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まほろば遊郭譚 第三回/全四回

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まほろば遊郭譚 第三回/全四回

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第七章 遊郭炎上2

「どうしよう、東雲(しののめ)遊郭が燃えてる!」
 扶桑の噴花の際の地震により、東雲遊郭には火が上がっていた。
 出火は、大量の降花のためマホロバの街は昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならず、それが余震で倒れたためとも言われていたが原因は不明である。
 イランダ・テューダー(いらんだ・てゅーだー)たちから遊郭に置いて行かれたよいこの絵本 『ももたろう』(よいこのえほん・ももたろう)は、逃げ惑う人の間をくぐって明仄(あけほの)の名を呼んでいた。
 竜胆屋の楼主海蜘(うみぐも)や他の遊女たちはとっくに大門へ逃げたと言うのに、明仄の姿が見えない。
 イランダは危険を承知で来た道を引き返した。
 竜胆屋のニ階の部屋では、明仄は苦しそうに息をしていた。
 明仄が寝ていた布団が赤く染まっている。
 また喀血したのだろう。
「明仄姐さん! 逃げてください!」
「……アタシは、もう駄目だから、お前さんだけでもお逃げ」
「だめです。お願い、立って!」
 明仄を立ち上がらせようとしたが、明仄は再び咳き込み、座り込んだ。
 急に明仄は笑いだす。
「綺麗だ……赤く、赤く、燃えろ!」
「明仄姐さん!?」
 その時、天井に移った火がごうと燃え上がり、梁が倒れてきた。
「……伏せて!」
 寸でのところで梁が止まった。
 『ももたろう』がおずおずと目を開けると、遊女が落ちてきた梁を支え、投げ飛ばしていた。
 遊女繭住 真由歌(まゆずみ・まゆか)は、二人を見る。
「鬼神力で身体を大きくしたのはいいものの、この熱には耐えられそうもないなあ。ケガなかった?」
「う、うん……」
「せっかく綺麗な着物を着れたのに、煤だらけになっちゃったよ。さっきのお客さんたちも無事に逃げきってるといいけど」
 真由歌は遊女として名を上げるつもりでこの東雲に来ていた。
 遊女として人気が出そうな矢先に、噴花と火災に見舞われたのである。
「ともかく生命あってのことだからね。逃げよう。まだ、裏手には火が回ってないかもしれないから」
 真由歌が二人を連れだすと、戸の影から姿を現した忍者秦野 菫(はだの・すみれ)に、明仄はぎくりをした。
「お待ちしてたでござるよ……明仄さん」
「貴女がもしや、遊女の殺人犯をご存知かと思い、ずっとその機会を伺っていたけど……今は、逃げるほうが先ですからね」
 梅小路 仁美(うめこうじ・ひとみ)が扇で顔を半分隠しながら言う。
「ねえ、優々花さん」
「明仄姐さん!」
 妹遊女は、血相を変えて明仄に飛びついていた。
 李 広(り・こう)が明仄に言った。
「ここから逃げおおせたら、遊女殺害犯に付いてじっくり話してもらいますからね」
 しかし、その途端、明仄は自分をここへ置いていけと喚きだした。
「アタシはここらか動かない。あの方がいらっしゃるかもしれないじゃないか。そのとき、アタシがいなかったらどうするんだ!」
「明仄殿は病に侵され、命の火を燃やし尽くそうとしてるでござる! これ以上、庇い立てしても仕方ないでござるよ」
 菫の目には、明仄が自暴自棄になっているようにしか見えない。
 叶わぬと知りつつもなお恋焦がれる。
 彼女もまた叶わぬ恋に身を焦がしていたのだと、近しく感じているようだった。
 明仄は地面に座り込んだ。
 炎に照らし出される天神と呼ばれた遊女は、血と煤にまみれやせ細り、乱れた髪にかつての美しさはなくなっていた。
「やっぱり、ここにいたか。もたもたしてると全員消し炭になっちまうぞ!」
 皆が困り果てていることろへ、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)が現れ、颯爽と明仄を拾った。
「トラさん……!?」
「まったく俺は馬鹿が嫌いじゃねぇみたいだ」
 トライブは明仄を肩に担ぎ、火の中をくぐっていった。
「たとえ仮初めでもよ、俺は楽しかったぜ」
 火は容赦なく東雲の街を舐め尽くす。
「急げ! 閉じ込められたら一巻の終わりだ!」
 トライブたちは大門へ向かって走りだした。
 大門はこれ以上火災が広がるのを防ぐため、閉じられようとしている。
 役人たちも避難しようと躍起になっていた。
「遊び人のトラさんは、無条件で美人の味方なのさ。アンタは世辞抜きで良い女さ! ついでに禁煙してくれるといいんだがなあ!」
 トライブは冗談交じりに言いながら、明仄の火の付いてないキセルを取り上げた。
 口に咥えて足に力を込める。
「こいつは俺が預かっとくぜ。火の用心ってな」
 彼らは全力で郭内を駆けていく。
 大門が見えたとき、所々で建物が崩落していった。
 菫が鉤縄を飛ばし、大門の動きを遅らせる。
「待って! まだ逃げてる人がいるでござるよ!」
 彼女たちは間一髪のところで、大門へ滑りこんだ。
 大門が鈍い音を立てて閉じられる。
 一同は息を切らしながらその場に倒れこんだ。
 トライブは明仄を降ろすと、大の字になって空気を求める。
「……何だ。これは?」
 逃げるのに必死で気がつかなかったが、空を見上げると、季節外れの桜の花が火の粉と共に舞っていた。
 桜の花弁はマホロバの空一面を覆っていた。
 明仄は両手を伸ばし、泣きながら桜の花びらをつかもうとしている。
「ああ、桜だ……桜! お大臣様のご祝儀だよ……みんな、燃えてしまえ!」
 遊女はそのまま倒れた。
 血溜まりが、彼女の死期を予告していた。