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願いが架ける天の川

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願いが架ける天の川

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第3章 星流れる川で


 濃藍に、闇の黒さをほんの少しずつ混ぜ込んだ夜空はゆっくりと、絵筆を地上に降ろしていった。足元には墨色の紗がかけられ重ねられて、小さな花々の色はもう判別がつかなくなっていた。
 ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)は躓かないように気を付けながら、それでもできるだけ急いでとことこと、そんな中を戻ってきた。
「お茶とお菓子貰って来たよー」
 彼の両手には木の盆。盆には冷えた緑茶のグラスが二つと、銘々皿の上に水羊羹が乗っていた。
 ヘルは盆をベンチに置くなり自分もストンと腰を下ろして、両手を広げてあわあわしながらパートナーに話しかけた。
「大丈夫? 疲れてない? 何処か痛くない?」
 早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は視線を星空からパートナーに移す。予想通り、心配そうな顔がそこにはあった。
「ああ、大丈夫だ」
 言って乾いた唇を湿らせようとグラスからお茶を飲んで……けほっ、と軽い咳をする。
「本当に大丈夫? 苦しくない? 薬飲む? 魔法も……」
「むせただけだ。心配し過ぎ」
 ヘルはまだ安心できないという顔をしていたが、笑ってみせるとようやく納得してくれたらしい。渋々ながらも5センチほど離れてくれて自分のグラスに手をつけた。
 少し長く病気をしていたせいだろうか、ヘルはやたら心配する。もう身体的には問題はないし、思ったより体力も落ちてない。
(お洒落浴衣を着せられた事の方が気になる)
 こう、少々浮いている気がする。ヘルの趣味なのは分っている……ヘルと並ぶと、それが自然に見えるから不思議なものだが。
 ヘルは今日も(いつも?)派手な顔立ちに似合う華やかな服装で、そこはかとなくお揃いの香り漂うお洒落浴衣を着ていた。
「だってー、心配しちゃうのは仕方ないもん」
 しかしヘルからしてみれば、呼雪は病み上がりの……いや病気が治ったつもりの呼雪、なのだ。
(病み上がってない呼雪を甲斐甲斐しくお世話しますよ)
 彼は黒文字の楊枝を羊羹に入れつつ、
「はい、羊羹切ってあげようか。あーん」
「……自分で食べられる」
「ちぇっ」
「俺より星を見ていたらどうだ。天の川が見事だし……ほら、あの川。本当に星が映り込んでるように光っている」
 地上に出現した天の川は、空の天の川から零れた雫を集めて流したようだった。
「綺麗だねー、ホントに大昔の魔法使いが何か魔法を掛けたのかもね」
 暫く二人は羊羹を食べながら景色を見ていたが、先に楊枝を置いてヘルは訊ねた。
「あ、ねぇ。呼雪は短冊にどんなお願い書いたの?」
「そういうのは、人には言わないものなんだよ」
 軽く優しく呼雪が言うと、ヘルは口を尖らせた。
「えー秘密? ぶーぶー」
 形ばかり抗議はしてみたものの、ヘルは無理に聞き出そうとはしなかった。
(ま、呼雪は自分の事は書かないからなぁ。いっつも人の事ばかり。その分僕が考えるけどさ)
「それに、自分の願いは自らの手でで叶えるものだ」
 呼雪は、お前はどうなんだ、という目を黙って向ける。
 呼雪が黙っている以上黙っていても良かったけれど、ヘルは何も恥ずかしかったりやましいことが無いというように堂々と応えた。もしかしたら構って欲しいのかもしれないけれど。
「僕? 僕は『呼雪と一緒に幸せになります』って書いたよ!」
「……宣言?」
「えーだって、二本って神社のお参りとかも、本当は抱負を誓って『見守って下さい』っていうものなんでしょ?」
「……そうかもしれない……けどな……」
 呼雪は言い淀むと俯いた。顔が赤くなってないだろうか。他人に見られると思うと、少し、恥ずかしい。今に始まった事じゃいけれど。
(でも、色々心配させたりやきもきさせたりしてるのは分かってるし……こいつがどんな気持ちでいるか考えると)
 呼雪は顔を上げ、さっきよりも柔らかい口調で謝った。
「ごめんな、手間掛けさせて」
「気にしないでよ、好きでやってるんだから」
 ヘルは済ましていったけれど。「ありがとう」と呼雪が言うと、ちょっと泣きそうな顔になって両手を回して、ぎゅーっと抱き付いてきた。
「何処までも付いていくよー」
 ヘルの温かさを感じながら、呼雪は彼の金色の髪を撫でる。
(俺の願いは、『全ての魂に安寧がありますように』。痛みや悲しみに気付いたとしても、救い切れない、掌から零れていくものの多い事。それでも俺は……)
 子犬のようなヘルの暖かさに自分もどこか救われている。そして自分も……。
(自分が救う事が出来るものは救いたい、それがエゴだと言われても)





「星降る丘に、星流れる川か……ずいぶん、ロマンチックな呼び名だよね」
 黒崎 天音(くろさき・あまね)は小さく笑った。
 少し時間が遡って、夕方、一番星が見え始めた頃。天音は空を見上げていた。
 太陽は西の空に消え、夜が深く闇が濃くなるほどに月は輝きを増していく。藍色に塗り込められた空に隠れていた星々が画家に点描を打たれたように、次々に姿を現した。
 天音が刻一刻と輝く空を静かに眺めていたのとは対照的に、パートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はといえば、時折ポケットからメモ帳を取り出し、何ごとか書きつけている。
 そして行く手にある笹飾りに近づくにつれ、地上を歩く人々に注意を向けていた。その中に特徴ある髪型の小さく元気な友人を探すものの、姿は見えない。
 次は誘ってみようと考えていると、天音が口を開いた。
「ブルーズ、短冊に願い事を書いていこう」
「うむ」
 笹には様々な願い事と共に飾り付けがされていた。黄色の星が多いようだが、中には他の色の星も見える。
 天音の願い事は水色の星に。
『パラミタ内海のリゾート地で、素敵な別荘物件が見つかりますように』
「願うより不動産屋に行った方がいいのではないか? 知り合いに紹介してもらうなどの方法も……」
 ブルーズはそんなことを言ったが、こういうのは縁だからね、と天音はかわした。それに夏にイルカたちと遊ぶ為の、プライベートビーチ付き物件を購入したいというのは本当だ。
「ブルーズはどうなの?」
 ……と、ブルーズの手元を見た天音の顔が、からかいたそうなものから神妙なものに変わる。目を閉じて首を振った。
 意外にもピンクの星に書かれていた願い事だったが、内容はそんなに甘く――特に天音に――ないのだった。
『できれば天音の願いが叶うように。あと、天音がちゃんと部屋の掃除をするようになりますように……』
 そこまではいいとして。
『天音が服を脱ぎちらかしませんように、天音がポケットに紙を入れたままにしませんように、天音が……』
 細かい字でびっしりと、5つのトンガリの隅の方まで、要求が色々書かれている。
「……目立つところには飾らない方がいいね」
 とだけ天音が言うと、笹を挟んで(はみだして)反対側に見慣れた友人の丸い姿が見えた。
 ろくりん君がえっちらおっちら、笹に短冊を飾ろうとしているのだ。


 天音が出会った「ろくりんくん」こと「ろくりんくんのゆる族」キャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)は、太いペンを握りしめていた。短冊にの中央には、
『2024年夏季ろくりんピックが成功しますヨウニ!』
 と、でっかい字で書いてある。
(ゆるキャラの寿命もあるからこれが最後のろくりんピックになりそうヨネ。そうしたら恩給生活ネ)
 大失敗だったら恩給額も減る……いやいや、大成功だったら恩給も増えるというものである。
「ふんふん、これでいいワネ……あっ、ソウダ」
 ペンのキャップをはめようとして、キャンディスは気が付いて声を上げると、
『清音チャン、お誕生日オメデトウ!』
 と、空いていたスペースに書き足した。小さい字で、詰まっちゃったけど。
 パートナーの茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)はいつものように、百合園の敷地内にいる。会うことはできないけれど、今日・7月7日は清音の誕生日でもあった。
 嘘ついて契約した相手ではあるが、キャンディスは覚えていたようだ。もし清音が知ったら驚くだろう。
 キャンディスは満足して願いごとの星を括り付けようとした。……が、届かない。
「ヨイショ……ヨイショ」
 キャンディスの手はとっても短かったのだ。自分の頭にも届かず帽子をかぶることもできないのである(実際はゆる族だから謎技術で何とかしているのだろう)。
 天音が見つけたのは、そんなキャンディスが物理的に無理なミッションに挑戦している時だった。彼はさりげなく近づくと、ひょいとその星を手に取り、少し高い位置に、願いが届きやすいようくくりつける。
「願い事、叶うと良いね」
 ぽんぽんと頭を叩く天音を、キャンディスはキラキラした瞳で見つめた。
 そう、ろくりんピック成功の手助けを、彼はしたのである。
「これはお礼(兼販促)ネ!」
 キャンディスはポケットから取り出した2024夏季ろくりんピックの開会式のチケットを二名分、天音の掌に押し付けた。
「ありがとう……あれ?」
 天音は眉を微かに、訝しげにひそめた。チケットは簡素なもので、開催の日付も書いていない。
 実は2024夏季も、その後のろくりんピックも開催予定ではある。あるのだが、現在のパラミタの情勢を考えると、「夏季開催」が何時とは明言できない。開催時期の検討段階なのだった。
「使えると思うケド、もし入れなかっタラ、正式なチケットに交換するワ」
 ところで、キャンディスはその後、そのチケットを配って歩いた。躓いたところを助けてくれた人、お茶を持ってきてくれた百合園生、そして――、
(身体はしなやかそうヨネ、愛嬌のあるマスクも及第点カシラ)
 誰かが聞いたら耳を疑いそうなことを思った。キャンディスの視線の先には――平凡な守護天使の青年。
 キャンディスは彼に目を付けると、草の上に座ってぼーっと星を眺めている彼の横に並んで座った。
 そして何と誰も予想できないことに、スカウトを始めたのである。
「久し振りネ。ネエ、ウィンター・スポーツを極めてみない?」
「……えっ!?」
 守護天使も予想できない会話に呆然としている。今、夏だし。そもそもスポーツとか選手になれるレベルではない。
「選手としてはそこそこでいいノヨ、むしろルールへの精通や解説、アナウンス能力が大事ネ。ミーの元で修行を修めタラ次の冬季ろくりんピックから三代目ろくりんくんを襲名してもイイワヨ」
 それは、選手としてのお誘いか、それともアナウンサーなのか? 戸惑っている間にも、キャンディスは考える暇を与えずに提案を持ちかけた。
「知ってるワヨ、名前が欲しいノヨネ? みんながアナタを名前(ろくりんくん)で呼んでくれるワヨ?」
 それは、悪魔の提案。
 守護天使の目の色が変わった。勿論、さっき言われたこと、「ろくりんくん」と呼ばれること、着ぐるみを着させられることなんて頭からすっ飛んでいる。
「ほ……本当ですか!?」
「七夕の話、聞いたワヨ。
 魔法による川の氾濫が無くなっても、大雨の年はアルノヨ。そんな年でも織姫に会えるようにと彦星は水練を始めたノネ。そして努力が実った彦星は国一番の泳ぎの達人になって数々の水泳競技で金メダルを積み重ねていったのヨ!
 みんなも、恋人に会えるように泳ぎを鍛えましょう! ……と言う訓話にしないと」
 訓話……訓話? 
 ともかく、さっきの選手としてはそこそこでいい、という提案よりはまともである。少なくとも、夕陽だったら熱血コーチと選手の交わす会話のような感動的「口調」ではあった。
「……や、やります!」
「じゃあ、各種特訓と教材費の相談ネ」
 キャンディスはどこから取り出したのか電卓を叩き始めた。
「そうネ、各種特訓のレッスンに特別レッスン、会場使用料、交通費、特製トレーニングウェア、ダンベル、テキスト代にドリル代にテスト用問題集に採点代金……」
「……はっ! や、やめです、さっきのナシです! 済みませんが他の方当たってください!」
「ソウ、残念ネ。開会式には来テネ」
 ぼったくりと気付いて、守護天使は慌てて立ち上がる。キャンディスは知らず会話のお礼にと、非情にも二名分のチケットを渡すと、そそくさと立ち去る守護天使を見送った。


 キャンディスと別れてから、天音はブルーズを誘って丘を歩いて少し下り、眼下に川が見える場所に立った。
 夜が更けるにつれて星々はいっそう空に砕かれた宝石のように散らばって、川にも降り注いでいるように見えた。
「またこの景色も、他のさまざまな景色も見に来よう」
 ブルーズにとっては、このパラミタは自分が、竜が守る世界でもあった。美しい世界だからこそ守りたいと成竜たちは思うのだろうか。
「ああ、美しいね」
 感嘆の溜息交りに天音は言ったが、星の向こうに、彼女と見た金色の蛍の光を思い出していた。
 短冊に書いたのは、天音の本当の願いではない。
 本当の“願い”は、星には願わず、胸の内に仕舞う――さざめく百合たちの中心で、咲き誇る高嶺の花が、この場所に戻って来られるように、と。
 丘の上では笹が傾けられ、ここからは川の上に差しかけられているように見える。それは、願い事の星で架けられた橋のようだった。