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リアクション
第五章 御狩場にて
「おーい、ネコやーい。出ておいでー」
「そんな風に呼んで……出てくるモノなのですか……?」
「いや、なんか人懐こいっていう話だったから」
「人懐こいと言っても……、野生の生き物ですし……。餌付けしてあればともかく……」
「そうかなー。イケると思うんだけどなー」
葛葉 明(くずのは・めい)と九十九 昴(つくも・すばる)の2人は、東野平原の一角にある御狩場の森の中を、未知の生物を求めて歩いていた。
その生き物の名は『シシュウオオヤマネコ』。四州島の中〜低高度の森林にのみ生息する、体長3メートル以上にもなるという巨大な山猫である。
山猫でありながら大変人懐こい事で知られ、ばったり出会った野生種がそのまま人に懐いてしまったり、森で行方知れずになってしまった人間の子供を保護して育てていたという話も伝わっているほどだが、隅々にまで開発の手が行き渡っているこの東野で、その姿を探すのは難しい。
今、東野藩でその姿を見ることが出来るのは、唯一この御狩場のみである。
「近所の野良猫なら、間違いなく逃げ出してますが……」
「そんなコト言ったら、その龍を怖がって出てこないったいう可能性も、あるんじゃない?」
昴の連れている【光竜『白夜』】を指差す明。
「と、とにかく……私は空から探しますので……」
「はいは〜い。いってらっしゃ〜い」
こうして押し問答していても始まらないと思ったのか、昴は白夜に跨ると空へと舞い上がっていく。
たちまちの内に地上は遠くなり、辺りは昴一人の世界となった。
肌を凪いで行く風が、心地よい。
「……広大な空と大地……。此処に立つと、人が如何に小さな生き物か……と、思い知らされますね……」
ふと、そんなことを呟く。
元々「少し自然の豊かな所で、息抜きしてこい」と、パートナー達に押し切られるような形で四州へと来た昴である。
(みんなの心遣いに応えるためにも、今は無心になろう)
昴は、そう心に決めた。
やがて一人空を飛ぶ内に、いつも昴の心を捉えて離さなった数々の事が、ゆっくりと頭を離れていく。
どの位、そうしていただろうか。
何気なく地上にやった昴の目が、異変に気づいた。
眼下の梢の一つが、不自然に揺れている。
昴はゆっくりと高度を下げていくと、その梢を《ホークアイ》で凝視した。
何かいる。
5メートルはありそうな灰色の獣が、巨木の梢の間に、身を潜めるようにしてうずくまっている。
昴は、すぐに地上の明に連絡を取った。
「こいつめー!ここか!ここがいいのか、ここがいいのんか!」
明は、巨大な毛玉の中に半ば身を埋めるようにして、シシュウオオヤマネコのモフモフ感を目一杯堪能していた。
伝承の通り、ヤマネコは恐ろしく人懐こかった。
まだ出会ってから10分も経っていないのに、すっかり明に腹を晒し、されるがままになっている。
明はネコが全く抵抗しないのをいいことに、喉をゴロゴロしたり、首に抱きついたりたてがみのような毛に埋まったりとやりたい放題していた。
もっとも、ネコの方もすっかり目を細めて、気持ちよさそうにしているのだが。
「あ〜気持ちいい〜♪ホラ、昴ちゃんも埋まんなよ、すっごく気持ちいいよ〜」
そう言って、バフッとネコの背中に顔を埋める明。ヤマネコは恐ろしく毛足が長く、明の顔はおろか、頭まですっぽりと埋まってしまっていた。
「そ、そうですね……。それでは、私も少し……」
昴の狙いは元々小動物だったのだが、サイズの違いこそあれこのネコも可愛がるには充分な愛らしさを持っている。
ドキドキしながらネコに触れる昴。
しかし昴の緊張とは裏腹に、ネコはやっぱりされるがままである。
「ホント……フカフカです……!」
ヤマネコの背中をなでたりお腹をさすったりする昴。
気持ちよさそうに目を細めるネコの様子に、ついつい際限なく可愛がっているウチに――。
「ミャア」
「……なんですか?今の……」
「このコじゃないよ?」
「何か……、子猫みたいな声……」
「ミャア!」
今度ははっきりと聞こえた。
「あっ!昴ちゃん、ソレ!?」
「え……?何ですか……って、あぁ!!」
明の指差す先を見た昴の目が、釘付けになる。
昴のすぐ顔の下、ネコのお腹の毛の中から小さな子猫が、チョコンと顔を出している。
どうやらこのヤマネコのお腹には、カンガルーのようなフクロがあるらしい。
ネコは、もう一度「ミャア」と鳴くと、大粒の黒真珠のような目で、じっと昴を見つめている。
「ヤダ!子猫!?」
「あ……、あ……!」
目の前の子猫の余りの愛らしさに、金縛りにあったように動けない昴。
子猫は、母親の毛の中から姿を現すと、トテトテと昴に向かって歩いてきた。
そのまま、昴の脚にスリスリと身体をこすりつける。
「信じられない」という表情のまま、恐る恐る子猫に手を伸ばす昴。
子猫は、その昴の手を「ペロリ」と舐めた。
「か……、可愛すぎる!!」
何かに弾かれたように、子猫をギュッと抱き締める昴。
子猫はおびえる事も無く、昴の手をペロペロと舐め続けている。
「キャー、カワイイ!あたしにも抱かせて!」
駆け寄ってくる明に、子猫を渡す昴。
特に暴れることもなく明に手渡された子猫は、今度は明の手を舐めている。
その様子を、顔を真っ赤にしてガン見し続ける昴。
「か、可愛いです……!」
「ウン、カワイイ!」
「可愛すぎます……!!」
「……また抱きたいの?」
「……ハイ!!」
「しょうがない。子猫は譲ってあげよう。あたしは、もう少しお母さんをモフモフしてる〜」
昴の熱い視線に根負けした明は子猫を昴に渡すと、モフモフの母ネコ目がけ、再びダイブする。
一方昴は、ネコジャラシっぽい感じの草を手に取ると、それで子猫と遊び始めた。
そうして、どれだけの時を過ごしただろうか――。
「あれ……?帰っちゃうの?」
それまでひたすらされるがままだったネコが、突然「むくり」と起き上がった。
昴と遊んでいた子猫は、母猫に向かって駆けていくと、母猫のお腹の辺りに潜り込んでいく。どうやらそこに、フクロでもあるようだ。
母猫は最後に二人を一瞥するかのように振り返ると、悠々と歩き去っていった。
「いっちゃいましたね……」
「さすが猫、気まぐれね。だがそれが良い」
なごり惜しそうな昴に対し、妙にサバサバとした明。
「ま、モフモフはたっぷり堪能したし。さ、あたしたちも帰ろ?」
「……ハイ」
2人は、夢のような時間の余韻に浸りながら、御狩場を後にした。
東野東端、北嶺藩との国境にある項坂(こうさか)岬。
この岬の草原を、逞しい馬の群れが走り抜ける。
そのダイナミックな光景に、セルマ・アリス(せるま・ありす)とリンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)は釘付けになった。
「すごい迫力だね〜」
「本当に、美しい馬たちですね」
「有難うございます。私も毎日馬を見ていますが、一向に飽きることがありません」
この岬を含む一帯の巡察をしている、有野という侍は、嬉しそうに言った。
彼らが今目にしている馬は、『項坂馬(こうはんば)』と呼ばれる野生馬である。
その昔、四州島の鎖国によって需要の無くなった厩はその多くが閉鎖され、馬たちも大半が農耕馬か食用に転用された。
しかし中には解き放たれ、野生に返されたものもいた。
項坂馬は、そうした馬たちの子孫である。
項坂岬は立入が禁止されている御狩場内にあるため、項坂馬も長い間自然のままに守られてきたのである。
「皆さん、これを見て頂けますか」
侍は、傍らの若馬のたてがみを示した。
この馬も、項坂馬である。
去年の大雨の際、深みにはまって死にかけていたものを、この侍が保護し、育ててきたのである。
今では、すっかり侍になついていた。
「わぁ……。すごいキラキラしてますね」
「まるで、ブロンドの髪のよう」
「項坂馬の一番の特徴は、このたてがみの輝きです。明け方の岬を、項坂馬が朝日にたてがみをきらめかせながら走る様は、古の歌にも読まれているんです」
「それ、見てみたいなぁ」
「明日の朝早くいらして頂ければ、ご覧になれますよ」
「まぁ……本当ですか?」
「えぇ。ご案内致します」
「やったぁ!」
跳び上がって喜ぶセルマ。
どうやら、この項坂馬が余程気に入ったようである。
「ところで有野さん。この項坂岬や御狩場では、密猟などの被害はないんですか?」
「地球では密猟されて、絶滅の危機に瀕している貴重な野生動物が何種類もいるんです」
「その点は大丈夫です。項坂馬は土地の人々からも愛され、大切にさせています。もう何百年も、そうした被害の報告はありません」
「そうなんですか、よかった〜」
「ただ――」
「ただ?」
「密猟、というのとは違うんですが、最近御狩場内に人が入っているようなんです」
「人……不法侵入ですか?」
「はい。この項坂岬までは来ていないようなんですが、南の方を担当する巡察役が見たという話もありまして。先日、御狩場奉行様にご報告したのですが、今の所、これといって対策は取られていないようです」
「まぁ……」
「対策が取られていないって、どうしてなんですか?」
「わかりません。単純に、処理が遅れているだけかもしれないのですが……」
「わかりました。それでしたら、私たちの方でも、一度本部に問い合わせてみましょう。本部から直接藩のお偉方に確認してもらった方が、きっと話が進むと思いますし」
「そうですか、有難うございます!」
自分の担当する地区で起きている問題でもないのに、有野は我が事のように喜んでいる。
有野の御狩場に寄せる強い愛情に、セルマも、思わず胸を熱くするのだった。
「どうだ、いたか!」
「ダメだ!そっちは?」
「こっちもダメだ!」
「必ずこの近くにいるはずだ、探せっ!」
「「「ハッ!」」」
大木の陰に身を潜めながら、アルフェリカ・エテールネ(あるふぇりか・えてーるね)とセドナ・アウレーリエ(せどな・あうれーりえ)は、遠ざかっていく足音に耳をそばだてた。
「……行ったか?」
「……そのようだな」
「はーーーっ。何なんだよ、一体……」
大きくため息をつきながら、瀬乃 和深(せの・かずみ)は大木にもたれかかった。
「ゆっくりしている暇は無いぞ、和深」
「今のうちに、ここを離れよう。いつまた連中が戻ってくるかわからん」
左右を伺いながら、アルフィとセドナが和深を急かす。
(ちょっと森の様子を見に来ただけなのに、どうしてこんな事に……)
これまでの経緯(いきさつ)を思い出しながら、和深は疲れた身体を無理やり引き起こした。
「『静森(しずもり)』……ですか?」
「はい。この村の北にある森なのですが、今年になってこの森から鹿やら熊やらが出てきて、作物を荒らすようになりまして。ほとほと手を焼いておるんですわ」
苦り切った表情で、村長(むらおさ)が言う。
「退治すればよいではないか」
「何を行っているのだ」と言わんばかりのセドナに、村長は静かに首を振った。
「いえ、それが。この静森が『御狩場』の中にあるのです」
「御狩場――。確か、立ち入りが制限されているのだったな」
アルフィの言葉に、村長は深く頷く。
「立ち入りは勿論の事、森から出てきた獣を狩る事も我等には許されておりませぬ」
「村長さん。その、森から動物が出てくるような事は、これまでもよくあったのか?」
「いいえ。勿論、全く無かったとは言いませんが、今度のように頻繁に出てくることなど、これが始めてです」
和深の問いにそう答えると、村長は突然床に頭を擦り付けんばかりに土下座をした。
「お願いにござりまする!森に立ち入る事すら許されぬ我々には、森で何が起こっているか調べる事すら出来ませぬ!どうか我等に代わり、森を調べては頂けませぬか!」
「ちょ、ちょっと村長さん、頭を上げてくれ!」
「昨年の凶作に続き今年もこの有様では、この村はもうお終いにござりまする!どうか、どうか我等村の者を助けると思って!」
「……少し、考えさせてくれないか」
この後和深たちは、取り敢えず返事を保留して村の人達に話を聞いて回ったのだが、どうやら森で何か異変が起こっているのは間違いないようだった。
何より「毎夜毎夜森に不審な人魂が出る」とか、「森の中を巨大な何かが歩き回っている」という情報を聞いた途端、それまで全く乗り気で無かったセドナが俄然やる気になってしまい、結局和深たちは村長の頼みを引き受けることになったのであった。
しかし、いざ森に足を踏み入れてみれば、そこにいたのは人魂ではなく生身の人間で、しかもこちらの顔を見た途端、全身から殺気を漲らせて追いかけてくるのである。
無論和深たちも抵抗したものの、そこは多勢に無勢。こうして追い立てられるハメになってしまったのである。
「和深、危ない!!」
セドナの声に、はっと我に返る和深。
頭上に迫る強い殺気に、本能的に身体をひねると、重い鉄の塊が身体をかすめ、地面に突き刺さった。
「な、ナニ!?」
セドナの後にピッタリとついて歩いていたはずなのに、いつの間にか、抜き身の長剣を振りかざした男が自分とセドナ達の間に立っている。
物思いに沈んでいて、周囲への注意がおろそかになってしまっていたらしい。
目の前の男の距離を取ろうと後退りする和深。だがその喉元にスッと、冷たい鉄の塊が突き付けられる。
「動くな」
「そっちの女共もだ。下手に動くと、こいつの首と胴体が永遠におサラバするぜ」
「クッ……!」
「和深……」
セドナとアルフィは【竜殺しの槍】や【漆黒の杖】を投げ捨てると、ゆっくりと手を上げる。
「よぉし、いい子だ。おい、お前ら。その女共を縛り上げろ」
リーダーの指示を受け、セドナとアルフィに歩み寄る男達。
だがその上に、黒い影が差した。
「「な――」」
何事が起こったのか。
男達が頭上を振り仰いだ次の瞬間、巨大な黒い塊が通り過ぎ、彼らを一瞬で肉塊に変えた。
「何が――」
「ズゥン!」
すぐ後ろに走った激しい衝撃に、驚いて後ろを振り返る和深。
そこには、彼に剣を突きつけていた筈の男の姿は既に無く、代わりに――。
天にも届かんばかりに聳え立つ巨木が、ぽっかりと空いた木のウロのように虚ろな『眼』で、彼を見つめていた。
(我は……この森……静森の……主。森と共に……生まれ……、森と共に……生き、森と共に……死ぬ……者なり)
目の前の巨木は、和深の戸惑いなどお構いなしに、直接頭の中に響いてくる言葉で、語りかけてきた。
「おぬしが、森の中を歩きまわっているとか言う巨大な影の正体か」
「助けてくれた事には礼を言う。それで、一体何の用だ?」
どうやら、戸惑っているのは和深だけのようだが。
(森を……穢す……者。我が……同胞(はらから)を……弑し、獣達を……虐げる……者。それを……追い払って……欲しい)
「要するに、コイツ等を何とかしろってコト?」
セドナが、巨木の根の下でぺしゃんこになっている、男の死体を指差して言う。
(さ……よう……)
巨木が、まるで首を縦に振るように、枝をさわさわと上下に動かす。
「その前に、我の質問に答えて貰いたい。最近、この森の外に動物たちが姿を現すようになったが、それも皆こやつ等のせいか?」
(さ……よう……)
「良かろう!その仕事、引き受けた」
「せ、セドナ!?そんなイキナリ――」
「イキナリも何もあるか。いいか和深。これだけの人間が動いていて、しかもわし等の姿を見ただけで襲ってくるのだぞ。余程知られて困るコトがあるに違いない」
厳しい顔で、アルフィが言う。
「……そうか!御狩場は、人の立ち入りが禁止されている。ここを隠れ蓑に、何者かが悪事を働いていると、そういう訳か!」
「森そのものが目的である可能性も否定は出来んが――。ともかく、憂慮すべき事態なのは変わりがないな」
「わかった。とにかく、コイツ等の事は俺たちに任せてくれ。静森の主さん」
(かた……じ……け……ない)
再び、今度はさっきよりも大きく枝が揺れ、木の葉が激しくざわめく。
その音がまるで巨木の笑い声の様に聞こえ、和深は思わず笑みを浮かべた。
「大魚!?アンタ、大魚が釣りたいのかい?」
「はい」
「いや〜、そりゃ無理だ。こんな時期に大魚なんて、釣れる訳がねぇ」
「やはり、そうですか……。お邪魔しました」
東 朱鷺(あずま・とき)はそう言って老人に頭を下げると、その場を後にした。
「今のが最後の漁師。やっぱり諦めるしかないか……」
平良川(たいらがわ)に棲むという大魚をどうしても釣ってみたいと思い、朱鷺は平良川沿いの漁村を訪ね歩いた。
噂はどうやら真実だったらしく、大魚について知っている漁師何人かと話をすることが出来た。
しかし帰ってきた答えは異口同音に、「この時期は釣れない」というモノだった。
なんでも大魚は普段は西湘にある太湖に棲んでいるらしく、平良川に出るのは秋だけなのだという。
何人かの漁師に協力をお願いしたが、全て断られてしまった。
朱鷺の調査は結局、大魚の存在を裏付ける証言を得るだけに終わってしまった。
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