の体を疼かせる。
「わ、わたくしはこんなキャラじゃ……!」
 どうやら今この場で、彼女は要望通り新たな性質を目覚めさせたらしい。ただしそれは、彼女が望んでいたものとはかけ離れたものだったが。
「まさかお嬢様、『いやらしいことに体敏感に反応する』性質が芽生えたのでは……」
 望が言う。その通り、ノートは、「少しでも卑猥な目に遭ったり、卑猥な単語を聞いたり、卑猥な場面を見たりしただけで、体が感じてしまう」ようになってしまっていたのだ。
「そ、そんなこと……っ!」
 否定しようとしても、体の疼きがそれを許さない。ノートはとりあえずこの事態を収めるべく、沙幸の元へ急いだ。
「ちょ、ちょっと、こんなところでそういうことはやめるのですわ!」
 突然現れた、息を乱した胸の大きな女性。それに、増多教授や総司が食いつかないわけがなかった。
「ビックサイズがまたひとり……なんて車両だ」
 沙幸とノートを見比べ、馬鹿みたいに首を動かしている総司の横で、増多教授は我慢できなくなりふたりの体を触っていた。
「ひゃあっ!?」
「きゃっ!!」
「いいかい、電車というのはね、最も淫らな交通機関なんだよ」
 電車が次の駅に止まった時、出口付近には駅員が待機していた。望が通報していたようだ。そうして増多教授は、複数の女性への痴漢容疑で留置場に再送された。痴漢は、いけないことである。