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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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6


 イルミンスール魔法学校は、各学科ごとに寮が異なり、また学校も寮もその他施設も全て、世界樹イルミンスールの中にある。そのため、台風がきてもほとんど害はなく、授業も通常通り行われている。
 授業の合間の休み時間、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)は廊下を歩いていた。窓の外に目をやれば、細かい枝葉が宙を舞っている。風は強いようだがいまいち実感がない。テレビの向こうの世界のような感じだ。
 ふと、携帯が震えた。画面を見ると、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)からの着信だった。複数人同時通話が行われているらしい。
「もしもし」
『近遠ちゃん? 台風の真っ只中ですけど、そちらはいかが?』
 電話に出てすぐ、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)の声が聞こえた。大丈夫です、と短く返事をする。
「いつもとなんら変わりありませんよ。風が強そうだな……って思うくらい」
『そうですの。あたしの方も、台風の影響はありませんわ』
『みんな無事ということだな。ひとまず安心か』
 ユーリカの声に乗って同意を示したのはイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)だ。声音には安堵した様子があり、彼女が少なからず近遠たちの心配をしていたことが窺える。
「世間は今、大変らしいね……」
 ぽつりと近遠は呟く。自分たちには本当に実感がないが、今回の台風はかなり大きいのだという。強い風と雨には十分注意しなければならないし、また場所によっては雷も発生しているようだ。
 けれど、イルミンスールには一切影響がない。外や、離れた学科に行くようなことさえなければ、イルミンスールの森が防風林の代わりとなって受け止めてくれるからだ。
「こういう時、イルミンスールはいいよね、安全で」
『そうですわね。他のところに住んでいるみなさまが心配ですわ……クロエちゃん、大丈夫かしら?』
 ユーリカが、ヴァイシャリーの地に住む友人の名を挙げた。今頃ヴァイシャリーではどんな様子なのだろうか。大事なければいいが。
『台風はな……大変だからな』
 しみじみとした調子で、イグナ。『何かあったんですか?』とアルティアの声が続く。
『昔、台風が来ている真っ只中に外に出たことがある』
『どうして』
『川が増水してな。堤防が破れそうになって大変だったのだ。水を食い止めるため土嚢を積んだり、他にも困っている人がいれば手を貸して、とまあ……色々あったんだ』
『それは、大変だったでしょうね……』
『ああ。今日と同じように雨風が強くてな。難儀した。そうだ、あの日もこう思ったんだ。困っている人を、どうにか台風から護れないものか? 台風を打ち倒せぬものか? と……』
「とはいえ、台風がなければ困る面もあるのです」
『あるのか?』
「はい。漁業資源に影響します」
 端的な説明に、端末の向こうの空気が疑問符でいっぱいになった。ええと、とお茶を濁しながら説明の言葉を考える。
「海の水が大波でかきまぜられないことで、深層部への酸素供給がうまくいかなくなるんです。それは海中の生物の生態系に影響を与えます。これによって漁業資源が減ってしまうのです。他には、島国で河川が短いところ……たとえば日本ですね。日本では、夏場の水資源を台風による雨の供給に頼っている面があるので、台風が来ないと水不足に陥ってしまう可能性があります」
『ふむ……台風にもメリットがあったのか。しかし、台風が大勢の命を脅かすのも事実なのだ。台風がこなければ、失われぬ命もあっただろうに……』
 それはなんとも言えないと、近遠は口を噤む。代わりに言葉を継いだのはアルティアだった。
『なるべく長所だけを取り入れられたらいいのですが……被害を最小限に止める方法などが、あれば』
 なかなか難しい問題提起だ。それができないから、今もこうして被害に苦しむ人がいる。
『台風の時はみんな世界樹の中に入るとかどうでしょう?』
 ユーリカが言った。面白いかもしれないけれど、きっと容積オーバーだ。
『駄目ですかしら。世界樹が大きくなって、みなさんを護ってくれたり、なんて』
「難しいかもしれませんね」
『いい考えだと思ったのですけど。上手くいきませんわね』
「天災については頭を悩ませているところでしょうしね……」
 話が一区切りついたところで、四箇所同時に予鈴が鳴った。誰からともなく「それでは」「また」と別れの言葉を口にする。近遠も、では、と短く言って通話終了のボタンを押した。