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●春の日の久我内屋

 超巨大商業施設ポートシャングリラには、ご存じのように様々な店が大量にある。
 だが万雑貨(よろずざっか)の『久我内屋』と似た雰囲気の店は他にないだろう。
 広大な敷地の片隅、うっかりしていると見落としそうな場所にこの店はある。それだけでも地味な印象を受けるが、一見、瓦屋根の店構えも抑えたな色使いなのでますます地味に思えるかもしれない。しかし、一度でも買い物をすれば、あなたもきっと、この店が好きになるはずだ。
 誰の心にもある、懐かしい気持ち、過去の遺産を尊ぶ気持ち、道具に愛着をもつ気持ち、そういったものを大切にするのがこの店だからだ。
 サイフォン式のコーヒーメーカーがこぽこぽと音を立てる横で、店主の久我内 椋(くがうち・りょう)が、モードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)浴槽の公爵 クロケル(あくまでただの・くろける)を相手に話し込んでいる。ちょうど客は、ゼロだ。
「いい機会ですからその後のクランジ達の行方について、調べた限りを報告しましょう。まず、Κ(カッパ)ですが、自爆装置が作動したという話は本当だとしても、確実に消滅したという証拠が一切、発見されていないのが気になります。もともと変身能力のある個体です。うっかり生存していて、どこかに紛れているという気もしないではない」
 ところがモードレットは、まるで関心が持てないとでもいうかのように横を向いていた。クロケルも「ふぅん」と判ってるのか判っていないのか微妙な返事だ。
「パイというクランジは消息を絶ちました。自爆装置が起動状態にあると言いますので、いまごろひっそりと死んでいるかもしれませんね。だとすれば勿体ない話ではあります」
 やはりモードレットは横を向いたままだ。けれど椋は続けた。
「それから、イオタと呼ばれるクランジと、その者と交戦……していたと思われる謎の機体ですね。孔雀のような羽が、背からのぞいていたという情報もあります。両者とも行方は不明です。ネームドクランジに限って言えば、イオタというスナイパーは傷を負っていたようであり、単身逃れたとは考えにくいところです。とすればあるいは、ブラッディ・ディバインが確保したという可能性も……」
 だが、椋がコンタクトを持っている限りのブラッディ・ディバインからはそのような情報は流れてきていなかった。本当に何もないのか、それとも隠しているのか。
「結局、ユマ・ユウヅキのようにシャンバラ側についたもの以外はほとんど壊れたか行方不明ということです。クランジシリーズは、高度な技術を持ちながらさしたる戦果を上げられなかった、というのが結論でしょうか。
 まあ、もう登場から二年近く経っています。すでに、クランジたちの後継機も作られているのかもしれませんね。技術は日々、進化を続け、今までの最高もこれからの最高に取って代わられる日も来てしまう……そうなれば、彼女達の役目も変わってしまうのかもしれません」
「立派な所見演説だったな。喝采も欲しいか?」
 ようやくモードレットは口を開いたが、それは皮肉を言うためだった。
「なにやら色々調べてくれたようだが、俺は別に個体には固執はしていない。欲しかったのは仕事に忠実で俺のいうことだけで動かないやつであって、それはおそらく他のものでも事足りる」
 それがどこまで本音かは涼にも量りかねたが、モードレットはさらりと告げて席を立った。
「何体かは生存したというが……結局のところ連中は戦うため作られた兵器だ。つかの間の平穏から『命令がないと自己を見失う存在』と我に返らないかが見物だな」
(「生きる意味を欲しがるのであれば俺が与えてやろうとした、ただそれだけのことなのだから」)
 モードレットが立ったのは、酒瓶を取りに行くためだった。
 直後、無造作にテーブルに置かれたのは、そうそうたる銘酒の数々である。
 一例を言えば、米焼酎その名も『見すてないで』。
 モルトウイスキー『ステイ・G』は知る人ぞ知る限定生産の逸品。
 清酒『萌え殺し』なんて凄い名前のもある。
 まあこれはほんの一例で、有名無名、洋の東西も問わず取りそろえたといったところだ。
「これ、どういうことですか?」
 椋が言うも、飲もうと思ってな、とモードレットは短く答えただけだった。
 なお、いつの間にやらクロケルも加わって、いそいそと瓶を運んでいる。
「そうそう、今日は二時間ほど前から臨時休業の立て看板、立ててるんだよ」
「ちょ……もしかして、さっきから全然お客が来ないのはそのためですか」
「そうだよ」クロケルはけろりとしている。
「そういうわけだ。椋……今日はお前も酒に付き合え」
 どうやらモードレットもクロケルも、真っ昼間だというのに店内で宴会を始める気らしい。
「二人ともせっかくのいいお花見日和だというのに外へ出かけないだなんてもったいないねぇ……だからせめて、店でお花見気分を味わってもらおうと思って」
 そう言ってクロケルが飾ったのは桜の枝だ。
「朝のうちに、山に咲いている見事な桜の枝をもらってきたのさ。たまには、こういった散りゆくものを眺めるのもなかなか楽しいものだよ?」
「いえあの……いくら山のものといっても、桜を折るのは無粋ではないですか……」
「変なところ真面目だねぇ? まあこれは、道に飛び出て危なかったのを剪定したものだよ。ちゃんと切った後松ヤニを塗っておいたから枝が腐ることもないだろう。ああ、お邪魔なら我は退散するけどね」
「いいんですよ、いてください」
 でも、と椋は言った。
「前も言ったかもしれませんが、俺は未成年なので飲めないですよ」
 するとモードレットは鼻白んだ様子で、
「愚か者、俺の国の方じゃあお前の歳なら既に飲んでもおかしくはない」
 などと言いつつ、もうモルトの封を切ってストレートを呷っていた。少し、目が据わっている。
「それに……以前にも俺の酒は断っていたからな、二度目はない。諦めて受け入れろ、店の酒の味見役は飽きたしな」
「うーん。では、銘柄を指定させていただきましょう」
「酒は初めての癖にブランド志向か。いい度胸だ。しかし将来有望とも言える」
 椋は『御神酒』と書かれた徳利を選んだ。
「ささ、ではぐーっと」
 などというクロケルに注いでもらい、猪口で飲む。
 読者諸氏、覚えておいでだろうか。鬼龍貴仁と医心方房内の花見を。彼らが飲んでいた『御神酒』を。
 酒のような匂いと味(といっても薄い)、しかしノンアルコールという空京神社で配布された瓶が、この場所にも紛れ込んでいたのだ。酒が回れば気づかぬもので、モードレットも一口飲んでみたがまるでその正体を察することはなかった。
 知っているのかいないのか、クロケルはまた、「ふぅん」という顔をしていたが、最後までこれに手をつけることはしなかったのである。
 本日臨時休業のここ『久我内屋』にて、不思議な『花見』はこうして深夜まで続いた。