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【第六幕:エリュシオン宮殿 2  新帝 セルウス】



 そんな風に、契約者たちが、後にやって来る留学生のために、あるいは自身のために宿舎や宮殿を数日かけて見学して回っていた間のことだ。

「えーっと……先代のシャンバラ女王さまは、在位……在位、何年だったっんだっけ」
「え、え? 何年だっけ」
 セルウスの問いに、布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)が首を傾げると、エレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)はため息を吐き出して、机に向かう二人に肩を竦めて見せた。
「佳奈子、先生役がそれじゃ、格好付かないわよ」
「シャンバラ女王は、先日交代されたばかりだ。そこから就任した時期まで遡ればすぐ判るだろ」
 ドミトリエも呆れたように口を添えたが、セルウスの指の折り方を見て、これはダメだと再び息をついた。
 佳奈子達がいたのは、宮殿の貴賓室の一室だ。交流のためにはまず国を知らなければ、ということで、佳奈子達はセルウスの家庭教師よろしくドミトリエト共に勉強中なのだ。
 家庭教師、といいながらも実は勉強が苦手な佳奈子とエレノアの授業は手探り手探りだったが、それでも何とか毎日続け、即席の家庭教師もなかなか様になってきた頃。備の担当者達との打ち合わせを終えた祥子は、途中で一緒になった小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)と共に貴賓室に戻ると、机を前に難しい顔をする一同に軽く笑みを零した。
「お疲れ様、はかどってる?」
「あ、お帰り」
 従者を下がらせていることもあって、祥子も美羽も気さくに声をかけたことで、セルウスもぱっとわかりやすく顔を輝かせた。
「お邪魔じゃなかったかな」
 コハクが少し申し訳なさそうな顔をしたのに、佳奈子は「ううん、丁度一区切りしたところ」と首を振った。それにはエレノアが僅かに反論しかけたが、それより早く美羽がぱんっと手を打った。
「じゃあ、休憩がてら、お茶にしようよ!」
「やったあ!」
 セルウスは歓声を上げるとさっさとノートを閉じてしまったので、これ以上は無理だな、とドミトリエはため息を付くと、机の上に広げられた勉強道具を片付けたのだった。

 そうして、人数分の紅茶と、美羽達が抱えてきたドーナツに、皆が舌鼓を打ち、ほっとひと心地をつくと、祥子はまだ頬をもぐもぐとしているセルウスに口を開いた。
「思っていたより、しっかりと安全や教育への配慮が見られたわ。これなら、安心して生徒達を任せそう」
「もぐ? ももぐ、もふふふ」
「ちゃんと食べてから話しなさい」
 良かった、と言いたかったらしいところを、祥子が笑いながらたしなめて続ける。
「魔法文化や宮廷文化の繋がりもあるから、積極的に留学生を送ってくるのはイルミンスールと百合園になるかもね」
「ふうん……百合園女学院って、女の子ばっかりなんだっけ?」
 学校、というものにそもそも余り馴染みがないからか、不思議そうに首を傾げたセルウスに「だめよーセルウス〜?」と祥子はにまりと笑って見せた。
「好みの女の子がきたからって口説いたりしちゃ」
「え、ええ!? し、しないよそんなこと!」
 そんな冗談に素直に狼狽してみせる相変わらずなセルウスにひとしきり皆で笑うと、ちょっと膨れたところを宥めながら、美羽が「どう?」と首を傾げた。
「皇帝務めはやっていけそう?」
「どうかなあ」
 その問いには、これまた素直に不安をそのまま吐露してため息を付いたのに、美羽とコハクは顔を見合わせると、揃ってセルウスの肩を叩いた。
「大丈夫、宮殿の人たちの評判は悪くなかったよ
「貫禄がついてきたみたいに見える、って」
 もちろん不安がる人間もいないでもないが、それを口にするのは野暮な話だし、皇帝が一般人から選ばれるのも珍しいことではないため、最初はそんなものだろう、と言う意見が多いのも事実だ。歴史が長く、神々が多く長命な者も多い分だけ、帝国の人たちは気も長いところがあるのかもしれない。
「そうかなあ」
「そうよ」
 それでもまだ不安気なセルウスに、力一杯応えたのは佳奈子だ。
「勉強熱心だもん。教えてる私の方が、追い抜かされちゃいそうだし……」
 言いながら我に返ってしょんもりと肩を落とす佳奈子に、ドミトリエは苦笑がちにぽんと肩を叩き、意外だという目を向けられたセルウスはぽりぽりと頬をかいた。
「みんなに助けてもらって、皇帝になったんだから……今度は、オレががんばらないといけないかなって」
「いい心構えよ……と、ダメね、つい先生のつもりになっちゃうわ」
 セルウスの言葉に、祥子が言い掛けて苦笑した。まだ見た目の少年の彼は、もう生徒ではない。一国の皇帝なのだ。判ってはいても、今まで先生役として見守ってきただけに、その目線がなかなか消えようとしない。そんな祥子の心を知ってか知らずか「それに」とセルウスは視線を不意に遠くへやってその表情を変えた。
「ちゃんとしっかりしないと、ヴァジラにも馬鹿にされちゃうからね」
 その言葉に、一瞬皆がしん、となった空気をごまかすように紅茶を飲み下すと、美羽が少しばかり躊躇いながら「ヴァジラはどうしてる?」と口を開いた。
「まだ、軟禁状態なんでしょ?」
「うん」
 頷いて、セルウスは少し表情を曇らせた。
「扱いに困ってる、って感じだよ」
 まだ体が万全ではないことで、軟禁状態は継続しているが、ジェルジンスク監獄に送ること自体に、賛否が上がってきているらしい。ユグドラシルへの暴挙は大罪であり、処刑すべしという強い声も多い一方、その境遇に同情する者、それまで重ねてきた実績や、ドージェの再来とまで呼ばれたその実力を手放したくないと感じている者もいるそうだ。それは反面で、樹齢の少年という新皇帝への不安があるということでもあるが、セルウスはそのこと自体はあまり気にしていないらしい。それを察して、美羽は「そっか」と息を漏らした。
「なんのかんの、ヴァジラの人気も高かったもんね」
「下手な対応をすると反感を買う、ってことだね」
 コハクも言葉を添えるのに、セルウスは頷く。力が全て、と言えど、臣民をないがしろにしては国は立ち行かない。最初にルドミラが監獄行きを保留したことや、セルウスが現時点での監獄送還をうんと頷かないために、重臣たちもヴァジラの扱いを決めかねているのだろう。
「処分……なんて、考えたくないし」
 かつては敵同士としてぶつかった相手だが、ヴァジラの方がどうかは兎も角、セルウスは憎かったから戦ったのではなかったし、決着のついた今、ヴァジラに対して敵意はない。
 勿論、アールキングと組して、ユグドラシルに甚大な被害を与えたことは許せることではないし、それについては言いたい文句は山ほどあるが、何より。
「友達は無理でも、ライバルでいたい、とか?」
 と美羽が形になりきらないセルウスの内心に光を当ててみたが、セルウスの方は曖昧に首を捻った。
「そうなのかな……」
 自分にとってヴァジラがどうであり、今のヴァジラにとって自分がどうなのか、まだ良く判っていない、と言った様子のセルウスに、それじゃあ、と美羽は手を引っ張った。
「はっきりさせに行こうよ」
 そう言ってそのままヴァジラの部屋まで手を引っ張ろうとする美羽に、最初は戸惑っていたセルウスも頷いた。
「うん……行こう!」
 そうして駆け足で遠ざかるセルウス達の背中を見守って、ドミトリエと佳奈子は小さく笑って彼らが帰ってくるまでに、勉強の準備に勤しむこととし、祥子は微笑ましげに廊下を曲がるセルウスに「喧嘩しちゃダメよー」と、手を振ったのだった。