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リアクション
0章 記憶の残滓
自由都市プレッシオ。
カーニバル、六日目の早朝。オレンジ色の朝日が街を照らし始めた頃の事。
「……きゃは♪」
時間に関係なくいつも闇が支配する路地裏の奥の奥。
周囲を建物に囲まれた密室のようなその狭い道に、ヴィータ・インケルタ(う゛ぃーた・いんけるた)はいた。
「あらら、ちょーっちやりすぎたかな」
ヴィータが見下ろす先は、何片にも分かれた肉塊と、人の体液と、血の海があった。
それは、御伽の街の死角であるここで、暮らしていた一人の浮浪者だったモノ。
いつもしていた鼻をつくほどの体臭は、もっと濃厚な臭いに汚染されていた。
「まぁ、いっか。今さら後悔しても遅いし」
ヴィータは肉塊の一つを拾い上げ、その断面に人指し指をつける。
べちゃり、と。
粘った感触と共に、彼女の指が朱色に染まった。
「ふんふんふーん」
彼女は鼻歌を歌い、建物の壁に血の魔法陣を描いていく。
それは、禁忌の術式。
それは、現世に存在してはいけない魔法陣。
それは、人を生贄にして力を手に入れる敗者の魔法。
ヴィータは知っている限り、その数々を周囲の壁に描いていく。
やがて、気が済むまでヴィータが描き終え、大きく伸びをした時。
――路地裏の入り口がある方から、彼女に声をかける少女が現れた。
「……ふむ、貴様はなにをやっているのだ?」
その少女の名前は、禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)。
ヴィータは振り返り、美しいラインを描く唇に手を当てて、キャハと笑った。
「なにって、あれよ。
忘れちゃいけないから、時たま、こうやって描いているの」
「殊勝なことだな」
「きゃは♪ ありがとう」
ヴィータは腰に両手を当て、ボキボキと鳴らす。彼女は恍惚な表情を浮かべた。
その姿を見た『ダンタリオンの書』は壁に描かれた血の魔法陣に近づきながら、ボソッと口にした。
「……まるで、人間の年寄りみたいなことをするんだな」
「ん? なーんか、禁句が聞こえたような……」
「なんでもない」
「そっ、ならいいわ」
準備体操をするヴィータの傍らで、『ダンタリオンの書』は壁に接近し、血の魔法陣を見回した。
その中でも、特に気になったのが壁の中央に描かれた術式だ。
最も複雑で、なのに洗練されていて、得てして奇妙。複雑怪奇の癖して、単純明快。惹きつけられるような魅力をもった不思議な魔法陣だ。
「なーに、その魔法陣を気に入っちゃったの?」
『ダンタリオンの書』の横に、ヴィータはひょこっと現れ、言葉を継ぐ。
「なら、良かったわね。この魔法陣、今日使う予定のモノだから」
「……そうか。それは良かった」
「良かったでしょ。まぁ、この魔法陣を使うためにも、キリキリと働いてよね」
「んじゃあね、バイバイ」と呟き、ヴィータは去っていった。
残されたのは無残な死体と、『ダンタリオンの書』。
少女は中央に描かれたその魔法陣を指でなぞりつつ、一人ごちた。
「しかし、この術式を使う存在が居るとはな……」
『ダンタリオンの書』はおぼろげだが、この魔法陣を知っていた。
彼女の記憶では、これが使われたのは三百年前。
自分の著書にしては珍しい、曖昧な情報しか書かれていない、伝説の術式。
「もしや、奴は……」
『ダンタリオンの書』はそこまで言うと、踵を返し、言葉を継いだ。
「……ふむ、念のため、和輝に知らせておくか」
そして、パートナーの佐野 和輝(さの・かずき)に伝えるため、その場を後にする。
その途中。
『ダンタリオンの書』はむせ返るような臭気の中、静かに笑い出した。込み上げてくる喜の感情を抑えきれない様子で。
「もしや、あの術式を使用する場面をこの目で見る事が出来るとはな……」
静かな歓喜に満ちた声で、『ダンタリオンの書』は言う。
これから起こることに思いを馳せて。あのヴィータという少女に魅せられて。
「……ふふっ、ますます面白い小娘だな。このまま『コワれず』にいてもらわねば……」
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