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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 同じ新宿でも、闇市に視点を移そう。
 やくざ者と思わしき二人連れが、黙って掌を見せている。
「……ほら」
 その手に札を握らせて、小鳥遊ミヨ(たかなし・みよ)はそっぽを向いた。
「さっさと持って行きなさいよ。今週のみかじめ料よ」
 それだけ告げると、ミヨはまるで、やくざ者などはじめから存在していなかったかのように自分の仕事を続ける。棚を出し、ブルーのビニールで露店の屋根を張り直した。そして丁寧に、売り物を並べ始めるのだ。
「けっ、今週もちゃんと用意しやがったのか」
 ランニングを着たカッパ禿げのヤクザが、巾着に金を詰めて毒づいた。
 この新宿闇市では、商売をする以上『税金』を週一度支払わなければならない。といってもそれは国庫に納まるものではなく、新宿を仕切る暴力団が受け取るのである。終戦直後はそんな制度はなかった。だがいつからか、トラブルを収拾するためという名目で、暴力団が現れてこの利権をあさるようになった。もちろん拒めば、制裁が待っている。ちょっと前までは蓮田組というのがここの元締めだった。ところが蓮田組は石原肥満の渋谷にちょっかいを出し、撃退されて大きく弱体化してしまったという。
 そして現在は、いくつかの暴力団が連合した『新竜組』と呼ばれる新しい組織がこの闇市を仕切っているのである。新竜組の『税金』はそれまでに比べるとずっと高い。おまけに取り立てが苛烈だ。命を取られた者もあるという。これを嫌って、みかじめ料など取らない渋谷の闇市へ逃れる同業者も多かった。
 しかしミヨは新宿に残った。こちらのほうが規模の大きいマーケットなのは事実であり、お得意様も多い。それになんといっても新宿の地は、ミヨの生まれた土地なのである。
 満州から引き揚げて新宿に戻ったとき、ひたすらに貧しかったとはいえミヨは嬉しかった。故郷に帰ることができたのだから。空襲で両親が死んでしまった今でも、やはりこの地が彼女のふるさとなのだ。もう離れたくなかった。戦争が終わったとはいえ、いつ死が訪れてもおかしくないこの時代である。まだ二十歳に満たないミヨではあるが、死ぬならば故郷で、との想いがその胸にあった。
「……にしてもなァ」
 カッパ禿げはジロジロとミヨを見た。ミヨはこの視線が大嫌いだ。そちらを見ようともしない。
「毎週、上手く稼いでは『税金』を収めるよなぁ。こんな若ぇなりしてよォ」
 上手く稼いで、などと言われるのは心外だ。ミヨは幼い弟や妹の面倒を見るため、露天で飲食物を売って暮らしている。暗いうちから起き出して仕入れをし、仕込みまですませて丸一日、汗だくになって売っているのだ。正当な仕事の成果である。商品は主に、満州仕込みの朝鮮漬けや露西亜漬け(今で言うキムチとピクルス)、それに満州で覚えた餃子などだ。本場では餃子と言えば蒸して食べるものだが、ミヨは独自の工夫のすえ、もっと早く作って食べられるよう、焼き餃子を提供していた。
「『税金』、払えなくなったらいつでも言ってくれよ。体で払ってもらえるんならお釣りも出るぜェ」
 ブヨブヨした唇をべろりと舐めながらカッパ禿げは言った。
「お前らならそっちで稼いでもいけるよなァ……いい店紹介しようか、その顔だ、覚悟さえあれば二三年もすりゃ、あっという間に稼ぎ頭になるぜぇ」
 言いながらしかも男は、手を伸ばして売り物の漬け物をつまもうとしている。
 その手をミヨは鉄串でぴしゃりと撲った。火が出そうなほど強烈な一撃である。
「食うんなら、金払ってもらうよ!」
 カッパ禿げが何か言おうとしたが、その肩をもう一人のヤクザがつかんだ。こっちが兄貴分なのだろう、紫のバンダナを首に巻いたヤクザが言う。
「オメエの負けだ。行くぞ」
 邪魔したな、とヤクザは漬け物代金相当の小銭を置き、カッパ禿げを小突いて屋台から離れた。
 ミヨは、こぼれそうになった涙をぐっとこらえた。そして、荒々しく小銭を握って懐にねじ込んだのだった。
 はらはらしてこの様子を見守っていた者があった。
「大丈夫?」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は屋台の陰から出た。数時間前に1946年に来た彼女は、目立たないよう当時の子どもを装って、新宿の闇市を探っていたのである。
 1946年の光景は、美羽にとって驚きの連続だった。たった数時間しかいないというのに、2022年の尺度では理解できないようなものが矢継早に訪れる。このときも偶然、新宿系のヤクザが小さな屋台の少女に絡んでいる光景を目撃してしまい、心配でその場を動けなかった。いざとなればヤクザを叩きのめすつもりだったが、屋台の少女は独力で解決したようだ。
 そしてこのとき、美羽は本日で最大級の驚きに遭遇することになる。
「!」
 美羽はもちろん、ミヨも、金縛りにあったように動けなかった。
 お互いに鑑を見ているのではないかと思っただろう。
 美羽とミヨは瓜二つだったのだ。
 もちろん来ている服は違う。美羽は、目立たないよう用意した粗衣、ミヨも貧しいみなりだが割烹着を上に羽織っていた。
「あの……」
 名前は、と美羽は訊いた。狐につままれたような表情のままミヨは名乗った。
「小鳥遊ミヨ……」
「そう、私は……」
 小鳥遊、と言いかけて、それが危険な行為であることを美羽は直感する。慌てて、
「高田。高田美羽」
 と名乗った。
 このとき美羽の胸には、溢れだしそうな想いがあった。
 ――おばあちゃん、そう呼びかけたかった。

 二人は屋台の内側に座って、ミヨが用意してくれた茶を飲みながら話した。
 茶といっても本物の茶ではない。トウモロコシのヒゲを煮たものだった。茶請けは漬け物である。
 おばあちゃんと呼びかけたい、そう願いながらも理性の力でしのぎながら、美羽は祖母と差し障りのない話を交わした。名乗れず、素性を明かせないのが口惜しいが、それでも、自分が小さかった頃に死去した祖母、優しかった記憶が残るミヨと話すことができるのだ、それだけでも十分だと思い直す。
 1946年、戦争と終戦、それにともなう世間の昏迷は、ミヨを否応なく鍛え上げていた。
 現在のミヨは美羽とほとんど年齢が変わらない。それなのに、自分よりずっと大人なように美羽は思った。美羽が知る祖母に、こんな側面があったということもまた驚きだった。
「あいつらかい?」
 ヤクザのことを訊かれ、ミヨは「確かに必要な一面もある」と言った。これを平和と呼ぶべきかどうかは判らないが、うっかりすると人が人を食うような世界になりそうな新宿を、まがりなりにも商売ができる状況にしているのはああいった人間の存在だと。
「けれど、やっていいこと、悪いことがあると思うね」
 噂では、新竜組は人身売買にも手を染めているらしい。それも、年端もいかぬ戦災孤児をさらっては、外国に売り飛ばすというのだ。
「そいつは絶対、許しちゃいけないと思うんだ……本当だとすれば、だけど」
 ミヨが、ある程度確信を持ってそう言っていると美羽は直感した。
 思い切って訊く。
「あいつらの本拠地、知らない?」
「知ってどうするの?」
「用があるの」
 その用件についてミヨは尋ねず、しばらく黙って、この、自分と瓜二つの少女の顔を眺めた。
 おばあちゃんにはかなわないな、と美羽は思った。
 多分ミヨはもう、美羽の素性や狙いを、ある程度気づいているのではないか。
「いいよ、教える」
 とミヨは言った。