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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●大好き、って言いたい

 危ない――と思ったときにはもう、体は動いていた。
 天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)は車道に飛びだし、両腕を伸ばして子犬をキャッチしている。
 パラミタ最大の戦いが終結してからおおよそ二十年、結奈のお腹に子どもが宿り、それをきっかけとして彼女が現役を退いてからに限っても、十五年もの歳月が経過している。
 それでも結奈の反射神経にはいささかの衰えもなかった。
 この日買い物に行く道すがら、結奈は偶然、車道を横切ろうとする子犬を見つけてしまったのだ。しかもその子犬に、真っ赤なスポーツカーが迫っていくのも目撃した。
 ポメラニアンの血が入った雑種のようだ。おぼつかぬ足取りで車道を横切ろうとする子犬は、交通ルールなんて知るはずがない。それは人間が、一方的に作ったものでしかないのだから。
 スポーツカーのほうも子犬に気づいた様子はなかった。小さすぎて見えていないようだ。
 無我夢中で飛び出した結奈は、子犬を抱きかかえるとスポーツカーに背を向ける格好となっていた。
 結奈は背後に感じた。
 急ブレーキが踏まれる気配を、
 タイヤがアスファルトとの間の摩擦熱で焦げる匂いを、
 耳をつんざくような鋭い音を、
 そして、衝撃を。
 
「騒ぐな」
 次原 京華(つぐはら・きょうか)がその凶報を耳にして、最初に口にした言葉がこれだ。
 その言葉は、天苗 絆(あまなえ きずな)にかけたものである。
 絆は結奈の娘だ。歳は十五歳、結奈に似た愛らしい顔立ちだが、結奈に比べると目元に力があり、口元も引き締まって涼やかな印象がある。
 彼女は武術に並々ならぬ興味を示しており、京華に師事して鍛錬する日々を送っていた。年々その活動は過酷さを増しており、このときは、一ヶ月という長期の予定で師ひとり弟子ひとりの本格的な山籠もり修行をしているところなのであった。
 なお、本日は山に入ってからちょうど一週間目、ハードな生活にも慣れ、鍛錬にもいよいよ脂がのってきたところだ。
 しかしこのようなニュースを聞いては、修行どころではないだろう。
 ヤカンのお湯がいきなり噴きこぼれたかのように、絆は泡を飛ばす。
「し、師匠! お母様が……お母様が……! まだ怪我の度合いも容態も伝わっておりませぬ! い、い、一刻も早く山を下りねばなりませんわ!」
 山奥のふたりのもとに、短いメールが届けられたのだ。
 結奈が子犬をかばって車に轢かれ、怪我をしたということ。
 現在入院しているということ。
 今わかっているのはそれだけだ。
 明らかに浮き上がり、いてもたってもいられない様子の絆であるが、京華の落ち着きはまるで正反対で、絆が焦れば焦るほど冷静になっていくかのようだった。
「だから騒ぐなと言ってるだろ。他の誰でもない、あの結奈なんだ。心配するほどのもんじゃねえだろうよ」
「で、でも……!」
 絆は涙目である。武術で身体を鍛えているとはいえ、まだ彼女は母恋しき年齢なのだった。
「パニくるな。絆やオレが今さらジタバタしてどうなるもんでもねぇだろ? 本当はこのまま続報を待ったほうがいいくらいなんだが、絆はそれどころじゃねぇだろうからな……」
 と言うと、京華は首を左右に振りごきごきと鳴らして少ない荷物をまとめはじめるのだった。
「仕方ねぇ、一緒に山を下りてやるよ」

 検査入院は短期のことで、その日の午後にはもう、結奈は自宅に戻ったという。
 自宅に駆けつけた絆は、青い顔をして扉を開けた。
「お母様、ご無事で……!」
 そんな絆が目の当たりにしたのは、キッチンでオーブンから焼きたてのクッキーを取り出している結奈の姿だった。
「お母様!? だ、大丈夫なのですか!?」
「あら、きーちゃん? きょーちゃんも?」
「ほらな、案の定あのバカぴんぴんしてやがる」
 と京華は言って絆の背をポンポンと叩いた。
「オレは結奈とは付き合い長いんだ。それこそ、絆が生まれるよりずっと前からのな。だからこれくらい何でもねぇってわかってたんだよ。まったく、急いで戻って損したぜ」
 京華は大欠伸しすると、食卓の椅子を引いて斜めに座った。
「何でもないっておっしゃられても……車に轢かれたと聞いては、落ち着いてはいられませんわ」
「ご覧の通りよ。異常なしと診断されたのでその日のうちにお家に帰ったというだけのこと……ケガといってもかすり傷くらいだもん」
 子犬ももちろん無事であった。近所の飼い犬で小屋につながれていたのが、するりと首輪から抜け単独で散歩していたということだった。子犬はすぐに飼い主に保護されている。今頃は元気におやつでも食べていることだろう。
「心配してくれたんだね? ありがとう、きーちゃん」
 結奈はクッキーを置くと、腕をひろげて絆をハグしたのだった。頬ずりもしている。これが結奈式の絆の迎え方だ。
「え、ええと……?」
 それでも絆はまだ、事態が飲み込めないのか呆然としているようだった。まだまだ、母の域にはたどりつけそうもない。そんな彼女は置いておいて、
「おい、結奈。せっかく来てやったんだから茶ぐらい出しやがれ」
 と京華が声を上げると、
「うん!」
 そうしよう、と、いそいそと結奈は娘を座らせ、焼きたてのクッキーを並べて茶の用意をするのであった。
「ちょうど沢山作ったところだったし、お茶もあるし。こうしてみんな揃ったし……」
 今日は良い日よね、と結奈は笑った。
「私、みんなのことが大好きだよ!」