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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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9


 ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)はまだ、パラミタについて知らないことが多い。なので以前から、富永 佐那(とみなが・さな)は彼女に素敵な場所を見せてあげると約束していた。が、多忙が続いて延びに延び、やっとの休みを得たからと外に出てみれば。
「……ついてないですね」
 パラミタにも台風がくるなんて考えてもいなかった。そのため事前準備もあまりない。このまま進むのは困難だ。本来なら、ヴァイシャリー湖西海岸まで渡り、アトラスの傷跡まで行くつもりだったのに。
 湿度の高い風が、佐那の髪を巻き上げた。左手で押さえ、右手でソフィアの手を繋ぐ。
「ママ。雨が降りそうです」
 ソフィアの声に空を仰ぐ。鉛色の空は重く広がり、彼女の言うとおり今にも雨が降り出しそうだった。
 と、いうより――。
「降ってきた!」
 弱かったのはほんの一瞬。すぐに雨は強く地面を打ち、ますます激しくなろうとしている。
 このままではまずいと雨宿りできる場所を探してみると、一軒の家が見えた。佐那はソフィアの手を引いて、家へと向かって走る。
「『人形工房』?」
 戸の横につけられた看板に書いてあった文字を、ソフィアが読み上げた。家ではなく、店だったのか。濡れ鼠で来店してしまって申し訳ないけれど、しばらく身を寄せさせてもらおう。台風の通り過ぎるまでの数時間、人形を見て過ごすのも悪くはない。
 天気のため、臨時休業の可能性も見てドアをノックすると、幸いなことに向こうから「はぁい」と返答があった。まだ幼さの残る女の子の声だ。ソフィアと年が近ければ仲良くなれるかも、と思っていたらドアが開いた。
「こんにち――あら? あなたは……」
 そして、そこにいたのは以前一緒に遊んだことのある少女だった。
「さなおねぇちゃん?」
「クロエさん。そうでしたか、ここはクロエさんのいる工房だったのですね」
「ママ」
 繋いだ手の先で、ソフィアが知り合い? と首を傾げているので説明をしてやる。彼女とは、去年の雨の日に体育館で出会ったのだと。そして、ボール遊びをしたことがないという彼女に蹴り方や遊び方を教えて一緒にフットサルをしたのだと。
「あのときはたのしかったわ。ありがとうございました!」
 礼儀正しく頭を下げるクロエに、いえいえと佐那はお辞儀を返した。
「今度は晴れた時に遊びましょう。前回はフットサルでしたが、今度はサッカーをしてみませんか?」
「さっかー? またちがうあそびね!」
「いえ、あまり変わりませんよ。クロエさんは覚えも早いですし、すぐに楽しめます」
「そう? なら、たのしみにしているわ!
 それで、きょうはどうしたの?」
 クロエに訊かれ、佐那は「はい」と短く頷き一拍開けた。クロエがきょとんと佐那を見る。
「雨宿りする場所を探していたんです」
 自分たちのすぐ後ろ、軒先の向こうではすでに土砂降りとなっていて満足に前も見えない有様だ。驚いたのか、クロエが目を見開いた。
「ねぇリンス、すごいあめ」
「本当だ」
 クロエに言われ、頷いたのがこの工房の主人だろうか。佐那は改めて頭を下げた。
「マーステル。台風が通り過ぎるまで、少し雨宿りさせていただけませんか?」
「構わないけど」
「ありがとうございます」
「ねえママ、お店の中、見ていていいの? 見てきます!」
 お礼もそこそこに、ソフィアは棚に収められた人形のもとへと走っていく。人形が好きな彼女のことだから、実はずっと見に行きたくてうずうずしていたのかもしれない。そんなソフィアの様子を見て、クロエがなんだか楽しそうな顔をして後を追った。クロエはたぶん、人形が好きな子が好きなのだ。あの様子ならきっと仲良くなれるだろう。
「厄介になってばかりでは申し訳ないのですが、何かできることはありますか?」
「特に。子供が嫌いじゃなければクロエと遊んであげてくれる?」
「勿論。願ってもないです」
 微笑みかけて、リンスの傍を離れる。
 ソフィアとクロエは何やら仲良く喋っているが、なんの話をしているのだろう?


 言葉は、勝手に口から出てきた。
「可愛い……凄いです。人形だけど、人形と向かい合っている気がしません。まるで――魂が宿っているような、不思議な感じがする……」
 だから、傍でクロエが聞いているなんて思ってもみなかった。
「それって、すてきってこと?」
「きゃあ!」
「あ。おどろかせちゃった? ごめんなさい。そんなつもりはなかったの」
「いえ。……はい、素敵だと思います。ここのお人形さんは、どれも」
 今まで見たことのない感じだった。それは、作りが違うとかそういう問題ですらない。何も知らないまま呟いた言葉が真実を捉えていたことに気付かないまま、ソフィアはうっとりと人形を見つめていた。
「いいな。素敵なお人形に囲まれていて」
「じつは、よなかおきるとちょっとこわいのよ」
「えっ……あ、でも、そっか。これだけいっぱいいたら、怖いかもですね」
「もうなれたけど」
「慣れるものです?」
「ものです」
 ふうん、と頷き、何気なくクロエを見て気付いた。
「!! この子、お人形!」
 こうして面と向かって喋っていたのに、今まで気付かなかった。精巧だとか、そういう次元を超えている。人だとばかり思っていた。その分驚きも大きく、丁度こちらへ向かってきた佐那の後ろに隠れてしまうほどだった。
「ソフィーチカ? クロエさん、どうかしましたか?」
「わたしがおにんぎょうだからおどろいているのよ」
「そうか。ソフィーチカは知らなかったんですよね。クロエさんは、人形なんですよ」
 人形だけど、喋る。喋るお人形。それは一体何者なのだろう。
「…………」
 どきどきしながらクロエを見ると、彼女はソフィアに向けてにこりと微笑んだ。可愛かった。何者だとか、そんなこと、どうでもよくなった。可愛い。それだけあればいい。
「クロエさん」
「はぁい?」
「可愛いです!」
 ぱっ、と佐那の背後から飛び出して、クロエを抱き締める。なるほど、この硬さと冷たさは人ではない。でも、だから、どうした。クロエはくすぐったそうに笑って、ソフィアの背に手を回して抱き締め返していた。反応も可愛い。
 ひとしきり抱き締めてから手を離すと、クロエはまだ笑っていた。
「ソフィアおねぇちゃん、おもしろいひとね。あっそうだ。おちゃ、いれるわ。まってて」
 ぱたぱたとキッチンへ駆けていくクロエを見ながら、ソフィアは呟く。
「ここ、楽しいです」
「そう?」
「はい。だから、ママ。また、来たい」
「ええ。じゃあ、今度は晴れた日に。クロエちゃんと遊びに来ましょうね」
「うん」
 ソフィアは窓の外を見た。外ではまだ強い雨が地面を叩いている。
 この雨が弱まるまではクロエと一緒に遊んでいられるのだと思えば、旅を中断した嫌な天気もそう嫌だとは思わずに済んだ。