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26歳の誕生日

 2025年3月23日。春の入り口。
 桜の咲き始めた頃に、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は26歳の誕生日を迎えた。
 四捨五入すれば30歳になる年齢から1年。アラサーと呼ばれる年齢にも近づいてきた。
 素直に誕生日を喜べず。かといって露骨に嫌がるのもなんだか微妙な……そんな年齢になってしまったと、ゆかりは感じていた。
(シャンバラに来た当時はまだ、20歳だったのに……あっという間に二十代後半)
 思わずため息を漏らしてしまう。
 別に嫌というわけではないのに。
「なに黄昏てるの」
 声をかけられて、ゆかりははっとする。
 ゆかりは今、ヴァイシャリーの雑貨屋で購入した小物やアクセサリーを提げて、パートナーのマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)と、はばたき広場を歩いていた。
 去年の25歳の誕生日は任務に追われていたが、今年は誕生日と重なる形で休暇をもらうことが出来たので、どこか春を感じさせる場所へ……ということで、マリエッタと旅行に出かけたのだ。
 ゴンドラに乗って、街を巡って、展望台で景色を見て、食事をして。
 それから有名な店を見て回って。今はこうして、はばたき広場を散歩しているところだった。
「もうすぐ夕方だしね」
 などと笑ってごまかして、マリエッタは広場の端にあるカフェを指差した。
「あのカフェ、前に来たことあるわよね。寄っていきましょう」
「うん、ちょっと休憩しようか」
 そして2人は、ヴァイシャリーに来た時によく顔を出すカフェに入ることにした。
 
 窓際の運河が見える席に向かい合って腰かけて、2人とも紅茶を注文した。
「はい、カーリー。お誕生日おめでとう!」
 待っている間に、マリエッタはこっそり用意していたものを、ゆかりへと差し出した。
「プレゼント?」
「うん」
 ゆかりは受け取って、開けてみる。
 細長い箱の中に入っていたのは――誕生石のアクアマリンのネックレスだった。
「ありがとう」
 ゆかりは嬉しそうに微笑み、マリエッタも喜んでもらえてよかったと、笑みを返した。
「お待たせしました」
 給仕の少女が紅茶を運んできてくれた。
 冷ましながら飲んで、外の景色をみるともなく見ながら、のんびり過ごしていく……。
(そう……シャンバラに来た時20歳だった。マリーと出会ってシャンバラに来て……まさか自分が教導団に入って、軍人の道を歩むなど思いもしなかった)
 マリエッタと出会う前のゆかりは、数多くの悩みを抱える国立大学法学部の学生に過ぎなかった。
 その頃のゆかりは、将来の進路に悩み、苦しい恋に悩み、家族との関係に悩み……精神的にいつ壊れてもおかしくない状態だった。
(マリーとの出会いがなければ、本当に壊れてしまっていたのかもしれない。二十歳の時の切羽詰った選択が、今の私の形を作っているのだとすれば、今の私の選択が、5年後の自分を形作る――)
 三十歳になったら、その時はどんな選択をするのだろうかと、マリエッタは想いに耽っていた。

 マリエッタもしばらく景色を眺めていたが、不意に鞄の中から、雑貨屋で購入した絵葉書を取り出した。
 ペンを手にすると、心の奥底に居る人物を思い浮かべて、文字を書く。
 実らない恋、報われることのない想いを抱いていた、あの人は――。去年、最愛の人と結婚したと聞いた。
「お幸せになってください」
 マリエッタは葉書にそう書いた。これはあの人への最初で最後の葉書となるだろう。
 自分の報われない恋の終わりをようやく受け入れる気になっていた。

「二十歳……もっとも美しい年だと言わせない、か」
 頬杖をついて水路を行くゴンドラを見ていたゆかりが唐突に呟いた。
「え? それ誰かの言葉?」
「……昔読んだ、小説の冒頭にそのような主人公の言葉がかかれていたの」
 軽くマリエッタを見た後、ゆかりはまた窓の外に目を向ける。
「二十歳の時の私は迷っていた。二十六歳の私は今も迷ってる。では、三十歳になった私は? きっと迷ってる。でも、そうやって自分の生き方を選ぶしかないのよね……」
「そう……」
 葉書を鞄にしまって、マリエッタも水路に目を向けた。
「あたしも今年で二十歳だね。きっとあたしもあの時のカーリーみたいに悩むのかも……」
「……そうね。今はとにかく迷うしかないのよ」
 やがて外は茜色に染まり、運河は良く見えなくなった。
 2人は荷物をもって立ち上がり、カフェから出ると、夕焼けに染まる街を歩いて行く。
 来年は、再来年は……5年後は。
 自分はどうなっているのだろう。
 未来への期待と、不安と迷いを持ちながら歩いて行く。