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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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 はたはたと風が、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)の頬を打つ。
 ここが1946年の渋谷か。
 背の高い建物を探した。高い場所からまず、この時代の東京を見たかった。2022年には爛熟気味の栄華を誇り、至高も至善も至悪も、すべてを内在し膨れあがる都が、かつてどんな姿であったかを一望したかった。
 ところが涼介は当初、軽い失望を覚えることになったのだった。この頃の東京には、背の高い建築物がほとんどない。あったところで戦火によりその大半が消失していた。建築技術の関係もあり、高層ビルなどとてもではないが望めない。
 それでも皆無というわけではなかった。戦火を逃れるもその後、老朽化ゆえ取り壊しが決まったという廃ビルの頂上から、涼介は街を一望した。
 改めて高い場所から見て、よく理解できた。
 本当に、焼け野原であり、バラック街なのである。
 戦中戦後については祖父から聞いたことがあったが想像以上だ。この光景を涼介は、きっと忘れないだろう。
 まばらに残る建物の間に、急ごしらえのトタン屋根が見える。その屋根があまりに不揃いで、まるで街のパッチワークのようだ。賑わっているのは闇市らしい。闇、という文字がついているが結局のところ青空マーケットといった様子に涼介には思えた。遠目にもわかるほどの活気に満ちている。まるでそこだけ、もうもうと湯気が立っているかのようだ。
 人に見られぬよう注意して彼は地に降りた。さあ、目的を果たそう。たとえ過去にさかのぼろうが自分は自分だ。お人好しと呼ばれようと、いつものように人助けするまでである。
 桜井チヨの捜索――それが今回、涼介がみずからに課した使命だった。
 チヨは十歳、戦災孤児である。詳しいつながりについては明らかにならなかったが、彼女が2022年時点の百合園女学院校長こと桜井静香の先祖である可能性は濃厚だ。そして今の時点で、彼女が新宿を支配する暴力団に掠われ監禁されているということまでは判明している。これは正史、つまり、涼介たちの出発点となる2022年の世界の歴史には存在しなかった出来事だという。
 インテグラルという存在が過去に介入し、このような形で歴史を変えようとしているのだ。
 仮にそれが歴史改変に無関係でも、涼介は迷わず行動しただろう。どんな理由にせよ、幼子を誘拐して人質にするような外道は許せない。やや特殊な事情ながら涼介にも娘がいる。人の親として、感じる憤りも倍以上だ。

 涼介は着古したシャツ、それにロイド眼鏡で当時の人間に変装していた。多少、とってつけたようなところがないでもないが、わざと頭をボサボサにして大振りのカバンを提げればそれなりに様になっている。名は、旧姓で本郷涼介とした。職業は医者だ。
 行方不明者を探すにはどうしたらいいか……と、考えて彼が思いついたのは掲示板だった。当時、駅周辺などに生存安否を確認するための手製の掲示板があったという。これに名前や連絡先を書いて張るのである。まさかこれですぐ見つかるとは思えないが、手がかりがつかめるかもしれない。
「さすがにまだないか……」
 ロイド眼鏡の位置を直しつつ涼介は溜息した。ところが、その目の前で、
『尋ね人:桜井チヨ』
 の貼り紙を掲示板に取り付けている青年があった。
「何だ、あんた?」
 パッと見では美形である。いや、実際美形であることに違いはないのだが、正直、あまり近寄りたいタイプではなかった。
 なぜなら彼、土方伊月(ひじかた・いつき)は、非常に目つきが悪いのである。もう、その視線だけで蛇くらい簡単に殺せそうなくらいに。正直、こんな人にガンを飛ばされたら、一般的な人ならそそくさと逃げ出してしまうことだろう。
「なんだあんた、チヨ嬢を知ってるのか?」
 伊月の視線を浴びていると、錆びた鋸を素肌に押し当てられたような感覚に陥る。さすがの涼介も息を呑んだが、怖がってばかりはいられない。
「いえ……でも、なんとなく気になって。新宿界隈で子どもが掠われる事件があったと聞いたことが」
 そもそも自分もその情報を探しているところだとは言い出せず、涼介はそんな言い方をした。
「詳しく聞きたいな。あ、俺は土方伊月って者だ」
「本郷涼介……通りすがりのお人好しな医者です」
 なんとなくこれがきっかけになり、涼介と伊月は連れだって歩くことになった。
 道々、自己紹介がてら境遇について話したりもする。
「俺は戦時中、陸軍輜重部隊だった。あんたは戦時中どうしてたね?」
「幸いと言いますか……まぁ、徴兵されることもなく医者をやってました」
「へぇ、徴兵がなかったとはねぇ。あんた、もしかして良いとこの生まれだとか?」
「いやそんなことはないです。徴兵されなかったのはまあ、住所不定気味だったから召集令状が届かなかったのかもしれません」
 涼介が笑うと伊月も笑った。笑うとあの怖い目つきも少し弛む。
「まあ、俺も旧華族土方家の末裔なんだがな……といっても傍流だが」
 ざっくばらんに伊月は自分の半生を話した。敗戦直後のどさくさに紛れて、軍事物資の一部をいただいて、闇市に流したりして暮らしてきたという。
「そりゃ、軍のものってのは国のものだ。勝手に横流ししていいはずねえぜ。だがな、そうでもしなけりゃ明日のメシも確保できない時期だったんだ」
 渋谷を根城にして商売をするうち、伊月は石原肥満と知り合った。意気投合した彼は、石原の厄介になるという形で、現在も商売を続けている。
「チヨ嬢については、肥満と敵対する新宿系暴力団が誘拐したという説と、遠出が過ぎて道に迷ってる、って説の両方がある。孤児ってのはたくましいからな、一週間程度の野宿なんざ余裕だ。だからまだ、新宿の犯行とも決められず、今んとこ石原の衆は表立った行動は控え、できるだけ日常生活を送るようにしてるってわけだ」
 話しながらまた別の掲示板まで来たので、伊月はここにも貼り紙を貼った。
「一番恐れてるのが、やっぱりチヨ嬢が新宿の手にあるって展開だな……。いま、新宿とうちら渋谷との抗争が勃発しそうな勢いだ。だがもし、嬢が敵の手にあるとしたら、それは玉を取られてるようなもんだぜ。強面だが子どもには優しい石原が、嬢を人質にとられて本気で動けるかどうか……玉を握られたままではどうしようもない。嬢を救出しない事には敗北必至ってわけだ」
 だがチヨ捜索に肥満自身が乗り出したとあっては、味方を動揺させることになる。
「仕方がない、ってわけで、俺も探索に協力してやってる」
「そうですか……土方さん、僕も協力させて下さい。実は僕、こう見えて娘の父親なんです。小さな女の子がさらわれたかもしれないだなんて……他人事のようには思えません」
「そいつは願ったりだな。本郷、あんたなら新宿の連中にも面は割れてないから動きやすいだろう。よろしく頼む」
 かくて、出身時代も境遇も違う二人による即席チームが誕生したのだった。