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【ザナドゥ魔戦記】芸術に灯る魂(第2回/全2回)

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【ザナドゥ魔戦記】芸術に灯る魂(第2回/全2回)

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第2章 音楽と絵画と三人の娘 3

 コンサートホールからそう離れていない展示ホールでは、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)たちの絵画が披露されていた。いや――厳密にはグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)、そしてフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)の創作披露と言うべきか。ローザマリアはフィーグムンドの使い魔、赤毛で垂れ目の女『ロゼ』に扮し、彼女たちの創作を見守っていた。
 そして彼女の横にいるのは――アムドゥスキアスとシャムスたちだ。
 アムドゥスキアスは筒状に巻いた楽譜を腰にぶら下げていた。一瞬、ローザマリアはそれが一体何なのか分からずに眉を寄せたが、単なる皮半紙だと知ると興味を失った。
 それよりも、彼女にはアムドゥスキアスに聞きたいことがあった。
「あなたは……なぜエンヘドゥ様だけではなくシャムス様を欲するのですか?」
「なぜって?」
「シャムス様まで不在となれば、南カナンは混乱を極める事でしょう――それを御望みなのでしょうか?」
「君はそう思ってるの?」
「現状は……」
 会話を続けている間も、二人の目はフィーグムンドたちから離れることはなかった。
「なぜ、そんなことを聞くの?」
「わたくしめはフォルネウス様の遣いに過ぎませぬ故……お答えしかねます」
 アムドゥスキアスは赤毛の使い魔を上目づかいに見返した。使い魔の目はじっとフィーグムンドたちの創作を見守り続けている。
(バレたか……?)
 ローザマリアが使い魔ではなく単なる契約者だということ。
 彼女は危惧したが、アムドゥスキアスはすぐに視線を元に戻した。
「使い魔は大変だねー」
「これを機に、相互の理解が生まれれば幸いですが――いずれかが、いずれかの価値観を否定し浸食する。それは際限の無い争いを生む事になるでしょう」
「なるほど。高尚な考え方だー」
「シャンバラ、ザナドゥというキャンバスに描かれる物語が、紅一色では……あまりにも味気が無い、とフォルネウス様はお考えです。ああ見えてアムト―シスの“蒼”もまた、忘れきれぬ方ですから」
「……それはよく知ってるよ」
 アムドゥスキアスはローザマリアだけに見えるよう、静かにほほ笑んだ。
 大洋を支配する魔族フィーグムンド・フォルネウス。思えば、アムトーシスの蒼に魅せられていたときの彼女は、まだ魔海侯とは呼ばれていなかったか。久方ぶりに出会ったというのに、あの蒼の魔族は抱擁でも笑顔でもなく、地上の“蒼”を愛していると率直に告げた。
 まったく、彼女らしい。
 フィーグムンドの絵画は完成に近づいていた。
 彼女は巨大な板を目の前にして、右上から左下にかけて、区切り下半分を彫刻刀で削っていく。荒々しく無造作に彫っているように見えて、その実は計算に裏打ちされた彫り方だ。
 浮き彫りになっていく波打つ形。削り出しが終わって、フィーグムンドは続けて、ローザマリアがあらかじめ用意してくれていた塗料を手にした。すでに調合は終えている。複数の塗料缶に、複数の蒼の色が生み出されていた。
 それを掌に注ぎ――板に塗る!
「……ほう」
 シャムスが感嘆の声を漏らした。
 軽やかで力強く、舞うがごときテンポで彼女は蒼を塗った。
 仕上げは、白だ。彫刻で彫りだしていた凹凸に白を塗ってゆく。その瞳に迷いはない。すでにゴールは見えている。彼女の目には、二つの蒼が見えていた。
「フィーよ、今はただ、其方に賭けるしかない――頼むぞ」
 創作のメインはフィーグムンドであり、グロリアーナはあくまでアシスタントでしかない。彼女は観客の魔族たちの視線を感じて、フィーグムンドに小声で告げた。静かに、しかし力強くフィーグムンドは頷いた。
 ぶんっ――とフィーグムンドがグロリアーナに向けて投げたのは、先ほどまで彼女が色を塗っていた巨大な板である。
 頭上から落下してくる板。それを、グロリアーナが刃を抜いて一刀両断した。左上から右下にかけて、色合いの違う二つの絵の境界線を刃が裂く。
 ずん、と……真っ二つに分かれた板は、重々しい音を立てて床に直立した。
「これは――アムト―シスの水面の色か。そして下はシャンバラの、地上の“蒼”……ふふ、其方らしいな」
 複数の蒼は、二つの蒼を作りあげていた。
 地上の青々とした海の色。そしてアムトーシスの水路を描いた、幻想の色。彫刻の凹凸に塗られた白の色は、水面の漣を表現していた。
 『ふたつの蒼』と名付けられたそれの片方――アムトーシスの水面の絵を手にして、グロリアーナはアムドゥスキアスの前までやって来た。
「アムドゥスキアスよ、勘合符というのを知っておるか?」
「勘合符……?」
「双方が知恵を出しふたつの考えを合わせる、という意味の込められた、元は一つだった二つの札だ。この作品が――地上とザナドゥの勘合符とならん事を切に祈る」
 アムドゥスキアスは、その板を受け取った。ふとその視線が、創作場で佇んでいるフィーグムンドと交わる。
 彼女は口角を軽くあげて笑みを作り、アムドゥスキアスを見つめていた。だがすぐに、その視線は外される。彼女は、作業に使った塗料や道具の片づけを始めた。
 魔海候フィーグムンド。彼女の生み出した蒼の絵は、この世のどの蒼よりも美しかった。



「ペトは花妖精なので、草の根活動を展開中なのですよ〜」
「……と、いうことだな」
 なにが、と、いうことなのかは分からないが、少なくともアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)がパートナーのペト・ペト(ぺと・ぺと)クリビア・ソウル(くりびあ・そうる)と一緒に、様々な場所で歌を披露しているということは確かなようだった。
 ペトはえっへんと胸を張って、頑張っているのですアピールをしている。
 シャムスは思わず、その小動物のような可愛さに彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られたが、なんとか自制することに成功した。
「それで……今回はこの公園広場ということか?」
「そういうことだ。アムトーシスには公園が多くて助かる。酒場が開けば、そっちにも顔を出すつもりだが……」
「今は昼間だからねー」
 アムドゥスキアスが言う。
「俺としては昼間に呑むのも構わないんだがな」
 平然と言ってのけるアキュートに、街の責任者である芸術の魔神は苦笑した。
「それは勘弁してね? なにか問題が起きたら、ボクの責任なんだから」
「……うむ」
 アキュートはどこか残念そうに唸った。
 その間にも、すでにペトが歌を披露するための準備を進めている。
 これまでの色々な場所を回って来たのだろう。すでにアイドルの追っかけ的な(あるいは孫を見守るじいさんばあさんのような)魔族たちが、ペトの歌を聴くために集まって来ていた。公園にいた他の魔族たちも、それに何事かと興味を抱いて近づいてくる。
「草の根活動とやらは実になっているようだな」
「ありがたいことにな」
 シャムスに言われて、アキュートは満足そうにうなずいた。
 とはいえ、好意的に受け取られている分には問題ないが、あくまでも彼らは地上の人間である。何かあっては困るため、アキュートは常にペトから目を離さず、眼光を鋭く光らせていた。
 ペトは自分のステージを用意する。
 ステージと言っても、いわゆる酒瓶を入れるための箱に乗るだけなのだが、移動しながら歌を披露している彼女にとっては、むしろそちらのほうが好都合だった。もちろん、大きなステージでも歌ってみたいとは思っている。今は小さなことからコツコツと……だが、いずれは大舞台で、だ。
 アキュートは遠目から彼女を見守っているが、逆に彼女の傍で演出も担当しているのはクリビアだった。
 ふと、彼女はペトが緊張しているのに気づいた。
「ペトは……」
 ペトの口から、呟きが漏れた。
「ペトは今まで自分の思ったことを、そのまま歌ってきただけなのです。歌で何かを伝えるなんてペトに出来るですか?」
「…………」
 これまで一般の魔族たち相手だけに歌ってきたが、今回はアムドゥスキアスがいる。のんびり屋なペトでも、それなりに不安にはなるのだろう。クリビアはしゃがみ込んで、彼女の目を見つめた。
「私には、ペトちゃんの楽しい気持ち、嬉しい気持ちはいつも伝わってますよ。だからきっと、皆にも伝わるはずです。大丈夫……自信を持って下さい」
 少しは落ち着きを取り戻しただろうか。
 ペトは、彼女と頷き合った。
 そして、ペトがすっと息を吸い込んで――歌が紡がれた。

 街の真ん中     蒼の塔
 ゴンドラ浮かぶ   虹の川
 おじいさんの自慢  鷲の橋
 キラキラ一杯    路地の店

 旅人  巻き込み 盛り上がる
 笑いで 溢れる  街中が

 美しい街を 街の人々を
 私たちは  好きになれた
 同じものを 好きになれるなら
 分りあえる 仲良く出来る
 きっと   きっと

 上手いか? と言われると、そうではないだろう。
 しかしなぜか、彼女の歌には心に滲んで染み込んでくる温かさがあった。
 シャムスの傍らで、アキュートが言った。
「ペトはこの芸術大会で勝てないかもしれないが…………あいつの妙な歌は、心に伝わるものがある。アムドゥスキアスやお前にも、何か伝わるんじゃないかと俺は思っている」
「…………」
 シャムスは黙ったまま、ペトの歌に耳を傾けた。
「なあ、アムドゥスキアス」
「なに?」
「キャンバスに描いた花は、その余白によって輝きを得る。お前は……仲間に囲まれて笑っている、エンヘドゥを見たことがあるか?」
「…………」
 アキュートも返事を期待してるわけではない。
 ただ、言っておきたかっただけだ。そんなときもある。これもまた、もしかしたらペトの歌が染み込んだ力なのかもしれない。
 ペトの歌の途中で、クリビアは演出を作る。氷術による氷の結晶を宙に降らし、光術の光でそれを虹色に輝かせた。光が降ってくる不思議な空間。その空間の中で、魔族たちはペトの歌に聴き惚れていた。
 やがて歌が終わりを迎える。
 拍手喝采。ペトは恥ずかしそうに顔を真っ赤にして照れており、クリビアはそれを微笑ましそうに笑って見ていた。
 実に和やかな空気――だったのだが。
「うひゃー、なんだか楽しそうなことやってるじゃんよー! 俺様も混ぜてくれよー!」
 それをぶち壊しにしたのはスキンヘッドの騒がしい男だった。
「あれ……?」
 その男――常闇の 外套(とこやみの・がいとう)に見覚えがあったのか、アムドゥスキアスが小首をかしげる。確か、先日夜中に忍び込んできた賊の一人にかなり似ているような……?
「おいおいおいおい、やべーよ! なんだよこの嬉し恥ずかし楽しのステージはよ! やばいってコレ! 俺様歌っちゃうぜ? 幸せの歌歌っちゃうぜ?」
「一緒に歌うですかー?」
 観客は明らかにげんなりとした顔になっているが、ペトはにこにことして外套に声をかけた。
「おお、あんたもディーヴァ? こりゃやっべーな。歌姫二人とかもう、優勝確実じゃんよ。俺様の名声、ザナドゥにまで轟いちゃうぜ」
「ペトは歌姫じゃなくて吟遊詩人なのですよー」
「そんなこたぁどーだっていーっての! 歌っちゃおうぜ」
「はいです」
 一緒に歌えばなお楽しい、とばかりに、ペトは外套と小さなステージで歌を披露した。まあ、なんというか、正直言って外套の歌声とペトの歌はミスマッチだったが――それはそれで、思わず観客も笑ってしまったのだから、ある意味、良かったと言えるだろう。
 外套たちの騒がしさは酒場の盛り上がりを彷彿とさせ、いつしか観客も一緒になって好き勝手に歌っていた。
(どっかで見たような気がするんだけど…………まあ、いっか)
 記憶に引っかかりは覚えるが、気にしても始まるまい。
 アムドゥスキアスは気にしないことにして、アキュートたちと一緒に公園の騒がしさに身を投じた。


 ――で、ある。
「……遅い」
 薄暗い牢屋に残されていた外套の契約者、ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)は一人、床にあぐらをかいていた。
「やっぱり、あいつに任せたのは間違いだったか」
 外套には、アムドゥスキアスへの交渉を任せていた。彼に加担する代わりに、ここから釈放してもらうことと、何らかの新たな力をもらうこと。特に失った左腕の代用品のようなものがあれば好都合だったのだが……。
(まあ、もとより期待はしてないがな)
 それよりも、外套のことだ。
 きっと彼は完全に交渉の忘れているに違いない。なにしろ、奴はこれまで彼が生きてきた人生の中でも類を見ない、選りすぐりの阿呆。言うなれば究極の阿呆である。
 芸術大会なんてものを聞いた日には、全思考回路がそちらに傾くことは想像に難くなかった。
(……仕方ないか)
 ロイはばたんと仰向けに倒れて、天井を見上げた。
 いつになったら出られるか。そんなことを考えつつ、彼は静かに眠りに落ちていった。