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ポージィおばさんの苺をどうぞ

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ポージィおばさんの苺をどうぞ
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リアクション

 
 
 
 エプロンドレスの売り子さん
 
 
 
 ピンクのワンピースは膝上のたっぷりフレアー。
 その上に白いエプロンをつけるエプロンドレスの制服は、スイーツフェスタを華やかに彩る。
 甘いスイーツと可愛い制服。どちらもスイーツフェスタの看板だ。
 着る楽しみがあるのは良いことだと、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)は渡された制服を広げてみた。
「去年のも可愛かったけど、今年のも可愛いデザインだよね」
「そうですわね。手伝って下さる方がたくさんなのは、制服のお陰もあるのでしょう」
 制服を着たい人も……そして着せたい人も増えるだろうから、とフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)は去年制服を着せられた人たちのことを思い出し、ふふっと笑みを漏らした。
「今年はこれを着てお手伝いするのですわねぇ。たくさんお客様が来てくださるといいのですけれど」
 メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は今年もがんばってお手伝いしようと、制服をしっかりと抱きしめた。
 スイーツの味も大切だけれど、実際に客と接するのは売り子だ。売り子が笑顔でないと買う人もきっと躊躇してしまうだろう。
「きっとこの制服を着ていたら、自然と笑顔になるのでしょうけれど〜」
 こうしてこれを着るのだと考えるだけで自然と顔もほころぶけれど、これはメイベルにとって2度目のお手伝いになる。今年はじめて手伝う人の為にも、率先して頑張らなければとメイベルは思う。
「わあ、この制服可愛いっ! やっぱり引き受けて良かったー」
 制服につられて手伝いを引き受けたファニー・アーベント(ふぁにー・あーべんと)は、予想以上に可愛い着姿に大喜び。制服に負けないくらいのウェイトレスでいようとはりきる。
 どうせ働くなら、可愛い制服が着られた方が嬉しい。
「じゃーん! どうだっ、かわいいだろ! 可愛い少女はどんな服だって似合うのさっ」
 制服に着替えたマリィ・ファナ・ホームグロウ(まりぃ・ふぁなほーむぐろう)は、リリィ・クロウ(りりぃ・くろう)の前でくるっと回って、スカートをひらりと広げて見せた。
「びっくりするくらい似合ってますわ。ええ、意外なほど良く似合ってますとも」
 普段は不良のような恰好をしているマリィも手伝うからには制服を着なければならない。自分でさえも、こんなに可愛い制服をと戸惑ってしまうのだから、マリィならば好みじゃないから手伝いを辞める、と言い出さないとも限らない。そう考えてはらはらしていたリリィだったけれど、そんな心配は全く不要だったようだ。
「マリィが喜んで着てくれてほっとしましたわ」
 リリィが言うと、マリィははっと顔を引き締める。
「リリィとおそろいってのが気に入らないけど、制服なら仕方ない。不本意だけど、仕方なく着てるだけなんだからなっ」
 口ではそう言うけれど、エプロンの裾を触ってみたり、スカートを揺らしてみたりと、マリィの様子には隠しきれない嬉しさがありありと分かる。
 マリィがこんなに喜ぶくらいなのだから、この制服着たさに手伝いに来る子がいても不思議ではなさそうだとリリィは思った。
 けれど……どんなに可愛い制服であろうと、いや、可愛い制服であるからこそ、犠牲者にとっては厳しいものとなるのも確かなことで……。
 
「……蕾? その手に持った制服はいったい……何?」
 人が多く集まる場所ならば、義姉の姿も見つけられるかも知れない。そんな期待と共に訪れたスイーツフェスタ会場で、蘇芳 秋人(すおう・あきと)はじりじりと後ずさりしていた。
「この制服……可愛い……きっと……秋人様にも……よく似合う」
 秋人を追いつめているのはパートナーの蘇芳 蕾(すおう・つぼみ)、正確に言えばその手にあるピンク色の物体だ。
「似合わない似合わない、というかそもそもどうして制服なんか持ってきたんだよ」
「スイーツフェスタの売り子……まだ募集してる……きっと売り子の方が……探しやすい」
「あ、そういうことか」
 蕾なりに秋人の義姉探しのことを考えてくれたのだと思えば有り難いが、ピンクの制服は非常に有り難く無い。
「た、確かにさ、店員の方が人と会う機会は多くなると思うよ、うん、それは分かるんだ。だ、だからってオレ男だよ? な、なんでそんな制服……」
 ついに逃げ場を失って立ち止まった秋人に、蕾は制服を持たせ、さぁと着替え場所へと促した。
「平気……私も……一緒に着るから……」
「オレは着ないからな。着ないからな……うわー」
 抵抗むなしく、秋人は蕾に着替え場所へと連行されて行った。
 そしてまた1人
「冗談じゃねえ! オレにはそんな趣味ないぞー!」
 閃崎 静麻(せんざき・しずま)の叫びが会場に響く。
「静麻ったら何言ってるのよ。女装趣味の無い人に女装させるから面白いんじゃないの。安心して。ちゃんと準備はしてきたから」
 楽しそうに神曲 プルガトーリオ(しんきょく・ぷるがとーりお)が取り出して見せた胸バッドに、静麻の顔が引きつった。
「い、いやだ。確かに手伝うとは言ったが、そんな制服着せられるだなんて聞いてねーぞ」
 獅子神 刹那(ししがみ・せつな)からスイーツフェスタで販売の手伝いを募集していると聞き、出店での売り出しは何度か経験があるから手伝おうとは言った。確かに言ったが……。
「刹那、貴様制服のこと知ってて黙ってやがったのか」
「制服があるとは言ったぜ」
「女用の1種類しかないとは聞いてねえ!」
「おや、そうだっけ?」
 刹那は素知らぬふりでそっぽを向いた。静麻の女装姿を拝みたいが為に制服のことを伏せておいた、なんて言ったら静麻が怒り狂いかねない。
「くそっ、はかりやがったな」
 静麻は歯がみしたが後の祭り。
 哀れ静麻はパートナー3人に押さえつけられて制服に着替えさせられることとなった。
「ふふふっ、忍の技の中には変装も女装も完備されてるでござる。伊賀にも残っておらぬやも知れぬ服部家の技、全力でご披露するでござる」
 服部 保長(はっとり・やすなが)がさっさと静麻の服を脱がせると、ピンクのワンピースをすっぽりと着せ、きゅっと白いエプロンのリボンを蝶々結びにする。
 その胸元に胸パッドを形良く押し込むと、プルガトーリオは静麻の髪を解いた。
「静麻って顔は中性タイプだし、髪は元々長いからかなり様になるわね」
 解いた髪を梳り、頭にはワンピースとお揃いのピンクのリボンを留め付ける。
「はい、ちょっと目を閉じててね」
「化粧もするのかっ?」
「その衣装で化粧無しでいる方がおかしいわよ。薄化粧にしておくから安心してちょうだい」
「うぅ……」
 こうなったらもう抵抗するだけ無駄だと静麻は観念して、ウェイトレス姿にさせられた。
「あはは、静麻似合うぜ」
 喜ぶ刹那だったが、その腕をプルガトーリオがしっかと捕らえた。保長が静麻にしたようにスイーツフェスタの制服を刹那に着せてしまう。
「リオ、保長、何すんだよ! あたいが制服着ても全然可愛くないぞ!」
「みんなで手伝うんだもの。制服もみんなで着なくちゃね」
「その通りでござる。それがしも着るでござるからな」
 騒いでいるうちに刹那もまた、強引に制服を着せられる羽目になったのだった。
 
 
 スイーツフェスタ。
 その響きだけで甘いもの好きならうっとりしてしまいそうだけれど、裏方の準備はうっとりしている暇も無い。
「テーブルはここで良いかな。エイボンちゃん、アリアちゃん、そこの椅子運んでくれる?」
 店先でおいしく食べている人がいれば客の目も引けるだろうからと、クレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)はイートイン用のテーブルと椅子を通行客から良く見える位置にセッティングした。
「クレア姉ぇやエイボン姉ぇは去年も売り子さんをしたんだよね。何かあった時は聞くからよろしくね」
 お揃いのエプロンドレスの制服を着たヴァルキリーの集落 アリアクルスイド(う゛ぁるきりーのしゅうらく・ありあくるすいど)が2人に頼む。
「わたくしは去年は姉さまに助けてもらってばかりでしたの。今年はしっかりとしなければなりませんわね」
 エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)が言うと、クレアはそんなことないよと首を振る。
「去年だってエイボンちゃんはしっかりやれてたよ。今年は3人になったからもっと心強いな」
「それに今年は姉さまだけじゃなくアリアちゃんともおそろいの制服が着られて、とても楽しいですわ」
 ピンクのエプロンドレスはお揃いで着ると余計に可愛く見える。
 可愛い苺姉妹として頑張ろうと、クレアはまたもう1つテーブルを運ぶ。
「まさかこんな恰好になるなんて……」
 蓬生 結(よもぎ・ゆい)は短いスカートを押さえて小さく呻いた。
 吉柳 覽伍(きりゅう・らんご)イハ・サジャラニルヴァータ(いは・さじゃらにるう゛ぁーた)をスイーツフェスタの売り子手伝いに誘っているのを見て、それなら自分も何か手伝いが出来れば、と一緒にやってきたのだけれど、まさかこんなおまけがついていたとは。
「大丈夫ですわ。そうしていると結は女の子にしか見えませんもの」
 イハが結を力づけようとしてくれているのは分かるけれど、その言葉は結にとっては複雑だ。とても大事にしたいひとだからこそ、なおさら。
「やりたくねぇんなら、やめとけばー?」
 ぬいぐるみの両手を持ってぶらんぶらんと振りながら覽伍が言う。その覽伍から微妙に距離を取り、結は答えた。
「いえ、お手伝いということですし、俺でお役に立てるなら喜んでやらせていただきます。経験……ええ、これも経験ですよね……」
 そんな結の様子に、覽伍は一層大きくぬいぐるみを揺らす。
「結ちゃん、いまだに俺に怯えてる? 悲しいなァ。俺べつに取って食ったりしねぇのに。ちぇー」
「あの……吉柳さんはお手伝いは……?」
「俺は働かねぇよ」
 覽伍はあっさりと答えると、結とイハを残してふらりとどこかに行ってしまった。
「あ……。でもまあ、そうですよね」
 エプロンドレス姿でウェイトレスをする覽伍なんて想像出来ない、というかしてはイケナイもののような気がする。それよりも、はりきっているイハに負けないようにしっかりしないと、と結は気持ちを切り替えた。
 
 
 男性陣は不意のエプロンドレスに当惑しているが、女性でもエプロンドレスに慣れているというのはほんの一握りでしかない。
「何だかヘンじゃありません?」
 長谷川 真琴(はせがわ・まこと)は普段はツナギや学院の制服を着ていることが多い。こういう可愛い服は滅多に着ないから、似合っているかどうかかなり不安だ。
 雰囲気があうようにと髪を下ろしてみたけれど……周りを見れば、他の売り子の女の子たちはみんな可愛くて、自分が浮いていないかどうか気になってしまう。
「何を言ってんだよ。可愛いじゃないか。やっぱり真琴は磨けば光るいい素材だね」
 いつもは地味な真琴が可愛い恰好をしているのが、クリスチーナ・アーヴィン(くりすちーな・あーう゛ぃん)には嬉しくてたまらない。スイーツフェスタの手伝いに来て良かったと、つくづく思う。
「ちょっと、こんなの聞いてないわよ! 勝手に応募してどうするつもりなの!」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が上機嫌で持ってきた制服に、冗談ではないと声を張った。
「まあまあ、いいじゃない」
 可愛い売り子さんになってみたいし、セレアナの可愛い制服姿も見たいし、とセレンフィリティは勝手に2人分の申し込みをしてしまった。いきなり連れて来られた方のセレアナはこの場で事情を知ってびっくりだ。
「良くないわよ。それにセレンは大雑把すぎるんだから、接客向かないわよ」
 いい加減、大雑把、気分屋、の三拍子揃ったセレンフィリティでは、店がどうなるか分からない。
「なんとかなるって」
 相変わらず適当なセレンフィリティだけれど、申し込みは済ませてしまっているのだし、セレンフィリティを1人にしておくのも危険だ。前途の多難を予測しながらも、セレアナは仕方なく制服を受け取った。
 
 
「鈴鹿ちゃん、髪を結ってあげるからここに座ってちょうだい」
 売り子の制服を着た早川 あゆみ(はやかわ・あゆみ)が、度会 鈴鹿(わたらい・すずか)を手招きして呼んだ。
「女の子はこういう楽しみがあっていいわね」
 あゆみは楽しげに櫛を使って鈴鹿の髪をお団子に結い上げると、その根元を細い三つ編みにした髪で巻いた。
 そうして髪を結って貰う感覚に、鈴鹿は実家の母を思い出し懐かしい気分になった。鈴鹿の母は気が強くあゆみとは似ていないのだけれど、母に髪を整えてもらった昔の記憶がそう思わせるのだろう。
「はい、次はイルちゃんよ」
 鈴鹿が終わると今度は織部 イル(おりべ・いる)の髪を、こちらは頭の左右2つのお団子に結い上げ、鈴鹿と同じように三つ編みでくるっと巻く。
「はい、これでとっても可愛い売り子さんの出来上がりね」
「ありがとうございます……」
 嬉しいけれどそう言われると恥ずかしい。照れる鈴鹿と反対に、イルは鏡の中の自分に満足したらしい。
「ふむ、なかなかどうして、この妾が愛らしい乙女のようじゃ」
 洋服を着るのさえはじめてだからどんな具合かと思っていたが、あゆみが結ってくれた髪型もあってよく似合っている。
「イル様の洋服姿も新鮮で良いものですね」
「そうじゃろう。しかし、モリー殿の愛らしさには負けるがな!」
 鈴鹿に言われたイルは、メメント モリー(めめんと・もりー)を見て笑った。
「え、可愛い? 照れちゃうな〜」
 鳥っぽいゆる族のモリーだが、あゆみが特別に仕立て直してくれた売り子の制服をしっかり着用している。
 一体そこはどうなっているんだと問いたい部分もあるけれど、それなりに制服としての形は整っているし、似合ってもいる。
「でもやっぱり、うら若い娘さんたちには負けるね。いつもの着物姿とまた雰囲気が違って、良いねぇ〜」
「あら、良いのは若い娘さんたちだけ?」
「あゆみんは……本当は歳を上に鯖読みしてない? その制服着てても、なんか全然違和感ないよね」
 どう見ても20代、それも完璧に前半に見えるあゆみは可愛すぎるエプロンドレスを自然に着こなしている。
「よかったわ。ほんと言うと、ちょっと恥ずかしかったのよ、この制服」
 スイーツフェスタの売り子を募集しているという知らせを最初に見たのはイルだった。面白がったイルがやってみようと皆を巻き込んだのだ。
「さあ、みんなで可愛くなったことだし、はりきってお手伝いしよう♪」
 モリーは持ち運べる黒板やホワイトボードを取り出すと、苺の花や実の絵で飾り枠を描いていった。角の部分にはポージィおばさんの似顔絵を笑顔で描いてみる。
 イルはそれを、店や苺のイメージに合う色合いのリボンで飾り付けて一層お祭りらしい華やかさを出してゆく。
 あゆみは出来上がったスイーツを運んでくる皆から、お菓子の名前と一押しポイントを聞いて、黒板にリストを書き込んだ。
「名前は『豆乳のブランジェ苺ソース』ね。ポイントは口あたりがさっぱりしてることとヘルシーなところ、っと。こっちは『苺のシフォンケーキ』。注文を受けてから作る『苺ヨーグルトスムージー』もあるのね」
「これは『苺のパイバケット』というのですか。火を通していない苺のピューレ……どんな味がするのでしょう。よかったら、味見用に1ついただけますか? 売り子の皆で少しずつ味見してみたいです」
 鈴鹿もスイーツの制作者から話を聞いて、あゆみがメニューを書き込むのを手伝った。
 
 
「開店用のお菓子は全部運べましたか? 何か足りないものがあれば、今のうちに言ってくださいましね」
 二藍に落ち着いた色の小花を散らした小紋姿で、白鞘 琴子(しらさや・ことこ)は苺スイーツの店の準備をする生徒たちの様子を見て回った。開店用に並べられた第一陣のスイーツ、持ち帰り用の包材、お釣りの用意、1つ1つを確かめてゆく。
 箱の枚数をチェックする琴子に、結はふと思いついて提案してみた。
「あの、スイーツを持ち帰る箱のことなんですけど、ポージィさんのブランドだとわかるように、ロゴなどちょっといれてみたらどうでしょうか。もしくは小さなカードを添えてみるのもいいかもと思うんです」
「ブランド、ですの?」
「はい。スイーツフェスタが毎年行われているのなら、きっとまた来年もここのお菓子を求めに来てくださる方がいらっしゃるでしょうから」
 今年食べておいしいと思った客が、来年もまた来てくれるように。そして来てくれた人がポージィの店を見つけやすいように、の目印だ。
「良い考えですけれど、枚数がかなり必要になりそうですわね……」
 もう少し前だったら、ロゴが簡単に押せるようにスタンプにでも出来たのに、と琴子は残念がった。
「全部は無理かも知れないですが、書ける分だけでもつけてみてはどうでしょう。小さなカードに一言なら、都度足しで手書きででも書けないでしょうか」
「お店の混み具合にもよりますわね。でも、つけられる時だけでもつけてみましょうか」
 琴子は携帯でパートナーのパラビーにカードとペンを調達してきてくれるよう頼むと、また確認作業に戻る。
「今日はよろしく頼む」
 源 鉄心(みなもと・てっしん)に挨拶され、琴子は作業の手を止めて、あらと首を傾げた。
「まだ制服に着替えていないんですの? もう始まってしまいますわよ」
「いや、俺は違う」
 制服を着せられてはたまらないから、鉄心は即座に否定した。手伝うのは鉄心ではなくパートナーたちだ。会場にはいる予定だから、何かトラブルでもあれば声をかけてくれと申し出ると、琴子はありがとうございますと礼を言った。
「そういうことにならないのを願っていますけれど、もし何かの時にはよろしくお願い致しますわね。――あら?」
 琴子が懐で鳴りだした携帯を取り出すのを見て、鉄心は、では、とその場を離れていった。そちらに目礼し、琴子は携帯を耳に当てる。
「はい。……神代さん?」
 電話から聞こえてきたのは、神代 夕菜(かみしろ・ゆうな)の声だった。
「すみません。今日、明日香さんとノルンさんがお手伝いに郁予定だったのですけれど、明日香さんが風邪を引いてしまったようですの。熱もあるのでお休みさせていただけますでしょうか」
「熱が?」
「いえ、それほど高くはないので今日1日大人しく寝ていれば大丈夫だと思いますわ。ノルンさんは1人でも行くと言って出かけましたので、フォローを……」
 夕菜が説明する後ろから、神代 明日香(かみしろ・あすか)が騒ぐ声が聞こえてくる。
「ノルンちゃん1人でなんて、行かせられませんよぉ……こんな熱くらい平気です〜」
「いけません。静かに寝ていないと治るものも治らなくなってしまいますわ」
 送話口を手でふさいで夕菜が明日香を宥めているのが漏れ聞こえ、琴子は夕菜に明日香と電話を替わってもらった。
「予定より人手が減ってしまっては申し訳ないですし、ノルンちゃんのことも心配なのですぅ」
 ノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)を1人にさせておけないからやはり行かなくてはと主張する明日香に、琴子は言い聞かせる。
「人手はこちらでも何とかなりますし、ノルンさんのことはわたくしも注意して見るようにしますわ。ですから、無理せずに休んでいて下さいまし」
「琴子先生が見ていてくれるなら安心ですぅ、ありがとうございます〜」
「ええ、ですから……」
「私の代わりに売り子さんとして、ノルンちゃんのこと見ていてくれるなんて助かります〜」
「え、あの……別に売り子をしなくても……」
「信頼できる先生にお願いできて良かったですぅ。どうかノルンちゃんのこと、ほんとにほんとによろしくですぅ……」
「あの、明日香さん」
 とんでもない方向に話が行ってしまったことに焦った琴子は呼びかけたが、聞こえてきたのは電話を替わった夕菜の声で。
「ありがとうございます。明日香さんもしぶしぶですがおとなしくベッドに入ってくれましたわ。先生のお陰ですわね」
 違う、と無下に言うことも出来ず琴子がおろおろしているうちに、それではと電話は切れてしまった――。