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春をはじめよう。

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春をはじめよう。

リアクション


●A Different Kind of Truth

 石の肌触りだがその実は金属製、つるつるとした表面はつや消しの加工がなされている。十字型の飾りが頂点に据えられており、硬い場所に置くと気持ちの良い音が立つ。紐が通されたペンダントだが、そのままゲームでも使えるサイズのチェスの駒である。
 駒の種類は、キング(王)。
 究極的にはこの駒を取り合うのがチェスというゲームであり、それを考えれば、このペンダントの持ち主が彼女だったという推測は容易に成り立つ。
「シータちゃんの形見、か」
 クランジΘ(シータ)、彼女がトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)に与えた印象は鮮烈だった。知的な眼鏡、切れ長の瞳、ぞくぞくするほどの美人だったが、語尾には少し、甘えるような色が混じることもあった。
 しかしシータは、もうこの世界に存在しない。
 彼女が彼に遺したのは思い出と、このペンダントだけである。
(「大切な妹たちを守れない俺は、何て駄目なお兄ちゃんなんだろう……」)
 季節は出会いの春だというのに、トライブは心に寒々しいものを感じるのだった。
 シータは極悪人で、他人を玩ぶのが好きで、多くの人の人生を狂わせた……教導団の発表ではそういうことになっている。クランジΗ(イータ)も同様の手合いだと言われた。
 けれどそれは、トライブ自身の見解とは違う。
(「真実なんてどうだっていいさ。俺にとっての真実は、俺が出会ったクランジちゃんたちは俺の可愛い妹ってことさ……今も、そしてこの先も、何があったって変わらない」)
 それゆえに、彼は胸に痛みを感じるのである。
(「もし、違う出会い方をしていたら……いや、やめておこう」)
 眼に見えないほど小さく作られた仕掛けを触ると、ペンダントは二つに割れた。
(「みっともなく未練をぶらさげて春のはじまりを迎える……こんな俺をクランジだちはどう思うだろうな?」)
 シータだったらアハハと笑って、「さっさと私たちのことは忘れたほうがいいよ」と言うかもしれない。そんな気がした。
 けれどきっと、トライブは彼女のことを忘れないだろう。
 このペンダントに仕掛けがあるのを知ったのは数日前だ。内側は空洞で、簡素な地図と、小さな電子キーが入っていた。とりわけ鍵は、貯金箱の鍵のように小さなものだが、その実、鍵は高度なテクノロジーが組み込まれているのが一目瞭然だった。複製することはできないだろう。
 地図を数時間検討して、トライブはこれが、ポートシャングリラの倉庫街を示すものだと突き止めた。
 巨大ショッピングモール『ポートシャングリラ』、その表の顔が華やかな街並みだとすれば、裏の顔がこの倉庫街だ。無数にあるシャングリラの店舗を支える必要があるため倉庫街も一つの街のように広大だが、オートメーションが究極的にまで進んだ結果か、ほとんど無人の世界なのだった。
 一つ一つが体育館ほどもある灰色の倉庫が、整然と並ぶにもかかわらず人間の姿がないというのは、どうにも不気味で、落ち着かない。
「これ……だよな」
 食品の冷凍保管庫に忍び込み、トライブはその奥の巨大金庫に到達した。こんなところに金庫というのも妙な話だが、その無愛想な外見と厚い扉は、そうとしか表現できないものである。
 防犯装置はすでに外してある。見つかれば不法侵入で捕まるだろう。ドジを踏む前に用件を片付けたかった。鍵を差し込むと、金庫の表面にひとつ、豆粒のような緑のランプが灯った。ロックが外れたのだ。
 うかつに触れると手が貼り付きそうなので手袋をはめて開く。
(「何だかワクワクしてきたぜ。はっ、もしや、これは俺の新しい妹との出会いのフラグ!?」)
 金庫の内側も冷凍庫になっているようだ。
 シリンダーのようなものが立っている。氷の柱のように。
 シリンダーの表面は霜で覆われて中は見えない。人間の一人くらいなら十分閉じ込めておけるほどの大きさだ。
(「全裸の美少女が冷凍睡眠で保管されていたとしたらどうしよう……!」)
 ありえる、とトライブは思った。たとえばシータのコピーボディがしまいこまれていたとしてもおかしくはない。だとしたらどうしよう。だとしたら……きっちり教育して、悪の道に走らぬ心優しい妹として育てたい。
 ざりざりと霜を手袋で擦り落とし、その内側をのぞいた。
「って、カエルかよ!」
 がっかりしてしまった。なんとそこには、人間なら赤ん坊ほどのサイズになるカエルが一匹、直立したまま目を閉じていたのだ。これほど大きなカエルは普通いないので、これは妖精かゆる族のたぐいに違いない。
「なんだか間抜けな顔のカエルだなぁ……」
 少し調べると扉にスイッチがあるのが判った。これを押すとシリンダーが外れ、ぽろりとカエルが床に倒れた。
 極寒の倉庫から出て数分もせぬうちに、カエルはぱちくりと目を開いた。ふああ、と大きな欠伸をして、
「なんやおいごっつ寒いなぁ。冬眠してた気分や」
 ガチガチの大阪弁でカエルは話したのである。声はまるきりオッサン……せめて雌なら……とトライブは哀しく思った。
「気分じゃなくて多分、本当に冬眠してたんだと思うぜ」
 まさかこいつにキスしたらたちまち王女様に戻るとか―――いや、夢を見るのはもうやめよう。
「わて、カースケいいますねん。カエルのカースケ。助けてもろたみたいで感謝してまっさ。えらいおおきに」
 カエルは小さな手で握手を求めてきた。
 聞けば、やはり彼(もちろん男性だ)はシータの催眠術で眠らされ、ここに保管されていたようである。
「そや、そろそろ帰らんと家主はんが心配する。遅なったら昼飯食いそこねるわ」
 カースケの感覚では半日程度眠っていただけのようである。
「おいカエル、その『家主はん』て女の子か? ていうか可愛い? 可愛かったら俺に紹介してくれない? 俺に新たな出会いをプリーズ」
「なんと! 恩人のトライブはんの言うことや、喜んで答えまひょ」
 ここがどこかすら判っていないのに、ぺたぺたと歩き出しながらカースケは言った。
「年は十七、イルミンスール生、花も恥じらう乙女でおま……わての見立てではあれですな、大和撫子風というか……」
「ほうほう」
 トライブはちょっと元気が出てきた。
「家主はんの名前? 小山内南(おさない・みなみ)て言いますねん」