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リアクション
●言わないほうが、伝わる言葉
――あえて一言でいうなら……妹、かな。けれど気持ちとしては、娘を送り出すような……。
緋色の着物に袖を通して、ニケ・ファインタック(にけ・ふぁいんたっく)はこの日を迎えた。
今日、バージンロードを歩くことになるのはマイシカ・ヤーデルード(まいしか・やーでるーど)だ。
式がはじまるまであと十数分、花嫁の控え室でニケは、会話の糸口を見つけられず手持ち無沙汰気味にうろうろとしていた。
綺麗ね、とでも言ってあげるべきだろう。
実際、今日のマイシカは、思わず息を飲むほどに美しい。
ほんの十年前、つやも水気もないぼさぼさの白い髪をして、いつも猫背気味で、相手の顔色をうかがうような上目づかいでおどおどと話していた少女の姿は、もうどこにも見いだせない。
マイシカの髪はいつしか潤いをとりもどし、本来の淡いブロンドに戻った。自分に自信がついたのか背はしゃんとして、もう上目づかいになることもない。口調も年相応に落ち着いたものに変わっている。
それでも、ためらわずにその言葉を口にすることはニケにはできなかった。
胸が痛む。
――マイシカが肩を露出したドレスを着れないのは、私がつけた傷跡があるから……。
どうしてもそのことに思い至ってしまう。あれは不可抗力だったと、言い訳することもできよう。だがそうやって現実から目をそらすのは、ニケにはできないことだった。
このときニケの視線が、鏡に映るマイシカの視線と交わった。
目を逸らせようとしたニケを捕まえるかのように、ぽつりとマイシカがつぶやいた。
「私ね、『おにいちゃん』が、初恋の人だったかもしれないわ」
それが冗談なのか心からの発言なのか、ちょっとニケには判断がつかない。
――だって、グレゴリーを消したのは、私たちなんですよ? まさか大切な人を奪っていたなんて……!
まるで喉にコルクでも詰められたかのように、ニケは口がきけなくなっていた。
かわりに一歩進み出たのは、パンツスーツ姿のメアリー・ノイジー(めありー・のいじー)だ。
「そ、れ、は」
ニケとは逆で、メアリーには言いたいこと、言うべきと思うことがたくさんあった。
――マイシカの言う『おにいちゃん』……つまりグレゴリーは、人ですらなかった。あいつは、もういない。それに……彼がマイシカに優しくしていたのは利用するためだったのに。そんなヤツのことを良い思い出のように言ってほしくない。それは君にとって……ええと……なんと言えばいい!?
考えが一気に溢れてきて、ためにかしばし固まってしまう。
しかしニケもメアリーもすぐに、安堵の息を吐いたのである。
マイシカが口元を隠して笑い出したからだ。
「笑えない冗談だったかしら……?」
「ああ……ええ、冗談……なのね。ははは」
「ほっとしたよ。マジでね」
鏡から振り返って、マイシカはふたりの『親』に言う。
「私は本当に思ってるの。あのときは確かに辛くて苦しかったけど……あの経験は意味があった、って。だって成長できたし、そのおかげで今、とても幸せだから。その幸せは、あなたたちがくれたんだから」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。そうかな……あたしたちは、あんたの辛い思い出を、『上書き』できたのかな」
メアリーは白い歯を見せた。すとんとひとつ、納得したように思う。
――マイシカが冗談を言うようになるなんてね。
ニケが思い起こすのはこの十年ほどのことだ。
本当に、さまざまなことがあった。
マイシカは子どもだったかもしれないが、ニケ自身だって、まだ十六歳の子どもだった。
マイシカも苦労した子だから、年齢の割には幼かったのだし、だから子どもが子どもを育てるようで大変な日々だったんだろう――と今では思う。
けれども今こうして思い出すのは、幸せなできごとばかりだ。
三人で一緒に巡る季節を感じ、日々を過ごし、数多くの物事を見た……それはすべて、きらきら輝く宝石のような記憶だ。
「おっと。そろそろ時間だね。花婿に……引き渡す式がはじまる」
メアリーの言葉を聞くと、マイシカは溜息まじりに言った。
「……はぁ、いよいよですね。メアリー、泣かないでくださいよ」
「さぁ……ちょっと泣いちゃうかもしれないね」
メアリーはそのあたり、隠そうともしないのである。
「……で、ニケは?」
「うるさいですよ」
ぴしゃりと即答して、ニケはメアリーの袖を引いた。
「行きましょう」
――言えなかったな。
バージンロードを歩きながら、マイシカは思った。
短い言葉を、ニケとメアリーに。
「だから私の夢は、二人みたいに幸せを運ぶ人になること、なの」
と。
だが言わなくても、ふたりには伝わっていたのではないかと考え直す。むしろ言わないほうが伝わる言葉はある――と思うことにした。
本日、マイシカ・ヤーデルードの少女時代は終わる。