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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 新宿の地に降り立ち、薄汚れた駅構内を見回す。
 こんなことを思うのは不謹慎かもしれない、と秋月 葵(あきづき・あおい)は考えないでもなかった。
 なんてエキサイティングな時代――と思うのは。
 噎せ返るほどに空気が濃い。2022年と違い、ここの空気には金に近い黄色が混じっているのではないか、そんな錯覚すら覚える。その上暑い。日陰にいようと、眩しいほどの光が差し込んでくるように感じる。おまけにすさまじい喧噪だ。人の声も大きいし電車の通り過ぎる音も、自分の知るものの二倍くらいのホーン数があるはずだ。太平洋戦争終戦直後の新宿を構成するもののすべてが、乱暴に研磨したナイフのようにギラギラしているという印象だった。
 現代の新宿でもいわんや空京でも、人混みというのはものすごい。繁華街を中心に人がごった返している。しかしこの時代、この新宿のような猛然と沸き立つような熱気はないだろう。おそらくは貧しく、一様に痩せているものの、道行くあらゆる人の目には異様なまでの生気が満ちあふれていた。戦争という軛から解き放たれ、誰もがガツガツと生きているように思えた。
「もうちょっと準備、したほうが良かったかもなぁ……」
 葵は自身の装いを見た。異邦人丸出しの明るい色彩の服である。薄いベージュや鼠色、紺色などの色調中心の混雑の中では明らかに浮いてしまっている。ただ、幸いにも人々は、皆自分のことで忙しい。なかにはじろじろと不躾な目を向けてくる者もないではないが、ろくに葵を見ようともせず足早に通り過ぎていく人が大半だった。
「終戦直後については、過去の情報とか、歴史の教科書で見た程度だけど……んー、生の迫力はすごいものがあるね」
 心なしか顔を上気させ、葵は空へと舞った。
 歴戦の飛翔術。
 音もなく翔び、そのまま建物の屋根に飛び乗った彼女の姿を一般人は追うことはできまい。並外れた動体視力でこれを目撃できた者があったとしても、コンマ数秒後にはもう、再跳躍した葵を見失ったはずだ。
 人に見つからないよう進もう、そう決めて、葵は1946年の新宿を馳せた。
 一つわかったことがある。
 どれほど環境が違おうと、翔んでいるときの風の心地よさは、それほど変わらない。
 風切る散歩を何分か過ごした後だ。
「ねえ、きみっ!」
 葵は旋風のように舞い降りた。建物と建物の間に。
 葵が声をかけたのは、この暑い中黒いコートを羽織り、しっかりと葵を見上げていた少年だった。
「怪しい人、見なかった?」
「ご挨拶だな……俺は怪しくないのかよ?」
 例のインテグラルないしその手先だったらどうする気だったんだ、と柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)は言った。
「大丈夫、味方と思ったから。姿を隠しながら歩いてたし、あたしに気づいたけど逃げも攻撃もしなかったでしょ? 同じ時代から来た人だよね♪」
「まあ、そうかもしれねぇが……」
 言いながら恭也は憮然としている。彼は言った。
「だが不満はある」
「ごめん、あたしなにか気に障ること言った?」
「気に障るわけじゃない……俺が『怪しくない』ということが気になった」
「え、そっち!?」
 後はさらりと、自分もまだ来たばかりで情報はまるでないということ、自分は手当たり次第に新宿の柄の悪い連中を締め上げて情報を得ていくつもりだということを恭也は語った。
「あと、せいぜい怪しい格好で行くとするかな。石原に迷惑はかけられねぇし」
 二人はしばし話して、互いが同じもの、つまり桜井チヨを追っていることを認識した。
「俺は新宿じゅうの怪しいスポットを荒らして回り、チヨを捜そうと思っている」
 ただ、石原肥満との関係を疑われては困るので、なんらかのカムフラージュをして行きたいと恭也は言った。
「へえ……じゃあ、あたしと一日二回程度情報交換しない? 時間を決めておいて、たとえばこの場所で……とかどう?」
「悪くない」
 そこから段取りを決めると、恭也は頷いて影のように姿を消した。
 葵も同様だ。ふたたび、空に吸い込まれるかのごとく跳躍した。

 渋谷方面に向けて歩きながら、空の一角を新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は見つめていた。
 ちらっと見えたあれは、人だろうか。
 人だとすれば、おそらく自分と同じ契約者だろう。2022年から、この時代を変えようとする動きを防ぎに来た同志だと信じたい。
「ツバメちゃん?」
 彼の白衣を、ぐいぐいとフィーア・レーヴェンツァーン(ふぃーあ・れーう゛ぇんつぁーん)が引っ張っている。
「ああ……どうした?」
「これが、75年近く前の日本なんですねえ」
「そのようだな東京以外も、都市は軒並みこんなもんだったと聞いたことがある」
 破壊の限りを尽くされた土地に見える。ここから日本が、奇跡的に復興したというのが燕馬にもにわかには信じられなかった。
「ツバメちゃんは経験してないんですか?」
 ふっと燕馬の口から微笑がこぼれた。
「俺は生まれてもいないよ……たしか、お祖父様が十歳ぐらいだったかな。フィーアはこの頃どうしてた?」
「フィーアはパラミタにいたですぅ。闇商人から逃げたり捕まったり売られたりまた逃げたりだったですぅ」
「また随分と波乱万丈だったんだな」
「……あの頃は、暗がりを見るたびにに何か潜んでるような気がして、眠れない日々だったですよ。一晩グッスリ眠れるようになったのは、ツバメちゃんと契約してからですぅ」
「……そうか」
「……はい」
 しばらく沈黙が流れたが、やがてフィーアが口を開いた。
「フィーア、感謝してるんです。ツバメちゃんと契約して、やっと、ちゃんと眠れるようになったことに」
 だから、と彼女は仔猫が母猫に抱きつくようにして、ツバメの服の袖を握った。
「ツバメちゃんと契約できる未来がなくなるなんてイヤなんですぅ」
「ああ」
 そっと右手を、燕馬はフィーアの頭に乗せた。
「……未来は、変えさせない」
「……フィーア、ツバメちゃんに会えるですか?」
「会えるさ、必ずな」
 まずは石原肥満に会おう。話は、そこからだ。