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リアクション
その翌日、少年は目を覚ました。
「具合はどうだ?」
早川 呼雪(はやかわ・こゆき)に声をかけられ、少年は怯えた様子で、
「大丈夫です……」
と答えた。
「あ、の、助けてくれて、ありがとうございました」
「そんなに怯えないで欲しい。俺達は薔薇の学舎の生徒で――こっちに1人、蒼空学園がいるが、怪しい者じゃない」
「バラ……ガクエン?」
呼雪は苦笑して、自分達の身元を明かして安心させようとしたが、きょとん、というよりは、途方にくれたような表情で、少年は謎の呪文のように呟く。まるで訳の解らない言葉のようだった。
「……ひょっとして、シャンバラの現状を知らないんじゃないのかなあ」
佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)がのんびりとした口調で言って、はたと気付く。
浮き島にいて、情報が断たれていたのなら、彼はもしかして、パラミタが地球上空に現れたことも、こうして地球人がシャンバラに移住を始めていることも、何も知らないのかもしれなかった。
「あのですね」
と、風森 巽(かぜもり・たつみ)が言いかけた、その時。
「お見舞いに来たよ――!」
バン! と音を立ててドアが開かれ、病室にいた全員がぎょっとしてドアを振り返った。
右手にドーナツのテイクアウトボックス、左手に湯気の上がるティーカップを載せたお盆、といういでたちで、一体どうやってドアを開けたのか、ズカズカと踏み込んだ美羽が、はいっ、と、ドーナツのテイクアウトボックスを少年に差し出す。
「ミスドのおススメドーナツ。美味しいよ!」
美羽は強引に少年にそれを持たせ、箱を開けてみせた。呆然として、箱の中身と病室にいる面々を交互に見る少年に、呼雪達も苦笑して、
「……うん、取りあえず食べたらどうだ」
と勧めると、恐る恐る1つを取り出してかじりつく。
はぐはぐと咀嚼して、驚いたようにドーナツを見て、それからばくばくと食べ始めた。
「お腹空いてたんだねっ」
その食べっぷりに満足し、美羽はにっこりと笑う。
あっという間にひとつのドーナツを食べ終え、もっとあるよ! と2つ目のドーナツを手にして、少年は、ほっと肩の力を抜いた。
それと共に、ほろ、と目から涙が零れて、驚く。
「あ、あれ……?」
慌てて目をゴシゴシと擦る少年に
「あれっ、あれっ、ど、どしたの!?」
と美羽も慌てはじめた。
「……安心して、気が抜けたんだろう。落ちついたと思ったが……もう少しそっとしておいてやるか」
肩を竦めて、呼雪がそう言うと、巽達も頷く。
「そうだな、急いても始まらぬ。まずは体力を戻すことが先決であろうな」
藍澤 黎(あいざわ・れい)が、ふっと溜め息をついて呟いた。
促されて部屋を出て行こうとして、ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)は、思い立ってもう一度踵を返した。「早く元気になってね!」
そう言って笑いかけ、少年の頭を撫でてから、部屋を出て行く。
ドラゴニュートを見たことがなかった少年が、それに硬直してしまったことを知るのは、ずっと先の話である。
「――それで、もう落ちついたのか」
緋桜 ケイ(ひおう・けい)が少年を訪ねたのは、その翌日のことだった。
ここは少年の家ではなく病院なので、面会と言えば誰でも訪ねることができた。すし詰めにならないよう、病院側で配慮してくれているようで、
「ウチの病院にこんなに人が溢れ返るのは始まって以来の話だが、全員患者じゃないところが微妙な話だなあ」
と、魔法医師は苦笑している。
コハクは身を起こしているものの、下半身はまだベッドの中だったが、顔色も随分良くなって、もう殆ど回復しているようだった。
「俺は緋桜ケイだ。あんたの名前を聞いていいか?」
「コハク、です」
「そっか。よろしくな」
色々と聞きたい話があるんだが……と、ケイは言葉を濁して、パートナーの悠久ノ カナタ(とわの・かなた)を見た。
「俺はあまり話を聞くのが得意じゃなくてな……こいつに任すな」
気持ちが落ちついて、事情を話さなくてはならないことも解っていたのだろう、コハクははい、と頷く。
そんな間に、意識が無かった間、交代で看病していた者達は大体がこの部屋に揃ってきて、部屋が狭いと小雪に追い出されたファルは、
「ボク一番小さいのに! ジンケンシンガイだ――!」
と叫びながらも、素直に外の窓から顔を突っ込んで様子を見ていた。
「まず、おぬしは何処から来た?」
「セレスタイン、という浮き島からです。シャンバラ大陸から、ずっと南の……」
「……どうやって?」
まさかと思いつつ、仁科 響(にしな・ひびき)が訊ねると、まさかと思っていた答えが返る。
「……飛んで」
「飛んで?」
ヴァルキリーの翼は、鳥のように自由に空が飛べるものではない。
コハクは亜種だが、それでも見た目が違う以外に、機能に極端に大きな違いがあるわけではないと、既に魔法医から話も聞いていた。
コハクも当然、彼等の疑問を理解していて、俯いて、口を開くのを躊躇い、
「……きっと、これのお陰だ……」
と、意識を失っていた間もずっと、必死に握りしめていた物を取り出した。
それは片手の掌に乗せられるほどの大きさの、少し濁ったような乳白色の玉だった。
「それは?」
「光珠といって……僕達の村は、代々、この光珠を護っていたんです。僕達は、セレスタインと、この光珠を護る為に存在する一族だった……」
だが、これがどういう代物なのか、それをコハクは知らなかった。
一族には彼等を統べる”守り人”という存在があり、この光珠が何であるのかを知らされるのは、代々の”守り人”だけだったのだ。
「光珠は、”守り人”以外の者が手を触れることすら許されてなかった。でも、アズライアは、護るために……」
「一体、何があったのだ」
「……解らない」
カナタの問いに、コハクは弱々しく首を横に振る。
ある日突然、セレスタインを、何者かが襲撃した。
「……5人、いた。何処から来たのかも、何者なのかも解らなかった。村はあっという間に全滅して、アズライアは、奴等の内の1人を倒したけれど、奴等に捕まってしまった……」
そして、あの恐ろしい事態が起きたのだ。
「――”魔境化”?」
耳慣れない言葉だった。
「それは、一体何だ?」
何が起きたのか、コハクにもよく解らなかった。
ただ、島が、全く別のものに塗り替えられて行くように感じられた。
「何か、今まであったものを突き破って、邪悪なものに覆い尽くされて行く感じだった……」
空気さえ変わってしまったようで、まるで毒を吸い込むような息苦しさがあった。
「……酷いコト、するねえ」
弥十郎が溜め息を吐いた。
「ワタシは空が好きなんだ。それを汚すなんて、許せないよ」
「一体どうやって、そんなことをやってのけたんだ?」
半ば独り言のようなケイの疑問に、コハクは答えることができない。
ぎゅっとブランケットを握りしめ、奥歯を噛み締めた。
「……アズライアは……光珠を持って、逃げることができたはずだ……!」
”守り人”として、光珠を護ることが、本来の彼女の務めだったはず。けれど、コハクを逃がす為にそれをしなかった。
自分を逃がす為に、彼女は。
「……コハク殿がすべきは、過去を悔いることではない」 黎が口を開いた。そう、と、巽も頷き、床に片膝をついて、コハクを見上げるようにする。
「命がけでシャンバラに辿りつき、生き延びて、コハク、貴公自身が今、本当に成したいと思うことは何ですか」
「僕は」
コハクは息を飲んだ。
「……僕は、アズライアを捜したい……」
一族の、最も勇敢で、最も強く、象徴で、憧れで、誇り。コハクにとって、アズライアは全てと言ってよかった。
返答に、巽は力強く頷く。
「こうして出会えたのも何かの縁です。貴公の助力になると誓いましょう」
もー、丁寧でお堅い言い方をしちゃってるけどね、と、巽のパートナー、ティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)が掌をぱたぱたと振って笑った。
「皆、コハクくんを助けたいって思ってるから。皆もコハクくんも一緒に頑張ろうね」
ありがとう、と、コハクは泣き顔みたいに顔を歪ませて、微笑んだ。
ところで、と弥十郎がコハクに言った。
「ね、その光珠、ちょっと見せて貰ってもいいかなあ」
さっとコハクの顔色が変わったが、弥十郎は愛想良く笑いながら、「ちょっとだけ」と、親指と人差し指で、「ちょっと」を示す。
渋りながらも頷いて、少しだけなら、と、コハクは弥十郎に光珠を手渡した。
すっくと立ち上がったカナタが、彼の横から光珠を覗き込む。
「中の方が、色が濃いねえ」
「何かが入っているのやもしれぬ」
弥十郎とカナタが検分し、ちらちらと様子を窺っている呼雪に回してやる。
呼雪は光珠を眺め回し、
「……これ、贋物を用意したらどうだ?」
と提案した。
「町で似たような代物を見付けてコハクに持たせて、本物は俺達が隠し持っておくってのは」
「だ、ダメだっ!」
叫んだのは、コハクだった。ベッドから転がり出たコハクは、長くベッドに入りっぱなしだった為にフラフラだったが、飛びつくようにして呼雪から光珠を奪い取ると、後退るようにして、背中を壁に叩きつける。背中に走った痛みに、コハクの顔が歪んだ。
「……落ち付け。そやつは提案をしただけで、おぬしからそれを取り上げようと思ったわけではあるまい」
そのまま敵意を抱きかねないコハクに、カナタが静かに口を挟んだ。
「うん、ごめんねえ。色々、いい方法を模索してみてるんだよ、これでも。君が嫌なら、しないから」
コハクの気迫に驚いて、呆気にとられて固まっている呼雪の代わりに、弥十郎がフォローする。
光珠をアズライアから託された、ということは、コハクの中で、とても大きな意味を持つのだろう。それを取り上げるということは、存在を否定されたに等しいことなのかもしれなかった。
こっそりすり替えちゃおうか? と、コハクのいない所でファルが言ったが、やめときなさい、と弥十郎は苦笑した。そんなことがもし後でばれたら、それこそコハクは自分達を敵とみなして、二度と信用しないだろう。
「でも、贋物を用意するって案自体は、いいと思うんだよねえ。『禁猟区』とか施してさ」
あれこれと考える弥十郎を見た響に、「根を詰め過ぎだ、いい加減に寝ろ!」と怒鳴られていた。
病院を出て歩きながら、ケイは、聞いた話を頭の中で整理しつつ、うん、大体の事情は解った、と呟いた。
「で、どうするのだ」
「勿論、護るさ」
カナタの問いに、はね返すように答え、ふ、とカナタは笑う。
「そう言うと思っていた」
「解ってんなら訊くなよ」
ケイは肩を竦めて苦笑した。
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