リアクション
第4章 アバドン=エンヘドゥ 1
「シャムス、大丈夫かい?」
「え……」
ふいにシャムスに声をかけたのは、鮮やかな金髪の下に繊細な顔をのぞかせる若者――ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)だった。
彼はこれまでにもシャムスと幾多の冒険を共にしてきた契約者である。その理知的で現実をしかと把握する冷静な思考と判断力が、これまでもシャムスの精神を何度も支えてきた。
シャムスたちはいま黒夢城の最上階に近い場所まで来ているが、そこにきて彼はシャムスの心境を心配しているのだった。
なにせ、敵はエンヘドゥの体を支配したアバドン。さらには、その手に奪われたシルバーソーンが手に入らねば、東カナンのセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)が死ぬかもしれないというのだ。
何も揺らいでいないように気丈に振る舞ってみせても、ヴィナはシャムスの心が確かに緊張と不安を帯びているのに気づいていた。
「溜め込みすぎは体にも心にも毒だよ。ちゃんと吐き出すようにね」
「ああ……分かってる。ありがとう、ヴィナ」
シャムスはヴィナに笑みで答える。
「だが、大丈夫だ。お前がいてくれるだけでも心強い。セテカのことも心配だが、今は戦いに集中するさ。それに……この戦いに勝ってシルバーソーンを手に入れられれば、助けられるはずだからな」
彼女はそう言うと、力強い顔を結んで前に向き直った。
(……強くなったな)
改めてヴィナはそう思う。
これまでにも数々の戦いを乗り越えたことが、彼女の心を強くしていったのだろうか。少し寂しくもあれば、同時に見習わなければとも考える。なんだか、手元から離れていった鳥を見ているようで――ヴィナは苦笑した。
「……?」
ポンっとヴィナが背中を叩くと、シャムスは少し不思議そうに彼を振り返った。
だがあえて何も言わず、彼は先に進む。シャムスもそれに息をつくような笑みを浮かべると、先へと進んでいった。
「もうそろそろ……か?」
徐々に魔の瘴気が濃くなってきて、さらに魂が一箇所に集まっている様子を推測しヴィナ、が仲間たちに言う。
「ああ、おそらくは――」
確かに闇の気配がひしひしと強くなってきている。シャムスもそれを感じていた。
そして、最上階の大広間にたどりつく。
そこには、シャムスたちを見下ろすようにして巨大な壺が浮かんでいた。宙に浮かんでいる壺は幻想的な色合いの水のようなものが溜まっている。それは様々な色彩の光を放ち、壺の中で不思議な音色にも似た音を発していた。
いや――違う。あれは水なんかではない。
あれは、魂の集合体なのだ。
黒夢城を巡っている魂がこの最上階で集まり、あの壺の中へ次々に吸い込まれているのだ。吸い込まれた魂は、魂の叫びとも言える声を響かせている。それが、音色のような音に聞こえるのだった。
「ようこそ、南カナン領主様ご一行」
壺に見とれていると、奥の影から妖艶な声の主が姿を現した。
「アバドン……っ!」
「それに、お前たちは……」
そこにいたのは、アバドンだけではなかった。
まるで彼女を守護する親衛隊であるかのように、契約者の三道 六黒(みどう・むくろ)とそのパートナーである羽皇 冴王(うおう・さおう)、葬歌 狂骨(そうか・きょうこつ)が立っている。
アバドンに与する契約者の姿。だが、一行は驚きは少なかった。むしろ、出てくるであろうことはどこかで予感していたものだった。
六黒は契約者にありながらも修羅の道を進む者である。しかもアバドンが裏から糸を引いていたあのカナン戦役の時にも、彼はアバドン側でその猛威を振るっていた。今回もどこかで相まみえるときが来るかもしれないと、心のどこかで思っていたのだった。
「やはりそちら側の味方をするか、六黒」
「レン・オズワルドか……相変わらず、貴様もわしらの邪魔をするのだな」
部隊の中から銀髪の契約者――レン・オズワルド(れん・おずわるど)が前に出る。
因縁とも呼べる相手なのか。彼らは互いに瞳の中をのぞき込むように対峙した。
「ふん……それぞれ馴染みの者もいるようだが、再会を喜んでいる場合ではなさそうだな」
「エンヘドゥを返してもらおうか。そして……シルバーソーンも!」
アバドンは自分を睨みつける領主と契約者たちを一瞥し、それを軽い笑みで嘲笑った。
「返してほしくば、私を倒すしかないな。しかし……今の私を貴様たちが倒せるのならだが」
「エンヘドゥの体を支配したからといって、好きに出来るものと思うなよ」
「――それだけではない。貴様らはこの壺が何かわかるか?」
武器を構えた如月 正悟(きさらぎ・しょうご)が激情をそのままにぶつけたのを受け流すようにして、アバドンは部屋の中央に浮かんでいる壺を見上げた。
「これは闇の源そのものだ。魂の輪廻は私の支配下だけで巡り、廻ることになる」
「なんだと……」
「我ら〈災厄〉の力の源は支配、破壊、殺戮――そして混沌。壺の中には魂の混沌が渦巻いている。これが膨れあがり、魂が増えるたびに、魔に力が与えられる。私の力は……失うことなくここに在り続けるというわけだ」
アバドンは得意げに語る。
それは言い換えれば、アバドンが絶えず自分の魔力と体力を供給し続けるということだ。無尽蔵に近い回復機能を持った敵を相手に、戦わなければならないというのか。
一瞬、仲間たちに絶望に近いものが広がった。
だが――それで諦めるようであれば、とうの昔に諦めている。それが出来ないからこそ、彼らはいまここにいるのだ。突き動かされるのはただ、誰かを守りたいその気持ちだけである。例え勝機がなくても、足を止めることは出来なかった。
カチャ……と、全員が身構える。
「諦めの悪い連中だ。そうまでして死にたいということか」
「……死にはしないさ。それは、貴様の役目だからな」
アバドンを気丈な目で見返して、シャムスは言い放った。
薄く笑うアバドン=エンヘドゥ。
「――いくぞ!」
迷いはない。セテカを救うため。エンヘドゥを救うため。
契約者たちはアバドンへと一斉に立ち向かった。
●
アバドンを討とうとするのに立ちはだかる六黒たちの相手を、一部の契約者が引き受けている。
「では、始めよう。貴様らへの弔いの歌を」
狂骨は言って闇黒ギロチンを構えると、それを容赦なく叩き込んだ。
むろん、それだけでやられるような契約者たちではない。彼らはギロチンを避けると今度は自分たちからけしかけて狂骨に刃を振るう。刃とギロチンのぶつかり合う音。狂骨は数に圧されて後ろに退かざるを得なくなったとき、自分の内部から一人の少女を飛び出させた。
それは狂骨たちと同じく六黒のパートナーである
九段 沙酉(くだん・さとり)だ。
(させない……アバドンにも、六黒にも……手出しは……)
彼女は不意打ちに契約者たちに迫ると、複数のフラワシたちによる多角度からの攻撃を仕掛ける。契約者たちを吹き飛ばして、彼女は狂骨の元に舞い戻った。
戦いは次第に激化していく。
なかでも最も暴れ狂っているのは、獣人の冴王だ。赤髪をひるがえす凶暴な獣人は、まさに破壊の化身と化して建物ごと契約者たちに襲いかかっていた。
「ヒャハハハハッ! 楽しいねェ! コイツといるとてめぇらみてぇのがどんどん寄ってくるからよぉ。退屈しねェぜ!」
「あなた、それでも強い獣人なの! そんなに力があるのに、みんなを傷つけて!」
冴王に立ち向かう一人、
雨宮 渚(あまみや・なぎさ)が彼を睨みながら言い放つ。
二丁拳銃として構える魔銃モービット・エンジェルから放たれる複数の弾丸を、冴王は素早い動きで避けた。獣人というだけあって、その動きは身軽で獣のようだ。
「ハハッ! うるせェんだよ! お前らだって、力を振るうのが好きだろう? 隠すなよ! 生きてりゃあ誰だって壊すのは好きになるはずだ。オレはそいつに忠実に生きてるだけなんだぜェ!」
「なんて……人……!」
思わず渚の口から嫌悪感が吐き出される。
冴王の動きは徐々に高まりを見せた。興奮が彼の原動力でもあるのだろう。そのスピードはぐんぐん上がり、そしてついに渚を捉える。
だが――冴王が振るった刀は、一人の騎士によって防がれていた。
「貴公の相手は私がしましょう」
「んだ、てめぇ……」
思わず苦渋に顔を歪めて冴王は距離を取る。
聖騎士の槍グランツを構える渚の仲間――
サー・ベディヴィア(さー・べでぃびあ)がその穂先を冴王に向けた。
「破壊と殺戮を愉悦にして生きるとは、力ある者の風上にもおけません。さっさとこの場から立ち去りなさい」
「…………うぜぇんだよ!」
ベディヴィアの口上にぶち切れた冴王は、怒りに任せて刀を振るった。
むろん、激情だけで倒せるほどベディヴィアは弱くない。瞬時に槍を盾にしてそれを受け止めると、その力を利用して敵を受け流した。返す動きで背中を取ろうとするが、冴王は本能的にそれを感じ取ったのだろう。ぐおんと振り上げた足で槍を蹴り、片足だけで再び距離を取った。
まるで曲芸のような動きだが、それを反射的にやってのける獣人に、古き騎士の英霊は内心で驚嘆を隠せなかった。
「オレぁてめぇみてぇのが大ッ嫌いだ! 死にさらせェ!」
さらにせめぎ合う獣人と英霊。
(シャムス様には一歩も近づけさせないようにしなくては)
ベディヴィアが冴王をあえて挑発したのにはそうした理由もあった。
横目で見た視界では、シャムスたちがアバドンと戦っている。冴王や六黒の相手は自分たちの役目だ。決して邪魔はさせないと、ベディヴィアは心で決意を固めていた。