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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション

 三班と簡易的に名付けられた班の行動は迅速だった。
「下手に長引かせたく無いし」
 と言った南條 託(なんじょう・たく)が、目標を見つけた瞬間そのまま高速で背後へ駆け寄ると、首の後ろへ手刀を喰らわせる。
 衝撃に前のめりになった媒介の契約者へ千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が眠りの針を打ち込んだ。彼もまた「一気にケリをつけるべきだ」と託の考えに同意したのだ。
 そうして倒れた媒介の両脇をプラヴダの兵士と抱え、近くにあったベンチに横たえた千返 ナオ(ちがえ・なお)が同情的な表情で嘆息するのに、かつみは口を開く。
「こんな歌い手も聞き手も喜べない歌なんて『音楽』でもなんでもないだろ」
 呟きに頷いたのは大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だ。
「関係ないようやけど、1作のオペラとしては一番長いニュルンベルクのマイスタージンガー4時間半を全曲歌いきるのはすごい体力勝負で、大叔父さんが見た舞台は、1幕ごとに違う歌手がヴァルターやってたっていうてたなぁ。
 一番大きな問題は、第1幕はドイツ語、第2幕はチェコ語、第3幕がクロアチア語の歌詞になってたこっちゃって。
 専門の歌手でもそんなていたらくや、訓練されてへん歌い手はどこまでいくか?」
 そう考えたら恐ろしい事だった。と彼は言う。
「塩とか胡椒とか唐辛子でも持ってたら口ん中突っ込んだったんやけど」
 皆が苦笑していると、フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)がふいに怒りを発露させた。
「音楽の価値は、人々をして「それをもっと聞きたい!」もしくは「感動したい!」って思わせる魅力を有するかどうかだ。
 心構えがない相手にいきなり歌声を聴かせる……って、辻音楽士なら珍しくもないが、これは悪質だね。
 憂鬱な気分にシンクロさせた音楽を聞きたいときもあるけど……空京全体になんて、客席を蹴って立つ自由もありゃしない。
 音楽家失格だね「無理やり聞かせる」」
 聞きながら、かつみはベンチに横たえられた媒介の契約者を見た。
 ――音楽家。
 果たしてこの契約者はそうだったのだろうか。
「ワールドメーカーやディーヴァ、ミンストレルには見えない……相当負担になっているみたいだったからな」
 針の効果で眠ったまま咳き込んだ契約者の唇に、僅かに血液が滲んで見えた。ナオが回復を続けていてこうなのだ。契約者の咽が負担に限界を越えていた事は明らかだった。

 プラヴダの兵士に媒介となっていた契約者を任せ、次の目的地へ向かう間、ナオは往来に倒れた人々を苦虫を噛み潰した表情で見ている。
 ジゼルはこの歌を『置いていかれた、残された人の気持ち』だと言っていた。
(俺だってかつみさん達に置いていかれたら、って想像するだけでも辛いのに)
 不安そうなナオの手を、かつみがそっと握ってやる。
 ――俺は置いていかないから。
 そう伝える指先に、ナオは深く吸い込んだ息を鼻から吐き出し、気持ちを新たにした。
 皆をこれ以上悲しい気持ちにさせないよう、早くこの歌を止めなければ。
 ミリツァに協力する為に基地へ残っていたトリグラフ達も気がかりだった。
 ジゼルが言う様にハインリヒがこの歌を誰かに歌わされているのだとしたら、彼もあの契約者のように危険な状態になっているかもしれない。
 最悪の結果になれば、パートナーのトリグラフ達にも影響が及ぶのだ。
「――山羊さんたちが、ハインツさんに置いていかれたりしたら……」
 過る不吉な予感に、目的地に向かう足を早める。



 プラヴダに協力する契約者達が、基地を出る少し前の事だ。
「フレイ! アレクが居ないの、それで私、何か嫌な予感が――」
 親友の姿を見つけるなりジゼルが吐き出した不安に、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は任務を前に気を引き締めた表情を見せる。
「キアラさんから連絡を受けてすぐ、ウルディカさん達が向かいました故、大丈夫ですよ」
 特殊な能力を持つセイレーンとして、ハインリヒの歌を唯一知るものとして、ジゼルにはやらなければならない事が有る。パートナーの危機を感じ取っていない訳はないのだが、空京全てが陥ったこの災いに自分一人が取り乱してはいけないと耐えていた折だった。
 普段はドジなフレンディスだが、彼女は忍の者だ。それを思い起こさせるような頼もしい表情と落ち着いた声音に、ジゼルはなんとか胸の奥の不安を落ち着かせる事が出来た。
「私の歌を重ねて、皆に届かない様にするわ。だから……、お願い」
「ジゼルさんご安心下さい。
 直ぐにハインツさんと共に戻って参りますので」
「だからどうしてプラヴダの連中はこうも次から次へと厄介事を増やすんだ!?
 金あるんだから、1回日本式で厄除けのお祓いしてもらってこい!
 信仰心? 日本人見習えよ」
 高柳 陣(たかやなぎ・じん)がぼやくのに、ドミトリー・チュバイスがにやついた笑いを張り付けたまま首を振る。
「うちの隊が厄介ごとを作るのは否定しないけどねぇ……、
 ボクの考えだとお祓いが必要なのは、空京……むしろシャンバラ全土じゃないかなぁ」
「彼方此方厄介事で俺の胃は持つのか……?
 つーて今アイツに死なれたら夢見悪ぃし、恋人出来て何が不満なんだよ畜生」
 ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)の愚痴に陣やその場の契約者は聞き捨てならない何かを拾ったような気がして、そちらをみるが、何かを思い出したのか分かったのか、ジゼルが「ああッ!」と大げさなくらいに反応した為、何も言う事が出来ないでいる。その間にジゼルはベルクの横に駆け寄って小声で何か言い出した。
きっと、ツライッツが帰って来ないから――
そんなもんでこんな大げさな事件起こすか? フツー
「だって全然連絡つかないんだよ!?」
「そんなことよりボクはぁ、フツーってところ同意出来ないなー」
 会話を割る様に入ってきたドミトリーに続いて「そうですね」と御神楽 舞花(みかぐら・まいか)もひょこっと顔を出す。
「ご本人の承諾無しに失礼になるとは思いましたが、事態の解明の為『情報収集専門員』にハインリヒ・ディーツゲン中尉について調査させました」
 端末の画面を開きながら、舞花は情報を改めて確認する。
「普通を私人もしくは一般人であるとするなら、ハインリヒ中尉は公人ですから、普通では無いかもしれません。
 兎に角軍人で貴族階級……侯爵家出身の方ですから、情報も多く出回っているのではないかと思いましたが、実際一族について、取り分けお兄様のシュヴァルツェンベルク候コンラート三世、シュヴァルツェンベルク侯カイのお二人は有名人のようですし、お姉様のフランツィスカ・アイヒラーは勿論ですね」
 ウィーンで会ったハインリヒの気さくでエキセントリックな姉の名をあげている舞花に、ジゼルは全然分からないと――口から出さない迄も――顔に思いきり出している。
 深海という凡そ一般の感覚から離れた場所で暮らしてきたジゼルにとって、人間の事情――ましてパラミタの有力な家の台頭で彼等と渡り合うため復権してきたらしい地球の貴族社会の話だと全く想像もつかない話だ。
「――ヨーロッパの貴族は日本と違って、一つの領地の領主に兄弟全員がなっているというのも珍しくないようです。
 でも実際領地の話になるとハインリヒ中尉の名前は一切出てきませんし、社交の場にも顔を出したという話は有りませんでしたが……、私が調べたかったのはどちらかというと別の……、
 例えばお二人のように――」
 例とあげながら舞花は隣に立つ綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)へ顔を向ける。
 空京放送局から此処へ駆けつけてくれた為、衣装に身を包んでいた彼女達は、コスプレアイドルユニット『シニフィアン・メイデン』として活躍していた。
「ディーヴァやワールドメーカーのクラスのように歌で能力を行使する方はステージで活躍なさった経験のある方が多いですが、ハインリヒ中尉は私と同じコマンダーですよね。
 それでこのワールドメーカーのような歌に関する能力が、彼本来の能力によるものなのかと調べてみました。
 ステージに出ていた事はないのかと……」
 言いながら舞花は情報収集専門員から送られてきたデータを開いた。
 端末に表示された動画は何かの舞台映像で、ステージで歌っているのは金髪の少年だ。
「何この天使!」
 ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)が思わず言ってしまったように、そう形容するのが大げさでは無い程、少年は儚い線の細い容姿に美しい歌声をしている。
「……でもこれ、ハインツよね」
 自分で言いながら落胆したようなユピリアの問いに、舞花は頷いた。
「この歌声――、ワールドメーカーの能力は、ハインリヒ中尉ご本人のもので間違い無いでしょう」
「そうね。だって私に歌を沢山教えてくれたの、ハインツだもの」 
 言った言葉に反応して皆が此方を注目してきたのに、ジゼルは説明する。
「ハインツと会ったのはアレクや他のプラヴダの皆に会うより前なの。
 彼は人前で歌うのが嫌だって言ってて、ステージに立ったのはお姉さんを助ける為で、その一回だけだったって聞いたわ。
 でもハインツは、私の歌の先生になってくれたの。前に私がセイレーンとして無理矢理覚醒させられた時、自分を忘れない様に歌っていた歌も、ハインツが教えてくれたものよ。
 『月に寄せる歌』ってハインツの故郷の、チェコのオペラの曲なんだって。
 アレクと会ったばかりのころに、『王子様に恋した水の精のルサルカが、人間になりたいって気持ちを歌ってるんだよ。今の君にぴったりだね』って――」
 一息に言って自分の言葉にハッとしたジゼルが真っ赤になりながら小さく丸まっていくのを見て少し微笑ましい気持ちになりながら、さゆみは皆へ向かって顔をあげる。
「確かにワールドメーカーの能力には今のハインツが使う力に似たものがあるわ」
「でもさゆみ、自分と同じ声を他人から響かせる能力なんて聞いた事がありませんわ。どう頑張ったとしても出来るとも思えませんし……」
 同じくワールドメーカーであるアデリーヌが偵察のロベルト・ノヴァク一等軍曹から得た情報をもとに言うのに、さゆみは確信めいた顔だ。
「『聞いた事が無いから有り得ない』というのは、それこそ無いとも思うけど、でも――」 
 何者かが介在している事はいよいよ間違いないのだと、彼等は理解する。



 暫く――。仲間が去った屋上で、ドミトリーが率いる分隊の兵士の影から、忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が姿を見せた。
「ジゼルさん御免なさい。
 僕はまだご主人様に会う訳にいかないのです
 ですが……ここでお手伝いしていいですか?」 
 見上げてくる意志に、ジゼルは膝をついて彼の背中を撫でるのだった。