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リアクション
Case3・緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)と紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)の場合
観覧車。
観覧車といえば……とぼんやり浮かびかけた記憶を、紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)はあわてて消した。頭の上で、ついパタパタっと手まで振ってしまう。
そうしたあとで、見られてしまったかも、と前で座っている緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)を盗み見たが、幸いにも彼はテレビ画面に見入っていて、彼女の不審な動作に気付いた様子はなかった。
お昼のニュース番組では、空京に新しくできた話題のデートスポット、とか紹介する女子アナの説明がつらつらと続いている。
「巨大観覧車、ねぇ…」
遙遠はテーブルの上で立てた腕で頬杖をついたまま、遥遠をちらと見る。
意味ありげな視線。
絶対、前に乗ったときのことを思い出してる。
「よ、遙遠は、ああいうの、興味ないですよねっ」
ちょっとあせり気味のうわずった声で、遙遠は大急ぎそう言った。そして2人でとった遅い昼食の後片付けをそそくさと始める。
「きっと、カップルでいっぱいでしょうし。テレビで紹介されたあとは、なおさら……ね?」
流しの水たらいに入れて、洗剤をスポンジにつけて、キュキュッと。
手元に意識を集中することで、背中に突き刺さってくるような視線は懸命に無視する。
「……いえ。興味ありますよ。170メートルから見る景色はきっと、前のとき以上にきれいでしょうね……前のときは飲まされた薬のせいでぼんやりしていたせいか、よく見ている暇もなかったので比べようがありませんけれど」
――ガチャン!
つるりとすべった皿が、落ちた水たらいの中でもうひとつの皿とぶつかった。
「足を引っかけないように気をつけてください。あと、危ないですから中では立ち上がらないように」
係員がお決まりの注意を口にする。遙遠たちが中に乗り込むと、がちゃんと鉄の音を立ててドアが施錠された。
これでもう逃げ場はない。
(うう……遙遠ってば、今日は妙に意地悪です…)
前の座席でドアに肘を立て、頬杖をついてじーっと見てくる遙遠に、遥遠はすっかりかしこまって座っていた。
上昇するにつれ、ゆらゆら揺れだしたゴンドラは、否が応でもバレンタインデーでの一幕を思い出させる。
遙遠をだまして、ホレグスリを飲ませたのだ。
べつに、悪意があってしたわけではない。もう、とうに2人は恋人同士だった。
ただ、遙遠が薬に対してどんな反応を見せるか、それを、逃げ場のない2人だけの場所で面白おかしく楽しもうと思って……ちょっとしたイタズラ心だった。どういうことになるか、深く考えていなかった。
結果として、ミイラ取りがミイラになってしまったわけだが。
そのときのことを思い出しただけで、羞恥に顔が熱くなる。
「どうしたんです? 真っ赤ですよ。暑いんですか? 何か飲みます?」
座席に投げ出してあったバッグを示す。中に、来る途中で買ってきたペットボトルが入っているのはお互い知っている。
そして、彼女が赤いのは暑いからではないことも、やはりお互い承知だ。
「大丈夫です…」
そわつきながらも、遥遠は窓の向こうに助けを求めた。
「本当、テレビが言っていたように、いい景色ですね。こうして乗り物に乗って少しずつ上昇しながら見るのって、やはり自分で飛ぶのとは違いますよね」
「そうですね。
それにしても、こうして見ると普段見慣れているはずの風景でも、いつもより綺麗に見えるものですね。前のときには全く気付けなかったことです」
なにしろ乗った早々遥遠から薬を飲まされて、そのあとはゆっくり風景を見るどころではなくなったのだから。
「その……あんまり言わないでください。反省してますので」
ますます恐縮し、肩を縮めて俯く遥遠の熱くなった耳に聞こえてくる、くつくつと笑う声。
ああ、本当に意地が悪い。
「ホレグスリの件は、すでに仕返してるじゃないですか…。それでおあいこのはずですよ…。あんまり遥遠を弄らないでくださいよ……もう」
「え? 遙遠は何も言ってないし、してもいないですよ。あなたが勝手に何か考えているだけでしょう?」
そらとぼけて言い、足を組む。
遥遠はますます赤くなって、ガラスに額をくっつけんばかりになった。
「あ! 遙遠、あれは何でしょう? ほら、あそこできらきら光っている――」
「ごまかしてる」
――うっ。
ああもう、駄目。
「……あの夜のことを思い出しているんです。えっちなんです、遥遠は」
観念して白状する。あまりに恥ずかしくて、とても遙遠の方は振り返られなかった。
まさかそんな簡単に認めるとは。
思いもよらなかった告白に、おや? と遙遠は頬杖をはずし、身を乗り出す。
遥遠は彼の注目を受けてもそっぽを向いたまま、外の景色に見入っていたが、それがフリだけで、全神経は遙遠に集中しているのはどちらも分かっていた。
立ち上がり、覆いかぶさるようにして彼女の背もたれに手をつくと、そっとあごに指をかけ、自分の方を向かせる。
「じゃあ、そんな遥遠をかわいいと思って、こうしたくなる遙遠も、えっちなんでしょうね」
そっと唇を合わせた。大切に思っている気持ちが伝わるように。
だがそうして伝わってくる彼女の味や感触、香りが、彼を思っていた以上に高ぶらせた。
2度目のキスは、少々乱暴になる。
(いつからでしょう…?)
のどが伸びきるぐらい顔を上げ、遙遠からの求めに応じながら、遥遠は片隅で思う。
両足の間についた膝とか。するりと上着の下に入って背中に回った腕とか、なだめるように髪を梳く指とか。
昔は、遙遠に触れられるとドキドキして、おちつかなかった。心臓が今にも破裂して、飛び出してしまうんじゃないかと思うくらい高鳴って…。それを遙遠に気付かれまいと、とりつくろうことばかり考えた。
だけど今は違う。
ドキドキするのは同じだけど、こうして遙遠に触れられていると、むしろそういう浮かれた興奮は静まってきて、安心できるのだ。
彼にこんなにも求められている……想われていると、安心できる。
――ふふっ。
「……どうしたんです?」
恋人同士にだけ許される距離から覗きこんでくる、遥遠の上気したほおに手をすべらせ、そっと包み込む。
「なにも」
「なにも?」
「ええ。ただ、あたりまえのことを思っただけ…。遙遠といられて本当に幸せだと、思ったんです。こうして一緒にいられるだけで、幸せ。それだけ…」
大切なことを伝えるように、引き寄せた耳元でささやくようにそう告げる。
そのしぐさが無性にいとしかった。
「遙遠もです。遥遠と一緒にいられると、満たされるような幸せを感じます。
不思議ですね。前のときもそうでしたが、これに乗ると、こういう言葉が素直に口に出せるようです」
「じゃあもっと、ひんぱんに乗りに来るといいかもしれないですね」
ふふ、と遥遠が笑う。
幸せそうに笑って、誘うように唇を求めた。
もっと、と。
その求めに応じつつ、遙遠はロールスクリーンを下ろした。
Case4・六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)とディング・セストスラビク(でぃんぐ・せすとすらびく)の場合
「乗るときに足を引っかけないように気をつけてください。危険ですから中では立ち上がらないように」
ガチャン。
係員が注意と同時にドアを施錠した。
ゆらゆらと揺れながら徐々に上昇していくゴンドラの中で。
六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)はまじまじと前に腰かけたディング・セストスラビク(でぃんぐ・せすとすらびく)を見た。
「……なぜあなたとここにいるんでしょうね」
動き出して早々に前のゴンドラが背面側のロールブラインドを下ろしたのを見て、つい言ってしまう。
空京に新しくできたデートスポット、カップルで乗るのに最適と、ニュースでも紹介されていたのだから当然だけれど、そこにどうして自分はディングと乗っているのか?
「あなたが言うんじゃありませんよ、召喚したのはあなたの方でしょう。それを言ってもいいのは私の方じゃありませんか?」
多大なあきれを含んだ声で言い、ディングは背もたれに腕をかけ、頬杖をつく。
うん、まぁ、それはそうなんだけど。
そのときは、すごくいい案だと思ったのだ。衆目のない、完全に隔離された場所だから、2人で話すには絶好の場だと。時間もきっちり決まっているし、ダラダラさせずスッキリ終われて文句なし。
一度この悪魔とはきっちり話をつけておかないと、今後ますますとんでもないことになりかねない。
だけど思っていた以上に周囲はカップルばかりなものだから。
2人で乗り込んだ自分たちもそういう目で見られているんじゃないかと、つい、あんな言葉が口をついて出てしまった。
「ま、おそらく双子のきょうだいと思われたぐらいでしょう」
そうじゃないのを自分たちは知っているからよけいな気をもんだりしているが、他人から見ればその程度のことだ。
それくらい、2人はよく似ていた。
明確に違うのは髪と瞳の色ぐらいだ。乳白金の髪と赤い瞳、後天性アルビノな鼎と、つややかな射干玉色をした髪と青い瞳のディング。
彼の横にもう1人、幻影のような姿がおぼろに見えて、鼎は薄い笑みを刷く。
「……どうしたんです?」
「べつに。
ただ、やっとカナンの内乱が終わったと思ったらザナドゥが攻めてきたりと、最近は何かと戦いが多くて困りますねぇ」
「ホントですよ」
はぐらかしているのはディングにも分かった。が、あえて乗ってやる、というふてぶてしさで、ディングは応える。
「というか『研究』をしにいったら戦闘になったというのは何なんですか? あなた、最強の魔神にケンカ売ったりして、本気で馬鹿だったんですか? そりゃ私も行くんなら勝手に行けとは言いましたけどね、本当に向かって行くなんて、ばか正直にもほどがあるでしょう。そんなに死にたいんですか?」
ばかのすることは理解不能ですよ、まったく。
胸の前で腕組みをしたディングに、ははっと鼎は笑う。
「死にたくても、今はそう簡単には死ねそうにありませんねぇ。ほら、魂ないですし」
「……イヤミ言うために誘ったんですか?」
帰りますよ、と言いたくても、もう地上ははるか下だ。
召喚のときのようにパッとこの場から消えるわけにもいかないディングの目が不機嫌そうに締まる。対し、鼎は首を振った。
「いえいえ、まさか」
ディング相手に、そんな無駄なこと。
「ただ、思ったんですよ。たまには腹を割って話すのもいいかもしれないとね。2人の人間がいる以上、こういったコミュニケーションは必要なことですし」
「あぁ……確かにそうですね。でも、あなたと私で、何を話すことがあるんです?」
「ん……そうですね。
『彼』の話なんてどうです?」
ふと思いついた、そんなふうに聞こえるよう、軽く口にした。
それでも、ディングがぴくりと反応し、表情がわずかに強張って見える。
「まぁ、あなたと私の共通の話題といえば、それぐらいのものですからね。
でも、何を話す必要があるんですか? 76年も前に死んだ人間のことなんて」
今さらだ。
その存在を覚えている者など、もはやだれ1人としていない。
地球にも、パラミタにも。
「だから、ただの思い出話ですよ。ときたまこうしてちょっと振り返って懐かしむ。ただの昔話です」
「……なるほど」
納得した様子を見せながらも、ディングは視線をガラスの向こうへ向けた。
ガラスに映ったその表情に、鼎は膝の上で指を組む。
「彼は……27でしたか」
「そうですね。私を作ったのが23で、その4年後に死にましたから。今思えばずいぶん若いですよね。当時は普通でしたが」
76年前。1940年代の日本は、激動の時代だった。
「それでも、志半ばで夭折するのはさぞかし無念だったでしょうねぇ」
だからかもしれない。こんなに時間が流れ、時代が変わっても、周囲が変わっても、鼎を動かす原動力は『研究』以外にない。
……自分を動かすものが、とうに朽ちてしまった者の想いであることに、全く抵抗がないわけではないのだが。真実、ほかに変わるものがないのだから仕方ない。
しょせん、自分は彼のクローン。彼の役割を受け継ぐのは当然か。
「くだらない」
そっぽを向いたまま、ディングはつぶやく。
まさか『彼』本人にそんなことを言われようとは。
鼎は片眉を上げて彼を見る。だがディングはそれ以上、何も口にしなかった。ガラスの向こうの景色に目をやったときからわずかも動かないその姿は、時間が経つにつれ、はたして本当に口にしたのかも分からなくなってしまう。
悪魔・ディング・セストスラビク。
『鼎』が地球で死したのち、ザナドゥで転生した、ある意味本当の『鼎』。
その姿も、まさしく鼎の記憶にある『鼎』そのもの。
彼を見るたび、心のどこかで思ってしまう。全ての記憶を取り戻した『鼎』がこうしているのなら、鼎は必要なのだろうか、と。
(……だから私は、彼が苦手なのかもしれないですね)
だから『研究』をしているのかもしれない。
50年、眠って、目覚めて。それだけの時間を経ながら、なおも失われたものにしがみつこうとしている。
できるかどうかも分からない、幻をかき集め、形を成そうとしている。
それは、あの『鼎』にも、この『鼎』にも、できなかったことだからなのだろう。
だけど、本当に…?
ディングは『鼎』なのだろうか。
鼎を突き動かす『研究』への衝動に、ディングがかられている様子はなかった。『鼎』の容姿をし、『鼎』の記憶で話すディング。
でも、彼は悪魔だから。
悪魔は人を惑わす生き物だから。
鼎が望むことを口にし、鼎が思う『鼎』のように行動しているのかもしれない。
そもそも、自分は本当に『鼎』のクローンなのだろうか? 『鼎』は帝国陸軍でクローン技術を研究していた。その記憶は鼎にも受け継がれている。だが研究は遅々として進まず、技術は未完のまま、その理論は彼の死とともに消えた。作られた鼎も完成体ではない。でなければ50年眠らされたりはしなかった。
自分は『鼎』である、という認識すら、不確かなもの。
特に、『鼎』に関する何もかもが失われてしまっている今は。
『鼎』という人間がいたことすら、霧の向こうの話だ。
(けれど、人間自体そんなものでしょう? 自分が何者であるかなんて、自分以外だれが確信してくれるというんです?)
自分以外のだれが。
「――ディング」
「なんです?」
少々長めの沈黙ののち、名前を呼ばれて、ディングが鼎の方を向く。
「まだまだ長いつきあいになりそうですが、これからもよろしくお願いしますよ」
「……ええ、まぁ、そうですね。もう魂がないとはいえ、結んでしまったパートナー契約はそう簡単に破棄できませんしね。
これからもよろしく、ですかね」
いつもどおり憎まれ口をたたくディングからの返しに、鼎は今回ばかりは笑みを浮かべたのだった。