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幻夢の都(第1回/全2回)

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幻夢の都(第1回/全2回)

リアクション


プロローグ

 その地に広がるのは雄大な平原であった。
 山岳地帯として有名なヒラニプラにあって、西の地を占める一帯である。南には空京があって、近年ではヒラニプラ鉄道が、この地域を挟んでかの地と鉱山地帯を結んでいた。
 鉱山都市としての面が目立つヒラニプラではあるが、実のところその傍にあるのは平地である。周辺地域には数々の村や町が点在しており、古代遺跡も数多く残っていることから、契約者や、冒険者の類も、多く訪れるのだった。
 そんな平原の中域にある小高い山と森の中を、一台の機晶バイクが走っていた。
 土煙をあげながらうなるバイクは森を抜けて、山の傍に停まる。それから、男がヘルメットを外して、湿った大地の上に降り立った。
「――ここか」
 男はつぶやいた。
 澄んだ声は風に乗って消える。辺りは静かであって、誰も男の姿に気づく者はいない。獣ですら息を潜めていた。
 怜悧な空気を纏った男だった。白銀の髪もさることながら、赤いコートも濡れた血を思わせるほど色濃く、明らかに常人とは気配が違う。触れたら切れそうな、刃物に似た雰囲気があった。しかも目を引くのは――両目を隠すようにしてかけているサングラスである。
 お洒落や装いでかけているのではないと、見た者はどことなくそれを察する。それは男が纏っている鋭利な気配にもよるものだが、黒いサングラスの奥に隠れた鋭い眼光にもよるものだった。
 かすかに紅く、妖しく光っているのだ。
 目を凝らさなければ分からない程度の違いだが、それでも男と向き合えば、そのサングラスの奥に隠れた瞳に見透かされた気分になるだろう。それほどまでに、男の双眸には力強いものがあった。
 男はヘルメットをハンドルにかけると、バイクをその場に残して、己の足だけで、ゆるやかな斜面を登り始めた。かすかに湿った大地を、一歩ずつ踏みしめていく。
 大した時間もかけずにたどり着いたのは、森林に隠れるようにしてあった洞窟である。
 男の顔が、わずかに歪んだ。
 その洞窟こそは、男が噂に聞いていたものだった。
〈黄金の都〉――一つの町の住民が一晩にして忽然と姿を消した洞窟の、その奥に隠されているという幻の町の噂。町に残されたたった一人の少女の話によると、彼女の両親も黄金の都の名をつぶやきながらこの山の方角に姿を消したのだという。
 男は意を決して洞窟へと足を踏み入れた。
 洞窟の中は暗闇だ。にも関わらず、男は躊躇うことなく前進していった。
 その手に吊下式洋灯(ランタン)を握っているからだ。男の目の前はゆらりと揺れながら燃える黄色い灯火に照らされて、道を指し示す。ざっ、ざっ、という単調な足音を反響させながら、男は洞窟をじっくりと進んでいった。
 洋灯を握る右手とは逆の左手で、男は銃の形をした小型機械を取り出した。
 銃型HC(ハンドベルドコンピュータ)――オートマッピング機能や通信機能を備えた携帯用のコンピュータである。男はその電子画面を見ながら、洞窟をどれだけ歩いてきたかを確認した。
 そう複雑な道のりではない。だがそれが逆に不安を過ぎらせる。ここまで魔物と、ましれや獣すらとも、一匹も出くわさないのは妙だった。
 まるで男が洞窟に侵入したのを分かった上で、あえて誘っているような――そんな気配だった。
 一旦引き返そうか、と男は思った。が、すぐにその考えは振り払った。今さら引き返したところで状況は変わらない。なら罠にでも何にでもかかっていってやろうじゃないか。そう思ったのである。
 男はこれまで数々の冒険をくぐり抜けてきた。その経験が自信を生んでいた。
 洞窟の先にかすかな光が見えてきた。近づくにつれてそれはどんどん大きくなり、眩くなっていく。
 角を曲がってその光の中に身を投じたとき、男は感嘆の声をこぼした。
「これは……」
 そこにあったのは噂そのものの町だった。
 黄金に彩られた都市が眼下にあった。それも見渡す限りである。山の中とは思えないほどの広さの都市はその全てが金一色で、眩しいぐらいに輝いていた。
「噂通りか……」
 男はつぶやきながら階段をおりて、黄金都市の街路を踏みしめた。
 するとふいに、男の視界が渦を巻くように揺らぎ始めた。なんだと思う間もない。男の頭さえもまるで鈍器で殴られたようにぐわんと傾倒し、気づいたときには、『どうして自分がここにいるのか』ということを疑問に思い始めていた。
 霧が出ている。それまで遠方まで見通すことが出来ていた視界は全て霧に包まれ、その奥から、コツ、コツ、と足音が聞こえてきた。
 まるで二日酔いした後の気分にも似た状態の男の目の前に現れたのは、悠然とした佇まいでいる一人の獣人だった。
「ガウル――?」
 金髪金瞳。頭から焦茶の狼の耳をのぞかせ、尾てい骨から尻尾を生やした獣人が、男を見つめていた。
 返事は、ない。
 男はしばらく怪訝に思ってガウルを見ていたが、やがて、ガウルは静かに戦闘の構えを取った。重心を低く取った格闘家の構え。両の拳を握りしめ、男を睨むように見据えてきた。
 不思議と男の心にも、ふつふつと戦いへの意欲が湧いてきた。なぜガウルがここにいるのかは知らない。ただ、こうして戦友と向き合っていると、まるで戦うことが必然であって、そのために自分がここに来たような――そんな気がしてきた。
 同時に、男の心の中の冷静な自分は、これが『幻』に過ぎないことを分かっていた。この震え立つ戦いへの意欲も、幻がそうさせているのだと。
 が、理解はしていながらも、それを抑え切ることは出来なかった。
「我ながら情けない話だな。敵に心の中を覗かれるとは」
 言いながら、男は魔銃ケルベロスを腰から抜いて、銃口をガウルに合わせた。
「だが此処で終わるわけにはいかない――最後まで、足掻かせてもらうぞ!!」
 黄金都市の見せる幻に向けて、男は言い放った。


 蒼き竜に乗った女は小高い山一帯を見下ろすようにして、上空を旋回していた。
 これといって変わったところは見当たらない。早朝ということもあっていまだ空気は冷えているが、朝靄はすでに消えている。動物たちも目を覚まし始めたようで、そこかしこの森の中から鳥や獣の鳴き声が聞こえてきた。
 男が山の中腹にある洞窟に入って、すでに一刻(30分)は経とうとしている。
 見た目は変わらないが、何か不審なものを感じざるえなかった。
(少し近づいてみるか)
 女はそう考え、蒼き竜の皮膚を足で叩いた。
 指示を受けた竜は女の意思を読み取って大きく旋回。軌道を変えて、山へと近づいていった。
 と、視界が揺らぐように、女の頭がくらりと酔いを起こした。
 それは陶酔にも似た感覚だった。が、美味い酒を飲んだときの高揚感ではなく、麻酔を大量にかけられたときの昏倒と言ったほうが正しい。甘い感覚と苦い感覚が同時に彼女の脳内を揺さぶってきた。
(――やばい)
 女は危険を感じ取って、竜にもう一度指示を出した。蒼き竜はすぐにそれを実行に移し、翼を大きくはためかせ、姿勢をそのままに後退した。
 見れば、小高い山一帯に波紋のようなものが広がっている。精神魔法が生み出す超音波にも似たそれはすぐに消えたが、女はそれが、男が戻ってこない原因だと勘づいていた。
(……一度戻って報告するべきか)
 女はそう思って、竜と共に身を翻した。
 一瞬、山の傍に停まっている機晶バイクに目を落とすが、男が仮に無事ならば、一人でも戻ってこれるだろうと判断する。それよりも、この巨大な魔力を、一刻も早く仲間に伝えるほうが先決だ。男が危険にさらされているならば、助けに向かう必要もある。
 女はもう一度、竜の身体を足で叩いた。
 翼をはためかせた竜は、轟然と風のうなりをあげて山から離れていった。


 人の姿は一つとてない。住人が忽然と姿を消したその町は、まるで時の流れから取り残されたようだ。
 そんな町のとある民家で、ガウル・シアード(がうる・しあーど)とその仲間の契約者たちは、町に唯一残っていた幼い少女から事件の詳しい話を聞いていた。
「はい、カモミールティよ。香りは独特だけれども、飲めばきっと気持ちが落ち着くわ」
 そっと、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は少女に紅茶を差し出した。
 椅子にちょこんと座っていた少女は、テーブルの上に置かれたそのカップを、両手で静かに掴む。じんわりと紅茶の温かさが手に伝わってきて、少女は思わず顔をほころばせた。
 その様子にローザマリアは笑みを浮かべた。
 少女はずっと緊張の糸を張り続けていたのだ。不安と心細さで泣き出しそうになるのを必死に堪え、震える手を握りしめていた。
 そんな少女がはじめて見せた笑顔に、思わずローザマリアたちも嬉しくなったのだった。
「おいしい……おねえちゃん、紅茶淹れるの上手いんだね」
「そう? あまり意識したことはないけど……でも、そう言ってもらえると嬉しいかな」
 言ってから、ローザマリアは微笑む。
「もし良かったら、今度、ユフィにも教えてあげるわよ」
「ほんとっ!?」
 ユフィは驚いたように、顔をあげた。
 さすがに女の子だけあって、料理の類には興味があるようだ。なんでも聞くところによると、父親の大好物はごろごろの野菜が入ったシチューらしい。ローザマリアは必ず両親を連れ戻してくるから、それまでその好物を作って待っておくようにと、少女に言い聞かせていた。
 と、同時に、同じようにテーブルに座って、カモミールティーを飲みながらアップルパイを食べていたノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が言った。
「そうです! きっと、皆さん無事なはずです! なにせ、レンさんがいるんですから!」
 自信満々に言われて、ユフィもそれを信じようという気になってくる。
「――うんっ」
 うなずき、彼女はみんなに心配をかけないように気丈な笑みを浮かべた。
 と、ガウルの傍に、それまでグロリアーナたちを見守っていたメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)が近づいてきた。
「ガウルさん……」
 言われて、ガウルが目をやると、彼女は普段の無機質な顔をさらに険しくしていた。
 背後には巨大な『鉄の処女』がある。ガツンと音を立てて背中から降ろされたそれが、メティスの重厚な雰囲気をより濃くしていた。
「レンさんから――連絡が途絶えました」
 ガウルの目が、驚愕で見開かれた。
「まさか、そんな……」
「テレパシーがまったく繋がりません。HCの通信もノイズしか聞こえず……恐らく、何かあった模様かと」
 メティスの声が低く囁かれたそのときだった。
 風が巻き上がる音が聞こえ、それが終わるや、玄関口が激しい音を立てて開き、慌ただしく誰かが駆け込んできた。それは、金髪を団子(シニヨン)状に纏めた、高尚な美女だった。
「グロリアーナ!」
 ローザマリアが呼ぶと、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)は息を整えた。
「――報告させてもらう」
 まるで軍議に参加した同盟国の主のように、謹厳な態度でグロリアーナは言った。
 その報告は小高い山一帯の膨大な魔力と、レンが洞窟の中に姿を消していっこうに出てこないということであった。いっそう、ガウルの顔は険しくなる。
 一刻も早く救出に向かったほうが良いと進言するグロリアーナに、ガウルがうなずいた。
「レンさんが……」
 ノアも気が気でないようで、愕然とつぶやいている。
 ガウルは準備を整えるように仲間たちに言う。整い次第、町を出発する段取りをそこで決めた。