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ヴァイシャリーの勝負日



「では、今日はおにぎりを作ります。いいですね」
 バカ丁寧な先生口調で、樹月 刀真(きづき・とうま)が言いました。
 その言葉に、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)がブンブンとうなずきます。
 前回約束したお料理教室です。
 はたして、教える段になって何がいいのか考えた樹月刀真でしたが、やはりここは基本に立ち返ろうということになりました。
 ヘタに複雑な物を作っても、以前の二の舞になるのは明らかです。
 基本的に、塩以外の調味料を使わない塩むすびであれば、そうそう味で失敗することはないでしょう。
「――えっ、おにぎり?」
 真剣にうなずいてしまってから、漆髪月夜がはたと我に返りました。
 樹月刀真が直々に教えてくれるというので、かなり舞いあがって真剣勝負のつもりで臨んできたというのに、おむすびとはなんなのでしょう。これは、もしかして、もの凄く料理スキルがないと思われている? レベル1ですか、そうですか?
「何をむくれている?」
 目ざとく漆髪月夜の表情に気づいた樹月刀真が訊ねました。まあ、訊ねなくとも、理由はだいたい察しがつきます。あらためて宣言しなくても、漆髪月夜の料理レベルは0.1です。
「はいはい、文句は、ちゃんとおむすびを作ってみせてから言いましょうね」
 パンパンと手を叩いて場の雰囲気を元に戻すと、樹月刀真が材料を調理台の上にならべていきました。
 御飯はすでに炊いてあります。お米をとぐところから始めてもいいのですが、さすがに洗剤でお米を洗うとかされない限りは、省略しても大丈夫でしょう。ここは時間短縮です。炊飯器に無洗米を計って入れて、目盛りまで水を入れるだけですから。さすがに、釜に直火から始めたのでは現実的ではありません。
「最初は、塩を水で溶きます」
 さっそくなんでという顔をする漆髪月夜に、樹月刀真が落ち着き払って説明を始めました。
「手に塩を振るのは、均等に塩がつかないので、味に偏りができます。まして、直接御飯に塩を振りかけるのは論外です」
 その言葉に、心の中を見透かされたように漆髪月夜が密かに引きつりました。なぜ分かったのでしょう。
「塩水にしてしまえば、塩の塊がおむすびの表面に残ることもなく、均等に味がつきます。それと、手を濡らすことになるので、手に御飯がくっつくことも防げるわけです。さて、それでは、いよいよ御飯をとります。まずは、濡らしたしゃもじで軽く混ぜて余分な水分を飛ばしつつ、あら熱を取ってください。いきなり手に載せたりすると火傷をしますよ」
「はーい……」
 樹月刀真の注意をちゃんと聞きつつ、漆髪月夜が、御飯を適量、手の上に載せました。
「さて、御飯を握るわけですが、ガチガチに固めてはいけません。かといって、持ったとたんに崩れてもいけないわけで、食べて口の中で噛んだらほろりと崩れるのが理想です。適度に空気を含むように優しく握るのがコツです」
 うんうんと、漆髪月夜はうなずきながら御飯に握りしめていきました。
「最後に海苔を巻けば完成です。ねっ、簡単でしょ?」
 そのフレーズは鵜呑みにできない気もしますが、いちおう、言われたとおりにおむすびが完成しました。
「じゃあ、食べてみるか」
 お互いのおむすびを交換すると、二人がそれにパクつきました。
「美味しい……」
 やっぱり、樹月刀真の作った物は凄いと、漆髪月夜が感心します。はたして、自分の物はどうだろうかと、漆髪月夜が樹月刀真の顔をうかがいました。
「うん、美味しいよ」
 大胆におむすびにかぶりついた樹月刀真が、頬にお弁当をつけながら答えました。
「よかった」
 お互いに、自分の作ったおむすびが相手に気に入られて、ホッとしたように声を合わせました。
「さて、それじゃあ……」
「刀真、御飯ついてる……」
 次は何を作ろうかと樹月刀真が言いかけたとき、漆髪月夜が手をのばしてほっぺたについている御飯粒をつまみとりました。
 そのまま、それをぱくっと食べてしまいます。
「えっ、えーっと……」
 ふいをつかれた樹月刀真が、ちょっとしどろもどろになりました。漆髪月夜としては、ごく自然の行動だったようですが、本人に自覚がない分樹月刀真の方が照れてしまいます。
「ええっと……」
 ちょっとバタバタと手を振る樹月刀真に、まさか、またストマッククローかと漆髪月夜が身構えます。
「ナポリタンでも食べるか?」
 話題を逸らそうとしつつ、中途半端な小腹を満たすために、樹月刀真が漆髪月夜に訊ねました。