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ありがとうの日

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ありがとうの日
ありがとうの日 ありがとうの日

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○     ○     ○


 和平が結ばれて、キマクは自治区となった。
 すぐに統制がとれるはずはないというか。
 元々、キマクはパラ実生を名乗る者が溢れる街で、力による制度で治められていたともいえる。
「しっかり見回りしないとね〜。皆と協力して治安維持していくって宣言したんだし」
 師王 アスカ(しおう・あすか)は、キマクの自分が縄張りとしている場所の見回りに来ていた。
 大きな通りを歩いているだけでは、他の街と何も変わりはないけれど、路地に入ったり、さびれた酒場に入れば、暴力や博打が行われている様子が目に飛び込んでくる。
「また人を困らせる輩が現れて、変な方法で支配しようとしても困るしねぇ、牽制、牽制っと」
 アスカは自分の存在を知らしめるように、堂々と歩いて、店を回って声をかけたり、注意を促したりしていく。
「ん?」
 アスカは宿屋から出てきた人物に目を止める。
「災害は何処でも起こり得る。非常食は家族分いつでも用意しておき、何かの時には隣村を頼るように」
「ここはオアシスから近いが、冬になれば作物は採れにくくなる。備蓄を忘れないようにな」
 そんなことを、人々に語りかけている。その人物はヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)。そしてパートナーの神拳 ゼミナー(しんけん・ぜみなー)だ。
「ここは携帯電話も使えるッスからね! 通信費は安くないけど、そのうち全員持てるといいッスね」
 シグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)は、自分の携帯電話を子供に見せて、使い方を教えているようだった。
「おや? こんにちは。ご苦労様です」
 キリカ・キリルク(きりか・きりるく)がアスカに気付いて、頭を下げた。
「こんにちは〜。そちらも、ご苦労様〜」
 自分とは別の方向から、平安の為に動いてくれている人達だと思い、アスカは笑顔で挨拶をした。
「この地域のことは、お任せして大丈夫そうですね。それではまた」
「あまり無理はしないように、お嬢さん」
 キリカ、ヴァルはそう声をかけて馬車の停留所に歩いていく。
「お気をつけて〜。良い旅を」
 自分と違う方向から、ここに生きる人達をサポートしている者達だと判断し、アスカは手を振って見送った。

「う〜……ん」
 その後も、巡回は順調に行えていたが、何故か背中が痛い。突き刺さるような視線を感じる。
 視線の主は解っている。パートナーの蒼灯 鴉(そうひ・からす)だ。
(今日、2人で出かけようって誘ったから、デートだと思ってたんだろうなぁ……鴉。うん! 視線が痛くて振り向けないわね〜♪)
 ははははーと乾いた笑みを浮かべたアスカの頬が突如つねられる。
「い、いた、いたたたたっ。はふううぅぅ」
 つねっているのは、勿論鴉。
「今日は遊びじゃなかったのか? 人のいぬ間に騎士団とケンカするわ。絵の事になると睡眠を削ってその度にフラフラになるわ……」
 鴉はつねりながら、アスカの日頃の無茶っぷりをあれこれ追及していく。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が悪かったです!? だはらもほ、ほっへたつねらないで〜」
 涙目になりながら、アスカは謝罪する。
 鴉はため息をつきながら、手を離した。アスカは片手でつねられた頬を押えて、鴉を抗議の目で見上げる。
 そこまで痛かったわけじゃない。言われた事も、身に覚えがありすぎて、耳と胸が痛かったけれど……。
 でも、これが鴉の心配の仕方だって解っていたから、アスカはくすぐったい気持ちにもなっていた。
 彼は怒っているような、悲しげなような、不機嫌そうな顔をしている。
「今日のことも、それらもそうだが」
 大きな手が、アスカの頭に乗せられる。
「一番気に入らねえのは……この平和を手に入れる為の戦線に出て、ケガを負ったことだ」
 鴉はアスカの頭に乗せた手を、肩へと下げて。彼女を自分の方へ引き寄せた。
「そして、それを守れなかった自分にも……」
 強く抱きしめて、アスカの腕に巻かれた包帯を、優しく撫でた。
「だいぶマシになったが、まだ包帯が取れてない部分もいくつかある。頼むから……心配させんなよな」
 胸に染み込むような声と、抱擁に、アスカの鼓動が高鳴っていく。
(このツンデレ鴉め〜っ)
 そう抵抗しながらも、アスカの顔は鴉より真っ赤。
(でも、確かに無茶して鴉や皆に心配かけているからな〜。少し反省しないとぉ……)
 大きく息をついて、心を落ち着かせていき。
「見回りが終わったら、改めてデートしよ〜っ、ね?」
 そう、アスカが言うと、鴉は吐息をついてぽんとアスカの頭を叩き、彼女を解放する。
「早く終わらせよう。じゃないと、安全な場所に攫って行きたくなる」
「もぉ……」
 俯いて、赤くなっている顔を隠しながら、アスカは先を歩きはじめる。
 もう、彼の視線は痛くなかった。
 大切に自分を見守っていてくれていることが解る。
 彼がこうして傍に居てくれるからこそ、自分は無茶が出来る。
 彼に甘えることが出来る。
(恋人の特権なのよ……ね?)
 とにかく。
 彼の視線がまた痛くならないうちに。
 見回りを終わらせようと、アスカは思う。
 そして、そのあとは2人きりの時間を、過ごそうと――。

○     ○     ○


 ヴァルはパートナー達と共に、大荒野の点在する村々を回っていた。
 それは今日に限らず、このところ毎日。不眠不休で回っていた。
 占領の価値のない小さな集落は、戦乱の影響も少なかった。
 作物の育ちにくいこの地の暮らしは、決して楽なものではない。それは戦乱以前から変わりはない。
 ヴァルは、この大荒野に灯りを灯すべく、兼ねてより走り回っていた。
 村同士をつなぐ、相互扶助ネットワークを作ることを自分の役目として。
 契約者として得てきた能力、知識を惜しみなく用いて。
 互いの村に、助け合うように説いて回り。
 大荒野で生きぬく術を人々に教え、荒野に生きる人達から新たな知識を得ていく。
 発見した村や部族の人々、一人一人の顔と名前は記憶術で記憶している。
「てーおー。また来てね。今度は隣村のソフトクリームが食べたいな!」
 次の村へ移ろうとしたヴァルを呼び止め、子供が屈託ない笑顔でねだってくる。
「ソフトクリームは困難だが、作り方を学んでくることはできる。次は、それを教えよう」
「やったー! お家で作れるようになったらいいな」
 笑顔が満面の笑顔に変わっていく。
「ありがとう、またな」
「通信機の使い方は、分からなくなったら通信で聞く! それくらいのことは出来るようになったさ」
 そう笑ったのは村の青年だ。
「そうッスね! お兄さん、頭いいッス!」
 シグノーの顔も笑顔でいっぱいになる。
 通信機の使い方は、シグノーが中心となり伝授していた。
「えいっ」
「っと」
 少女が一人、キリカを突破して走り抜ける。
 キリカの捕まえようとした手をすり抜けて。
「筋がいいですね。その調子です」
 キリカは少女に微笑みかける。
 大荒野でまず最初に習うべきは、自分で自分の身を守る事だと、キリカは考えた。
 だから、戦闘の技術ではなく、行く残る術として、幼い子達にも護身の術を教えた。
 闘わないこと。逃げること。それでも叶わなければ向き合い、避けること。
 決して真正面から組み合わないこと、を。
「少しずつ、形になって来たが、無理はせぬよう」
 神拳ゼミナーは、罠師、算術士を連れて、防衛となる防壁の製造の指導をしていた。

 ひとつの村で作業を終えて。沢山の感謝の言葉と笑顔で送られて。また次の村へと向かう。
 戦乱は終わっても、皆の心の戦乱が終わることはない。
 ヴァルはこの大荒野から乱世を真に終わらせたいと願う。
 彼らの心から乱を治めること。
 彼らの感謝を受けること。
 それよりも、自分に救える人がいること。
 その自分の姿を見て、誰かを助けようとする者が生まれる事。
「俺がパラミタで為す事に意味を与えてくれる全てに、感謝する」
 それから、ヴァルは共に村を巡っているパートナー達に、深い感謝の言葉を述べた。
「今更改めて感謝とかやめてくれッスよ。照れくさいじゃないスか」
 すぐに反応したのは、シグノーだった。
「こちらこそ」
 キリカはそう微笑んだ。
「そう、むしろ、感謝してるのはこっちの方……ああ! やっぱり照れ臭いッス!」
 シグノーは照れて顔を赤く染め、走り出す。
「さぁ! 次の村に行くッスよ! 皆待ってるッスよ!」
 ダーッと走っていく彼の背を、微笑ましげに見ながらヴァル達も停留所へと歩いていく。
「我らができる事に限りはある。すぐに効果が出るとは限らぬ」
 歩きながら、神拳ゼミナーが静かに語っていく。
「だが、それでも無力を嘆く暇があるのならば、我らは進むしかないのだ」
 神拳ゼミナーは、ヴァルに真剣な目を向ける。
「ヴァル。お前は一瞬でも不安を見せてはならぬ。前に立つ者は、常に楽観的でなければな。――少なくとも表層では」
 それからまた、走っていくシグノーの背を3人で見つめる。
「そういう意味では、シグノーを見習うべきではないか?」
「そうか……。そうだ、な」
 ヴァルの硬い顔に、僅かな笑みが浮かぶ。
「シグノーもまた、道標になってくれている。だから尚、俺は全てに、皆に感謝する」
 そんなヴァルの言葉は、シグノーに届いてはいないはずだが。
 空から降り注いでくる光は、赤色に染まっていて。
 振り向いたシグノーの顔を真っ赤に染めていた。